ローマカトリック教会20160926at PSY
ローマカトリック教会20160926 - 暇つぶし2ch914:老クリスチャン
16/11/12 10:44:05.21 txygHKJ0.net
2010年(主日C/A年) 11月14日 年間第33主日

マラ 3:19~20a  IIテサ 3:7~12  ルカ 21:5~19
"全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝える"(マコ 16:15) ということが、あたかも教導職の専管事項であって、
信徒はそれとは別な世俗的生活の中で信心深く生きればよいという考え方がありますが、私たちは今それを反省してみる必要があります。
キリストの福音を宣べ伝えるという務めは、個人ではなくて教会の務めであることに注目しましょう。

テサロニケの教会について使徒パウロは、「主の言葉があなたがたのところから出て、マケドニア州とアカイア州に響き渡ったばかりでなく、神に対するあなたがたの信仰が至るところで伝えられている」 と書いています(Iテサ 1:8)。
さらに信徒一人一人のことを感謝して、「神の言葉が、信じているあなたがたの中に現に働いている」 と言いました(Iテサ 2:13)。

そのことを前提にして、「受けた教えに従わないで」(IIテサ 3:6) 「余計なことをしている」(IIテサ v.11) とはどういう意味かを考えるとよいでしょう。
"おもに話す者"(使 14:12) が司祭や修道者であっても、福音の宣教はそれを取り囲む信徒たちによって支えられているのでなければ、"少しも働かず、余計なことをしている"(IIテサ v.11) という使徒の叱責が当てはまるのではないでしょうか。

まして信徒たちの中に "神の言葉が現に働いている" のでなければ、そのような教会から "本当に正しくキリストの福音を語る" 司祭や修道者が生まれる筈もないということを、真面目に考えるべきでしょう。

「しかし、わが名を畏れ敬うあなたたちには、義の太陽が昇る。」(マラ v.20)

これを個人的信心と考えないで、「あなたたち」、すなわち教会の救いの問題として理解しましょう。
私たちはそのように理解して、「聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会を」 信じているのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より


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