ローマカトリック教会20161120at PSY
ローマカトリック教会20161120 - 暇つぶし2ch655:老クリスチャン
17/01/19 11:36:38.41 BKcZRbmn.net
2005年(主日A年) 1月23日 年間第3主日

イザ 8:23b~9:3  Iコリ 1:10~17  マタ 4:12~23
「そのときから、イエスは、“悔い改めよ。 天の国は近づいた (到来した)” と言って、宣べ伝え始められた。」(マタ v.17)

イエスがガリラヤで伝道を始めた初期の時代を、ただの平和に満ちた牧歌のように描き、ナザレの教師イエスの物静かな知恵がガリラヤの花や鳥とよく調和した情景を想像するなら、それは間違っています。
英国の新約学者 A.M.ハンター は言いました。
「奇跡を割引して考え、譬え話を常識的な道徳を語る魅力的な物語りと解釈し、終末的な言葉からは神秘と深遠さだけを取り出すときだけ、こんな絵が得られるのである。」

“メシア的苦難の僕” としてのイエスの、悪霊とそのすべての業への戦いは始まっていました。
「わたしが来たのは、地上に火を投ずるためである」(ルカ 12:49)、「わたしが神の霊で悪霊を追い出しているのであれば、神の国はあなたたちのところに来ているのだ」(マタ12:28)、と語るイエスがそこにはおられます。
洗礼者ヨハネが捕らえられる以前に既にイエスの弟子となっていたガリラヤの四人の漁師が、いよいよイエスの活動に本格的に参加するべく招かれました。

イエスが宣べ伝えたのは 「御国の福音」(マタ v.23) であったというのが、共観福音の一致した報告です。
イエスの十字架の死は歴史の偶然の結果であり、墓からの復活はイエス自身も予想していなかったことのように説明する人は、福音書を通して語る使徒たちの証言に “耳の聞こえない人” “目の見えない人” です。
私たちは “メシア的苦難の僕” による新しい時代が開始したことの宣言を聞かされているのであり、今の時代の教会はその使徒たちによる証言のもとに立っているのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より


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