仏教の「無い」志向は間違いではないのか?【03】at PSY
仏教の「無い」志向は間違いではないのか?【03】 - 暇つぶし2ch412:神も仏も名無しさん
15/11/26 22:52:02.73 miCIzTpE.net
「色即是空」されど「空即是色」(この世界は、人間の知覚に映じただけの世界だから、
実は空かも知れない。しかし、その空の世界こそ、人間が生きてきた、そして将来も
生きることのできる、唯一の現実の世界なのだ」。
この解釈が「決定版」w。
両句が同じ比重で併置されていることの深い意味を、理解できなければならない。

413:神も仏も名無しさん
15/11/26 22:59:35.85 miCIzTpE.net
「無もまた無い」と言っている。二重否定で「有」である。
釈迦の「無」「無我」は、明らかな誤り。

414:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
15/11/26 23:21:36.21 6O4ER1ts.net
>>412
はやっ!!(笑)
じゃあ、その後の
受想行識亦複如是って何ですか?(笑)
亦複如是ってのは、またまた同じだよ、って意味ね。
色=空、受=空、想=空、行=空、識=空って話なんだけど。
んで、こういう風に分かりやすく簡略化した文章だから、無無=有なら有って書くよ。(笑)
(^。^)国が資格を与えてた真面目な団体だから、そういうおバカなトンチはありませんよ。(笑)

415:神も仏も名無しさん
15/11/26 23:42:54.27 miCIzTpE.net
>>414
>受想行識亦複如是って何ですか?(笑)
心経は、基本的には、色(物質)について語っている。「受想行識」は色では
ないが、色についての論理を「準用」しているだけ。従って、やはり二重否定で
「有」である。「無」ではない。
心経は、極めて優れた現実論である。

416:神も仏も名無しさん
15/11/27 00:00:04.53 URdVsRXo.net
>>414
>有なら有って書くよ。(笑)
釈迦が「無」「無我」などアホなことを言ったから、それを論破して
いるのだよ。
大乗が、釈迦とほぼ同時代に発生したことの「必然性」を考えなければ
ならない。当時から、常識人はいたのである。

417:神も仏も名無しさん
15/11/27 00:04:39.30 rrzQ5QQL.net
>大乗が、釈迦とほぼ同時代に

馬鹿発見(´・ω・`)

418:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
15/11/27 00:11:13.44 /eETYh9B.net
>>415
いやいやいやいや!(笑)
だから、亦複如是って略さなければ
「色不異空空不異色色即是空空即是空」
「受不異空空不異受受即是空空即是受」
「想不異空空不異想想即是空空即是想」
以下略
ってなるって教えてあげたのに、なんでそうなるの!(笑)
その後もこの故に空の中には~と、目耳鼻舌身意から色声香~更に眼界~がないと、十二因縁が、シタイがと書いてあるでしょ?(笑)
明らかに空について説明してるよね?(笑)
あと、「無無」って所は「無明」が「無く」「無明」が「尽きる」ことも「無い」だからね?(笑)
書き下したら無の無って話じゃないから。(笑)
(^。^)漢文読めないなら大人しく解説本読みなさいよ。(笑)

419:神も仏も名無しさん
15/11/27 00:12:59.40 URdVsRXo.net
>>417
時代はそれほど離れてはいない。同じ寺院に、小乗派と大乗派とが共存していた
ようだ。
大乗の発生史はすごく面白いそ。田川氏の「仏塔崇拝起源説」も捨てたもの
ではない。
唯、釈迦カルトたちは、中論の空さえ釈迦の無に合致させるべく足掻いている。
見てて、気の毒になるねw。

420:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
15/11/27 00:21:50.31 /eETYh9B.net
(^。^)そういや昔、「千年は一瞬の光の矢」って某アニメの主題歌にあったな。(笑)
実はご隠居は不老不死だったのか?(笑)
神話時代だと千年万年生きたって話はざらだし。(笑)

421:神も仏も名無しさん
15/11/27 00:33:35.44 URdVsRXo.net
>>418
>「無無」って所は「無明」が「無く」「無明」が「尽きる」ことも「無い」
>だからね?(笑
それって少しおかしいとは思わんか。「無」と言いながら、重ねて「無が
尽きることはない」などw。最初の「無」だけで十分じゃん。
釈迦から180度頭を切り替えなければ、大乗は理解できないよ。
「煩悩即菩提」「生死即涅槃」「本覚思想」「如来蔵」。釈迦からは絶対に
出てこない。小乗カルトの連中は、釈迦に執着するあまり、これらの概念を
すべて必死で否定するw。
日本の仏教は大乗仏教。すべて大乗で語ってくれ。大乗は、歴史的釈迦は、
「より大いなる存在」の象徴、飾れ物としていることに気づくべし。
今、手元に心経が見当たらない。誰か挙げてくれ。

422:神も仏も名無しさん
15/11/27 00:36:30.80 rrzQ5QQL.net
>>420
>時代はそれほど離れてはいない

へぇ~・・・・
お釈迦さんは何歳まで生きたのかしらん?(´・ω・`)

>>421
そうか、御隠居は漢文苦手だったか・・w

423:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
15/11/27 00:44:05.52 /eETYh9B.net
>>422
漢文どころか500年が同時代って人間ですらないよね……
(^。^;)我々は恐るべき存在をバカにしていたのやもしれぬぞ?(笑)

424:神も仏も名無しさん
15/11/27 00:45:04.97 URdVsRXo.net
>>422
私は、中国語ができるから、漢文は中国語として読む。字をひっくり返す必要は
ないw。
まあ、大乗仏教については、シリーズ大乗仏教全巻を読むことから初めてください。

425:神も仏も名無しさん
15/11/27 00:48:38.75 URdVsRXo.net
>>419の訂正
×田川氏
○平川氏

426:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
15/11/27 00:53:00.82 /eETYh9B.net
>>421
畏れながら、心経は元々梵文の経で、「無明」は十二因縁が一つ、つまり梵語の訳語で御座いますれば、
漢文にて無無明とありましても原文の梵文にて二重否定とは限らないかと、拙は愚考致します。
<(_*_)>

427:神も仏も名無しさん
15/11/27 00:55:44.76 Nm2KJXc9.net
>>419
>時代はそれほど離れてはいない。
どれくらい離れていると考えています?
大乗仏教経典が主流派(部派仏教)の僧団の内部で製作されていったと
する説が近年出てきたれど、同時に平川彰氏の「大乗仏教仏塔起源説」に
疑義を呈する学者も出てきた。
>>424
シリーズ大乗仏教をちゃんと読んでいたら「時代はそれほど離れてはいない」
なんて言葉は出てこないと思うのだが…
ここらへんも面白いよ。
『下田正弘とグレゴリー・ショペン : 大乗仏教の起源をめぐって』
佐々木 閑(著) 印度學佛教學研究 61(1), 342-334, 2012-12-20
URLリンク(ci.nii.ac.jp)

428:神も仏も名無しさん
15/11/27 01:22:35.83 kjZUk94j.net
>>421
>今、手元に心経が見当たらない。誰か挙げてくれ。
おっさん言ってる事が根底からおかしいよな
大事な資料テキストすら手元に無くてどうして正当な批判など出来ようか

429:神も仏も名無しさん
15/11/27 01:41:33.48 kjZUk94j.net
>>421
漢文苦手みたいだから
訓み下しね
觀自在菩薩、深般若波羅蜜多を行じし時、五蘊皆空なりと照見して、一切の苦厄を度したまえり。
舎利子、色は空に異ならず、空は色に異ならず。色はすなわちこれ空、空はこれすなわち色なり。受想行識もまたまたかくのごとし。
舎利子、この諸法は空相にして、生ぜず、滅せず、垢つかず、浄からず、増さず、減ぜず、この故に、空の中には、色もなく、受も想も行も識もなく、眼も耳も鼻も舌も身も意もなく、色も声も香も味も触も法もなし。
眼界もなく、乃至、意識界もなし。
無明もなく、また、無明の尽くることもなし。乃至、老も死もなく、また、老と死の尽くることもなし。苦も集も滅も道もなく、智もなく、また、得もなし。
得る所なきを以ての故に。菩提薩?は、般若波羅蜜多に依るが故に心に?礙なし。
?礙なきが故に、恐怖あることなく、一切の?倒夢想を遠離し涅槃を究竟す。
三世諸佛も般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ大神咒なり。これ大明咒なり。これ無上咒なり。これ無等等咒なり。よく一切の苦を除き、真実にして虚ならず。
故に般若波羅蜜多の咒を説く。すなわち咒を説いて曰わく、
羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提娑婆訶
般若心經

430:神も仏も名無しさん
15/11/27 01:52:16.31 kjZUk94j.net
?礙=四の下に圭・礙
?倒=顛倒
2ちゃんはUTF8も表示出来ないのか・・・

