坐禅と見性第110章 頑張れそのうち聖火も消えるのでは心配at PSY
坐禅と見性第110章 頑張れそのうち聖火も消えるのでは心配 - 暇つぶし2ch107:アハさんパシル語 ◆Ahasan1tjA
16/07/04 20:47:52.49 xCC2AggR.net
> それじゃ衣食などはどうやって手に入れるのですか?
  もちろん乞食のことじゃありません。
  もしみんなが仏教徒になって労働を> 拒否したら、のことです。
  その飯は誰が作るのか。 服は、家は。 > どうなんでしょうか、この辺は。 』
日本の仏教は、貴族のための者であって、決して民衆を対象にしたものではありませんでした。
鎌倉時代になって、比叡山の僧侶の名から大衆に佛教を説く日血が数人出てきました。
封建社会では、寺領をもらって、支配者の一部を担っていました。
明治は、戦争準備のために平和を説く佛教を廃佛棄釈迦を立法化し、弾圧しました。
次に戦争協力させるために、妻帯を合法化しました。
太平洋戦争敗戦後、僧侶の妻帯は続きます、素知らぬ顔をして。
僧侶の妻帯は戦争協力の見返り、だという事はしっかり見ておくべきことです。
さて、シャキャ族の聖者は、朝とお昼に乞食(こつじき)をして家々を巡り、いただければ食べ、いただけなければ、喰わず、でした。
衣服もいただければ、いただき、居ただなければ、つぎはぎ、洗い、徹底的に着古しました。
そういう事は、徹底して修行に専念するためです。
生産業から出て、自分のしたい佛教修行に専念することを喜びとしました、これを出家と言います。
一家を為し、妻子を得て、財を蓄え、それらを妻子に残して、出家していったのです。
身に一物も持たずです。托鉢の碗は持っていたようですが。
その出家者に支援者が居ます。
差し出された椀に食べ物を持ってあげる人たちです。
そのきわめて困窮な生活に会っても、仏道修行は、この上も無く、楽しいものだって、と言えます。


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