15/12/01 08:25:30.36 Cu91vAld.net
生命、生命とオームのように鳴くおあんさんが降臨してるけど、その生命が問題なんだよね。
その生命が厭わしくて、自殺するおあんさんも仰山この娑婆にはいるんだよね。
自殺しないまでも、四苦八苦している人も多くない?生命を謳歌して、これこそ神様だ、と
チミのように言う人は少ないんじゃない?
生命はないと喝破されたゴータマ尊者は、幸せないお方様と認められた聖者なんだが、
生命を否定した人が、幸せな人であるに対して、チミは正命こそ人を幸せにする神様だ、と言っているのだが、
真っ逆さまな見識だよね。
これってどういうことよ?
チミの生命とは、五感と第六の意なんだと思う。これをゴータマ尊者は、一切と教えられました。
それは生きてる人に所属してるからね。死んではその人は五感と意は発揮しない。
死んだ人についてはゴータマ尊者は、死んだ人はもう接触できないものとして、諦めなさい、と教えられました。
イエスキリストは、死人は死人に世話をさせなさい、と言われました。
死者を悲しんで、心を苦しめてはならないんですね。
ゴータマ尊者は自らの死については、生じたものはすべて滅する決まりのものだ、だから、自分もこの世界に誕生した以上、
滅するのであると言われました。しかしゴータマ尊者は、諸行無常、是消滅法、生滅滅己、寂静為楽、と言われました。
生滅のない世界があるのだ、そここそ安楽の世界ですよ、と教えられたのですよ。
生命のある世界、生命のない世界、これは縁起して存在してるもの。
縁起して存在してるものは、虚妄なもの、実体のないもの、だから生命に起因する一切の苦しみは、
妄想にすぎづ、真実は安楽の世界しかないのでつよ、と教えられてのでつ。
チミは単に、ゴータマ尊者の教えを拒否してるにすぎないのでつ。肉体はないのに、ないものを妄想して作り上げ、
それを大事にしようと、骨折っているのでつ。それこそ苦しみでつ。チミの生命は苦しみに他ならないのではないでつか?
大事たところでつからよーく考えましょう。
517:神も仏も名無しさん
15/12/01 08:47:13.10 Cu91vAld.net
>>516つづき
あるいは、チミは、ひょっとしてこのことを言っているのでは?
つまり、十善戒のうちの、五戒、を勧めているのではないのでつか?
生命は大事なものでつから、人を殺さないを堅持しましょう、人は大事なものでつから、人を騙さないようにしましょう、
同様に、人のものを盗まないように、人の女をかどわかさないようにしましょう、と。
そうですよ。この戒めを守るなら、それは、世界の真実への道を容易いものにしてるのでつよ。
この戒めを犯すことは、真実に反して、人間という肉体に固執すること、人間が心を持つということに固執すること、
人間が持ちものを持つという考えに固執すること、人間が情欲を持つのは当然だという考えに固執することに、なるのでつが、
戒めを守るならば、この考えから離れることになるからだと思います。
自分が真実に合一することは最大一の重要事です。チミがこの戒めを守ることは
他者を同じく真実に合一する道に引導することになり、これは自分を愛するように他者を愛することになるでしょう。
生命を損なわないとは、このように良い効果をもたらすのですよ。
518:神も仏も名無しさん
15/12/01 10:37:33.44 iUdWhKK5.net
> 自殺するおあんさんも仰山この娑婆にはいる
藤村操が華厳の滝の近くにある樫の木を削り、「巖頭之感(がんとうのかん)」と題する遺書を残した
岩の上で思う
天地は何者にもとらわれず、何んと余裕があることか
今は昔の時代とは、何んと遠くはるかに離れていることか
五尺(1メートル50センチほど)の小さな体でその大きさを測ろうとする
ホレーショの哲学はなんら専門的でも権威のあるものでもない
宇宙の真相はただ一言で言うことが出来る、「不可解である」と
私はこの恨みを胸に持って思い煩い、ついに死ぬ事を決断した
すでにこうして岩の上に立つことになって
私の胸の中には何の不安があるだろうか、なにもないのだ
非常に大きな悲観は、非常に大きい楽観とおなじであることを、始めて知った
519:神も仏も名無しさん
15/12/01 11:27:34.64 iUdWhKK5.net
色受想行識の仮和合は
地水火風空識による仮の現れなので
スッタニパータ 1119
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界すべてを空なりと観察せよと
みずからを灯明とし、みずからを依処として、法を灯明とし、法を依処として
仏が大悲・大智によって衆生に応じることを「加(加被)」
衆生がそれを受け入れることを「持(摂持)」と解釈し
因と縁の双方の縁起が相応一致することで
死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させる
一切諸法は大日如来と異ならない
大日如来は法界(世界)に遍満している
分別しようとしている想いを手放すことができるのなら
「地水火風空識による仮の現れ」と
「現れてくることもなく滅していくこともなく」によって形容されている仏との
両者の間にはわずかな違いも、最も微細な違いすらも存在しない(中論 25-19・20)
しかし
(変化しないものが)
有ると思う虚妄の執著である、遍計所執性が現れ(滅し)て
それ故に
掴もうとしている想いを手放していくことは難しい
520:神も仏も名無しさん
15/12/01 14:59:25.05 qNKd99VH.net
>>516
>その生命が厭わしくて、自殺するおあんさんも仰山この娑婆にはいるんだよね
自殺する人も、「生きたくてたまらないが、苦しみに耐えられない」から死ぬのだよ。
人類が、その発生以来、現在まで営々として生存を続け、ますます繁栄しているのは、
一体なぜか。生きるのが苦痛ばかりなら、人類はとっくに消滅していたはず。「苦が
あれば、必ず楽がある」という真理が、常に働いているからである。
どんなに苦しくても、人間は「今ここに生きている」ことに、無意識にでも最大の
喜びを感じているのである。「苦と闘う」こと自体が、実は、「生の喜び」を
もたらしているのである。人類のこの巨大な文明は、「苦との闘いと楽の追求」の
結果なのである。
「一切皆苦」などと、人間の真理に思い至れなかった、愚かな精神病者ゴータマに、
「尊者」などという敬称を付けるのは止めよう。「愚者」のほうが、はるかに
相応しい。
521:神も仏も名無しさん
15/12/01 15:30:48.67 iUdWhKK5.net
過去への想いも手放し
未来への想いも手放し
> 今ここに生きている
そして、更に
今への想いも手放していく
ご教示ありがとうございます!
522:神も仏も名無しさん
15/12/01 16:53:52.35 Cu91vAld.net
--------------------------------------------------------------------------------
■□■<2,ダニヤ>■□■
--------------------------------------------------------------------------------
18 牛飼いダニヤがいった、
「わたしはもう飯を炊き、乳を搾ってしまった。マヒー河の岸のほとりに、わたしは(妻子と)ともに住んでいます。わが小舎の屋根は葺かれ、火は点されている。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)
523:神も仏も名無しさん
15/12/01 16:55:58.07 Cu91vAld.net
19 師は答えた、
「わたしは怒ることなく、心の頑迷さを離れている。マヒー河の岸のほとりに一夜の宿りをなす。わが小舎(すなわち自身)はあばかれ、(欲情の)火は消えた。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
20 牛飼いダニヤがいった、
「蚊も虻もいないし、牛どもは沼地に茂った草を食んで歩み、雨が降ってきても、かれらは堪え忍ぶであろう。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
21 師は答えた、
「わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが、激流を克服して、すでに渡りおわり、彼岸に到着している。もはや筏の必要はない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
22 牛飼いダニヤがいった、
「わが牧婦(=妻)は従順であり、貪ることがない。久しくともに住んできたが、わが意に適っている。かの女にいかなる悪のあるのをも聞いたことがない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
23 師は答えた、
「わが心は従順であり、解脱している。永いあいだ修養したので、よくととのえられている。わたしにはいかなる悪も存在しない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
24 牛飼いダニヤがいった、
「私は自活しみずから養うものである。わが子らはみなともに住んで健やかである。かれらにいかなる悪のあるのをも聞いたことがない。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
25 師は答えた、
「わたしは何人の傭い人でもない。みずから得たものによって全世界を歩む。他人に傭われる必要はない。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
26 牛飼いダニヤがいった、
「未だ馴らされていない牛もいるし、乳を飲む仔牛もいる。孕んだ牝牛もいるし、交尾を欲する牝牛もいる。牝牛どもの主である牡牛もいる。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
27 師は答えた、
「未だ馴らされていない牛もいないし、乳を飲む仔牛もいない。孕んだ牝牛もいないし、交尾を欲する牝牛もいない。牝牛どもの主である牡牛もここにはいない。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
524:神も仏も名無しさん
15/12/01 16:56:24.66 Cu91vAld.net
28 牛飼いダニヤがいった、
「牛を繋ぐ杭は、しっかり打ち込まれていて揺るがない。ムンジャ草でつくった新しい縄はよくなわれている。仔牛もこれを断つことができないであろう。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
29 師は答えた、
「牡牛のように結縛を断ち、臭い臭いのする蔓草を象のように踏みにじり、わたしくしはもはや母胎に入ることはないであろう。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
30 忽ちに大雲が現われて、雨を降らし、低地と丘とをみたした。神が雨を降らすのを聞いて、ダニヤは次のことを語った。
31 「われらは尊き師にお目にかかりました、われらの得たところは実に大きいのです。眼ある方よ。われらはあなたに帰依します。あなたはわれわれの師となってください。大いなる聖者よ。
32 妻もわたしもともに従順であります。幸せな人(ブッタ)のもとで清らかな修行を行いましょう。生死の彼岸に達して、苦しみを滅しましょう。」
33 悪魔パービマンがいった、
「子のある者は子について喜び、また牛ある者は牛について喜ぶ。人間の執著(しゅうじゃく)する元のものは喜びである。執著する元のない人は、実に喜ぶことがない。」
34 師は答えた、
子のある者は子について憂い、また牛ある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執著する元のもののない人は、憂うることがない。」
525:神も仏も名無しさん
15/12/01 17:11:08.40 Cu91vAld.net
>>520
>「苦が あれば、必ず楽がある」という真理
????
その楽と箔を伴っているものではないか?つまりくと楽は縁起関係にあるものだろう?
だとすれば必然的に、楽には苦が混入しているのだ。
だから、楽と思っているのは、泡沫の如しものだ。
そこで、チミは楽とは何か、苦とは何か、を聖者に聞いてみるべきだ。
聖者は、楽とは寂滅為楽、だと言っているが。それに反対なのか?
526:123
15/12/01 17:36:03.95 9lbazJj6.net
525.
寂滅為楽。
涅槃寂静。
その寂滅とか寂静とか言うのは、一種の状態である。
それは結果論である。
その結果の前提が問題となる。
その前提は、そういう状態ではないことが重要である。
だから、そう言う状態を目標とするのではない。
難解なり。
527:神も仏も名無しさん
15/12/01 18:08:42.91 iUdWhKK5.net
> そう言う状態を目標とするのではない
URLリンク(enlighten.fc2web.com)
普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)道元禅師著
坐禅をするときは、静かな部屋ですべきであり、飲食に節度をもって
雑事を忘れ、全ての関わりから離れ、事の是非
善悪を思わず、心に念が浮かぶことも意識に想像することも
何かを観じるという認識作用も働かせてはならず
また仏に成ろうと思ってもいけない
URLリンク(www.myoshinji.or.jp)
臨済宗 大本山 妙心寺
曹洞宗は黙照禅(もくしょうぜん)と言われ
「人は本来清浄な心を元々持っているのであるから、悟りを求める必要はない」と言う立場から
ひたすら黙々と坐禅する只管打坐(しかんたざ)を説きます
URLリンク(dictionary.goo.ne.jp)
「自分の方から働きかけていく」という想いも手放し
「周囲環境の方から働きかけてくる」という想いも手放し
余念を交えず、ただひたすら座禅する、只管打坐
528:神も仏も名無しさん
15/12/01 19:11:40.98 Cu91vAld.net
>>526
涅槃寂静という状態はもともとある状態である。
諸行無常の世界は、人間の欲心の世界である。
この欲心を抑制し、ついには滅した時、涅槃寂静の状態に達するのではないか。
欲心の世界は縁起の世界だ。縁起の世界が滅すると自然に寂静になるのだ。
だから、寂静の世界は縁起しているものではないだろう。つまり実体として存在してる世界なのだ。
529:神も仏も名無しさん
15/12/01 20:13:25.47 twBdV0TO.net
>>521
煩悩は「生きていることの証(あかし)」。煩悩が無くなれば、それは「死」
である。死ねば、釈迦も、宗教も、悟りも、へちまみない。
煩悩は、究極的には、死の危険への警告。生存に不可欠な心的機能。「除去す
べき異物」などではない。感謝して受け入れ、処理することにより、煩悩は煩
悩では無くなり、大いなる恩寵、よりよき生への原動力に変容する。
530:神も仏も名無しさん
15/12/01 20:22:37.42 kgxsXBZn.net
>>529
>受け入れ、処理することにより
「処理」が必要じゃんwww
処理方法を84000通り示してるのが仏教なのにw
531:神も仏も名無しさん
15/12/01 20:24:03.30 kgxsXBZn.net
隠居や紐は、頭のネジが2・3本足りないとしか思えんなw
532:神も仏も名無しさん
15/12/01 20:25:41.41 twBdV0TO.net
>>525
「苦楽」は相対概念。「苦」がなければ、「楽」も存在し得ない。「楽」だけの
世界は、「苦」だけの世界と全く同じであることを、理解しよう。
「清濁」「正邪」「美醜」「善悪」「正誤」などについても全く同じ。それを
すべて併せ持つのが、人間が人間たる所以である。すべて、状況に応じて生命
(肉体)を維持するために、肉体から発生する心的機能。
533:神も仏も名無しさん
15/12/01 20:30:50.09 iUdWhKK5.net
> 煩悩は煩悩では無くなり
煩悩即菩提
煩悩があるからこそ悟りを求めようとする心、つまり菩提心も生まれる
と考えられるようになった
煩悩と菩提は分けようとしても分けられず、相(あい)即(そく)して存在する
これを而二不二(ににふに)といい、二つであってしかも二つではないとする
宇宙を支配する原理と個人を支配する原理は同一である
一切諸法は大日如来と異ならない
大日如来は法界(世界)に遍満している
ご教示ありがとうございます
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ
一切の如来の御足を礼拝し奉る
534:神も仏も名無しさん
15/12/01 20:36:37.31 twBdV0TO.net
>>530
煩悩の処理は簡単。煩悩を満足させてやるだけでよい。腹が減れば、
飯を食う。病気なら、治療する。金がなければ、働く。他人に腹が立てば、
自己中心主義を止めて、その他人の立場になる。
それによって初めて、自他の生存が可能になる。
人類の発生以来、人間社会(生存共同体)は、そのようにして、成立・
維持されているのである。
535:神も仏も名無しさん
15/12/01 20:42:00.31 kgxsXBZn.net
w
>>534
20世紀、及び、今現在、
煩悩を満足させようとしてきたことのツケを、
人類全員、地球全体で払う羽目になってることを忘れてるとはな・・・ ┐(´ー‘)┌
536:神も仏も名無しさん
15/12/01 20:48:28.34 iUdWhKK5.net
> 紐は、頭のネジが2・3本足りないとしか思えんな
それゆえに
地水火風空識に依存して仮に現れ(滅し)ている
おじゃるも
紐くんも
脳みそが、くるくるパーであると
『 仮名の空 』 を以って説いた!