431:神も仏も名無しさん
15/11/27 01:54:43.47 kjZUk94j.net
菩提薩?=土へんに垂

432:神も仏も名無しさん
15/11/27 02:20:50.10 kjZUk94j.net
>三世諸佛も般若波羅蜜多に依るが故に、阿耨多羅三藐三菩提を得たまえり。
>故に知るべし、般若波羅蜜多はこれ大神咒なり。これ大明咒なり。これ無上咒なり。
>これ無等等咒なり。よく一切の苦を除き、真実にして虚ならず。
ここ、物凄い重要なんだよね、普通は結構読み飛ばされちゃってるんだけど
「咒」って要は「唱えるべき」呪文って事なんだけど
ここの場合「般若波羅蜜多は」と言っている、それが大神呪文であり
大明呪文なのであり、無上の呪文であり、等しきものなど無い呪文なんだと言う
その般若波羅蜜多なる呪文を説く(解説する)と
「逝けるものよ逝けるものよ、彼岸に逝けるものよ、彼岸に全く逝けるものよ、悟りよ、幸あれ」と解説される
これって、勝義を言葉に直しちゃってるからこうなってる訳
これを修行したい人は「般若波羅蜜多と言う呪文はどう言うスペルなのか」を知って行なわねば成就しない
その般若波羅蜜多の唱えるべき正確なスペルは、「ぎゃーてーぎゃーてー」の方じゃなくもっと前の方に懇々と説かれている
あれが無いこれが無い、みーんな無い無いって説明してる
その「無尽くし」なる事実を念じ尽くす事で謎のスペルは完成し
故に
「般若波羅蜜多はこれ大神咒なり。中略~よく一切の苦を除き、真実にして虚ならず。」
と言う事になるんだよね
般若波羅蜜多の真実のスペルを唱える事が出来たなら、それは万能薬の如しだと

433:神も仏も名無しさん
15/11/27 02:20:50.92 URdVsRXo.net
>>429
Oh, thank you. しかし、中国語でないと、よく判らんw。
私は、親類の葬式では、お坊さんに代わって心経を唱えるから、内容は頭に
入っている。医学もやってるから、全部、面倒を見てあげる。
やはり、二重否定ばかりで「肯定」だな。

434:神も仏も名無しさん
15/11/27 02:30:20.99 kjZUk94j.net
竹島と尖閣諸島と北方四島は日本固有の領土なんでよろしくね

435:神も仏も名無しさん
15/11/27 03:02:25.44 URdVsRXo.net
>>427
その下田さんの論文は、シリーズ大乗仏教で既に読んでいたよ。佐々木さんの
批判を待つまでも無く、一読しておかしいと思った。大乗発生の「思想的必
然性」が全く論じられていない。下田さんは、小乗系の人かな?

436:神も仏も名無しさん
15/11/27 03:15:53.52 URdVsRXo.net
>>432
>阿耨多羅三藐三菩提
心経のその前に書かれていることが、その悟りの内容ではないの?
平川さんは、「大乗は在家信者から生まれた」と言ってるね。

437:神も仏も名無しさん
15/11/27 03:53:43.31 ydd9+wkO.net
最近分かってきたんだけど、そもそも最初の前提がおかしいのよ。
たとえば、「部屋に物がいっぱい詰まっている」 この「物」が有か無か、
幻想か現実かってことじゃなくて、
そもそも最初の「物が」「いっぱい」「詰まっている」という認識による前提がおかしいわけ。
もし仮にまったく性質の違った存在が複数あるとして、それらのものが全く同じものを見た(覚知した)場合、
まったく違う認識になるよね?
各々のまったく性質の異なったフィルターを通して覚知しているからだよ
人間や生物的感覚で把握できる世界が、世界の真実を正確に見ていることにはならないということ。
主体というフィルターを通している限り、そのフィルターを通して色眼鏡で世界を見ていることになるんだよ。
だから、前提として「部屋に物がいっぱい詰まっている」という認識は、生物的な知覚のフィルターを通した認識であって、
前提にはならないってこと。
物が消えるとか、無になるということじゃなくて、視点が変化するということだよ。
そしてそれはたとえば、全体を一つとしてしか認識できない異質の存在があったとすれば、あらゆる雑多なものを見ても分別できない。
つまり、そのものにとっては「全てのものが空」になるわけ。
仮に自他という分別も出来ないほど一つであれば、その人にとっては世界は空(カラ)同然になるんだよ。
つまり、「部屋の中に一杯物が詰まっている」そのままの状態で、その人にとっては「部屋が空(カラ)だ」、ということ。
何も無くす必要はないし、何も変化させることはない。
「部屋にいっぱい物が詰まった状態」に、何一つ変わることはない。
これは何も物質的なことだけじゃなくて、主体と客体を分別出来ないほどの視点(←あえて)になったら、
好悪、苦楽といった精神的領域までクリア(空)になるということ。
すべては一体だからだ。

438:神も仏も名無しさん
15/11/27 04:10:48.57 kjZUk94j.net
>>436
そうだよ
だから「般若波羅蜜多と称する呪文はどう言うスペルなのか」
「そのスペルはどうやって唱えるのか」が重要になってくるんだよ
「悟りの内容」には悟る事が重要なんでしょ?
悟るには菩提と呼ばれる智慧が必要なんでしょ
その智慧なるものが呪文だと般若心経は言ってるわけ
その呪文とは何か?具体的にどう言うスペルなのか?
それを唱える具体的な方法はどうやるのか?
そのお経は包み漏らさず解き明かしてるんだよ

439:神も仏も名無しさん
15/11/27 04:11:43.66 kjZUk94j.net
>>437
非二元ではそれが限界なんだね

440:神も仏も名無しさん
15/11/27 04:32:35.03 kjZUk94j.net
般若心経はインチキだの後世の偽経だの色々言う人は一杯居る
あのスマさんだって難癖付けたシロモノでもある
しかし、阿含経なんかを読んでみれば解るが、釈尊が自らを言う場合は一人称に「わたし」を使う
それなのに、重要な真理を教示する時は決まって一人称に「如来」を言う
ここで解る事は、如来の一人称は如来だと言う事
如来は真実しか言わないから、誰彼なく語ったならそれは誰であっても如来その人となる
そう言う意味で、観自在菩薩が深く般若波羅蜜多を行なった所感を述べるこの経も
如来の説として紛う事なき仏説なんだと、心あるものには解る事になる
経の言葉を追いかけても徒労に終るだろう
大事なのは経の意味を「行なう」事
そこに全ての答えがある
頭でいくら考えても無駄だろう
考えても彼岸には到達しない
実際に向わなければ、それは只の妄想に過ぎない

441:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
15/11/27 07:05:01.51 /eETYh9B.net
>>440
>観自在菩薩が所感を述べるこの経
君は色々とおかしいよ。(笑)
オウム並みにすっとんきょうだよ。(笑)
初期の経典で釈尊が私と如来の二つの自称ってのはまぁ浅いって話で済むけどさ。(笑)
如来と釈迦如来って違いは判るかな?(笑)
いっぱいいる如来の一人が釈迦如来だよね?(笑)
固有名詞と一般名詞だっけ?何かあるよね?そういう違いがさ。(笑)
君は観自在菩薩が「観自在菩薩は~、こう思うんだ~。」と言ったと、こういう解釈な訳だよね?(笑)
(^。^)俺が「承狂はこう感じた」とか書いてたら、とうとう気が狂ったなと思うだろ?(笑)

442:神も仏も名無しさん
15/11/27 08:23:22.13 kjZUk94j.net
>>441
>君は観自在菩薩が「観自在菩薩は~、こう思うんだ~。」と言ったと、こういう解釈な訳だよね?
所感と書いたからそう考えたのかな?
まあ、そう考えるのも仕方ないだろうし自由だと思われる
しかし
>いっぱいいる如来の一人が釈迦如来だよね?
これがダメだと思うよ
言ったろ?「如来の一人称は如来」だと
如来を感得して如来なのではないでしょ?
「全て滅して認め知る事が無い境地」は不一不異でしょうに
大丈夫かな承狂くん
認め知る事も滅し、一切の戯論が滅した如来が
>俺が「承狂はこう感じた」とか書いてたら、とうとう気が狂ったなと思うだろ?
なんて言う事も無いでしょう
「俺」が滅したのが如来なんだから
ちょっと残念かな、承狂くん

443:神も仏も名無しさん
15/11/27 08:41:27.83 kjZUk94j.net
>>441
承狂くん
アドヴァイタな連中が「ほら仏教も一緒じゃん」と指摘してくる部分がまさにここなんだよ
彼らには滅すると言う真の意味が理解出来ないから、この一人称如来に「同一・一体」を観る
彼らには全て滅した境地が本当に理解出来ないから、この同一に真我を観ちゃうんだな
んで、梵我一如だと
ここをひっぺがすのが仏法者の立ち居地なんだけど
承狂くんはこの位置に居ないのかな、残念で成らない
良い目線なんだけどねぇ

444:神も仏も名無しさん
15/11/27 13:05:06.18 mzXea1A2.net
>>437
それぞれの種属の動物は、その種属に固有のフィルターを通じてのみ生存して
いるのだよ。そのフィルターを外したら、死ぬか、狂うだけ。この自覚が、
悟りの基本。
真っ先にやるべきことは、宗教という人為的フィルター(色眼鏡)を外して、
生存という種属本来のフィルターに戻すこと。
感動的な正法眼蔵でも読んでください。

445:神も仏も名無しさん
15/11/27 13:29:46.60 mzXea1A2.net
梵我一如って、釈迦の無我に比べてスケールでかいなw。精神医学的には、
前者が躁病の誇大妄想で、後者がうつ病の微小妄想。しかし、宇宙を認識し、
思考できるのも我(生命)だけだから、論理的には前者が正しい。

