ローマカトリック教会20161120at PSY
ローマカトリック教会20161120 - 暇つぶし2ch912:老クリスチャン
17/03/02 11:26:47.29 R29pvzEZ.net
2002年(主日A年) 2月17日 四旬節第1主日
創 2:7-9, 3:1-7  ロマ 5:12~19  マタ 4:1~11

最初の人アダムの罪によってすべての人間に罪が及び、死がこの世を支配するようになったように、一人の人イエス・キリスト (第二のアダム) の恵みと義の賜物は、その救いを受けたすべての人々に豊かに注がれました。
「いかに多くの罪があっても、無罪の判決が下されるからです」(ロマ v.16) とは、教会が受け入れ、それによって歩んできたキリストの福音の内容であります。
聖書が “アダムの罪” と呼び、教会が “原罪” という名で教えてきたものを、私たちは今朝の日課である創世記のテキストで見ることが出来ます。

創世記1~12章は、いわゆる “神話” と呼ばれる文学類型に属しています。
今朝のテキストがその中に位置していることを、私たちは念頭に置かなければなりません。
これは人間が罪を犯すようになった起源の物語りとして述べられているのですが、言うまでもなくそれは歴史の記録や叙述ではありません。
しかしそのことを認めることによって、“聖書は嘘を語っているのだ” と考えるのは浅はかなことです。

人類の起源の物語りを産み出した古代のヘブライ人から、旧約聖書の最初の部分にこれらの “神話” を置いた後の編集者に至るまで、
彼らは歴史的事実の記録によっては決して表現し切れないより深い真理を語るために、この “神話” という文学類型が最も適切であることを理解していたのでした。
その背景には、広範な古代オリエントおよびヘブライの宗教と文化があります。

私たちは創世記に述べられている古代の “神話” から、他のどんな説明によっても不可能な、人間の罪 (神への反逆) の深さとその存在の事実を教えられます。
「神のように善悪を知るものとなる」(創 v.4) とは、人間が自ら神に代わろうとすることであり、神から離れ、神を不必要なものとすることでありました。
そして、それこそがすべての人間を支配する死の最も深い意味なのだと、この物語りは語っているのです。
“アダムの罪” とは、実は私たちすべての人間の罪そのものであり、“キリストよ、あわれんでください” と主の前にひざまずく主の会衆の姿そのものなのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch