16/11/05 11:42:09.68 thaoMYrK.net
2013年(主日C年) 11月10日 年間第32主日
IIマカ 7:1-2,9-14 IIテサ 2:16~3:5 ルカ 20:27~38
「神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神なのだ。 すべての人は、神によって生きるからである。」(ルカ v.38)
神は、やがて神の国に復活した人々にとっての神となり、「彼らの目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる」(黙 21:4) という希望を与えてくださったのは、十字架のキリスト、復活のキリストであります(ロマ 4:25~5:11 参照)。
先週の学びの中で私は現代の教会を評して、"救い" という言葉が使徒たちが宣教したようには理解されず、
"義の宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って受け継ぐ ・・・・・ 神の秘められた計画" とは何の関係もない別のことのように思われている ・・・・・ と書きました。
神の啓示に関する教義憲章は、「書かれた神のことばや伝承された神のことばを正しく解釈する任務は、ただ教会の生きた教導職のみに委ねられており」(10) と述べ、
司祭の養成に関する教令にはその神学教育の項で、「全神学の、いわば魂でなければならない聖書研究を、学生は特に熱心に学ばなければならない」(16) と書かれています。
しかし現実には、カトリック教会で司祭に叙階される候補者の多くが、正しく準備されてはいないのが事実なのです。
キリスト教的な道徳、政治、経済、それもほとんど実現などしそうにない理想や夢を語る説教を、私たちはこれまでどれほど聞かされて来たことでしょう。
しかし、神の国の約束や終わりの日の復活、永遠の命の希望についてのメッセージを、会衆が司祭の説教から聞くことは極めて稀でありました。
それでも神は、"主日のミサの朗読配分" を通して、自らの教会に "神のことば" を語っておられることを信じることが出来、そしてそれを聞き取ることの出来る人は幸いです。
・・・・・ 以下、本文参照。
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