中論觀四諦品第二十四
537:神も仏も名無しさん
15/12/01 20:48:35.36 twBdV0TO.net
「煩悩を満足させないで去りたい」という煩悩こそ、最悪の煩悩。最大の
苦としての死に至る。
煩悩は、生命維持のために生命から発する不可決な機能。満足させる
ことなく排除してはならないもの。
538:神も仏も名無しさん
15/12/01 21:39:19.95 kgxsXBZn.net
>>537
はぐらかすなよw
先進国が煩悩の充足を極め切って「賢者モード」になったから、
発展途上国が煩悩の充足を目指すことを阻害しようとしてるんじゃないかw
COP21にも伺える構図が見えないか?w
539:超次元導師 ◆mnR0C8EG98xy
15/12/01 21:56:12.95 4vVm2EFJ.net
脳が煩うから煩悩、きれいなお姉ちゃんを見るとなる奴です
脳を殺すから悩殺、ムフフなポーズ
この時の漢字のへんの変化が重要
体から心に変わる
そんなもの
540:神も仏も名無しさん
15/12/01 22:19:24.92 iUdWhKK5.net
> きれいなお姉ちゃんを見るとなる
美人で可愛い女性とデートしたことがあるけど
まったく会話が、かみあうことがなかった
今では
「(会話が、かみあわなかったので)お付き合いしなくて良かった」と思ってます
長く、お付き合いするのなら
「会話が、かみあう人じゃないと無理!」という感じでつ
541:神も仏も名無しさん
15/12/01 22:41:26.14 twBdV0TO.net
>>538
国際化が進んだ現代において、先進国の恩恵を受けていない後進国は皆無。
土人でも、しゃれたシャツを着て、靴を履いている。
中国人の日本における爆買いを見よw。
542:神も仏も名無しさん
15/12/01 23:26:11.37 iUdWhKK5.net
> 中国人(煩悩)の日本における爆買いを見よ
日本全国土が
中国人(煩悩)に買収されちゃうのかしらん?
心配でつ!
543:神も仏も名無しさん
15/12/01 23:31:06.84 kgxsXBZn.net
>>541
相変わらずマジで馬鹿だなw
お釈迦さんが、
「俺は子供まで作ってセックス三昧したけど、お前ら弟子たちはソレ禁止な」
というのと同じだが?w
先進国が、
「俺は二酸化炭素出しまくってすげー発展したけど、お前らこれからの国はソレ禁止な」
と。
ふ~ん、御隠居はお釈迦さん側の意見なんだwww
544:神も仏も名無しさん
15/12/01 23:38:28.51 g7CRFZ6I.net
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪
545:神も仏も名無しさん
15/12/02 02:50:10.92 1IxQi2oD.net
>>525
「寂滅を以って楽と為す」
と読めない・読まないものに寂滅為楽のままではどうかと思われますよ。
546:神も仏も名無しさん
15/12/02 03:07:27.01 g4CfGPys.net
ちょっと分かったことを書こうと思う。
「存在」というものを正確に定義すると、「全く変化せずに、時間的に継続できる同一のもの。」 ということになる。
あっ、誰か来た。 つづきはまた今度。
547:神も仏も名無しさん
15/12/02 03:21:09.71 Hb3ifad/.net
「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」
読み下し
(諸行は無常なり 是れ生滅の法なり 生滅を滅し已わりて 寂滅を楽となす)
諸行とは六根(眼耳鼻舌身意)十二処(眼触耳触鼻触舌触身触意触)十八界(眼識耳識鼻識舌識身識意識)
無常とは始まりがあり終わりがある真実の事
生滅とは無常なる真実がいつも直面していると言う事実の事
法とは全ての作用の事
生滅を滅し已わりとは生滅の事実から抜け出す(解脱する)事
寂滅とは生まれない事
業報有りて而も作者なし、この陰滅し已わって(次には直ぐに)異陰相続す(第一義空経)
各々方はその目で今2ちゃんを見ている。
試しに家の天上を見てみよう。
家の天井を見ている目玉の中に、先程あった2ちゃんは何処へ行ったのだろうか?
今度はまた2ちゃんを見てみよう。
2ちゃんを見ながら考えてみてくれ、先程目玉の中にあった天上は何処へ行ったのだろうかと。
これが上記の経の言う異陰相続と言う意味になり、相続するには搬送基盤が無ければ成立出来ない真理を説き明かしている。
生きている内なら心なる搬送基盤は壊れていないので、目玉の中の像の様に、瞬間瞬間の縁起に応じて思いが生じ
その思いに応じて心は輪廻の転回を始めて手放しでは止まらなくなるのである。この対処が四念処だったり四禅だったり八正道なのであり
死んだら心の搬送基盤は失うので、心の輪廻は強制終了するのである。
死んで強制終了できるのが心なる事実ならば、瞑想や八正道で十分止められると言う証拠でもある。
思考を止めれば寂滅為楽なのだから簡単だろう。
548:123
15/12/02 06:57:34.32 3l1ngR61.net
547.
思考を止めれば寂滅為楽か。
それでは無になってしまう。死んで強制終了か。
寂滅するための条件が問題となる。
それは無となることではない。
それは思考停止ではない。
それでは何か。そこが問題である。
549:神も仏も名無しさん
15/12/02 10:36:46.85 g4CfGPys.net
たとえば、リンゴが1日目、2日目、3日目と腐っていくとする。
1日目のリンゴと3日目のリンゴはその形態が違うはずだが、「同じリンゴ」というわけだよね?
通常、諸行無常の説明としては、「あらゆる『もの』は変化していく」と、表現される。
『もの』が変化していくだけで、『もの』自体はつづいていくわけだよね?
ではその『もの』とは何か・・・?
表面上、あるいは内面も変化していく中で、時間を越えて変わらない『もの』がある。 とされる。
リンゴが腐っていく。 リンゴは変化していくが、同じ『リンゴ』というものは時間を越えて継続していくというわけだ。
リンゴの実体ということであろうか?
1日目と3日目のリンゴが同じということであるならば、存在の定義として、「時間が経っても変わらない実体」を出さなくてはならない。
諸行無常の表現として、「リンゴが腐っていく、だから諸行無常なんだ」と言われるが、
本当の意味の諸行無常というは、そこで止まらない。
リンゴという実体は変わらずにただ表面上が変化していくということではなく、
そのリンゴ自体の実体も、1秒も同じ物はつづかないということを意味している。
もし、「いや~、リンゴが変化していくだけで、リンゴ自体は変わらないだろ」と、いうのなら、
その変わらない「リンゴ自体」を出さないといけない。
「前のもの」と「後のもの」が全く同一のものであることを証明するには、「全く変わらない共通する何か」を出さなくてはいけない。
われわれ人間・生物は、「物が継続している」と見るとき、つまり「存在している」と見るとき、
前のものと後のものが同じものであることを確認しているから、「物が継続している」「存在している」と確認できるわけだよね?
共通の部分があるから、確認できる。
人間の知覚能力を使い、記憶で照合しているから、同じ物が継続していると認識できる。
「昨日の車」と「今日の壊れた車」が同じであると分かるのは、その車の形状の同じ部分の一致点を見いだしているか、
同じ位置や状況を推測しているからだけど、何かの共通点を探していることには違いはない。
なので、人間の知覚能力で一致点を見いだせないほど共通点が破壊されていれば、
同じ物として認識出来ない。
550:123
15/12/02 10:53:28.86 3l1ngR61.net
549.
物質の変化は物理学、化学の問題である。
それが宗教問題となるのか。
そこが問題である。
存在の問題は宗教問題とはならないものである。
551:神も仏も名無しさん
15/12/02 11:17:52.08 g4CfGPys.net
もしも人間の知覚能力を越えて一致点を見いだせないというのであれば、科学的手法を使うことになるよね。
それでも、あくまでも存在の継続を確認するのは、「一致点を見いだすこと」だ。
たとえば、死体の損傷が激しくて、人間の知覚能力では「同じ人」と判断できない場合、DNAや歯型に一致点を求めることになる
ここでも、あくまで存在の継承を確認するのは「一致点」だ。
どんなものでも「一致点」が見いだせなければ、「前のもの」と「後のもの」が同じだということを証明出来ない。
なので、もし、「同じリンゴはつづいていて、腐っていくという現象・変化が起きているのだ」、というのならば、
そのリンゴがつづいていると言える、前後で変わらない共通部分を出さなくてはならなくなる。
もしも前後で全く共通する部分が見いだせなければ、同一物とは言えなくなる。
たとえば、全く同じ顔で、姿形は全く同じ。 しぐさ、思考方法、雰囲気までそっくりな人を作り上げることが出来たら、
それが友人や家族と入れ替わった場合、疑いもなく、まったく同じ人間に見えるだろう。
完全に共通しているため、全く同じ人間に見えるからだ。
このように、人間が存在を確認するときは、人間の知覚能力に頼っていることが分かる。
それはある特定の範囲の能力なんだよね。
つまり人間は日常生活において、非常に限定された能力で存在を認識しているということ。
能力を越える場合は、科学的手法によって、一致点を見いだすことになる。
遠くのものを確認するには望遠鏡を、微細なものを確認するには電子顕微鏡を、
あるいは化学反応を、あるいは音響鑑定、内部を透過するレントゲンなど、
あらゆる知覚能力を補う手法を用いるが、全く変わらないものが継続するという「存在」を確認するにはやはり、
「完全な一致点」を探すということだ。
もしも完全なDNAの複製が出来、その他の特徴もまったく瓜二つの人間を作ることが出来たら、もはやそれは、
同一人物そのものということになってしまう。
違う点が見つからないからだ。
552:神も仏も名無しさん
15/12/02 11:20:41.88 g4CfGPys.net
われわれは共通点というものを漠然と捉えて存在というものを確認しているんだよ。
日常生活では人間の知覚能力を使って・・・、ということは、限定された能力の中で存在を確認しているということになる。
つまり、本当に同一のものか、深いところで確認できていないということ。
もちろん、人間の知覚能力であれば、日常生活ではまったく問題なく存在を確認していくことが出来る。
より深い認識で存在を確認しようとするとDNAなどの科学的手法になるが、
それでもDNAのもっと奥深く、素粒子レベルまで見ると、全く同一とはいえない。
どこまでいっても完全な同一の確認など出来ない。
つまり、「全く同一のものが、時間を経過していく・・」ということは、ありえないということになる。
前のものと後のものは、「全く同一のものとは言えない」、ということになる。
これが諸行無常の原理だ。
われわれの世界は1秒足りとも、「存在する」ということが有り得ない。
553:神も仏も名無しさん
15/12/02 14:10:52.66 KCKtP62H.net
物が「変わる」ということは、その基点としての当初の「変わらない状態」の
存在を前提としている。常に変動している物があるとすれば、その変動している
状態が「常」である。従って、「諸行無常」という命題は誤りである。
素粒子学的には、すべての物質は、超高速で運動する総粒子の関係的集合体である。
しかし「人間には」、それが固定した実体に見える。その理由は、誰にもわからない。
そして、そのような固定の概念に基づき、人間社会も、世界も成立している。
そのことの方が、より重要で、神秘ではないか。
プラトンは、人間は、洞窟の入り口にある松明に照らされた影を見ている洞窟内の
囚人だという。しかし、人間と言う種属にとっては、その松明は絶対に見えない
のだから、考えても無意味・無駄、単なる妄想である。若しそれが見えたら、
人間としては狂気の発生ということになる。
「人間は、動物の一種属」という前提を忘れた人間を、人間界では狂人と呼ぶ。
精神病とは、「現実(即ち人間が知覚できる世界)との接触の喪失(loss of
contact with reality)」と定義される。
554:神も仏も名無しさん
15/12/02 14:28:17.47 KCKtP62H.net
時間とは、「物の変化」のことである。物を離れて時間の概念は存在し得ない。
昔は、太陽や水の動きで時間を計測した。現代では、原子の振動である。
物理的時間に対して、「心理的時間」は、単なる心理現象。時と場合によって
ばらばらだから、普遍的な基準にはなりえない。
変化している実在の「構成」は、その変化、即ち時間を止めなければ解明できない。
動いている機械は、その動きを止めなければ、その構造はわからない。
時間を否定することにより、「もろもろの実在」の構成を解明したのが、中論
である。
555:神も仏も名無しさん
15/12/02 14:48:09.01 aXOdCkHp.net
> 時間を否定することにより
> 「もろもろの実在」の構成を解明したのが
> 中論である
(難しくて理解できないけど、それでも、とりあえず)
ご教示ありがとうございます m(_ _)m
556:神も仏も名無しさん
15/12/02 16:14:14.82 Hb3ifad/.net
>>548
そのあなたの心 からのお喋りを止めてみなはれ。
心からのお喋りを止めてみたところで、あなたは無になどならないし消えたりしませんから。
デビットカッパーフィールドのイリュージョンじゃあるまいし、何のお喋りをしてるのかと。
557:神も仏も名無しさん
15/12/02 16:23:12.55 Hb3ifad/.net
>>550
縁起は宗教的でもあり哲学的でもあり科学的でもある。
科学じゃ縁起は言わないかも知れないが因果は言うだろう?
