ローマカトリック教会20161120at PSY
ローマカトリック教会20161120 - 暇つぶし2ch371:老クリスチャン
16/12/23 09:50:03.18 UECjTAnC.net
2010年(主日A年) 12月25日 主の降誕/日中のミサ
イザ 52:7~10  ヘブ 1:1~6  ヨハ 1:1~18
「言は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」(ヨハ v.14)
主の降誕のミサの第一の目的は、神のことばを聞くことです。
それは使徒たちが宣教した “キリストの福音”(Iコリ 15:1) のことで、 ロマ 10:8,17 で “言葉(レーマ)” と訳されているものです。
それに対して、“御自身の血によって、ただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられた”(ヘブ 9:12) 御子キリストを、ヨハネ福音書はここで “言(ロゴス)” と書きました。
それは “罪の赦しを得させる”(ルカ 24:47) 勝利者キリスト御自身ですから(Iヨハ 5:4-5)、また “神の言葉(ホ ロゴス トゥー セウー)” とも呼ばれています(黙 19:11-16)。
この方が 「僕の身分になり、人間と同じ者になられ」(フィリ 2:7)、わたしたち (人間) の間に宿られたという福音を、私たちは使徒たちの宣教を通して聞くのです。
この “宿る” とは、黙 7:15 の “幕屋を張る” と訳されているのと同じ言葉です。
それは、かつて荒れ野のイスラエルのただ中に幕屋があり、「雲は臨在の幕屋を覆い、主の栄光が幕屋に満ちた」(出 40:34) と書かれていることに由来しています。
教会はこの “神のことば”、“キリストの福音” という土台の上に建っています。
それは私たちの主義や思想などというものではなくて、使徒たちを通して告げ知らされた(Iコリ 15:1-2、ガラ 1:8) “神の啓示” であって、「ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力」(ロマ 1:16) なのです。
“啓示は神御自身である” ということを、歴史の教会はこれまでも、折にふれて再確認する機会を持って来ました。
そして今も、現代の教会はその必要に迫られています。
“神の言葉” は “勝利の上に更に勝利を得ようと出て行った”(黙 6:2) という、神の子の第一の来臨を証しする使徒の宣教にこそ、私たちは耳を傾けようではありませんか。
・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より


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