446:神も仏も名無しさん
15/11/27 19:02:47.94 ilE+0avD.net
それ五悪見のうちの有身見だし

447:神も仏も名無しさん
15/11/27 19:31:52.46 ydd9+wkO.net
>>445
あなたは非常に浅いレベルで物事を考えてるよ
釈迦の無我こそ、「すべてものが一体だ」ということ。
ただ、「一体」という言葉を使ってしまうと、世界を分別していることになる。
「一体」の外の世界が生まれてしまう。 「一体でないもの」と「一体であるもの」の二つに分裂してしまう。
そうすると、「一体である」ということを打ち出してしまうと、逆に「一体」じゃなくなってしまうわけ。
だから言葉の使い方に注意した。
もし偏見なく深い洞察が出来て、これらの言葉の意味を知ることの出来る人がいたら、その時こそ
「一体」という言葉を使っていいんだよ。
ブラフマンという概念が「ブラフマン」という神を作り上げ、その外にあらゆるものを生み出してしまった。
ようは分裂したわけ。
一体でも何でもなくなった。
酷いのになると、神像を作り上げ、本当にそのような個別の存在があるように感じてしまった。
だからイスラム教では偶像崇拝を禁止したわけだよ。
「すべては一体である」という「タウヒード」という概念を否定することになるからだ。
それをまた狂信主義者が「一つの神」という固体の存在を作り上げてしまった。
なんのことは無い、すべての神を否定して一個の強力な「存在」を作り上げてしまった。
いかに偶像崇拝禁止しても、箱の中の一つの強力な実体のある神を想定してしまっているわけ。
ちなみに、マヤ文明の宗教にも、フナ・ブクーという形象で表されない神がいるという。
これもまた同じ思想なんだよね。
昔からこの「すべては一つ」ということを表現するのに、あらゆる宗教が苦労し、そして失敗した。
「すべては一つ」と「無限」が合わさって、始めて本当の「一つ」になれるわけ。
一つの存在が無限であれば、その他に何も存在出来ないから。
固定として判断出来ない。
だから、「一つ」という言葉でさえ適切ではなくなる。
なので一つも糞もない、ということになる。

448:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
15/11/27 19:35:58.53 /eETYh9B.net
ID:kjZUk94jは糖質なのか。
宗教板って頭おかしい人が多いよな。(笑)
(^。^)まぁ、俺様も似た様なもんだがな。(笑)

449:神も仏も名無しさん
15/11/27 19:36:20.31 ilE+0avD.net
そんなにヒンズー教は良いかね

450:神も仏も名無しさん
15/11/27 19:39:47.86 ilE+0avD.net
承狂が狂ってるのは知ってた

451:神も仏も名無しさん
15/11/27 19:43:17.92 ilE+0avD.net
>>447
見取見だよそれ

452:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
15/11/27 19:44:56.59 /eETYh9B.net
>>433
>葬式ではお坊さんに代わって心経を唱える
(^。^)心経じゃなくてナンミョーホーレンゲーキョーでしょ?(笑)
頭の狂った学会員だったのか。(笑)
大作しんじゃったらしいけど、これからどうなるんだろうね? (笑)

453:神も仏も名無しさん
15/11/27 19:59:49.83 rrzQ5QQL.net
>>450
ショキョタソは、くるってるのでなく、
情に厚い熱血漢なだけだよwww

454:神も仏も名無しさん
15/11/27 20:18:37.73 ilE+0avD.net
>>453
情に厚い人ならば誰であっても軽賎しないだろう
自称する人は多い

455:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
15/11/27 21:17:39.14 /eETYh9B.net
>>453
(^。^)だまれ小僧!(笑)

456:神も仏も名無しさん
15/11/27 21:23:23.25 rrzQ5QQL.net
>>454
浅いね・・・
情が深いほど、自身の基準から外れた者・ことに対しては、
徹底した攻撃をし易いよ。
 *(それは、共同体を営む人類の、本能的防衛反応と繋がるものだとは思うけど)

457:神も仏も名無しさん
15/11/27 21:29:40.22 nPXnbEHP.net
宗教学的には、ユダヤ教から発生したカルトが、キリスト教とイスラム教。
バラモン教から発生したカルトが、小乗仏教。
やはりいずれも、本家のほうが民族宗教的要素があり、思想的にも骨太で深い。
小乗仏教は、開祖盲信・精神性の偏重という点で、キリスト教に類似している。

458:神も仏も名無しさん
15/11/27 21:45:21.41 rrzQ5QQL.net
今の中東・IS問題を、宗教的要因だと考えて対策立ててたら、
永遠に解決できねーよw
スリランカもそう。ビルマもそう。
宗教的でない、まったく別の要素が絡んでるから、
互いの心理的譲歩(思想面での相互理解)では事態を動かせないわけ。

御隠居は、なんでこういう『現実的側面』に盲目なんだろうな・・・ ┐(´ー‘)┌

459:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
15/11/27 22:21:29.73 /eETYh9B.net
>>458
ご隠居の思想的には、全て自己責任だから、「はいはい、生命生命」って言うだけです。(笑)
そしてテロに巻き込まれようが、天変地異に巻き込まれようが、
「わぁ~れこそは~~!せえ~めぇ~なりいぃぃぃ!」
って叫ぶだけでテロリストたちは悶え苦しみ、天変地異は忽ち収まるから何の問題もありません。(笑)
(^。^)無限の環境適応力を秘めた生命様に縋れば全て丸っと解決だぜ!(笑)
でも、カルトみたいな精神性偏重ではないらしい。(笑)

460:神も仏も名無しさん
15/11/27 23:00:00.44 nPXnbEHP.net
>>458
すべて宗教思想が原因ではないか。争いが、異なった宗教・宗派間のみで
生じていることが、100%の証明。
10億人を殺したと言われるマルクス主義も、キリスト教起源の「擬似宗教」。
ミャンマー、スリランカ、タイは小乗仏教。
中国最大の内乱であり、推定犠牲者数5000万人と言われる太平天国の乱の
原因も、首謀者洪秀全がふと手にした一冊の聖書だった。
まあ、世界を見なくても、2chの宗教板における争いだけで、十分に証明
されているけどねw。ニュース速報板などでは、こんな争いは一切ない。

461:神も仏も名無しさん
15/11/27 23:05:41.48 nPXnbEHP.net
>>458
「互いの心理的譲歩(思想面での相互理解)」が「絶対にできない」のが、
宗教の病理。

462:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
15/11/27 23:13:37.99 /eETYh9B.net
>>460
てぇ事は、ISが本当にイスラム教の狂信団体だと思ってるんだ?(笑)
(^。^)まぁ、陰惨すぎるから本当の事は見ないってのも手だな。(笑)

463:神も仏も名無しさん
15/11/27 23:14:47.78 nPXnbEHP.net
>>458
>今の中東・IS問題を、宗教的要因だと考えて対策立ててたら、
>永遠に解決できねーよw
全員が、イスラム教の特定宗派に入信し、「アラーアクバル」を唱えたら、
殺し合いは一瞬で終息するw。

464:神も仏も名無しさん
15/11/27 23:25:16.66 nPXnbEHP.net
>>482
東大の宗教学科まで卒業したのに、キリスト教からイスラムに嵌って信者に
なった中田考と宗教学者島田との対談を読んだが、中田は、「イスラム国」を
イスラム教の理想の形態としている。テロに対する反省など一切ない。「一生涯、
神に仕えたい」などと口走っている。

465:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
15/11/27 23:32:23.70 /eETYh9B.net
>>464
(^。^)そうだね、東大出た人は絶対に間違わないよね。東大ってスゴイよね。お供え物して毎日拝もうか?(笑)

466:神も仏も名無しさん
15/11/27 23:41:31.30 nPXnbEHP.net
宗教信者は、宗教観念によって生存本能を破壊されるから、生存本能から
生じる「自他の死への恐れ」という自然の感情が消滅し、己の宗教のために
殺し殺されることが、快感と喜びになってしまう。だから、報復殺戮は無意味。
報復側も宗教信者だから、報復の無意味さが一切理解できていない。
「体を殺せても、魂を殺せない者どもを恐れるな」。体は殺してもよいことに
なる。イエスのこの「肉体を忘れた精神性という狂気」が、すべての殺戮の原因。

467:神も仏も名無しさん
15/11/27 23:44:55.49 nPXnbEHP.net
>>465
そのスゴイ人でも、宗教に嵌るとこれほど狂うということ。

468:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
15/11/27 23:45:42.44 /eETYh9B.net
>>466
そういう妄想と、現実の「イスラム教過激派」や「IS国問題」は分けて考えようね?(笑)
(^。^)宗教戦争だ!とかブッシュ並みの知能だよ。(笑)

469:神も仏も名無しさん
15/11/27 23:53:49.63 nPXnbEHP.net
>>468
そのような「宗教のあくなき正当化」こそが、テロや大殺戮の原因であることを、
忘れてはならない。
君のような宗教患者は、宗教患者による殺戮を目の当たりにしながらも、
「彼らは宗教者ではない」と形振り構わず、宗教を正当化する。
「貧困が原因」などと屁理屈をつけるが、ビンラデインは億万長者である。
自爆テロリストたちも、比較的裕福な、特に、キリスト教からの改宗者の
「自分探し」であると、現地で聞き取り調査を行ったジャーナリストは
語っている。

470:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
15/11/28 00:01:05.68 P2b7smCU.net
>>469
(^。^)まぁ、確かに俺の信なんざぁ3ヶ月で帰りたいって泣いたバカ女の自分探しと同じかもしれんね。(笑)
でも、真面目に信仰してる人にはかなり失礼な事を書いてるよ、アンタ。(笑)