実存の如何は常に宗教的論点の的だったろうに。
「それ」は「如何に」して「存在」し得るのか。
「想う」故に「吾」はある、問題は「想わない」ならどうか?
こんなのは常に宗教的だったろうに。
558:神も仏も名無しさん
15/12/02 17:34:35.10 Hb3ifad/.net
>>554
>時間を否定することにより、「もろもろの実在」の構成を解明したのが、中論である。
アホw
時間を否定したら縁起を否定しちゃうだろ。
縁起は如何にしても止まらないし止められない。
故に、時間を否定する事も出来ない。
また、そもそも「否定」と思考する時点で戯論。
この世界で戯論に捉われてるのは有情だけ。
天然自然のこの世界は有情が動かしてる訳では無い。
559:神も仏も名無しさん
15/12/02 17:41:41.76 NuDEEZ4g.net
生命生命と鳴く恰好鳥がいるのだが、そのおあんさんに聞きたいものよね。
人が誕生して生命を有するに至るということは、生命が死亡を相手方として存在できる
、相依性のもの、即ち縁起の所産だとすれば、生命が滅するときは相手方の死も滅することになる。
「これ滅すれば、彼滅す」というわけで。
で、結論として、生命というものは、個体的実体なものとして存在していない、とするんだよね。
そして生命とその死亡があったところには、無相、一相なものが現れるのであり、それが実体ある実相というのである、ね。
560:神も仏も名無しさん
15/12/02 17:55:56.36 Hb3ifad/.net
>>559
実体ある実相って、何?
実相は無相なのだから実体が有っちゃ無相にならないでしょ。
いいかな?
生があって滅がある、とするのが有相なのよ。
世間は真実が解らないから一応生滅を方便するけれども
実相としてこの世界は無相なのだから、本当は生も滅も有り得ないのよ。
だから中論でも冒頭に八不で不生不滅ってのたまってる訳。
人の通常の感覚では、人には寿命があって、オギャっと生まれていつか死ぬ。
そこだけで判断してしまう。
精子や卵子は無関係なのかな?
骨と灰とガスとは無関係なのかな?
確かに人間とは言えないだろうけどさ、その人間で居られる範囲だけで論じてしまうから
仏法は中々理解出来ない、故に何で不死の法と言われるのかも解らないままになってしまうと。
561:神も仏も名無しさん
15/12/02 19:01:10.99 Mxu2FoXX.net
>>558
釈迦の縁起は、時間的因果関係。忌むべき業報論を維持するための論理に過ぎない。
実在は、時間的因果関係で常に変動しているのだから、釈迦の時間的縁起では、
その空間的構成を把握することができない。その把握は、時間を否定した中論の
空により、初めて可能になる。
動いている機械の構成は、その機械を止めない限り、絶対に把握できない。
562:神も仏も名無しさん
15/12/02 19:06:12.23 Mxu2FoXX.net
>>558
「天然自然のこの世界」を認識して存在たらしめているのは、生命のみ。
生命が認識しなければ、存在するとはいえない。誰が、その存在を証明
するのか。
563:神も仏も名無しさん
15/12/02 19:19:29.70 Mxu2FoXX.net
有情の世界は、徹頭徹尾、「生存共同体」。生命は、独りでは、絶対に維持
できない。
デカルトが、いくら我ありと言ってみても、他者が彼の肉体を認識しなければ、
我は無い。釈迦が、いくら無我を唱えてみても、他者が彼の肉体を認識すれば、
我は有る。
両者とも、人間の本質としての「共同体性」に思い至っていない。
564:神も仏も名無しさん
15/12/02 20:05:02.23 s/GSw6IG.net
>>563
御隠居! さすがにそれは乱暴過ぎるだろw
>他者が彼の肉体を認識しなければ、我は無い
無人島や深山幽谷で一人過ごす者も、
「オレ」という感覚を失うことはない。
仮に、「他者の認識」よりも緩い「他からの干渉」に依存するならば、
動物がいるから?植物がいるから?
日没や気候等、外的干渉があるから? しかし、それらは、
そうした『外的刺激の感受』によって成立するよな? 違うの?
また、仮に、【そうした外的干渉に依る】のだと見做したとしても、
そうした、《干渉》《外的刺激》を、
【感受し】【情報処理し】【認識する】という行程がなければ無意味じゃないか?w
特に隠居理論でいけば。
それは、「他者が」「彼を」「認識する」かどうかとは無関係の、全くの別問題だ。
また、意識は自己フィードバックするわけで、
そこにこそ着目したのがデカルトなんじゃねーの?www
こういう隠居を持ちあげてるんだから、紐のレベルも推して知るべし、と・・w
565:神も仏も名無しさん
15/12/02 20:32:47.86 8z0ZuOk/.net
ご隠居に哲学のセンスはないよ。
哲学は書かれたテキストの内容よりも、それが書かれるにいたった
問題意識を共有していないと、そこからはなにも読み取れない。
デカルトのテキストに書かれているのは、
「疑って疑ってなお疑って、それでも疑いきれないものは何か」。
こういう問題意識が立ちあらわれる前提を感得していないと。
566:神も仏も名無しさん
15/12/02 21:35:10.64 Mxu2FoXX.net
>>564
>無人島や深山幽谷で一人過ごす者も、
>「オレ」という感覚を失うことはない。
社会にとっては、存在しないも同然。一般に、7年以上行方不明だと、失踪宣告が
出され死者扱いにされる。
「オレという感覚」が、妄想ではないという証明は、自分では不可能。
釈迦は、それは妄想だとさえ言っている。
567:神も仏も名無しさん
15/12/02 21:38:15.19 Mxu2FoXX.net
>>565
デカルトは、神の存在は疑いきれなかった。彼のコギトは、すべて崩壊。
568:神も仏も名無しさん
15/12/02 21:59:33.44 aXOdCkHp.net
> 釈迦は、それは妄想だとさえ言っている
… … …
プルシャは永遠に変化することのない実体である
プルシャの観察(観照、関心)を契機に平衡が破れると
プラクリティから様々な原理が展開(流出)してゆくことになる
我は、常住であり
他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え
それは働きのうえで自由自在の力をもつとした
この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考えるのである
釈迦は
このような実我観念を批判し
「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた
これを色受想行識の五蘊について説き
生物(衆生)は無常である
五蘊の仮和合したものであるから
我は
(地水火風空識に依存して現れ(滅し)ている)
(仮設としての)
仮りの存在であると説いた
569:神も仏も名無しさん
15/12/02 22:11:35.56 s/GSw6IG.net
>>566
ほんと、浅いな・・。
所謂「妄想」「思い込み」「理想の投影たる生活の中の各種設定」.、
或いは(今日の相棒じゃないがw)多重人格等も、
自己意識の過剰なフィードバックに依るわけだが・・・。
>「オレという感覚」が、妄想ではないという証明は、自分では不可能
まさに、>「オレという感覚」 は、>妄想 的に、
(自己フィードバックを、その機構として)心的事象として生じるが故に、
自身では、その真偽を判別し得ないわけさ。デカルトのようにね。
御隠居・・、さすがに今回のレスは浅すぎるわ・・。
570:神も仏も名無しさん
15/12/03 01:40:35.75 jljJ4gqe.net
>>568
>五蘊の仮和合したものであるから
「仮」和合というのなら、そのほかに「本」和合があるのか?すべてが「仮」和合なら、
「仮」和合が「本」和合であり、「仮」という言葉を使うのは、無駄なこと。
すべてが「仮設」住宅なら、「仮設」住宅が、「狭いながらも楽しい我が家」である。
571:神も仏も名無しさん
15/12/03 01:54:12.71 jljJ4gqe.net
「己の我を以って無我を説いた釈迦」
「すべてを疑えと言いながら、神は疑えなかったデカルト」
世界の「二大コント」であるw。
バークリーも同じ失敗をやった。「実在とは、知覚されることである」
という名言を吐きながら、「庭の樹木が、見ていない時でも実在してい
るのは何故か」と突っ込まれて、「神が見ているから」と言ってしまった。しかし、
神は知覚できないから、実在しないはずであるw。
572:神も仏も名無しさん
15/12/03 02:04:37.16 Eqo7kXMd.net
>>511
ご隠居は実在についてどう考えますか?
>「実在とは、知覚されることである」という名言を吐きながら、
ご隠居がこれに同意されるのなら、
>「庭の樹木が、見ていない時でも実在しているのは何故か」
という突っ込みにどう答えますか?
573:神も仏も名無しさん
15/12/03 02:46:05.88 jljJ4gqe.net
>>572
いい突込みするね。感心した。
(1)人間は、己の知覚を記憶して、他者に伝える能力を有する。
(2)自分が知覚した庭の樹木は、他人を連れてくれば、いつでも同様に知覚
できる状態にある。
そのほかに、あなたご自身の答えがあれば、教えて下さい。
574:神も仏も名無しさん
15/12/03 03:18:07.77 jljJ4gqe.net
>>573への追加
庭の樹木は、見ていない間に、ドロボー団が切って持ってゆき無くなっている
かもしれない。それでもドロボーたちは、樹木を知覚している。
575:神も仏も名無しさん
15/12/03 03:20:41.38 +m2Hi+nI.net
中観自立派
火にも、自相がある
誰かが
分別しても
分別しなくても、熱さや燃焼作用がある
中観帰謬派
火も、自相ではない
誰かが
無常を常であると思い、苦を楽であると思い、無我を我であると思い、不浄を浄であると思い
顛倒(てんどう)し
妄想し
分別して、その法が火として設定される
「誰も気づいていない山火事」も
いま我らによって
無常を常であると思い、苦を楽であると思い、無我を我であると思い、不浄を浄であると思い
顛倒(てんどう)し
妄想し
分別されている
576:神も仏も名無しさん
15/12/03 03:30:20.48 +m2Hi+nI.net
中観自立派
誰かが
分別しても
分別しなくても
ドロボーが庭の樹木を切って持ち去っていった
中観帰謬派
誰かが
無常を常であると思い、苦を楽であると思い、無我を我であると思い、不浄を浄であると思い
顛倒(てんどう)し
妄想し
分別して
ドロボーが庭の樹木を切って持ち去っていった
として設定される
「ドロボーが庭の樹木を切って持ち去っていった」も
いま我らによって
無常を常であると思い、苦を楽であると思い、無我を我であると思い、不浄を浄であると思い
顛倒(てんどう)し
妄想し
分別されている
577:神も仏も名無しさん
15/12/03 04:11:42.53 52HaVKAQ.net
おじゃるは五下分結を離れられたのかな、その様に読める気がする。
それならお目出度い事だが。
578:神も仏も名無しさん
15/12/03 05:19:21.71 +m2Hi+nI.net
> おじゃるは五下分結を離れられたのかな
(自らを特別な存在として妄信することは)
存在しないにも関わらず
(自らを特別な存在として妄信することが)
有ると思う虚妄の執著である遍計所執性が現れ(滅し)ているので
それゆえに
URLリンク(ecx.images-amazon.com)
朝霧の巫女 弐 [DVD] 2002/12/25
第5話 集結巫女委員会
URLリンク(www.anitube.se)
↑これを見て『巫女さん萌え~ッ!』という想いが現れ(滅し)ているので
五下分結を離れてない おじゃる♪
579:神も仏も名無しさん
15/12/03 06:18:00.08 hx+bMAjm.net
>>553
あなたの言うとおり、「変動」というのは何かの「基点」を掴んでいるということだよね。
目の前のパソコンが変化していく・・・。
パソコンに基点を置くから、それが変化(変動)しているように見えるんだよ。
基点が無かったら何が変化していると言える・・・?
何もないじゃないか。
では、あなたは「変動している」と言ったが、一体「何が」?
「何が」変動しているの?
変動の主体を打ち出さないといけないんだよ。
でないと何が変動するんだ?
じゃあ、常に変動しているのに、そんな基点が存在できると思うか?
できるわけないだろ、このうすらトンカチ。
580:神も仏も名無しさん
15/12/03 08:00:03.69 VNfnYBq4.net
君は十悪、とりま悪口。
581:123
15/12/03 09:50:37.01 qT/FZngT.net
579.
変動か。
それは外部の物理学の問題である。
旗が動くか、風が動くか。
それは外部の問題である。
それによって心が動くか。
それが不動心のの問題である。
不動心を持て。答えは簡単である。
だが実現は出来ない。
なんでか。それは物理学をやっているからである。
582:神も仏も名無しさん
15/12/03 09:59:01.40 AIqdHp8K.net
>>579
「変動」とは「固定」の相対概念。固定があるから変動がある。釈迦がいう
ように、すべてが無なら、変動の主体がない。
常に変動しているものは、変動が常態。「行くものは行かず」である。
583:神も仏も名無しさん
15/12/03 10:13:58.60 AIqdHp8K.net
>>579
変動する物も、刹那においては固定している。流れる川の水も、刹那においては、
固定した水である。
584:神も仏も名無しさん
15/12/03 10:25:39.87 4axRBhQC.net
>常に変動しているものは、変動が常態。「行くものは行かず」である。
間違ってるね。
移動する物体は「行く」でも「行かない」でもない、敢えて言うなら事実として「移動」する・してるだけ。
「行く」「行かない」「移動する・してる・しない」は物体を指してるつもりで、それは物体自体ではない。
故に、それは表象なので「何処へも行かない・移動しない」
相対概念も悪く言えば妄想の産物に過ぎないので、それは事実ではなく心上でのイメージなんだよ。
中論の去来の考察は、名色の「名(表象)」を論じていて、それはどこまで行っても妄想を事実と断定して言うから矛盾するって指摘。
我々は「色(物体)」を直に論じる事が出来ない、何故なら物体は勝義に相当するから。
言葉にだして「あれ」と指した時点でそれは「あれ」ではなくなる、と言うのが去来の考察の趣旨。
585:神も仏も名無しさん
15/12/03 10:28:45.98 4axRBhQC.net
>>583
はいダメ。
そう言うものの見方が三世実有法体恒有になっちゃうのよ~ん。
586:神も仏も名無しさん
15/12/03 11:00:16.03 AIqdHp8K.net
>>584
人類は、その発生以来、その五感に映じる対象を、実体(実在、物質)、そう
でない対象を非実在、空想、妄想と区別して生きているのですよ。人間でない
方は、お引取りください。人間界では、話が通じません。
人間は、実在に100%依存しなければ一瞬も生きられないのだから、いくら
無を語ってみても無駄な話です。あなたが今生きている大地が無なら、あなたは
一蹴にして奈落の底です。お釈迦さんでも同じ。
この世界は、すべてが「相互依存性・関係性・相対性」(中論の空)によって
成立しています。世界をよーく観察してみてください。
587:神も仏も名無しさん
15/12/03 13:34:36.68 hx+bMAjm.net
>>582
あー、わかった。
あなたは「諸行無常」のことを、「変動」と捉えてるんだよ。
ちがう。
無常とは、「一定の固定がない」ということ。
変動の主体すらない。
主体が無いのに、何が「変動」する?
変動することなんてないんだよ。
凡夫には変動しているように見える。
そこで説法する人が、「すべて変動しているように見えるでしょ? 留まってないでしょ?
だから一定の物なんて無いんですよ。 固定された『存在』というものはないんですよ。」
と言ってるわけ。
「変動」自体が「諸行無常」ということではなくて、「変動」から「諸行無常」が導き出されるんだよ。
「変動」というのは凡夫の目に見えること。
「在るように見えるものが変動しているのは…、」 という前置きなんだよ
「在るように見える」から、「変動しているように見える」、と言ってるわけ。
「変動」という時点ではまだ物事を捉えてるんだよ。
「変動する物」を捉えちゃってる。
「在るように見える」から、→ 「変動してるように見える」 → (変動というのは時間の経過を現す。)
「生老死苦」が生じる。
「生老死」が生ずるということは、「物事が在る」と見ているからだ。
「物事が在る」と見ているから、「生老死(変動)」が生まれる。
588:神も仏も名無しさん
15/12/03 14:06:11.78 hx+bMAjm.net
>>582
「諸行無常」は=そのまま「諸法無我」ということを現してるんだけど、
「変動」=「諸法無我」ということじゃない。
「変動」はある「もの」を捉え、その「もの」の時間の経過を見ているからだ。
時間が存在するということは、時間の対象が存在するということだ。
時間の対象とは何だ?
大まかに言ってこの「世界」だ。
「世界」は存在しない。 ゆえに「時間」は存在しない。
たとえば、「パンがカビていく」という時、「パン」という主体が「カビる」という「変動」を起こすわけだよね?
「パン」というものの「変動」を見ている。
つまり、「パン」という固定された存在を意識してるわけだよ。
前にも言ったとおり、「パン」という固定された実体は、どこをどう探しても出てこないわけ。
「パンという固定された実体」があって、それが「変動してるように見える」
その「固定が無いんですよ」、というのが「諸行無常」ということなんだよ。
なので正確に言うと、「パンがカビて(変動して)いく」 → 「だから諸行無常なんだ」
というのは間違い。
「時間の経過」が「諸行無常」なんじゃなくて、「時間が無い」ということが「諸行無常」なんだよ。
時間があるから、ありとあらゆる「生滅」が存在する。
時間を掴むということは、存在を掴んでるのと同じ。
そして存在(固定された存在)を掴むということは、諸行無常に反するんだよ。
何物も一定した存在は無いから、何かを対象とした時間も存在しない。
「時間」、つまり、「変動」も存在しない。
変動する、しない、というのは、その対象が存在するということ。
なので、対象(固定された存在)が存在しなければ、「変動することも無く、変動しないことも無い。」
ということになる。
「不生不滅」「不垢不淨」「不増不減」とは、対象が存在しないことを現している。
対象が存在しないものに、「変動」ということがあるわけがない。
ゆえに、もし「変動が常である」というなら、それは「諸行無常」ではない。
589:神も仏も名無しさん
15/12/03 14:21:22.61 hx+bMAjm.net
「諸行無常」=「諸法無我」=「空」=「縁起」=「中道」
ということ。
590:123
15/12/03 16:21:59.14 qT/FZngT.net
588.
対象は存在しない、か。
物理学では対象は存在する。
宗教では対象が存在しても、しなくても、どちらでも良い。
なんでか。
584のように存在を、その表彰に置き換えても良い。
なんでか。
それは、宗教は対象の問題、存在の問題ではないからである。
591:神も仏も名無しさん
15/12/03 17:00:04.44 AIqdHp8K.net
>>590
科学は、すべての生物・無生物、全世界、全宇宙を対象とする。
特定の開祖とその教義「のみ」に執着し、世界が判らなくなっている
のが創唱宗教。開祖の精神病の感染の結果としての「視野狭小」「観念の
遊戯」「論理性の喪失」の故である。
古代人の自然宗教は、生存に必要な物質的利益の追求という、「生存の
手段の一部」として発生したことを、忘れてはならない。
592:神も仏も名無しさん
15/12/03 18:04:22.02 4axRBhQC.net
>>586
>いくら無を語ってみても無駄な話です。あなたが今生きている大地が無なら、あなたは一蹴にして奈落の底です。
では聞くが、お主の眼耳鼻舌身意が情報を受けてる、その「受け」と言う感受は実在なのかね?
無を語るだの無を云々としきりに「有」を言いたがるが、その言いたがる感情・思い・意根は実在と言えるのかね?
そうやって受けた情報から起きているそのお主の所感・思いは有るのかね?無いのかね?
もし有るなら今ここで写真に撮って見せてみてくれ。
もし無いと言うならお主がレス出来る筈がなかろう?
それが中論でも仮設されてる「空」と言う事実なのだが、
>人間でない方は、お引取りください。人間界では、話が通じません。
と理解出来て無いのは中論を誤読してるからなのだろう。
>>588
>「世界」は存在しない。 ゆえに「時間」は存在しない。
諸行とはサンカーラの事を指すので世界の事ではないですよ、全く前知識が無い人にそう言って教えるのは方便として言われてきましたが
彼は多少なりとも知識があるので、ズブ用の方便では誤解が増えるだけでしょう。
存在しないとは無いと言う事になりますが、認知できる世界は有る訳でも無い訳でもないでしょう。
そして、時間とは概念ですが、これは縁起の事です。
時間でも縁起でも、存在では無いので、これまた有る訳でも無い訳でもありません。
空をお浚いしながら説き直してみては如何でしょう。
593:神も仏も名無しさん
15/12/03 18:55:30.04 4axRBhQC.net
>>591
釈尊をしきりに精神病にしたがるが、その論で大乗は該当しないのか?
統合失調などの人は、一般的には尊敬されてる偉人等をこき下ろす事でカタルシスを得るものが居る。
そう言う人にとってその行為は「安心する為の麻薬」なのだろう。
釈尊を精神病者と断定し、自らと同じ病なら自らの方が優れているのだ、と誇示をしたがる。
その薬は麻薬なので、処方箋に従う以外では控える事をお勧めする。
594:神も仏も名無しさん
15/12/03 20:44:09.87 AIqdHp8K.net
>>589
>「諸行無常」=「諸法無我」=「空」=「縁起」=「中道」
釈迦の「縁起」と中論の「空」とは本質的に異なる。世界の、特に西洋の
仏教学者の一致した見解。西洋の仏教学者は、恐らくは仏教信者ではないから、
客観的な分析が可能なのだろう。
両者を混同するから、あらゆる混乱が生じている。
「煩悩即菩提・生死即涅槃」、「一切衆生悉有仏性」、「如来蔵」、「本覚思想」、
「真如としての衆生心」、「自利・利他」などは、釈迦からは絶対に出てこない。
釈迦カルト(小乗信者)は、皆、これらの思想に必死で反対する。
大乗の発生については、シリーズ大乗仏教の、該当諸論文を参照されたし。
発生源の思想が根本的に異なっていることが理解できる。
釈迦が重度のうつ病患者又は躁うつ病患者であったことや、精神病が伝染する
ことは、精神医学の教科書を読めば自明。「一切皆苦」という強度の苦悩感や
「無」「無我」という「微小妄想」は、教科書そのまま。
595:神も仏も名無しさん
15/12/03 22:33:09.51 hx+bMAjm.net
>>592
諸行 = 有為法 = 「縁によって生起したもの」 ということじゃないかい?
ニュアンスとしては、「ある状態が保たれている」ということで、
複合的に要因で成り立っているものと取れる。
「複合的な要因で成り立っているもの、(状態)」ということで、別に「物体」でも、「現象」でも、「精神的働き」でも、
同じということじゃないか?
596:神も仏も名無しさん
15/12/03 22:52:55.50 hx+bMAjm.net
>>594
釈迦の縁起も「空」を表している。
だいたい、「これが有るからそれが有る」「これが無ければそれは無い」 という時は、
今目の前にある「それ」は、「これ」によって成り立っているということを表している。
「土台があるから、家がある」とすると、今そこにある「家」は、「土台」によって成り立っていることになる。
「土台」が建った後、交代で「家」が現れるわけじゃない。
簡単に言うと、「土台」と「家」でセットなんだよ。
1セットのものは全く分けることの出来ない状態を、「縁起している」というんだよ。
1 → 2 → 3 と前のものが消えて後ろのものが現れるということじゃなく、
「3」の中には[1,2]が入ってるんだ。
「2」の中には[1]が入ってるんだ。
それは切り離すことも出来ず、縁起しているんだよ。
龍樹は横のつながりを縁起とし、釈迦は縦のつながりを縁起とした。
両方とも、1つのものが別のものの原因によって支えられていて、切っても切り離せないということを表している。
597:神も仏も名無しさん
15/12/04 00:22:34.59 /23LRPCi.net
>>595
>諸行 = 有為法 = 「縁によって生起したもの」 ということじゃないかい?
