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ローマカトリック教会20161120 - 暇つぶし2ch601:老クリスチャン
17/01/14 10:53:38.11 LO2D3TGU.net
2008年(主日A年) 1月20日 年間第2主日

イザ 49:3,5-6  Iコリ 1:1~3  ヨハ 1:29~34
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」(ヨハ v.29)

ローマ・ミサ典礼書の総則は、ミサの構造について述べて次のように言っています。
“ミサは、ある意味で二つの部分から成り立っている。 ことばの典礼と感謝の典礼とである。 この二つは、一つの礼拝祭儀を構成するほど、互いに緊密に結ばれている。”(8、典礼憲章 56 参照)
そしてその前文の中で、“ミサが本質的にいけにえである” ことを明確にして、次のように教えています。
“このような公会議の教えはミサの式文の中で明らかに示されており、レオ秘跡書で、「教会がキリストの死と復活の記念を行うとき、救いの力がわたしたちのうちに働きます」 といわれている教義は、各奉献文の中に適切かつ正確に表現されている。
すなわち、これらの奉献文の中で、司祭は記念を行い、神の民全員の名において神に対して感謝し、命に満ちた尊いいけにえをささげる。”(2)

ミサの本質的な出来事は、まさにこの奉献文で始まり、特にそれは制定の叙述と聖別において行われることを明確にするために、各奉献文の中の主のことばが同一であるように定められました。
「皆、これを取って食べなさい。 ・・・・・ 」 「皆、これを受けて飲みなさい。 ・・・・・ 」
私たち会衆はここで、洗礼者ヨハネが指し示した “世の罪を取り除く神の小羊” を見上げて、記念唱を歌います。

このように感謝の祈り (奉献文) が明示していることは、ここで行われる象徴を通してキリストの死と復活の神秘が現存しているということであり、主の奉献に合わせて、教会も自らを父である神にささげるということなのです。(国井健宏/共同体の祈り)

聖書を学ぶことは、私たちのミサを考えることです。
私たちのミサへの理解から切り離して、今朝の福音書のテキストを理解しようとするなら、それは実りのないことであると知りましょう。

・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より


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