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ローマカトリック教会20161120 - 暇つぶし2ch942:老クリスチャン
17/03/11 12:03:09.03 oCe5lVNS.net
2014年(主日A年) 3月16日 四旬節第2主日
創 12:1~4a  IIテモ 1:8b~10  マタ 17:1~9

「光り輝く雲が彼らを覆った。 すると、 “これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。 これに聞け” という声が雲の中から聞こえた。」(マタ v.5)

古くから8月6日 (主の変容の祝日) のミサで読まれていたこのテキストが、四旬節第二主日のミサでも朗読されるようになったことは、現代聖書神学の貢献によるものと思われます。
「主の栄光がシナイ山の上にとどまり、雲は六日の間、山を覆っていた。 七日目に、主は雲の中からモーセに呼びかけられた」(出 24:16) とあるように、
今やイエスはかつての出エジプトの出来事にまさる大いなる贖いを成し遂げる第二のモーセとして、神の栄光に覆われました。
そして弟子たちに向かって神は、“これに聞け” と天から呼びかけられたのです。

“高い山”(マタ v.1) が、地理的にどこの山であったのかということに、この物語りの伝承は全く関心を示していません。
大切なことは、この山がいわば第二のシナイ山であって、六日の後 (マタ v.1) に三人の弟子たちは雲の中からの神の声を聞いて、イエスが “来るべき方”(マタ 11:3) であるとの確信を与えられたという事実でありました。
救済史の主体は神であって、神が私たちの救いをやがて達成して(フィリ 2:13)、「わたしたちの卑しい体を、御自分の栄光ある体と同じ形に変えてくださるのです。」(フィリ 3:21)

「一同が山を下りるとき、イエスは、“人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない” と弟子たちに命じられた。」(マタ v.9)

主の復活を抜きにしては、福音の希望 (ロマ 5:2、Iペト 3:15) は理解出来ないからです。
聖なる者たちの復活の希望を抜きにしては、キリストの福音は決して語り得ないのです。
「実際、キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられました。」(Iコリ 15:20)
こうして、原始教会にとって、預言の言葉はいっそう確かなものになったのでした(IIペト 1:19)。

・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より


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