うん、そう。
しかしいつも問題になるのはその「縁によって生起したもの」のターゲットなんだよ。
そのターゲットを、例えば「コップ」と言う対象に設定するから矛盾が起こる。
仏法はそれを言っていない。
コップをターゲットとして受け取った「感受」の方こそが言わんとしてる「諸行」なんだな。
多くの人はここを「コップ」と言う存在に向けてしまう。
仏道は「苦」と言う感受をどうしたら超克できるかを解明し尽くした方法なんだから
苦を縁起させた「わがものならざる」対象物の方は問うていないのさ。
自分にとってはそれが「苦」であっても、他の人は同じそれを「苦」とはしていない。
つまり、苦とは感受より認識され得るものだとわからないかい?
コップが苦なのではなく、コップと受け取ってから、そこから想起されたりする「何か」が苦を起こしているんだと。
598:神も仏も名無しさん
15/12/04 00:40:32.34 M5klFFSL.net
>>596
中論第一章で、竜樹は、釈迦の「これがあるから、あれがある」を「明示的に」否定して
いるのは何故か。中論は、また、「生滅」や「無」の概念も否定してる。
中論の空(空間的相互依存性、関係性、相対性)とは異なり、釈迦の縁起は「時間的因果
関係」で、忌むべき「業報論」を維持するための論理としか考えられない。
西洋の仏教学者が、「世界宗教史上稀有の例」と解釈しているのは、この相違ではないか。
599:神も仏も名無しさん
15/12/04 00:48:48.66 M5klFFSL.net
>>597
三枝氏は、「中論の空は、釈迦の縁起を換骨奪胎した」と言っているが、
この「換骨奪胎」はどの部分か?
600:神も仏も名無しさん
15/12/04 00:50:00.81 fenRpf6S.net
御隠居はミーハーだからなぁぁw
有名な誰それが言ったことだから正しい筈!とw
中村さんやら平川さんやら三枝さんやら・・。
確かに、偉大な学者さん方だが、100%錯誤がないと誰が言いきれるのか?とw
今度は西洋の近代仏教学者か・・。 誰を念頭に発言してるのか知らんがwww
馬鹿だねぇ・・。
601:神も仏も名無しさん
15/12/04 00:57:38.51 /23LRPCi.net
>>598
>中論第一章で、竜樹は、釈迦の「これがあるから、あれがある」を「明示的に」否定しているのは何故か。
具体的にその部分を中論から引用してみて。
602:神も仏も名無しさん
15/12/04 01:00:21.34 M5klFFSL.net
>>600
>誰を念頭に発言してるのか知らんがwww
君は、日本における中論研究の基本書ともいうべき、中村元の「龍樹」も
読まないで、中論を語っているのかw。その西洋の仏教学者の氏名も国籍も、
ちゃんと記載されている。
603:神も仏も名無しさん
15/12/04 01:08:14.41 /23LRPCi.net
>>599
↑こっちは簡単だな。
仏法に於いて法は全て、本来は勝義なので語れない。
釈尊は迷える凡夫の目線に立って、同じ目線で教えたのだから、それは全て世俗諦を語って
教えて、行なわせる様に導いたに過ぎない。
龍樹尊者の犯した失敗は、解らせて上げたい気持ちが先に立ち、世俗諦の核心たる勝義諦を
中論で展開した事に尽きる。
ただし、中論は、例えば隠居レベルの初心者相手に論じられたのではなく、阿羅漢と呼ばれてるレベルの
連中相手にその誤謬を指摘し、徹底的に潰す目的で論じられている。
潰す相手は釈尊なのではなく、部派仏教最大勢力の説一切有部とその支持者達だった。
三枝さんは有部の教義を支持する立場なのかなw
多分そんな事は無いと思われるが、ご本人の立ち居地如何で見方も変わる事は否めないだろう。
有部の教義がそのまま釈尊の教えだと考えてる人には、確かに龍樹尊者の中論は釈尊の教えを破壊したと見えるかも知れない。
それは誤謬なんだけどね。
604:神も仏も名無しさん
15/12/04 01:13:22.91 M5klFFSL.net
>>600
釈迦の言葉以外は、一切受け付けない。一挙手一投足を釈迦に支配される。
まさに、イスラムテロリストの心理状態だなw。
日本の仏教は、釈迦仏教(小乗)ではなく、大乗仏教ですよ。
605:神も仏も名無しさん
15/12/04 01:18:18.97 /23LRPCi.net
>>604
うん、それは良いがアンタ、実際にどんな行を修行してんのさ、って話。
おじゃるが言う通り、アンタのは語るだけ知ったかなんちゃって大乗仏教なんじゃないの?
仏教は信行学の基本姿勢で戒定慧の三学を実践する方法なんだよ?
実際にアンタは何を行なってるのさ。
606:神も仏も名無しさん
15/12/04 01:22:58.07 M5klFFSL.net
>>605
「修行しろ」「修行しろ」って、あなたは麻原さん?w
大乗は、在家信者から発生したものだから、出家修行は関係ありません。
607:神も仏も名無しさん
15/12/04 01:30:13.66 /23LRPCi.net
>>606
いや、出家修行じゃなくてさ、在家仏教でも日々の勤行があるでしょうに。
ひょっとしてやってないの?
戒定慧は大乗でも言う訳で、しかも、三学は六波羅蜜の土台だよ?
どんな形式の勤行してんの?
依経は何?
608:神も仏も名無しさん
15/12/04 01:37:47.05 3iYudDtF.net
>>597
ちょっと違うと思うな・・・
コップは単に「物体」というよりも、勝儀では「心の作用」が作り出したもの
という感じだよね?
「心の作用」、働きそのものじゃなくて、「それによって現れているもの」ということでいいんじゃないか?
「心の作用に関係ない物体」をターゲットしているということじゃなくて、
物体自体が心の作用によって現われているわけだから、
それこそが心の作用自体ととるべきじゃ?
働き自体というと完全におかしくなるね。
人間が捕らえてる「もの自体」(物質に限らず)が、「無常」ととるべきだろうね。
609:神も仏も名無しさん
15/12/04 01:44:09.04 /23LRPCi.net
>>606
黙るのか。
実践はやってないから言えないのかな?
それとも依経を出すとフルボッコになる様なご信心なのか。
日本で既成仏教の信者を名乗る場合、依経と本尊で何宗か特定出来る。
宗教法人法の規定で、本尊は「何」と確定していないと法人として認められないから
少なくとも本尊に縁する経典を依経と定めて、日々の勤行を必ず行なっている、筈なんだな。
特に本尊な。
これ重要。
仏教なら本尊は大抵釈尊(釈迦牟尼仏陀)なんだが、そうじゃない宗派なら
立宗した人物などが本尊だったりする。
それだけに限らないまでも、釈尊以外を本尊に立てる宗派は全体からみるなら割りと少ない方となる。
>>608
>「心の作用」、働きそのものじゃなくて、「それによって現れているもの」ということでいいんじゃないか?
現れないでしょ、己去去らず未去去らず去りつつあるものも去らないんだから。
610:メリークリスマス
15/12/04 01:48:16.00 PybOQ4Vs.net
出家の修行と言うより選ばれる人間と言うのは
未来に楔を打ち込めるような人間なのじゃよ。
611:神も仏も名無しさん
15/12/04 01:56:25.46 3iYudDtF.net
>>598
「A」と「B 」が縁起しているというとき、「A」がなければ「B」が無いというとき、
「A」そのもの。 「B」そのもの。というのは無いんだよ。
分けて考えられないわけ。
前と同じように、『 「A」があるから「B」があるでしょ? 片方が無いともう片方が存在できないでしょ?
だから、「A」が単独で在ると思うのは間違いなんだよ。 「B」が単独で在るということは間違いなんだよ。 』
と言ってるわけ。
それを凡夫は、「家」と「土台」を別々に見ている状態なんだよ。
だからそれを、縁起の関係性を教えてるわけ。
簡単に言うと、
「これ」があるから「それ」があるでしょ? 「これ」無ければ「それ」は無いでしょ?
だから、「これ」と「それ」は無いんだよ。(単独で存在出来ないんだよ。)と、言ってるわけ。
縁起しているから空になるんだよ。
「これ」と「それ」というものは本来無い。
無いのにどうして縁起するんだ?
縁起しているものの主体が無いんだよ。
原因と結果というものも無いわけ。 なぜなら原因と結果という風にわけられないから。
原因と結果は縁起しているから。
縁起しているから、原因、結果、という個別の存在は存在しない。
だから、縁起を構成するものなんてないわけ。
あったら一つ一つ分別できることになるでしょ?
縁起と言った時点で空になるわけ。 「これ」「それ」の話は凡夫の目線で話てるの。
言葉遊びで表現すると、「二つの桃にボールをぶつけても、通りすぎていく。
だから二つの桃は幻想でしょ」 という時、「二つの桃は透過する」と言ってるときは「二つの桃」を説明してるよね?
だからと言って「二つの桃」が実在するということじゃない。
「二つの桃が透過する」 だから、「桃は実在しないんだ」 というわけ。
最初の時点で「桃がある」とする凡夫の立場に立ってるわけ。
そして「桃が無い」ということを証明しようとしてる。
あんまりこういう言葉遊びで引っかからないほうがいいよ。
612:神も仏も名無しさん
15/12/04 02:02:25.49 3iYudDtF.net
>>609
「諸行」というのはまだ説明前の段階。 それが「無常」である、ということ。
「A」というものが在る。 それは「幻」だ。 という時、
「A」というものが在る。と言った時点で、「いや、それは幻でしょ? 無いでしょ?」 っていうのはおかしいんだよ。
こういうのは言葉遊びで、物事の本質をよく見てないからこうなる。
「在る」というのは凡夫の目線なんだ。 それをこれから「空」であることを証明しようとしてんだ。
これはもう仏教というより、国語力の問題だよ。
613:神も仏も名無しさん
15/12/04 02:03:41.96 /23LRPCi.net
>>611
「吾思う、故に吾あり」をデカルトを離れて考察する事をお勧めする。
これを仏法では、
「思ってあるなら、思わなきゃ無い訳で、思いと言うのは実在ではないから、吾も実在では無い」
と観る。
614:神も仏も名無しさん
15/12/04 02:05:46.66 /23LRPCi.net
>>612
AだのBだの一端離れて考えてみてくれ。
>「諸行」というのはまだ説明前の段階。 それが「無常」である、ということ。
では聞くが、手で一発拍手して聞こえるその音は常住か?無常か?
615:神も仏も名無しさん
15/12/04 02:14:54.11 3iYudDtF.net
あなたはね、観念論を言ってるのよ。
もしあなたの言うことが単なる観念論じゃなくて、実際に正しい経験というのなら、
言葉でいくらでも説明出来るわけ。
反対に、言葉で説明出来ない・・・ つまり、分からないから抽象的な観念論になる。
言葉の説明から逃げてはいけない。
観念論に走ると議論にならないし、何も証明しなくてもいいことになる。
証明するには論理が必要だ。
ところがあなたは、論理不足のところを観念論で補おうとしている。
それでいて、観念論によって論理が補えたと信じ込んでる。
こういうのはダメだよ。
ちゃんと説明しなければ。 (出来ないと思うけど。)
616:楔
15/12/04 02:18:14.46 PybOQ4Vs.net
勇気と強い意思、そして愛のある頑強な人間が選ばれる。
617:神も仏も名無しさん
15/12/04 02:18:34.64 /23LRPCi.net
>>615
何故逃げるのかな?
もう一度尋ねるよ。
手で一発拍手して聞こえるその音は常住か?無常か?
ピンと来たから話を摩り替えたと思いたいが、それならそれでまた別の問題がある。
618:神も仏も名無しさん
15/12/04 02:25:39.35 3iYudDtF.net
>>617
あのね・・・・
それはあなたが説明することでしょ?w
なぜ人に投げる?w
「オレは知っている。 これがお前に分かるか?」 じゃなくて、その「オレは知っている」というのを
説明しなくちゃならないんだよ。
そうじゃないとカルト宗教の教祖になっちゃうよ。
619:神も仏も名無しさん
15/12/04 02:31:31.90 /23LRPCi.net
>>618
おやおや、君は仏法者ではないのか。
貪瞋癡の抑制は行の最初から行なう筈だが。
諸行とは何かって話だったろ?
釈尊は一切とは眼耳鼻舌身意と色声香味触法とが一切だと教えた筈だが(SN.35-23)
だからこそ一切行無常=諸行無常なんだろうに
まだお分かりにならんかな?
