ローマカトリック教会20161120at PSY
ローマカトリック教会20161120 - 暇つぶし2ch271:老クリスチャン
16/12/10 10:42:53.02 2MepadrH.net
2013年(主日A年) 12月15日 待降節第3主日
イザ 35:1~6a  ヤコ 5:7~10  マタ 11:2~11
「しかし、天の国で最も小さい者も、彼よりは偉大である。」(マタ v.11)
これは、来るべき神の国における将来の話であって(イザ 11:9、エレ 31:34 参照)、“わたしたちは、今は、おぼろ気にしか知っていない”(Iコリ 13:12) のです。
それでも、たとえおぼろ気であっても、“本物の福音” が見え、その福音によって歩き始めている人々がいる (マタ v.5) ことに気付きなさいと、主は聖書を通して現代の教会に向かって呼びかけておられます。
この方は、栄光のうちに再び来られるキリストです(信条)。
「心を固く保ちなさい。 主が来られる時が迫っているからです。」(ヤコ v.8)
教会に委ねられた信仰の遺産、すなわち栄光に満ちた秘められた計画(コロ 1:26-27、エフェ 1:18) は、「神のものであって、わたしたちから出たものでない」(IIコリ 4:7) のですから、これを完成されるのは再臨のキリストです。
神の国は決して人間の善意と努力、あるいは道徳的進歩によって、地上に実現出来るものではありません。
それは 「御国が来ますように」 という、主の祈りの第一の主題であって、「揺るぐことなく信仰に踏みとどまり、あなたがたが聞いた福音の希望から離れてはなりません」(コロ 1:23) と勧められているものです。
教会が、キリストの再臨と神の国の実現を待望している “聖なる者とされた人々の共同体” であることを、声を大にして語ろうではありませんか。
洗礼を受けて 「一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかるようになり」(ヘブ 6:4) ながら、その後に堕落して 「主が来られる時が迫っている」 という聖書の使信を本気で信じられなくなってしまったら、「裁く方が戸口に立っておられます。」(ヤコ v.9)
実に、「あなたがたの信仰と希望とは神にかかっているのです。」(Iペト 1:21)
・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch