ローマカトリック教会20161120at PSY
ローマカトリック教会20161120 - 暇つぶし2ch841:老クリスチャン
17/02/10 11:02:28.93 Hhz5yVpK.net
2011年(主日A年) 2月13日 年間第6主日
シラ 15:15~20  Iコリ 2:6~10  マタ 5:17~37

カトリック教会でも多くの信者の間に、“カトリックの教えを学べば、わざわざ聖書を学ぶ必要はない” という誤解があって、
さらにそれに輪をかけたように “神父様の説教を聞いていれば、わざわざカテキズムを勉強しなくても良い” というような雰囲気さえ、存在します。
そしてその結果、私たちは “十字架のキリスト” が全く抜け落ちた “キリスト教のお話し”、“神の秘められた計画” とは何の関係もない “世の中のためになる様々な良いお話し” によって育てられたのです。
それでも、それが “塩気がなくなった塩” であることに気づく人が少ないのです。

「しかし、主 (キリスト) の方に向き直れば、(心の) 覆いは取り去られます ! 」(IIコリ 3:16)

世界教会信条の一つであるアタナシオス信条は、その冒頭で “すべて救われたいと願う者は、何よりもカトリックの信仰を保つことが必要である” と宣言しています。
その “信仰” とは、啓示の源泉が聖書と聖伝、すなわち “使徒たちから伝えられたこと” であるという前提の上に成り立つものであることを、神の啓示に関する教義憲章は明確にしました。

すなわちカトリック教会の信仰とは、「この世の知恵」(Iコリ v.6) ではなくて 「神秘としての神の知恵」(Iコリ v.7) によって信じる信仰なのです。
ですから、聖書を通して私たちが聞くべき主要な主題は、使徒たちによる “十字架の言葉の宣教”(Iコリ 1:18) であり、“神の秘められた計画の宣教”(Iコリ 2:1) でなければなりません。

聖書に基づいて語られる、主日のミサの中での司祭の説教が、浜松教会ではいつも使徒信条の唱和によって締めくくられることは、自覚ある信徒にとっては、その意味で大きな慰めであるに違いありません。
さらに大きな祭日のミサの説教の後には、ニケア・コンスタンチノープル信条が唱和されるようになることが、大いに期待されます。

・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より


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