620:神も仏も名無しさん
15/12/04 02:36:08.96 /23LRPCi.net
>>618
諸行の行を感受と書いたのは、それで解ると思われたからだが。
解らんならもっと詳しく言えば、六触=六根に情報が触れた瞬間に向ける「意思・注意」の事だよ。
この意思・注意が行(十二支縁起の無明の次)なのであり、それは無常だと言うのが諸行無常だ。
本当に知らなかったのか。
621:楔
15/12/04 02:36:21.06 PybOQ4Vs.net
神が選ぶのではなく自ら選ぶのじゃよ。
その意思を未来に打ち込めるのは自分しかいない。
622:神も仏も名無しさん
15/12/04 02:44:36.73 3iYudDtF.net
あなたは引用ばかりで中身がないんだよ
あなたの言葉で、あなたの理解で、ちゃんと説明しなくちゃならないの。
「一切とは眼耳鼻舌身意と色声香味触法とが一切だ」 あなたはこれを自分の言葉でわかりやすく
説明しなけりゃならないんだよ。
ただ文章を抜き取ったってダメだ。
あなたは本質を語るようなフリをしながら、学問的な姿勢に切り替える。
学問的な姿勢というのは良すぎた言い方で、
ようは、「本にこう書いてある、ああ書いてある」、ってこと。
自分で教祖のように振る舞いながら、しかもその説明は、全くの受け売りに頼ってる。
相手がわかりやすく100の説明をしているところを、1の説明で手早く投げつける。
これは能力が無いということを現しているのと同時に、非常に自己中心的であるということを物語ってるよ。
あなたが、「自分自身がスゴイこと言えてる」と、思うことじゃなく、
相手に、「いいこと教えて貰った」 と、思わせないといけないんだよ。
相手に評価されないと何にも価値がない。
「自分が理解しているか」、より、いかに「相手が理解できたと思うか」が問題なんだよ。
自分満足で相手が不在じゃないかい?
623:神も仏も名無しさん
15/12/04 02:45:21.64 3iYudDtF.net
>>622は >>619に対して。
624:神も仏も名無しさん
15/12/04 02:52:12.73 /23LRPCi.net
>>622
>「一切とは眼耳鼻舌身意と色声香味触法とが一切だ」 あなたはこれを自分の言葉でわかりやすく
解んないの?マジで?
だから尋ねたでしょう?
一発拍手して聞こえるその音は常住か?無常か?
音は直ぐ止むでしょう?パン!って一発なんだから。
止んだらもう聞こえないでしょう?ぱーーーーーーーーーーーーーーーーーーー・・・・
って鳴りっぱなしなんですか?違うでしょう?
これが諸行無常(サビィサンカーラアニッカー)って事なんですよ。
サンカーラって行と訳されるけど、それは注意とか意識とか行なう切欠になる動機の先端の事ですよ。
625:楔
15/12/04 02:54:32.22 PybOQ4Vs.net
神との共同作業で未来を切り開く人達の事を選民と言うのではないでしょうか。
626:神も仏も名無しさん
15/12/04 02:58:52.65 /23LRPCi.net
>>622
それともう一つ。
君は議論とは云々と書いてるけどね、対人論証し始めたらそれは詭弁だよ。
議論する気ならね、詭弁はダメでしょうに。
627:楔
15/12/04 03:23:11.26 xDD7QOoY.net
プルス-ウルトラとは
URLリンク(getnews.jp)
628:神も仏も名無しさん
15/12/04 03:55:18.47 3iYudDtF.net
>>624
最初からそう主張すればいいのに。
そのような主張もせず、ただ「これはどうなる?」じゃ、議論でもなんでもないわ。
そういうのは議論でもなんでもなく、教師の生徒に対する態度だろ?
誰も教師と認めていないにもかかわらず。
それから、対象の「もの」がターゲットじゃなくて、「意識の働き」がターゲットなんだ、
ということになると、「意識の働き」というものが単独で存在することになるよね?
つまり、「対象物」が心に飛び込んでくるんじゃなくて、こちら(意識の働き)が対象物を作り出してることになる。
これはこれでいいんだけど、ということはどういうことになるかというと、
たとえば、「後ろを振り返ったら、木があった」という場合、「振り返ったらターゲットが心に飛び込んできた」、ということじゃなくて、
振り返るときの心象も、振り返った時の景色も、全部自分がその場で作り出してることになる。
つまり、自分が振り返ってるんじゃなくて、前回が自分の周囲を回ってることになる。
バーチャル映像に喩えると、自分はその場で動かないまま、後ろを振り返っている・・・ ということだけども、
それは旬旬刻々と自分が振り返る映像と身体の感覚を作りだしてるってことになる。
ここで問題なのは、それを諸行無常ということにしてしまうと、諸行無常と諸法無我の説明に違和感が出てきてしまう。
「諸行無常」は「常に一定の形は無い」ということを説明しているわけだが、
「心の働き」、「思考」、「思い」が常に一定じゃないのは当たり前だよね?
「想念が常に変動するから、常住のものはないんだ」じゃ、話にならない。
想念の変動と見えてるものは、直接的には関係ないからだ。
たとえば、自分の心の働きが変動しても、物体にはなんら影響はないのは明らか。
サイズを測って心の変動に応じて変化しているかっていうとそうではない。
629:神も仏も名無しさん
15/12/04 03:58:24.58 3iYudDtF.net
>>624
ちょっとレス間違えたw
上のレスの角度からじゃなくて、こういう角度の方が分かりやすい。
もっと簡単に言うと・・・、 音が鳴り止んだら常住でしょ?
わずかな間でも常住を認めていることになるんだよ。 わからないかなぁ~。
「鳴り止む」ということは、「始まり」と「終わり」が存在することになるんだよ。
なぜか・・・?
それは「音」というものの実体を捉えているからだ。
鳴り止むというのは、「パンがカビていく。」というのと同じ。
パンも音も、時間の経過が生じている。 時間の経過が生じるということは、それだけ、「常住の存在」が継続するということだ。
あなたは、音の大小を問題にしてるだろ?
音に大小はあっても、「その拍手の音」という風に
捉えているわけだよね・・・?
つまり、音が大きかろうと、小さかろうと、最初に打った同じ音と捉えているわけだ。
じゃあ、音の大小に関わらず同じ音とするのは、どうしてだ?
最初の大きい音と、最後の小さい音と、同じ音だとするならその音の全く同一に変わらない本質を出さないといけない。
つまり、時間的な継続を前提にすると、逆に「変わらない実体」を証明する必要が出てくるんだよ。
もう一度言うと、諸行無常に「音が止む」ということはない。
つづいていた音(の実体)が無いからだ。
これが諸行無常の原理だ。
詭弁は君のほうだろw 勝手に自分の論を証明もせずに押し付けといて。
630:神も仏も名無しさん
15/12/04 04:36:49.32 M5klFFSL.net
>>609
私は、宗教が人間にもたらしている巨大な害悪に鑑み、人間にとっての最上位
次元である生命の視点から、宗教を批判している。仏教徒などであるわけがない。
修行というなら、釈迦のようにスジャータの乳粥一杯で止められる、趣味、お
遊びとしての修行ではなく、生存努力という選択不能な大修行を行っている。
自由意志を持つ大の大人でありながら、現代の小学生ほどの知識ない大昔の精
神病の1個人に一挙手一投足を支配される。人間にとってこれほど恐ろしいこ
とはない。宗教観念によって、生来の人格が変容され、現実感覚と社会常識と
が破壊されるため、全世界規模の殺戮だけでなく、家庭においても、家族の一
員が宗教に嵌ると、例外なく家庭が破壊されているのが実情である。
人間は生物の一種属に過ぎず、他の生物と同様、人間がこの世に生まれたこと
の唯一の目的は、只ひたすら「生きる」ことである。動物としての人間にとっ
て、心とは状況に応じて肉体を維持するために、肉体から生じる機能に過ぎない。
人間が動物の一種属であるという生物学的事実をすっかり忘却し、心を心の
ために使うことは、心の目的外使用、心の濫用、心のオナニーであり、人間と
して全く無意味で有害な倒錯に過ぎない。
科学がいかなる宗教の奇跡も及ばぬ巨大な発達を遂げた現代において、宗教ほど
時代錯誤で無意味で有害なものはない。まさに人類に残る唯一のがん細胞である。
創唱宗教以外の人間の努力が、すべて「よりよき生存」に向けられてきたと
いうのに、争いあい、殺しあっているのは、生存に無関係な宗教と宗教に起因
するイデオロギーだけでないか。
この時代錯誤の宗教の撲滅こそ、人類が次世代に対して負う喫緊の責務である
ことを、人類史的に自覚すべきである。
631:神も仏も名無しさん
15/12/04 05:03:33.83 /23LRPCi.net
>>628
>振り返るときの心象も、振り返った時の景色も、全部自分がその場で作り出してることになる。
そうだよ。
だから唯識は心と言う仮設を認めない中観とは別に、心と言う仮設を仮に認めて発展したんでしょ。
>つまり、自分が振り返ってるんじゃなくて、前回が自分の周囲を回ってることになる。
でも君の解釈だと↑で既におかしい。
何故自分が設定されてるんだい?
自分と呼ぶそれも、と言うよりそれ自体の仕組みを観察するのが仏道だろうに。
その立ち居地ならば自分と思っていたその実感も思いも現象なので
その自分なる設定も一端解除して観察できなきゃダメだろ。
君は仏法者じゃないんだね。
知識が無いなら無いなりに、砂漠の砂の如き吸い込みがあれば良かったのに、
君は自分の考えが大事なんだね。
頑張ってくれたまえ。
632:神も仏も名無しさん
15/12/04 05:05:46.20 /23LRPCi.net
>>630
ああそうなんだ。
経典だのその解説書だのを読んだだけで鵜呑みにして批判してるんだね。
うん、頑張ってくれ給え。
633:神も仏も名無しさん
15/12/04 05:21:33.91 M5klFFSL.net
>>632
>経典だのその解説書だのを読んだだけで鵜呑みにして
それがまさに創唱宗教のことだろ。私は、その宗教を、人間の最高次元と
しての「生命」の視点から批判している。
634:神も仏も名無しさん
15/12/04 05:29:43.37 /23LRPCi.net
>>633
>私は、その宗教を、人間の最高次元としての「生命」の視点から批判している。
君が当にその創唱宗教の一つになってるじゃないかさ。
こうしてカルト宗教は作られると言う見本かな、大川さんとこみたいな。
635:神も仏も名無しさん
15/12/04 05:41:29.27 M5klFFSL.net
>>634
生命は、創唱宗教とは異なり、人間が作ったものでも、人間が対象化できる
ものでもない。
それでいて、宗教を含む人間の「すべての営みの根源」である。死者には、
一切が不可能。
636:神も仏も名無しさん
15/12/04 06:01:33.43 /23LRPCi.net
>>635
>生命は、(中略)宗教を含む人間の「すべての営みの根源」である。
立派に創唱者として見解をお述べですが?w
中論のどこに生命肯定なんて書いてあるのか 教えてくださいな。
それと
>中論第一章で、竜樹は、釈迦の「これがあるから、あれがある」を「明示的に」否定しているのは何故か。
が具体的にどこの事かも教えてくださいな。
そしたら
>中論は、また、「生滅」や「無」の概念も否定してる。
も意味も通るかも知れませんよ。
637:神も仏も名無しさん
15/12/04 06:35:14.43 3iYudDtF.net
>>631
分からない人だなぁ・・・w
君は自分で墓穴を掘ってるんだよ。
変化を観察する「主体」というものを作ってる。
「もの」を作り出す主体をさ。
「心の働き」が無常ということは、「心の働き」が「変化していく」ということだ。
「心の働き」は様々に変化するが、「心の働き」というものがあるのは確かだよね? あなたの言い分だと。
「心が現象を作っているだ、心という主体が、現象を見せているんだ」、っていう、
よくある主張だよね?
『「心の働き」が無常』という言い方を君は、『「心の働き」が常に変化している。 だから無常なんだ。』としているよね?
物質も何もかも、心の働きが見せているものであって、それは幻だ、
常に揺れ動く心の働きが『在る』だけだ。 ←こういう風に主張しているわけだよ。
つまり君は、「心の働きという実体があって、それが全ての物を見せている」と解釈しているわけだ。
何を言ってるんだ君は・・・・。
「心の働きが無常」ということは、「心の働きが常に変化する」ということじゃないんだよ。
「心の働きという(継続する)実体が無い」 ということだ。
あなたの言う「諸行無常」では「諸法無我」にならないぞ。
なぜなら全ての変化の中心にある「心の働き(我)」を持っているからだ。
とんでもない間違いをしているぞ、君は。 本質の教えからハズレまくってる。 仏教を学ぶことが逆に弊害を起こしてる。
もう救いようがないレベルだ。 もったいない・・。
638:神も仏も名無しさん
15/12/04 07:00:01.14 3iYudDtF.net
上から目線で教祖ぶる態度。
諸行が「心の働き」という、最初から妙なはなし。
『「心の働き」が作り出したもの。』というんなら分かるけど、「心の働き」ってなんだよ?w
しかも、その『「心の働き」が無常なんだ』と来るw
「心の働き」が無常だったら、心の働きはねーだろうにw 心の働きがねーから物質もねーんだよw
『心の働きで物質を見てるから、物質に実体は無い』、じゃねーんだよw
何が「拍手の音がすぐに鳴り止む」 だよ?w おまえの「心の働き」は
鳴りっ放しじゃねーかwwww
これで偉そうな態度とるって、よっぽどアホだぞ。
ただの虚栄心の表れだ。
だって、自分が正しいと絶対の自信を持つのは、ただしい理論を得るからだよ。
間違った理論のまま自信なんて持てるはずが無い。
自信を持つほど追求したっていうんだったら、ここまで外れた理屈が持てるはずがない。
かならず途中で間違いに気づくからだ。
こういうのはよくあるんだよ。 自分がスゴイ人だと思いたい人。
能力や理論を越えて、正しい立証が成されないまま、「私はよく知っている」とでしゃばる人。
穴だらけの理論で、デカイ面してしまう。
あなたは分を弁えろ。 二度とおかしな理論を吹聴せず、
他の人の意見に耳を傾けろ。
だいたい、質問を一方的に投げかけて偉そうな態度を取るって時点で、
もうおかしいと思ったわ。
あなたの理屈では何も得られないよ。 何も足しにならない。
あなたは心の働きが常に変化しつづける状態で、ずーっと世界を見続けるんだよ。
音が鳴り止まないわけだ。
639:神も仏も名無しさん
15/12/04 07:04:34.48 3iYudDtF.net
許せんな ただ虚栄心のみで相手を振り回す・・・・
自己愛性人格の典型じゃないか。
640:神も仏も名無しさん
15/12/04 07:26:29.16 3iYudDtF.net
>>631
>でも君の解釈だと↑で既におかしい。
>何故自分が設定されてるんだい?
