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その後、2つの重要な出来事が起きます。
その一つはローマ皇帝コンスタンチンが312年にクリスチャンになった事です。
この事によりキリスト教がローマ帝国の国教になり、より権威主義的要素が強くなったのです。
つまり宗教に政治的要素が入り込んできたのです。
そして教会間での権力争いも激しさを増し、ローマ教会はその権威を一層強く主張しました。
ローマ教会は、帝国の皇帝が教会員であるいう事もあり、権力を増していきました。
最終的に、ローマ教会の権威に他の教会も屈服するようになりました。
第二の事件は、コンスタンチンがローマ帝国の首都をコンスタンチノープル
(今のイスタンブール)に移した事です。
最初、この動きはローマ教会に不利に働くように思えました。
しかし、事実はその逆だったのです。
ローマ教会はローマから皇帝がいなくなったために、
事実上のローマの支配者になってしまいました。
そして、ローマ教会は、コンスタンチン皇帝から皇帝が住んでいた城を譲り受けた、
という文書を作成し、民衆に示す事によって、その権威を内外に示したのです。
ところが、15世紀にその文書は偽造された物であった事が発見されました。
このような文書は初めから存在しなかったのです。
これはカトリックの方たちも認めるまぎれもない事実です。
ローマカトリック教会の特徴は、ローマ教皇の権威、または教会の権威を掲げたことでしょう。
その当時のローマカトリック教会によれば、教会が神の恵みを与えるパイプであったと
いうのです。
聖書は一般の信者の人々には与えられませんでした。
祭司は教会に来た一般の信者に聖書を読んで聞かせましたが、
それは伝統的にラテン語で読まれたために、一般の人々には理解されませんでした。