471:神も仏も名無しさん
15/11/28 00:07:18.15 eD0DWwp8.net
>>468
ブッシュは、キリスト教原理主義者。聖書を引用して、湾岸戦争に突入した。
典型的な宗教戦争ではないか。
フランスのテロも、漫画で開祖を侮辱されたのが原因。
日本の歴史には珍しい戦国時代の大殺戮は、キリシタン思想が原因。
黒幕は南フランスのキリスト教勢力であった。研究書も出ている。
明治維新での無意味な殺戮も、キリスト教国による砲艦外交とキリスト教
思想の浸透が原因であることは明らか。
日本最初の本格的内戦は、仏教の到来時である。

472:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
15/11/28 00:15:20.19 P2b7smCU.net
>>471
(^。^)だから、そのアホのブッシュ並みだって言ってんだよ。(笑)

473:神も仏も名無しさん
15/11/28 00:20:01.58 Ox7JdmKv.net
>>456
浅いと分別するそれは軽賎の現れだろうな
推して知るべしかと

474:神も仏も名無しさん
15/11/28 01:56:02.34 eD0DWwp8.net
>>470
>真面目に信仰してる人にはかなり失礼な事を書いてるよ、アンタ。(笑)
宗教は、不真面目にやればやるほど、即ち、世俗に近づけば近づくほど
マトモになるのだよ。初めから間違っているからだ。
一休さんを見よ。 彼の「死にとうない」は、究極の悟りである。

475:小僧 ◆965zSALn8Q
15/11/28 03:20:31.21 ry7MAwO7.net
あなたを盲目的に信奉する小僧はここにもいますよ。
私以外小僧など声かけられるところみ
ると嫉妬してしまいますわ。
時々話を聞かせて下さい。

476:小僧 ◆965zSALn8Q
15/11/28 03:22:36.67 ry7MAwO7.net
>>456
本当にその人攻撃すると思うのかね?
そうだとしたら偽物だよ。
騙されちゃいかんw

477:神も仏も名無しさん
15/11/28 14:00:05.02 BpMMotln.net
10:28 また、からだを殺しても、魂を殺すことのできない者どもを恐れるな。
むしろ、からだも魂も地獄で滅ぼす力のあるかたを恐れなさい。
・・・・・・
だから人の前でわたしを受けいれる者を、わたしもまた、天にいますわたしの父の前で受けいれるであろう。
10:33 しかし、人の前でわたしを拒む者を、わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう。

478:神も仏も名無しさん
15/11/28 14:02:17.71 gmIIJE7s.net
神はいる

479:小僧 ◆965zSALn8Q
15/11/28 14:23:42.51 ry7MAwO7.net
さて、少し話をさせて下さい。
私は神がいると思っていますが決して確信ではありません。
霊感などもありません。
せいぜい見えた時は自我が肥大し、狐か狸でもついているのだと思っています。
そもそも、ここは空のスレでスレ違いですよ。
霊と仏教関係ありません。
私は仏教を学びたく思います。
スレを汚してしまい申し訳ありません。

480:神も仏も名無しさん
15/11/28 16:50:15.53 BpMMotln.net
仏教では清浄不浄と言う。不浄とは欲心を言い、清浄とは無欲を言っていると思う。
現実社会生活で、この不浄な精神、清浄な精神は、混在して見受けられるのではないのか?
この清浄な精神、不浄の精神を、キリスト教では、霊と言っているのだと思う。
清浄な精神を政令、不浄な精神を悪霊と言っているのだと思う。
キリスト教では、神は霊である、と言っているだろう?そして、それは清浄な霊でなければならないだろう?
つまり無欲な霊なのだ。それが神なのだ。
仏教の実相から来る要求と、キリスト教の神の要求とは同じではないか?同じにならないか?

481:神も仏も名無しさん
15/11/28 17:06:57.16 cPS75vBm.net
キリスト教も仏教も神道も一緒。統一教つくろうぜ。
スレリンク(psy板)

482:承狂 ◆TptLNQXPVWuJ
15/11/28 18:51:20.30 P2b7smCU.net
(^。^;)あっれ~?なんかおかしな連中がわいてんなぁ?(笑)
コワイから転進しますね。(笑)
オイラにご用の方はバカカルトスレまでご足労下さい。(笑)
じゃあの。(笑)

483:小僧 ◆965zSALn8Q
15/11/28 21:28:00.46 G83OWHFQ.net
さて、あなたたちは私の書き込みをみて何を思ったでしょうか?
沸き上がるもの全てが「妄想」「妄像」かもしれません。
私は自称小僧ですが、明確に私の姿をわかることはできないですよね。
パソコンに向かっているのか?
スマホか?
プログラムによる予約投稿?
かもしれません。
考えること自体が無意味なのです。
賢者であれば私の書き込みから愚者であることそれのみが判別ができたはずです。
年齢?性別?職業?
全てが謎なのに人間は頭の中で「像」をつくります。

484:小僧 ◆965zSALn8Q
15/11/28 21:31:35.75 G83OWHFQ.net
では何において信頼にたる人物であると判断するのか。
それは、言葉にほかなりません。
それは、カルト宗教、偽経典、も同じこと。釈迦仏といいます実際にあった人はいるのでしょうか?
おそらく多くの人の釈迦仏は妄想といえると思います。
まずは、仏教の基本から。

485:小僧 ◆965zSALn8Q
15/11/28 22:17:12.12 G83OWHFQ.net
龍神の化身で病気を治すというもと犠牲者がでました。
両親が保護責任者遺棄致死を疑われています。
さて、仏教の字面通りに考えれば因果の法則のもといいも悪いもありません。
苦は存在しますがそれは幻といいます。
本当にそうでしょうか?
まずは自分なりの答えを出して下さい。
それにいいも悪いもありません。

486:神も仏も名無しさん
15/11/29 07:58:35.01 ecnzAYVe.net
>>480
お釈迦様の言う一切を厭い嫌い遠ざかる教えでは
不浄は一切
清浄は一切の生滅
これは一切を捨てる覚悟の出家者向け。
捨てられない在家者はそこは緩くなり、少しでも良い境遇に近づけるよう善業を行えという。

487:神も仏も名無しさん
15/11/29 12:32:11.80 FMDvdqEm.net
「仏教の無い志向は間違いではないのか」
シャンカラは著書ウパデーシャサーハスリーのなかで、間違いであると断言している。
岩波文庫で1000円以下で購入できるのでぜひ読んでみるべき。
ヴェーダーンタでは唯一の実在があるだけだという。
一方で仏教は全ては無であるという。
唯一の実在のみが有る状態と、一切は無である状態は同じことではないかと思うけれど、そうではないという仏教に対する反論が提示されている。
単純に三界は無であるという意味では、三界の一切はマーヤーであると切り捨てる、その点はヴェーダーンタと一致している。

488:神も仏も名無しさん
15/11/29 12:49:09.52 FMDvdqEm.net
ちなみに>>1が書いてるような、痛みや苦しみが確かに感じられるのに、それが無であるというのはおかしいのではないか、
という点についてもウパデーシャサーハスリーで割と丁寧に説明がされている。
そういう点について本当に疑問を感じるのなら、ウパデーシャサーハスリーを読むべき。
あり得ないくらい安い値段で入手できる。

489:神も仏も名無しさん
15/11/29 13:39:19.79 Ljb88T7e.net
>>488
夢の中で食べ物を食べた。
その見た目も香りも味も本物だった。
夢から覚めた時その食べ物は存在しなかったと知るでしょう。

490:神も仏も名無しさん
15/11/29 13:42:04.83 Ljb88T7e.net
夢としては存在した。という言い方ができるね。
夢の中にいる人にはどうしたって本物に見えるんだから。

491:神も仏も名無しさん
15/11/29 16:40:19.07 FMDvdqEm.net
>>489
その説明はすごく分かり易いし一つの真実だと思う
ウパデーシャサーハスリーの一節「私は認識する力を持つが対象を欲しない。マナスは対象を欲するが認識する力を持たない。よってあなた(マナス)は寂静であることが望ましい」
マナスは自分がアートマンであり認識の主体であると思い込んでいる、その錯乱こそが無知であり迷いであるという。
上のほうに出てた、無欲は清浄というのもこのあたりのことじゃないかね。
自分なんかは欲望=性欲=不浄なんていう、極めて西洋的、現代的な連想がすぐに出てくる人間だけど、浄不浄の次元がちょっと違うよね

492:神も仏も名無しさん
15/11/29 16:46:52.17 ZJKFmrI1.net
>>487
>唯一の実在のみが有る状態と、一切は無である状態は同じことではないかと思うけれど、そうではないという仏教に対する反論が提示されている。
仏経はこれを否定してないだろう?
仏教では、実相は無相で、故に一相で、この逆もまた可、そして空相、無願と言っている。
無相ゆえに、一相、であるが、直面する回答になる。実相が一相であるが回答で、それは何にもないではなく、一相があるという意味だ。
エレアはやろうそうでは、単に「一」と言うが、この一が無相に当たるんだよ。
真実に存在するものは必ず、純一なものでなければならないというのは論理の帰結するところだよ。
そこで、シャンカラは、どのような反論をしてるんだろうか?

493:神も仏も名無しさん
15/11/29 16:57:24.95 ZJKFmrI1.net
梵我一如については、まあ、グーグルの検索で見る限り、ブラフマンがどのような真理だと主張してるか、
明確にしてるものがないのだ。
仏教では、縁起の理法とそれから導かれる純一が根本である。この純一が人を平安に置くもので、
このことを凡夫も知っているので、これに反する状態を(苦)と感じるのだ、とゴータマ尊者は言っている。
ところが、ベーダンタでは、縁起の理法を強調しないんじゃないの?
確か、シャンカラも縁起の理法に言及しているのを見たことがある。おそらく縁起の理法
に基づいてシャンカラは、ブラフマンを定義してるんじゃないのかな?
ヒンズー教では、最初にブラフマンというものを提示して、それに対する個我を考えるから、
それは自然ではないと仏教ゴータマは否定するのだと思う。彼が自灯明と言うのはそこに原因があるのだよ。
自分がブラフマンを発見するのだ。

494:神も仏も名無しさん
15/11/29 17:00:10.45 ZJKFmrI1.net
のんぢゅアリティも、仏教と同じ、梵我一如と同じことを主張してるんじゃなかろうか?