おまえが「心の働き」という主体を設定したんだろうが?w
自分で自分のことをおかしいと言ってるようなもんだぞ。
ほんとにバカみたいな幼稚な理屈を振り回しやがって。
641:神も仏も名無しさん
15/12/04 07:33:59.21 /23LRPCi.net
>>637
>つまり君は、「心の働きという実体があって、それが全ての物を見せている」と解釈しているわけだ。
憶測で勝手論をぶちまけてますよ君は。
六処という入り口から入った情報に「触れて(触)」「感受」した。
これが六処→触→受の流れです。
心なんてどこにも介在して無い訳です。
何を言ってるんだ君は・・・・。
>「心の働きが無常」ということは、「心の働きが常に変化する」ということじゃないんだよ。
心って何の事ですか?チッタですか、フリダヤの事ですか。
心って実在してるんですか?少なくともわたしは心を前提に書いてませんよ。
何で心に固執し始めたんですか?
君は「自分」と呼ぶそれが本当はどう言うことなのかに迷っているんじゃないんですか?
それ故に
>「心の働きという(継続する)実体が無い」 ということだ。
と言葉では理解してるつもりだけど、敢えてもっと詳しく解説できる人を探しているんでしょう。
どうですか?
教えて欲しいなら吝かではありませんよ。
その前に、ダラダラ駄文を書くのも何とかしてくださいね。
642:神も仏も名無しさん
15/12/04 07:36:19.95 /23LRPCi.net
>>640
>おまえが「心の働き」という主体を設定したんだろうが?w
どこで?
って言うか貪瞋癡も制せないのかな?
憤ったら負けだと思われます、仏法に無理解と言う意味で。
643:神も仏も名無しさん
15/12/04 07:45:42.53 /23LRPCi.net
>>640
ああわかったw
>>597に対して>>608の君が勝手に「心の作用」って言い出して始まってるね。
相手が言ってない事を勝手に設定押し付けて論を進めるのは「わら人形論法」って詭弁だよね。
良くないなぁそういうの。
だからこちらは気を使って、余計な話は飛ばしてレスしてあげてるのに、
君は自分の論法で墓穴掘ってるんだよ。
644:神も仏も名無しさん
15/12/04 08:24:01.45 3iYudDtF.net
>>641
アホだな・・・ おまえが曖昧な言い方をしてるから、あえて「心の働き」としたんだよ。
仮に名称を作ったんだよ。
おまえの言ってることが支離滅裂だからさ。
>六処という入り口から入った情報に「触れて(触)」「感受」した。
>これが六処→触→受の流れです。
これが現象を見せてるんだろ?w
おまえはこれを『在る』とやっちゃってるわけ。
ところが釈迦はこれを12縁起で、『無い』としているわけだよ。
おまえは『在る』としてるんだよ。
これは非常に致命的、というか、バカなんだよ
こんな仏教あるかw
それをお前は言葉に拘って、内容そっちのけで突っかかって来てんの。 自分が説明を曖昧にしたにも関わらず。
こういうのは全く自身の理解力がの無い人がやることだよ。
内容が無いから言葉で突っかかるしかない。
645:神も仏も名無しさん
15/12/04 08:26:06.78 3iYudDtF.net
もう一度言うけど、「ものの変化を見る(覚知する)主体は無い」ということ。
「六処→触→受の流れ」 というのが無いんだよ? わかる?w
なぜだかわかるか? 縁起しているからだよ。
おまえはそういうものが『在る』と思ってる。 本当にバカだよ・・・。
それがすべての物を見せてるんだと。 生み出してるんだと。
生み出すことなんて無いだろ? その流れが何かを生み出すというなら、生滅が存在することになるぞ?w
その流れが縁起しているから、流れを構成するすべての (個々の)ものが無いということだ。
その流れを構成するものに実体が無いということだ。
その実体の無いものがすべてのものを生み出してるから、生み出されたものは存在しない、ということだ。
おまえの言ってるのは、「生み出すものが在って、生み出されるものが幻だ」、って言ってるんだろ。
だったら、生滅が存在することになるじゃないかw
バカじゃないか?
その流れが提示されているのは、「本来その流れというのは縁起していて、存在しない」ということを証明するためだ。
「こういう流れが確かに在ります」ってことじゃねーんだよw
根本的に「空」も「縁起」も「中道」も何もかも分かってねーだろ。
こんなことでは何を説明しても墓穴を掘るだけだぞ。
諸法無我も説明出来ないだろ。 なんたって最後に「その流れ」が存在するって言ってるんだからなw
たとえ幻想でも在るとしたら終わりだ。
幻想が生み出されるということは、幻想という生滅が存在することになる。
そしてその幻想を生み出す主体が存在することになる。
646:神も仏も名無しさん
15/12/04 08:33:07.42 /23LRPCi.net
>>644
>おまえはこれを『在る』とやっちゃってるわけ。
またわら人形論法ですか。
在るってどこで言いましたか?
全ては空な筈ですが。
故に
>ところが釈迦はこれを12縁起で、『無い』としているわけだよ。
も違いますよね。
「わたしではない、わたしのものではない、わたしの本体ではない」と釈尊なら言いますから。
ついでに、「わたしはない」とはわたしも釈尊も言ってない訳です。
すべては縁起して起こる空なる事実なんですから。
あるでもないでも言い切れないんでしょうに。
647:神も仏も名無しさん
15/12/04 08:45:56.89 /23LRPCi.net
>>645
以後、喧嘩腰を改めないおつもりなら謹んで止論させて頂きます。
648:神も仏も名無しさん
15/12/04 08:48:57.89 /23LRPCi.net
>>645
あ、あと、わら人形論法は論破したい人が必死になって行なってしまう姑息な手段です。
人としてどうかと疑念を禁じ得ません。
649:神も仏も名無しさん
15/12/04 09:27:01.89 3iYudDtF.net
>>646
あらら、遂にまた無説明を始めたな・・・・
あんたさっきからこっちにばっかり説明させてんのよ。
こっちの方があんたのところまで引き下げてやってる。 降りて行ってるの。
あんたの何倍も説明してんだよ。 物分りの悪いあんたのために。
それでお前のやることは何だよ? ただ「これを説明しろ。 これはどういうことか?」って、てめーの質問をぶつけてるだけだ。
ここに傲慢な姿勢が見えるのよ。
「オレは完全に分かってる。 お前は分かってない。」「ホラ、これはどう見る? おまえが正解を語れるかどうか、俺が見てやろう。」 ってね。
「オレの正解」とはおまえの身勝手な妄想だ。 理論なんてもんじゃない。
てめーの身勝手な妄想を人に叩きつけといて、自分中心の思い通りに行かせようと思ってる。
議論も何もあったもんじゃない。
ここはお前の妄想をかなえるスレじゃないぞ。
いいかげん、自分のレベルを弁えろ。
あと、「無い」というのは分かりやすいように便宜的に言ってるだけだぞ。
お前は空や縁起を理解出来てないから。
おまえは
>すべては縁起して起こる空なる事実なんですから。
>あるでもないでも言い切れないんでしょうに。
こういうことを言いながら、「常に変化する流れがある」としてるんだよ。 わかる?
その「流れ」が全ての幻想を作りだしてるんだろ?
口では空空言いながら、実際は「在る」と言っちゃってるのよ。
そもそも最初のスタートが、「全てのもの」がターゲットじゃなくて、「流れ」がターゲットに
なっちゃったからおかしいのよw
しかもおまえの場合、そのターゲットであるはずの流れが消えないのよ。 空にならない。
なぜなら、その流れがないと、すべての物が空にならないから。
おまえの場合、流れが実在しないと、すべての物が空にならないのよ。
もしも流れが空というなら、「幻想を見ているものがいない」ということが分かるよな?
おまえは「空(幻想)」を見るものがいると思ってるのよ。
すべての物は「流れ」が見せているんだと。
650:神も仏も名無しさん
15/12/04 09:28:47.46 3iYudDtF.net
>>646
すべてが空なら「すべて」がターゲットになるはずだ。
「流れ」をターゲットにするからおかしくなる。
しかもお前は、「流れ」を諸行無常のターゲットとし、流れの「変化」=「無常」として誤魔化し、流れ自体を無常とせず、
変化する実体を残してしまった。
固定した存在が0.1秒も続かないという無常の意味がわからないから、無常というのを「変化」と受け取ってしまった。
それだと物が変化するだけで、物が空にならないから、どうしても物を空にするために、
受け取り側をターゲットにした。
おまえの論理では物がなかなか空にならないので、どうしても「流れ」で打ち消す必要があったのよ。
だからどうしても、おまえの場合は、すべての物を空にするために、「流れ」を実在にする必要があるわけ。
「流れ」がないと全てが空にならない。
「流れ」が無かったら困っちゃうわけだ。
すべての物を空にする物がないから・・・。
あほだな・・・ すべての物を空にする必要はないんだよ。 何かを変える必要はない。
そのままで空なんだよ。 そのままで空ということを証明しなければならない。
空を作り出すんじゃない。
「流れ」によって空を作り出すんじゃない。
おまえは元々論理的にすべてのものをそのまま空にすることが出来なかった。
なぜなら洞察力が無かったからだ。 それがお前の限界だったからだ。
しかしそれを何とかしようとして、空にするものを引っ張り出して来た。
正しい論理を当てはめることが出来ずに、自分で勝ってに作った論理を当てはめたわけ。
651:神も仏も名無しさん
15/12/04 09:40:11.07 /23LRPCi.net
ペラペラよく喋る割には中身が無いよね。
何、俺様が正しいんだからお詫びしろって言いたいのかな?
>>597に対して>>608でわら人形論法カマした時点で終わってるんだよ君。
君は空だと言っている、わたしも空だと論じている。
何か問題があるのかね。
空はきみのものではないだろう、故に君の論に従わねばならない決まりも無い。
双方が空だと言っているのだから、空の意味が分かってるならそれ以上議論する理由も無いだろう。
で、極論すれば空を証明するにはその空も空じる以外に無いだろう?
中身の無いお喋りはやめて、不放逸に為すべきことを励むべきだろ。
652:神も仏も名無しさん
15/12/04 09:59:30.87 3iYudDtF.net
空にするものを引っ張り出してきたから、空を生み出すことになったんだよ。
生滅を作り出したわけ。
あらかじめすべての物が「空」なんじゃなくて、おまえの場合作ったんだよ、空を。
常に変化しても消えないから。 すべての物は。
おまえの場合、すべての物は変化しても消えない。 ただ変化するだけでいつまで経っても消えない。 空にならない。
そこで幻想(空)を作り出す「流れ」を持ってきたんだよ。
おまえは、すべての物が変化するということは、物の状態が変化すると考えていて、物自体がつづきながら変化していくと思ったわけだ。
そして、「諸行」を「すべてのもの」としてしまうと、「すべてのもの」が変化していくだけで、「空」にならないから、
「諸行」を別のものにする必要があったんだよ。
しかし、すべてのものを「空(幻想)」にするために「流れ」をターゲットにしたら、
逆に「流れ」だけがあるといいことになっちゃう。
「流れ」があればすべての物が空になるわけだから、ことさら「流れ」に「無常」をつける必要がない。
『「諸行無常」である。 だから世の中空なんだ。』という説明を、『「諸行」だから世の中空なんだ』で、終わってしまう。
何も「無常」をつけ加える必要がないw
逆に無常を付け加えてしまうと、「流れ」が消えてしまって「幻想」を作るものが無くなってしまう。
こういう矛盾を引き起こしてるのよ、おまえは。
653:神も仏も名無しさん
15/12/04 10:03:17.73 /23LRPCi.net
>>652
残念だったね、せっかく教わるチャンスだったのに。
君は人に教えを請う姿勢ではないよね。
なので、その俺様理論の変てこ空で行けばいいさ。
わたしは四大教法に照らして行くから心配ないよ。
今日はまた新たな珍説がご開陳されたんで照覧の甲斐もあるw
まあ、全部ボツだ罠w
珍説だもん君のは。
654:神も仏も名無しさん
15/12/04 10:13:43.55 3iYudDtF.net
>>651
中身が無いのはお前のほうだろ?w
>わたしも空だと論じている。
どこが空なんだよ?w 苦ぅ~の間違いじゃないか?w
では「流れ 」自体が無い(空)ということを認めるんだな?
