ローマカトリック教会20161120at PSY
ローマカトリック教会20161120 - 暇つぶし2ch328:老クリスチャン
16/12/16 10:37:52.53 ifIfoS3E.net
2001年(主日A年) 12月23日 待降節第4主日
イザ 7:10~14  ロマ 1:1~7  マタ 1:18~24
マタ v.23 のイザヤ書の引用と、マタ v.20 の 「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。 マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである」 との呼びかけによって、私たちは神の福音 (ロマ 1:1) の神秘の前に立っていることに気付かされます。
「この福音は、神が既に聖書の中で預言者を通して約束されたもので、御子の関するものです。」(ロマ 1:2)
20世紀の教会では、「主は聖霊によって人となり、おとめマリアから生まれ」(使徒信条) という神秘をもはや理解せず、尊重もしない考え方が事実上の常識となっていました。
少なくとも真面目な信者がこの信条の一節の前でだけは躊躇してしまって、喜びではなくて困惑を感じて来たということは事実です。
にもかかわらず今朝、21世紀最初の待降節第四主日を迎えた全世界のカトリック教会 (およびその他の多くの諸教会) が、この同じ福音の朗読を再び聞いていることに、私たちは感謝したいのです。
典礼暦と主日の聖書朗読配分が、使徒継承の器でもある古代教会の信条と共に、21世紀のキリスト者会衆の目を再び正しく神の福音の出来事の神秘に向けさせようとしているのです。
唯一の主イエス・キリストは、「おとめマリアより御からだを受け、人となりたまえり」 なのです。
これをカルケドン信条は 「まことの神にしてまことの人」 と宣言しました。
これらの古代教会の信条形成の過程で、神の福音の神秘を “人間的に理解できる説明” によって合理化しようとするあらゆる異端との熾烈な戦いがあったことを、21世紀の教会は再び思い起こすべきです。
古代教会は神の福音の神秘を説明することではなくて、その神秘を神の御業として直視することを大切に考えました。
信じようとしない人は去るがよい ・・・・・ 、しかしすべてのキリスト者は、神の御業であるクリスマスの神秘を直視しなければならない。
そのためにこそ古代教会の神学者たちのあのような非常な労苦が払われて、信条が生み出されたのでした。
・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より


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