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私たちは興味のままに導いて行かれればいつか主のもとに行き着くことが
できるでしょう。
しかし、それには無垢な心が必要です。父に手を引かれる子供のように。
自分でやれると、父の手を振りほどいてどこかへ行ってしまう傲慢さが
大敵です。
もちろん誰しもそうなのですが。
そして行きづまった時に、素直になれれば良いのでしょう。
ルカ15章の放蕩息子のように。
主は凡ゆる方法、きっかけを作ってご自分の方へ私たちが戻って来るように
して下さいます。そして忍耐強く待っていて下さるのです。
私たちが改心すれば飛んで来て抱きしめてくださるでしょう。
本当は声が掛けたくて仕方ないのですが、私たちが自分で気がつくまで
待っていて下さるのです。それも私たちのためなのです。