おまえの場合、「流れ自体」が「空」なら、すべての物を「空」に出来んぞ。
なぜならお前の理論では、「すべてのものは変化するだけで、存在するから」だ。w
どこで空になるんだ?w
空の理屈が無くなるだろ。
おまえがよりどころとした、「流れ」が空なんだからな。
いい加減諦めろ。 おまえの論理ではいつまで立っても「すべての物」は「空」にならないんだよ。
なにしろ、変化しながらつづくことになっちゃうんだから。
それだからこそ、幻想を見せてる「流れ」を持ってきたのに、それが「空」ということになれば、一体何が空にするんだ?w
さっきの拍手と同じじゃないか。
音がパンと始まって鳴り止んでいく・・・・。 鳴り止むまで音が「ある」じゃないかw
おまえはこの「音がある」という事実をどうしても論理的に空に出来ないから、ターゲットを流れに摩り替えたんだよ。
655:神も仏も名無しさん
15/12/04 10:18:41.10 3iYudDtF.net
>>653
とんでもないヤツだわ~w、こりゃw
頭が悪いやつが学を修めるとこうなるw こういうのがたくさんいるんだよ。
いい話があると、自分も出来ると思っちゃう。
それは学があればあるほどなお更、自分が出来る能力があると思っちゃう。
出来るのはその人の能力なんだ。 表面的に治めた学じゃない。
そこを間違えてはいけない。
学は道具だ。 その道具を使えないやつが振りましたって、組み立てるものをメチャクチャにするだけだ。
656:神も仏も名無しさん
15/12/04 10:35:53.36 /23LRPCi.net
>>654>>655
君の書き込みはプロファイルさせてもらったよ。
今後のバカ対策のためにね。
>いい加減諦めろ。 おまえの論理ではいつまで立っても「すべての物」は「空」にならないんだよ。
空にする必要がどこにあるんだい?
いつからこちらが「空にする」と摩り替わってたのかな?
諸行って世界とか世の中の事だと君は考えてるんだろ?
それだからいつまでも空性が理解できずに変なお喋りが止まらなくなるんだよ。
もう一度言うが、一切行無常の一切とは十二処の事だよ、んで行(サンスカーラ)が十八界の事だよ。
つまり、十二処十八界は漏れなく無常で恒常じゃないって言う意味だよ。
だから、一切が空と言えばそれは眼耳鼻舌身意に情報を受けて成り立つ感受や意識(及び無明行識名色六処触受愛取有生老死(+愁悲苦憂悩)全て)が
固定した実体の無い空性だと言う意味になるんだよ。
そもそも釈尊は一切とは眼耳鼻舌身意と色声香味触法とが一切として全てだと教えてる。
そこに世の中とかリンゴだとかコップだとかは二の次の話になるんだよ、仏教ではね。
すべては五感と意識とで認知されるのがこの世界だろ?違うのか?
それ以外で一切を立てて一切を言うものは中身のない事しか言わないとさえ断じられてるよ。
認知は外に無いだろ、自己が認知するんだから。
どうして外に求めるのかよく考えたほうが良いよ。
657:神も仏も名無しさん
15/12/04 10:40:58.11 /23LRPCi.net
>>655
仏道の目的を書いてごらん。
散々ペラペラ駄文書いてくれたんだから簡単だろ?
あと、仏法の大意も書いてごらん。
わたしより詳しいんだろ?簡単だよね。
さあ、賢いところを見せて貰おうかw
658:神も仏も名無しさん
15/12/04 19:11:08.16 3iYudDtF.net
>>657
こいつはとんでもないやつだわ。
>>597
>>諸行 = 有為法 = 「縁によって生起したもの」 ということじゃないかい?
>うん、そう。しかしいつも問題になるのはその「縁によって生起したもの」のターゲットなんだよ。
>そのターゲットを、例えば「コップ」と言う対象に設定するから矛盾が起こる。
>仏法はそれを言っていない。
>コップをターゲットとして受け取った「感受」の方こそが言わんとしてる「諸行」なんだな。
>多くの人はここを「コップ」と言う存在に向けてしまう。
「縁によって生起したもの」とは、この世界のすべてのことだ。
それはコップであり、リンゴであり、感受作用であり、あらゆる主体であり、客体だ。
それらすべてが無常なんだと言ってる。
だからこそ、十八界であり、無明行識名色六処触受愛取有生老死(+愁悲苦憂悩)の全てなんだろ?
「六境」というのは感受作用の対象だろ。
まさに、今われわれが接している、この世界のすべてのことだ。
「生老死」も、「感受作用」の対象だろ。
おまえは矛盾したことを言ってるのよ。 こういうのを「ウナギ論法キチガイ編」という。
無常(空)のターゲットは感受作用だと言いながら、「いや、コップなどの対象をターゲットにするからおかしくなる。」 という。
もう支離滅裂だろ。
何が、>「仏法はそれを言っていない」、だ。
おまえは最初、「縁によって生起したもの」の中で、「感受作用」こそが無常のターゲットだと言った。
ちがうだろ。 おまえはバカか?w
この考え方だけで、おまえがさっぱり「縁起・空・無常」というものを理解していないのが分かる。
「縁によって生起する」ということは、イコール=「無常」なんだよ。」
「縁によって生起」したものの中から、「無常であるもの」と、「無常でないもの」が。
分かれるわけないだろw
659:神も仏も名無しさん
15/12/04 19:44:05.87 aUK3C45s.net
>>658
>「縁によって生起したもの」とは、この世界のすべてのことだ。
いや、違うな。
生起したのは目や耳や鼻や口や触覚や意識に起こった感受だろ。
お前はそれを世界だと考え認め鵜呑みに信じたに過ぎない。
>それはコップであり、リンゴであり、感受作用であり、あらゆる主体であり、客体だ。
お前はコップなのか?リンゴなのか?感受作用なのか?
お前は主体なのか?客体なのか?
何の話をしているんだ?
>それらすべてが無常なんだと言ってる。
それらってどれらだ?
お前の言う世界は五感から得られた情報じゃないのか?
それは神経を伝う電気信号だが、お前はそれを疑うどころか考慮にすら入れていない。
>だからこそ、十八界であり、無明行識名色六処触受愛取有生老死(+愁悲苦憂悩)の全てなんだろ?
十八界って何のことだ?
660:神も仏も名無しさん
15/12/04 19:44:47.50 3iYudDtF.net
もしも「感受作用」のみがターゲットで、「感受作用の対象」がターゲットじゃないとすれば
「感受作用」がいくら無常であっても、「対象」は関係ないということになる。
「感受作用」だけが「幻」で、物質は空にならず、実在しつづけるということになる。
もしも、「いや、感受作用が、リンゴやコップなどの幻を現しているんだ」 というんなら、
「感受作用」は幻の製造の道具のようになって、実体化しないといけなくなる。
もしも、「いや、感受作用も、その対象も、空なんだ。」というんなら、
「感受作用」のみをターゲットにして、「リンゴ」や「コップ」などの「対象」をターゲットにしないのは矛盾していることになる。
おまえはここで>>631
>「何故自分が設定されてるんだい? 」
と言いながら、>>624←ここで、「拍手の音を聞く自分」「音が鳴り止むのを聞く自分」というものを作ってる。
>一発拍手して聞こえるその音は常住か?無常か?
ってw
音を聞いてる主体と、「音」という客体が、無常で空になることなく、つづいている(存在している)じゃねーかw
一発拍手の音を聞いて常住も無常もあるかw
音も無ければ聞くものもいねーんだよ。それが無常だ。
「一発の音」と「拍手を聞くもの」を生み出しといて、何が無常だよw
「一発の音を聞くものがいたら、無常ではありませんよねえ?」 というんならわかるよw
一発の音を聞いて、しかもそれが鳴り止むのを確認してるわけだから、「非無常の主体」有りまくりじゃねーかww
こいつが悪質なのは、論理の中でぴょんぴょんと都合よく立ち位置を変えてること。
このウナギ論法をやるやつをときどき見かけるよね。
こういうやつは、深い意味をわからずに、知ったかぶりをしようとするやつに多い。
これを相手にしてると大変なんだよ。
相手の異常性にこちらが合わせなきゃならないから、キチガイ度が上がれば上がるほど、相手の異常に付き合って深く理解しようとしなくちゃいけないから、
どんどんこっちが説明が困難になってくる。
それでいてこういうキチガイは、自分できちっと説明するより、ただ安易なウナギ論法で相手を揺さぶり続ける。
こういうのは議論の中でもっとも悪質なんだよ。
661:神も仏も名無しさん
15/12/04 22:58:59.09 NyQ1mzLu.net
簡単に揺さぶられるんだねw
662:神も仏も名無しさん
15/12/04 23:05:58.84 ox1fP4dA.net
>>660
>「感受作用」のみをターゲットにして、「リンゴ」や「コップ」などの「対象」をターゲットにしないのは矛盾していることになる。
リンゴやコップは苦なのかな?
仏教の目的は、リンゴやコップの素性を知る事ではなく、苦の超克だったろう、違うのかな?
663:神も仏も名無しさん
15/12/04 23:19:41.93 BsU5N85S.net
12支縁起の最終は、要するに妄想の最終ということだよね。
そこで妄想から解脱して居ない人は、さらに輪廻を妄想するんだよね。
そして死後輪廻の世界に生まれ変わる妄想を起こすんだよ。それを繰り返すことになるのよ。
無明を脱する人は、もうその輪廻を繰り返さないのだ。
輪廻の妄想を起こす人はまだいい方で、輪廻すら妄想しないで、単に亡霊として漂うほどのことしか妄想できない人は、
その通りの死後に残るんだよ。
だから、せめて死後の妄想をするにしても、阿弥陀仏の教えにできるだけ従う方がいいということになるね。
664:神も仏も名無しさん
15/12/04 23:25:50.06 e74rdNHd.net
>>636
>>生命は、(中略)宗教を含む人間の「すべての営みの根源」である。
>立派に創唱者として見解をお述べですが?w
人類史的な「事実」を述べただけです。死者にはいかなる営みも不可能です。
例外が、唯の一つでもあれば、挙げてください。
人類、いやすべての生類にとって、その発生以来、唯一の普遍の「宗教」は、
「生存(生存本能、生命)」です。だからこそ人類は、今日迄営々として存続し、
ますます増加・発展しているのです。「一切皆苦」が真実であれば、人類は
とっくに消滅していたはずです。どんなに小さな動物でも、捕らえようとすれば
必死に逃げます。だまって捕らえられる動物などいません。
>中論のどこに生命肯定なんて書いてあるのか 教えてくださいな。
「如来の本性であるもの、それがそのまま生類の本性である」(中論22:16)
「生類の本性」は、「生命」以外にはあり得ません。また中論は、「世間の一切の
慣習」と「物質現象」とを、「無条件の前提」としています。「世間の一切の慣習」
に反することを、何度も戒めています。「世間の一切の慣習」とは、「衆生の生存
努力」であり、「物質現象」は、生命の維持に不可欠です。
個の生命も、万物・万人との相互依存性・関係性の下に存在していることは、
日常生活をちょっと振り返っただけで判ることです。
>>中論第一章で、竜樹は、釈迦の「これがあるから、あれがある」を「明示的に」否定
>>している、
>が具体的にどこの事かも教えてくださいな。
その「明示的否定」は、仏教学者の常識のはずです。中論第一章は、「もろもろの存在」と
いう言葉で始まります。中論は、「もろもろの存在」の構成原理を解明しているのです。
第一章を理解すれば、中論全体の理解が可能になります。「存在」ですから、「無」や
「無我」が介入する余地は、初めからありません。
665:神も仏も名無しさん
15/12/04 23:36:49.14 3iYudDtF.net
>>661
アホばっかりで疲れるわ
>>662
アホか・・・ 何も分かってないじゃん、仏教というものが・・・ はぁーー
素性を知るんじゃなくて、物事を分別することが「苦」なんだよ。
物事を個々に捉える分別。 良し悪しなのど価値判断。
すべて、「我」(主体)が働いてるからこそなんだよ
我(主体)があるから対象が生じる。
我が無ければ対象(分別)が生じない。
まさに、この分別を起こすものこそ、「苦」の原因なわけ。
苦しみはどうやったら消える? 苦が無くなれば、楽になるのか? ちがう。
苦楽を超越したときにこそ、苦しみ(価値判断)は無くなる。
苦楽の超越(価値判断の超越)とは、どちらにも付かない(価値判断の働かない)中道ということだ。
中道 = 無我 = 苦楽の超越 ということ。
>仏教の目的は、リンゴやコップの素性を知る事ではなく、苦の超克だったろう、違うのかな?
全然、苦の原理がわかってないじゃん。