495:神も仏も名無しさん
15/11/29 17:11:21.12 5bCDJvdN.net
シャンカラは「仮面の仏教徒」と呼ばれることもあるんやで

496:神も仏も名無しさん
15/11/29 19:48:05.28 QldW5pt2.net
>>489
最新の学説によれば、夢は、睡眠中における脳細胞の混乱状態。何ら、意味の
あるものではない。フロイトの「夢判断」は無意味だったのである。
夢の筋書きは支離滅裂だが、一度知覚した対象だけしか現れない。夢に神仏は
出てこない。脳細胞が混乱しても、細胞に刻まれた記憶は、そのままだという
ことだろう。
なお、睡眠中でも、身体の各器官は活発に活動している。胃腸は睡眠中に活動
するし、ある種のホルモンは、特に睡眠中に分泌される。死ねば、このような
肉体の活動は、一切生じなくなる。
死者が「涙を流した」と感激する人がいるが、これは、生前に分泌して眼中に
たまっていた涙液が溢れ出しただけ。

497:神も仏も名無しさん
15/11/29 20:25:37.74 DP5of7T0.net
仏教(お釈迦さんの説くところ)は、学説とは何も関係ないんだけどねぇ・・。
学説は学説で踏まえておけばいい。
テーブルマナーが文化によって異なるように、
「生き方の指針」も、一つである必要は無い。
(それを一つにしようとしたのが、西洋キリスト教的価値観だったりするわけだが、
隠居や紐は、それと同じことをやろうとしてるわけで・・w)

498:神も仏も名無しさん
15/11/29 20:43:30.12 dgYDEtGj.net
宗教は奴隷学だ

499:神も仏も名無しさん
15/11/29 21:43:09.29 QldW5pt2.net
>>497
生き方は、己の「生命」が教えてくれるもの。生命は、すべてを知る。
他人に教わるべきものではない。
大昔の精神病の一個人に教わろうとすることが、すべての誤りの原因。
道元さんは、「仏道とは己を習うなり」と言っている。まさに至言では
ないか。道元が、世界最大の思想家とも評価される所以である。

500:神も仏も名無しさん
15/11/29 22:04:53.27 QldW5pt2.net
大昔の気違いの一個人に生き方を教わった一神教徒たちが、絶え間ない殺し合い
を続けている実情を見よ。

501:神も仏も名無しさん
15/11/29 22:57:56.80 ZJKFmrI1.net
>世界最大の思想家
???

502:神も仏も名無しさん
15/11/30 01:05:18.13 bbTbI7b9.net
>>501
正法眼蔵の解説書に書いてあった。
くぐったら、ハイデッガーや和辻哲郎も評価しているのだから、世界的な
思想家であることは間違いなかろう。これほど感動的な仏法書は、他にはない。

503:神も仏も名無しさん
15/11/30 04:26:59.74 H0PPbDvD.net
>>487
>単純に三界は無であるという意味では、三界の一切はマーヤーであると切り捨てる、その点はヴェーダーンタと一致している。
三界とは「欲界・色界・無色界」の事を言うんだが、つまりこれはどう言う事を言ってるとお前は考えるんだ?
ちゃんと把握出来てるだろうか
そして「一切」とは具体的に何を指して一切かな?
ヒンズー教でこれがまともに答えられるだろうか

504:神も仏も名無しさん
15/11/30 04:37:38.00 H0PPbDvD.net
>>502
仏教は自洲法洲を是とする
故に
①風説に依らず、②伝承に依らず、③伝聞に依らず、④聖典集の所伝に依らず、
⑤推論に依らず、⑥公理に依らず、⑦類比に依らず、⑧深慮され達された結論への同意に依らず、
⑨有能そうな者の言葉に依らず、⑩(その)沙門が(我々の)師であるという(理由)に依ることなかれ。
なのである
例えば上記をヒントに考察する事は禁じられないが、それを鵜呑みに信じる事を仏道修行では行なわない
先ず、判断基準として最初に判ずるのは四大教法に照らす
(1)ブッダの(直接の)言として新しい事がらを、
(2)僧団の(直接の)言として新しい事がらを、
(3)長老の(直接の)言として新しい事がらを
(4)達人の(直接の)言として新しい事がらを、
これらを言い出す者があれば、喜ばずきらわずに聞き、これを経と律とに照して明らかにし、相違すれば捨てるべきこと。
そして既出な説などに当たれた場合は、それを行じてみて実践で学び取るのである
おわかりかな?
世界の中に有って重要にして最大の経典は「自洲法洲」なのである
それ以外のものは全て自洲法洲の説明なのだから、実践してみれば真偽がその場で分かるのである
肩書きも見た目も関係ない言われはここにありこれに尽きるといえる

505:神も仏も名無しさん
15/11/30 09:04:56.42 2Xs0muAp.net
スレリンク(occult板)l50

506:神も仏も名無しさん
15/11/30 18:53:53.45 w/WI1wN0.net
 
乙です!
紐くんも
机先生も
123くんも
隠居先生も
承狂先生も、何言ってるのか? わからないけど
応援してるゾ! ガンガレ!

507:神も仏も名無しさん
15/11/30 19:42:06.84 w/WI1wN0.net
 
> 実践してみれば真偽がその場で分かる
例えば、仮設としての、自分(ID:w/WI1wN0)の場合は
無明の暗闇に覆われて
渇愛(タンハー)に依存して
誤ったあり方を掴んで離さないような固執に依存して
他に対して、自らを特別な存在として妄信している想いに依存して
(「変化しない」という意味での「我」は)存在しないにも関わらず
(「変化しない」という意味での「我」が)有ると思う虚妄の執著である
遍計所執性(へんげしょしゅうしょう)が現れ(滅し)て
(五性各別)誰もが成仏するわけではないので、それ故に
想いの手放しの実践は難しい
URLリンク(homepage3.nifty.com)
曹洞宗の僧侶  内山興正
坐禅中,思いが浮かび,その思いを追っているならば,それはすでに考え事をしているのであって,坐禅していることにはなりません
われわれの思いは,いつも「何か」を思うわけですけれど,この「何かを思う」ということは,思いをもって,その「何か」をつかむことです
ところが今,その何かをつかもうとする「思いの手をひろげっぱなし」にしてしまって,何ものをもつかまないでいることです
すなわち思いの手放しです
実際には何ものかの思いが浮かぶかもしれません
しかし思いがそれをつかみさえしなければ「何もの」としても構成されることはないでしょう
URLリンク(www.tibethouse.jp)
(掴もうとしている、想いを手放し、そして)
すべての事象は独立してではなく、原因と条件(因縁)から成り立っており、それゆえ常に変化しています
私たちは、無常(無我)という理に自らの心を馴らしていかなければなりません

508:神も仏も名無しさん
15/11/30 20:06:47.83 RpkZMQBv.net
>>507
人間は、生物の一種属に過ぎない。
すべての生物に共通する唯一の普遍の基盤は、「生きること(生存)」である。
極限の生存状態においては「思い」はない。唯、唯、「裸の現実」に適応して
生きること。溺れかけた場合、浮遊する一片の物質がすべてである。極限の飢
餓状態にあっては、一塊の可食物質がすべてである。それらの物質が「何であ
るか」などは、考えない。唯ひたすら、その「有なるもの」にすがるという行
為のみ。
座禅は、思考を捨てて唯ひたすら座るという「行為」によって、「極限における
生存」を擬制しているのである。半眼を開いて対象の一点を見つめるのは、
生存に不可欠な「有(物質、現実)」との接触を維持しているのである。

509:神も仏も名無しさん
15/11/30 20:32:17.02 w/WI1wN0.net
 
乙です!
> すべての生物に共通する唯一の普遍の基盤は、「生きること(生存)」である
隠居先生かしらん?

