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ローマカトリック教会20161120 - 暇つぶし2ch335:老クリスチャン
16/12/17 11:01:10.88 rZLYHwS9.net
2010年(主日A年) 12月19日 待降節第4主日
イザ 7:10~14  ロマ 1:1~7  マタ 1:18~24
「その子をイエスと名付けなさい。 この子は自分の民を罪から救うからである。」(マタ v.21)
今朝の福音の朗読を、神がその御子によって与えてくださった贖いの恵みと御国の希望に、私たちが直ちに結びつけて聞くのでなければ、それは美しいおとぎ話、あるいは不思議な昔話の一節にしか過ぎないものになってしまいます。
実際、教会の内と外を問わず、降誕の物語りはそのようなもの、私たちの救いとは何の関係もないものとして、人々の側らを流れ過ぎて行きます。
「しかし、時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。」(ガラ 4:4)
実に、神が、神御自身が、マリアの胎に御子を宿らせて、「わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。」(Iヨハ 4:10)
このようにして、御子が “聖霊によって、おとめマリアよりからだを受け、人となられました” という、ニケア・コンスタンチノープル信条の宣言を、教会は今年もこの期節に感謝と喜びをもって唱和します。
教会の典礼は、そこで神のことばすなわちキリストの福音が語られ、聞かれるための奉仕の場であると言うことが出来ます。
この奉仕 (Gottesdienst) は学者や教導職の役目であって、信者はただ盲従していればよいなどという時代がかつてあったというのは全くの嘘で、歴史の教会はいつの時代にもただキリストの福音によって、福音への信仰によって救いを得て来ました。
「ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ ・・・・・ 」(マタ v.24)
神のことばを聞く者だけが、また神のことばに服従することが出来るのです。
降誕の物語りの主役はマリアでもヨセフでもありません。
父なる神が聖霊によって御子イエス・キリストをお遣わしになりました。
ですからクリスマスの祭典の主役は、父・子・聖霊なる三位一体の神です。
私たち一同は、「キリストに結ばれて、新しく創造された者」(IIコリ 5:17) として、今年も降誕の祭典を迎えるのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より


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