坐禅と見性第110章 頑張れそのうち聖火も消えるのでは心配at PSY
坐禅と見性第110章 頑張れそのうち聖火も消えるのでは心配 - 暇つぶし2ch253:素人A
16/07/15 06:04:18.12 DgcuLcMf.net
宝石の網・・・もし究極の<現実>が゛あらゆる形態からの<開放>の中での静穏な自己の享受と客体の活動的な享受ーすなわち
純粋な「精神」としての享受と物質の中での「精神」としての享受ーという二つの様相において存在するものであるならば、
<現実>としての完全な結合のためには、その両方の様相における統一が要求される。それは「此岸」し「彼岸」の両方で知ら
れねばならない。「・・・・」至高の祝福的な経験も、快楽と苦痛の混じりあった生活を送る人間という形をとつて現れるもの
も、同じシヴァなのだ。もしこれらのシウァがすべて同一であるという事が、一切の人間的行為の中で認識されるならば、あり
とあらゆる人間機能を、犠牲と祭礼という宗教行為とすることによつて達成できる。
〔・・・〕たとえばタントラのサーダカ(修行者)は食べるときも飲むときも、あるいはその他の身体的自然機能を充足
させるとき、常に実行しており、つぎのように言いかつ思うー我はシヴァである、我はバイララヴァで゛我は彼女であると。
(つづく)


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