> 座禅は、思考を捨てて唯ひたすら座るという「行為」によって
> 「極限における生存」を擬制しているのである
実践するのは難しいと思うけど、ご教示ありがとうございます
余念を交えず、ただひたすら座禅する、只管打坐?
URLリンク(www.myoshinji.or.jp)
京都花園  臨済宗大本山  妙心寺派
曹洞宗は黙照禅(もくしょうぜん)と言われ
「人は本来清浄な心を元々持っているのであるから、悟りを求める必要はない」と言う立場から
ひたすら黙々と坐禅する只管打坐(しかんたざ)を説きますが
臨済宗と曹洞宗の
根本的宗旨に違いはありません

510:神も仏も名無しさん
15/11/30 21:08:21.96 RpkZMQBv.net
>>509
「生命(如来)の声」は、「究極の生存状態(直接現実)」において、初めて
良く聞こえる。生存努力とは「行動」であって「瞑想」ではない。「只菅打座」
とは、「我を忘れた生存努力」の擬制である。従って、「我を忘れた現実の生存
努力」によっても悟りは得られる。すべての衆生(生活者)が悟っている所以
である。

511:神も仏も名無しさん
15/11/30 21:46:47.00 w/WI1wN0.net
 
自分の場合は
無明の暗闇に覆われているので
悟っているとは思えないけど
> すべての衆生(生活者)が悟っている
とりあえず、ご教示ありがとうございます
URLリンク(www.dia.janis.or.jp)
般若経の解説
一切の有情は、もともと仏なのだ
悲しみ、怒り、喜び、妬み、執着するものたちだ
それこそが仏なのだ
もともと仏であったことに気づくこと
気づいてみればたやすいことだ
しかし
(「変化しない」という意味での「我」が)
有ると思う虚妄の執著である、遍計所執性が現れ(滅し)て
それ故に
気づくまでは、気づくことは難しい

512:神も仏も名無しさん
15/12/01 00:34:07.87 5eJTCtvs.net
>>511
生命は、無明どころか「全知全能」である。この広大な宇宙を認識し、それを
存在あらしめているのも生命。人類の発生以来、その営々たる生存努力によって、
如何なる宗教の奇跡も及ばないこの人類の巨大な文明・文化を作り上げたのも、生命
である。釈迦が、生命の驚異と神秘に思い至れなかっただけ。無明とは、釈迦の
ことであろう。
「我(生命)」は、変化してはならないのである。「三つ子の魂100まで」
という。生命を宗教観念で変化させたら、本末転倒であり、人間が人間では
なくなってしまう。史上及び現在の宗教戦争の惨状が、そのことを如実に証明
しているではないか。

513:神も仏も名無しさん
15/12/01 02:21:58.39 iUdWhKK5.net
 
> 生命は「全知全能」である
> 「我(生命)」は、変化してはならないのである
梵我一如(ぼんがいちにょ)
宇宙を支配する原理と個人を支配する原理が
同一である
ということに気づくこと
そして
サーンキヤ学派の
プルシャは永遠に変化することのない実体である
プルシャの観察(観照、関心)を契機に平衡が破れると
プラクリティから様々な原理が展開(流出)してゆくことになる
という感じでつね?
ご教示ありがとうございます!  隠居先生!

514:神も仏も名無しさん
15/12/01 02:36:24.51 iUdWhKK5.net
 
> 「我(生命)」は、変化してはならない
不動明王
中咒-ノウマク・サマンダ・バザラダン・センダマカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン
小咒-ナウマク・サマンダ・バザラダン・カン

515:神も仏も名無しさん
15/12/01 02:43:19.65 5eJTCtvs.net
>>513
手垢の付いた大昔の文献に頼らないで、すべてご自分の生命に問うてください。

516:神も仏も名無しさん
15/12/01 08:25:30.36 Cu91vAld.net
生命、生命とオームのように鳴くおあんさんが降臨してるけど、その生命が問題なんだよね。
その生命が厭わしくて、自殺するおあんさんも仰山この娑婆にはいるんだよね。
自殺しないまでも、四苦八苦している人も多くない?生命を謳歌して、これこそ神様だ、と
チミのように言う人は少ないんじゃない?
生命はないと喝破されたゴータマ尊者は、幸せないお方様と認められた聖者なんだが、
生命を否定した人が、幸せな人であるに対して、チミは正命こそ人を幸せにする神様だ、と言っているのだが、
真っ逆さまな見識だよね。
これってどういうことよ?
チミの生命とは、五感と第六の意なんだと思う。これをゴータマ尊者は、一切と教えられました。
それは生きてる人に所属してるからね。死んではその人は五感と意は発揮しない。
死んだ人についてはゴータマ尊者は、死んだ人はもう接触できないものとして、諦めなさい、と教えられました。
イエスキリストは、死人は死人に世話をさせなさい、と言われました。
死者を悲しんで、心を苦しめてはならないんですね。
ゴータマ尊者は自らの死については、生じたものはすべて滅する決まりのものだ、だから、自分もこの世界に誕生した以上、
滅するのであると言われました。しかしゴータマ尊者は、諸行無常、是消滅法、生滅滅己、寂静為楽、と言われました。
生滅のない世界があるのだ、そここそ安楽の世界ですよ、と教えられたのですよ。
生命のある世界、生命のない世界、これは縁起して存在してるもの。
縁起して存在してるものは、虚妄なもの、実体のないもの、だから生命に起因する一切の苦しみは、
妄想にすぎづ、真実は安楽の世界しかないのでつよ、と教えられてのでつ。
チミは単に、ゴータマ尊者の教えを拒否してるにすぎないのでつ。肉体はないのに、ないものを妄想して作り上げ、
それを大事にしようと、骨折っているのでつ。それこそ苦しみでつ。チミの生命は苦しみに他ならないのではないでつか?
大事たところでつからよーく考えましょう。

517:神も仏も名無しさん
15/12/01 08:47:13.10 Cu91vAld.net
>>516つづき
あるいは、チミは、ひょっとしてこのことを言っているのでは?
つまり、十善戒のうちの、五戒、を勧めているのではないのでつか?
生命は大事なものでつから、人を殺さないを堅持しましょう、人は大事なものでつから、人を騙さないようにしましょう、
同様に、人のものを盗まないように、人の女をかどわかさないようにしましょう、と。
そうですよ。この戒めを守るなら、それは、世界の真実への道を容易いものにしてるのでつよ。
この戒めを犯すことは、真実に反して、人間という肉体に固執すること、人間が心を持つということに固執すること、
人間が持ちものを持つという考えに固執すること、人間が情欲を持つのは当然だという考えに固執することに、なるのでつが、
戒めを守るならば、この考えから離れることになるからだと思います。
自分が真実に合一することは最大一の重要事です。チミがこの戒めを守ることは
他者を同じく真実に合一する道に引導することになり、これは自分を愛するように他者を愛することになるでしょう。
生命を損なわないとは、このように良い効果をもたらすのですよ。

518:神も仏も名無しさん
15/12/01 10:37:33.44 iUdWhKK5.net
 
> 自殺するおあんさんも仰山この娑婆にはいる
藤村操が華厳の滝の近くにある樫の木を削り、「巖頭之感(がんとうのかん)」と題する遺書を残した
岩の上で思う
天地は何者にもとらわれず、何んと余裕があることか
今は昔の時代とは、何んと遠くはるかに離れていることか
五尺(1メートル50センチほど)の小さな体でその大きさを測ろうとする
ホレーショの哲学はなんら専門的でも権威のあるものでもない
宇宙の真相はただ一言で言うことが出来る、「不可解である」と
私はこの恨みを胸に持って思い煩い、ついに死ぬ事を決断した
すでにこうして岩の上に立つことになって
私の胸の中には何の不安があるだろうか、なにもないのだ
非常に大きな悲観は、非常に大きい楽観とおなじであることを、始めて知った

519:神も仏も名無しさん
15/12/01 11:27:34.64 iUdWhKK5.net
 
色受想行識の仮和合は
地水火風空識による仮の現れなので
スッタニパータ 1119
つねによく気をつけ、自我に固執する見解をうち破って、世界すべてを空なりと観察せよと
みずからを灯明とし、みずからを依処として、法を灯明とし、法を依処として
仏が大悲・大智によって衆生に応じることを「加(加被)」
衆生がそれを受け入れることを「持(摂持)」と解釈し
因と縁の双方の縁起が相応一致することで
死後の成仏をはじめとする各種の効果を成就させる
一切諸法は大日如来と異ならない
大日如来は法界(世界)に遍満している
分別しようとしている想いを手放すことができるのなら
「地水火風空識による仮の現れ」と
「現れてくることもなく滅していくこともなく」によって形容されている仏との
両者の間にはわずかな違いも、最も微細な違いすらも存在しない(中論 25-19・20)
しかし
(変化しないものが)
有ると思う虚妄の執著である、遍計所執性が現れ(滅し)て
それ故に
掴もうとしている想いを手放していくことは難しい

520:神も仏も名無しさん
15/12/01 14:59:25.05 qNKd99VH.net
>>516
>その生命が厭わしくて、自殺するおあんさんも仰山この娑婆にはいるんだよね
自殺する人も、「生きたくてたまらないが、苦しみに耐えられない」から死ぬのだよ。
人類が、その発生以来、現在まで営々として生存を続け、ますます繁栄しているのは、
一体なぜか。生きるのが苦痛ばかりなら、人類はとっくに消滅していたはず。「苦が
あれば、必ず楽がある」という真理が、常に働いているからである。
どんなに苦しくても、人間は「今ここに生きている」ことに、無意識にでも最大の
喜びを感じているのである。「苦と闘う」こと自体が、実は、「生の喜び」を
もたらしているのである。人類のこの巨大な文明は、「苦との闘いと楽の追求」の
結果なのである。
「一切皆苦」などと、人間の真理に思い至れなかった、愚かな精神病者ゴータマに、
「尊者」などという敬称を付けるのは止めよう。「愚者」のほうが、はるかに
相応しい。

521:神も仏も名無しさん
15/12/01 15:30:48.67 iUdWhKK5.net
 
過去への想いも手放し
未来への想いも手放し
> 今ここに生きている
そして、更に
今への想いも手放していく
ご教示ありがとうございます!

