16/10/28 13:45:17.63 6XPsZczy.net
2007年(主日C年) 11月4日 年間第31主日
知 11:22~12:2 IIテサ 1:11~2:2 ルカ 19:1~10
「回心させようとして、人々の罪を見過ごされる。」(知 v.23)
"キリスト殺しのユダヤ人" という偏見を放置し、ヒトラーによるホロコースト (ユダヤ人大虐殺) に至る歴史に対して、カトリック教会も決して無責ではなかったことへの反省が、
第二バチカン公会議での "キリスト教以外の諸宗教に対する教会の態度についての宣言" となったのでした。
ユダヤ人は、イエスを十字架につけろと叫んだだけで (マコ 15:12-15)、彼らには死刑の判決を下す権限がありませんでした(ヨハ 18:31)。
死刑を判決し、執行したのは、現代イタリア人の祖先であるローマ人でありました。
しかし不思議なことに、"キリスト殺しのイタリア人" という偏見を私たちは聞いたことがありません。
第二バチカン公会議が閉会して40年余になりますが、私たちが知っている日本のカトリック教会で、殆どの信者は自らその成果を学ぶ努力をせず、ただ受動的に外面的な変化だけを受け入れて来たように見えます。
このため、福音と教会への、また典礼への無知と無理解によって、その果実に正しく与ることが出来ませんでした。
各地の小教区で、いろいろな委員や奉仕者として働いている信者でさえ、典礼憲章や教会憲章を読んだことがなく、聖歌隊に属する人やオルガニストでさえ "ミサ典礼書の総則" を学んでいないのが、今日の実状です。
彼らは決して "無学な下層民" などではありません。
新聞や雑誌を毎日読み、社会問題や政治問題に関しては立派に意見を言うことの出来る人たちなのです。
そのような日本のカトリック教会を、そこにいる私たち一人一人を、神は忍耐をもって見守っておられるに違いありません。
神は私たちに、不可能なことを求めることはせず、ただ回心して立ち帰ることを、そして自らの能力に応じて "意識的、行動的に"、教会の歩みに参加することを期待しておられます。
今朝の朗読配分から、そのような神の呼びかけを聞くことが出来る人は幸いです。
・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より