16/11/03 13:52:15.46 teQ6SU4M.net
2001年(主日C年) 11月11日 年間第32主日
IIマカ 7:1~14 IIテサ 2:16~3:5 ルカ 20:27~38
サドカイ派の人々と同じように、復活があるのかないのかという仕方で論ずるという誤りを、私たち自身も経験して来たのではなかったか、と反省してみましょう。
今年も、典礼暦の最後の三主日は、私たちに特別に終末のことを思い起こさせる聖書の箇所がミサの中で朗読されます。
「すべての人は、神によって生きている」(ルカ v.38) のであれば、私たちにはこの世の人生が終わってもその先に、再び "神によって生きる" ようになる復活の希望が待っているのです。
イスラエルの先祖アブラハムの神は、彼の息子イサクの神となり、そしてイサクの息子ヤコブの神となりました。
時代が移り変わってもイスラエルの神は "過去の神" となることなく、いつもその時代に生きる民の神でありました。
しかもそれぞれの時代のイスラエルは、自分たちと共に歩まれる神ヤーウェが、今なお先祖アブラハム、イサク、ヤコブの神であり続けておられることを信じました。
「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。」(ルカ v.38)
彼らの先祖たちは死んで墓に葬られたけれども、やがて再び生きるようになる ・・・・・ 。
だからヤーウエは現在のイスラエルの民だけではなくて、今なお先祖たちの神でもあり続けておられる ・・・・・ 。
この信仰がイスラエルの歴史を貫いて受け継がれて来ていることを、今朝のルカ福音書の物語りは証言しているのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より