522:神も仏も名無しさん
15/12/01 16:53:52.35 Cu91vAld.net
--------------------------------------------------------------------------------
■□■<2,ダニヤ>■□■
--------------------------------------------------------------------------------
18 牛飼いダニヤがいった、
「わたしはもう飯を炊き、乳を搾ってしまった。マヒー河の岸のほとりに、わたしは(妻子と)ともに住んでいます。わが小舎の屋根は葺かれ、火は点されている。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f)


523:神も仏も名無しさん
15/12/01 16:55:58.07 Cu91vAld.net
19 師は答えた、
「わたしは怒ることなく、心の頑迷さを離れている。マヒー河の岸のほとりに一夜の宿りをなす。わが小舎(すなわち自身)はあばかれ、(欲情の)火は消えた。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
20 牛飼いダニヤがいった、
「蚊も虻もいないし、牛どもは沼地に茂った草を食んで歩み、雨が降ってきても、かれらは堪え忍ぶであろう。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
21 師は答えた、
「わが筏はすでに組まれて、よくつくられていたが、激流を克服して、すでに渡りおわり、彼岸に到着している。もはや筏の必要はない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
22 牛飼いダニヤがいった、
「わが牧婦(=妻)は従順であり、貪ることがない。久しくともに住んできたが、わが意に適っている。かの女にいかなる悪のあるのをも聞いたことがない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
23 師は答えた、
「わが心は従順であり、解脱している。永いあいだ修養したので、よくととのえられている。わたしにはいかなる悪も存在しない。神よ、もしも雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
24 牛飼いダニヤがいった、
「私は自活しみずから養うものである。わが子らはみなともに住んで健やかである。かれらにいかなる悪のあるのをも聞いたことがない。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
25 師は答えた、
「わたしは何人の傭い人でもない。みずから得たものによって全世界を歩む。他人に傭われる必要はない。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
26 牛飼いダニヤがいった、
「未だ馴らされていない牛もいるし、乳を飲む仔牛もいる。孕んだ牝牛もいるし、交尾を欲する牝牛もいる。牝牛どもの主である牡牛もいる。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
27 師は答えた、
「未だ馴らされていない牛もいないし、乳を飲む仔牛もいない。孕んだ牝牛もいないし、交尾を欲する牝牛もいない。牝牛どもの主である牡牛もここにはいない。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」

524:神も仏も名無しさん
15/12/01 16:56:24.66 Cu91vAld.net
28 牛飼いダニヤがいった、
「牛を繋ぐ杭は、しっかり打ち込まれていて揺るがない。ムンジャ草でつくった新しい縄はよくなわれている。仔牛もこれを断つことができないであろう。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
29 師は答えた、
「牡牛のように結縛を断ち、臭い臭いのする蔓草を象のように踏みにじり、わたしくしはもはや母胎に入ることはないであろう。神よ、もし雨を降らそうと望むなら、雨を降らせよ。」
30 忽ちに大雲が現われて、雨を降らし、低地と丘とをみたした。神が雨を降らすのを聞いて、ダニヤは次のことを語った。
31 「われらは尊き師にお目にかかりました、われらの得たところは実に大きいのです。眼ある方よ。われらはあなたに帰依します。あなたはわれわれの師となってください。大いなる聖者よ。
32 妻もわたしもともに従順であります。幸せな人(ブッタ)のもとで清らかな修行を行いましょう。生死の彼岸に達して、苦しみを滅しましょう。」
33 悪魔パービマンがいった、
「子のある者は子について喜び、また牛ある者は牛について喜ぶ。人間の執著(しゅうじゃく)する元のものは喜びである。執著する元のない人は、実に喜ぶことがない。」
34 師は答えた、
子のある者は子について憂い、また牛ある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執著する元のもののない人は、憂うることがない。」

525:神も仏も名無しさん
15/12/01 17:11:08.40 Cu91vAld.net
>>520
>「苦が あれば、必ず楽がある」という真理
????
その楽と箔を伴っているものではないか?つまりくと楽は縁起関係にあるものだろう?
だとすれば必然的に、楽には苦が混入しているのだ。
だから、楽と思っているのは、泡沫の如しものだ。
そこで、チミは楽とは何か、苦とは何か、を聖者に聞いてみるべきだ。
聖者は、楽とは寂滅為楽、だと言っているが。それに反対なのか?

526:123
15/12/01 17:36:03.95 9lbazJj6.net
525.
寂滅為楽。
涅槃寂静。
その寂滅とか寂静とか言うのは、一種の状態である。
それは結果論である。
その結果の前提が問題となる。
その前提は、そういう状態ではないことが重要である。
だから、そう言う状態を目標とするのではない。
難解なり。

527:神も仏も名無しさん
15/12/01 18:08:42.91 iUdWhKK5.net
 
> そう言う状態を目標とするのではない
URLリンク(enlighten.fc2web.com)
普勧坐禅儀(ふかんざぜんぎ)道元禅師著
坐禅をするときは、静かな部屋ですべきであり、飲食に節度をもって
雑事を忘れ、全ての関わりから離れ、事の是非
善悪を思わず、心に念が浮かぶことも意識に想像することも
何かを観じるという認識作用も働かせてはならず
また仏に成ろうと思ってもいけない
URLリンク(www.myoshinji.or.jp)
臨済宗 大本山  妙心寺
曹洞宗は黙照禅(もくしょうぜん)と言われ
「人は本来清浄な心を元々持っているのであるから、悟りを求める必要はない」と言う立場から
ひたすら黙々と坐禅する只管打坐(しかんたざ)を説きます
URLリンク(dictionary.goo.ne.jp)
「自分の方から働きかけていく」という想いも手放し
「周囲環境の方から働きかけてくる」という想いも手放し
余念を交えず、ただひたすら座禅する、只管打坐

528:神も仏も名無しさん
15/12/01 19:11:40.98 Cu91vAld.net
>>526
涅槃寂静という状態はもともとある状態である。
諸行無常の世界は、人間の欲心の世界である。
この欲心を抑制し、ついには滅した時、涅槃寂静の状態に達するのではないか。
欲心の世界は縁起の世界だ。縁起の世界が滅すると自然に寂静になるのだ。
だから、寂静の世界は縁起しているものではないだろう。つまり実体として存在してる世界なのだ。

529:神も仏も名無しさん
15/12/01 20:13:25.47 twBdV0TO.net
>>521
煩悩は「生きていることの証(あかし)」。煩悩が無くなれば、それは「死」
である。死ねば、釈迦も、宗教も、悟りも、へちまみない。
煩悩は、究極的には、死の危険への警告。生存に不可欠な心的機能。「除去す
べき異物」などではない。感謝して受け入れ、処理することにより、煩悩は煩
悩では無くなり、大いなる恩寵、よりよき生への原動力に変容する。

530:神も仏も名無しさん
15/12/01 20:22:37.42 kgxsXBZn.net
>>529
>受け入れ、処理することにより
「処理」が必要じゃんwww
処理方法を84000通り示してるのが仏教なのにw

531:神も仏も名無しさん
15/12/01 20:24:03.30 kgxsXBZn.net
隠居や紐は、頭のネジが2・3本足りないとしか思えんなw

532:神も仏も名無しさん
15/12/01 20:25:41.41 twBdV0TO.net
>>525
「苦楽」は相対概念。「苦」がなければ、「楽」も存在し得ない。「楽」だけの
世界は、「苦」だけの世界と全く同じであることを、理解しよう。
「清濁」「正邪」「美醜」「善悪」「正誤」などについても全く同じ。それを
すべて併せ持つのが、人間が人間たる所以である。すべて、状況に応じて生命
(肉体)を維持するために、肉体から発生する心的機能。

533:神も仏も名無しさん
15/12/01 20:30:50.09 iUdWhKK5.net
 
> 煩悩は煩悩では無くなり
煩悩即菩提
煩悩があるからこそ悟りを求めようとする心、つまり菩提心も生まれる
と考えられるようになった
煩悩と菩提は分けようとしても分けられず、相(あい)即(そく)して存在する
これを而二不二(ににふに)といい、二つであってしかも二つではないとする
宇宙を支配する原理と個人を支配する原理は同一である
一切諸法は大日如来と異ならない
大日如来は法界(世界)に遍満している

ご教示ありがとうございます
オン サラバ タタギャタ ハンナマンナ ノゥ キャロミ
一切の如来の御足を礼拝し奉る

534:神も仏も名無しさん
15/12/01 20:36:37.31 twBdV0TO.net
>>530
煩悩の処理は簡単。煩悩を満足させてやるだけでよい。腹が減れば、
飯を食う。病気なら、治療する。金がなければ、働く。他人に腹が立てば、
自己中心主義を止めて、その他人の立場になる。
それによって初めて、自他の生存が可能になる。
人類の発生以来、人間社会(生存共同体)は、そのようにして、成立・
維持されているのである。

535:神も仏も名無しさん
15/12/01 20:42:00.31 kgxsXBZn.net

>>534
20世紀、及び、今現在、
煩悩を満足させようとしてきたことのツケを、
人類全員、地球全体で払う羽目になってることを忘れてるとはな・・・ ┐(´ー‘)┌

536:神も仏も名無しさん
15/12/01 20:48:28.34 iUdWhKK5.net
 
> 紐は、頭のネジが2・3本足りないとしか思えんな
それゆえに
地水火風空識に依存して仮に現れ(滅し)ている
おじゃるも
紐くんも
脳みそが、くるくるパーであると
『 仮名の空 』 を以って説いた!
中論觀四諦品第二十四

537:神も仏も名無しさん
15/12/01 20:48:35.36 twBdV0TO.net
「煩悩を満足させないで去りたい」という煩悩こそ、最悪の煩悩。最大の
苦としての死に至る。
煩悩は、生命維持のために生命から発する不可決な機能。満足させる
ことなく排除してはならないもの。

538:神も仏も名無しさん
15/12/01 21:39:19.95 kgxsXBZn.net
>>537
はぐらかすなよw
先進国が煩悩の充足を極め切って「賢者モード」になったから、
発展途上国が煩悩の充足を目指すことを阻害しようとしてるんじゃないかw

COP21にも伺える構図が見えないか?w

539:超次元導師 ◆mnR0C8EG98xy
15/12/01 21:56:12.95 4vVm2EFJ.net
脳が煩うから煩悩、きれいなお姉ちゃんを見るとなる奴です
脳を殺すから悩殺、ムフフなポーズ
この時の漢字のへんの変化が重要
体から心に変わる
そんなもの

540:神も仏も名無しさん
15/12/01 22:19:24.92 iUdWhKK5.net
 
> きれいなお姉ちゃんを見るとなる
美人で可愛い女性とデートしたことがあるけど
まったく会話が、かみあうことがなかった
今では
「(会話が、かみあわなかったので)お付き合いしなくて良かった」と思ってます
長く、お付き合いするのなら
「会話が、かみあう人じゃないと無理!」という感じでつ

541:神も仏も名無しさん
15/12/01 22:41:26.14 twBdV0TO.net
>>538
国際化が進んだ現代において、先進国の恩恵を受けていない後進国は皆無。
土人でも、しゃれたシャツを着て、靴を履いている。
中国人の日本における爆買いを見よw。

542:神も仏も名無しさん
15/12/01 23:26:11.37 iUdWhKK5.net
 
> 中国人(煩悩)の日本における爆買いを見よ
日本全国土が
中国人(煩悩)に買収されちゃうのかしらん?
心配でつ!

543:神も仏も名無しさん
15/12/01 23:31:06.84 kgxsXBZn.net
>>541
相変わらずマジで馬鹿だなw
お釈迦さんが、
「俺は子供まで作ってセックス三昧したけど、お前ら弟子たちはソレ禁止な」
というのと同じだが?w
先進国が、
「俺は二酸化炭素出しまくってすげー発展したけど、お前らこれからの国はソレ禁止な」
と。
ふ~ん、御隠居はお釈迦さん側の意見なんだwww

544:神も仏も名無しさん
15/12/01 23:38:28.51 g7CRFZ6I.net
阿含宗桐山教祖の逮捕歴
昭和二十七年八月十六日詐欺容疑、契約違反の容疑で逮捕
警視庁西新井署
十二月手形詐欺容疑で逮捕
千葉県松戸署
二十八年八月酒税法違反私文書偽造容疑逮捕
警視庁防犯課
二十九年三月酒税法違反私文書偽造に対する第一審判決
五月入所
十月東京高裁酒税法と私文書偽造により有罪

545:神も仏も名無しさん
15/12/02 02:50:10.92 1IxQi2oD.net
>>525
「寂滅を以って楽と為す」
と読めない・読まないものに寂滅為楽のままではどうかと思われますよ。

546:神も仏も名無しさん
15/12/02 03:07:27.01 g4CfGPys.net
ちょっと分かったことを書こうと思う。
「存在」というものを正確に定義すると、「全く変化せずに、時間的に継続できる同一のもの。」 ということになる。

あっ、誰か来た。  つづきはまた今度。

547:神も仏も名無しさん
15/12/02 03:21:09.71 Hb3ifad/.net
「諸行無常 是生滅法 生滅滅已 寂滅為楽」
読み下し
(諸行は無常なり 是れ生滅の法なり 生滅を滅し已わりて 寂滅を楽となす)
諸行とは六根(眼耳鼻舌身意)十二処(眼触耳触鼻触舌触身触意触)十八界(眼識耳識鼻識舌識身識意識)
無常とは始まりがあり終わりがある真実の事
生滅とは無常なる真実がいつも直面していると言う事実の事
法とは全ての作用の事
生滅を滅し已わりとは生滅の事実から抜け出す(解脱する)事
寂滅とは生まれない事
業報有りて而も作者なし、この陰滅し已わって(次には直ぐに)異陰相続す(第一義空経)
各々方はその目で今2ちゃんを見ている。
試しに家の天上を見てみよう。
家の天井を見ている目玉の中に、先程あった2ちゃんは何処へ行ったのだろうか?
今度はまた2ちゃんを見てみよう。
2ちゃんを見ながら考えてみてくれ、先程目玉の中にあった天上は何処へ行ったのだろうかと。
これが上記の経の言う異陰相続と言う意味になり、相続するには搬送基盤が無ければ成立出来ない真理を説き明かしている。
生きている内なら心なる搬送基盤は壊れていないので、目玉の中の像の様に、瞬間瞬間の縁起に応じて思いが生じ
その思いに応じて心は輪廻の転回を始めて手放しでは止まらなくなるのである。この対処が四念処だったり四禅だったり八正道なのであり
死んだら心の搬送基盤は失うので、心の輪廻は強制終了するのである。
死んで強制終了できるのが心なる事実ならば、瞑想や八正道で十分止められると言う証拠でもある。
思考を止めれば寂滅為楽なのだから簡単だろう。

548:123
15/12/02 06:57:34.32 3l1ngR61.net
547.
思考を止めれば寂滅為楽か。
それでは無になってしまう。死んで強制終了か。
寂滅するための条件が問題となる。
それは無となることではない。
それは思考停止ではない。
それでは何か。そこが問題である。

549:神も仏も名無しさん
15/12/02 10:36:46.85 g4CfGPys.net
たとえば、リンゴが1日目、2日目、3日目と腐っていくとする。
1日目のリンゴと3日目のリンゴはその形態が違うはずだが、「同じリンゴ」というわけだよね?
通常、諸行無常の説明としては、「あらゆる『もの』は変化していく」と、表現される。
『もの』が変化していくだけで、『もの』自体はつづいていくわけだよね?
ではその『もの』とは何か・・・?
表面上、あるいは内面も変化していく中で、時間を越えて変わらない『もの』がある。 とされる。
リンゴが腐っていく。 リンゴは変化していくが、同じ『リンゴ』というものは時間を越えて継続していくというわけだ。
リンゴの実体ということであろうか?
1日目と3日目のリンゴが同じということであるならば、存在の定義として、「時間が経っても変わらない実体」を出さなくてはならない。
諸行無常の表現として、「リンゴが腐っていく、だから諸行無常なんだ」と言われるが、
本当の意味の諸行無常というは、そこで止まらない。
リンゴという実体は変わらずにただ表面上が変化していくということではなく、
そのリンゴ自体の実体も、1秒も同じ物はつづかないということを意味している。
もし、「いや~、リンゴが変化していくだけで、リンゴ自体は変わらないだろ」と、いうのなら、
その変わらない「リンゴ自体」を出さないといけない。
「前のもの」と「後のもの」が全く同一のものであることを証明するには、「全く変わらない共通する何か」を出さなくてはいけない。
われわれ人間・生物は、「物が継続している」と見るとき、つまり「存在している」と見るとき、
前のものと後のものが同じものであることを確認しているから、「物が継続している」「存在している」と確認できるわけだよね?
共通の部分があるから、確認できる。
人間の知覚能力を使い、記憶で照合しているから、同じ物が継続していると認識できる。
「昨日の車」と「今日の壊れた車」が同じであると分かるのは、その車の形状の同じ部分の一致点を見いだしているか、
同じ位置や状況を推測しているからだけど、何かの共通点を探していることには違いはない。
なので、人間の知覚能力で一致点を見いだせないほど共通点が破壊されていれば、
同じ物として認識出来ない。

550:123
15/12/02 10:53:28.86 3l1ngR61.net
549.
物質の変化は物理学、化学の問題である。
それが宗教問題となるのか。
そこが問題である。
存在の問題は宗教問題とはならないものである。

551:神も仏も名無しさん
15/12/02 11:17:52.08 g4CfGPys.net
もしも人間の知覚能力を越えて一致点を見いだせないというのであれば、科学的手法を使うことになるよね。
それでも、あくまでも存在の継続を確認するのは、「一致点を見いだすこと」だ。
たとえば、死体の損傷が激しくて、人間の知覚能力では「同じ人」と判断できない場合、DNAや歯型に一致点を求めることになる
ここでも、あくまで存在の継承を確認するのは「一致点」だ。
どんなものでも「一致点」が見いだせなければ、「前のもの」と「後のもの」が同じだということを証明出来ない。
なので、もし、「同じリンゴはつづいていて、腐っていくという現象・変化が起きているのだ」、というのならば、
そのリンゴがつづいていると言える、前後で変わらない共通部分を出さなくてはならなくなる。
もしも前後で全く共通する部分が見いだせなければ、同一物とは言えなくなる。
たとえば、全く同じ顔で、姿形は全く同じ。 しぐさ、思考方法、雰囲気までそっくりな人を作り上げることが出来たら、
それが友人や家族と入れ替わった場合、疑いもなく、まったく同じ人間に見えるだろう。
完全に共通しているため、全く同じ人間に見えるからだ。
このように、人間が存在を確認するときは、人間の知覚能力に頼っていることが分かる。
それはある特定の範囲の能力なんだよね。
つまり人間は日常生活において、非常に限定された能力で存在を認識しているということ。
能力を越える場合は、科学的手法によって、一致点を見いだすことになる。
遠くのものを確認するには望遠鏡を、微細なものを確認するには電子顕微鏡を、
あるいは化学反応を、あるいは音響鑑定、内部を透過するレントゲンなど、
あらゆる知覚能力を補う手法を用いるが、全く変わらないものが継続するという「存在」を確認するにはやはり、
「完全な一致点」を探すということだ。
もしも完全なDNAの複製が出来、その他の特徴もまったく瓜二つの人間を作ることが出来たら、もはやそれは、
同一人物そのものということになってしまう。
違う点が見つからないからだ。

552:神も仏も名無しさん
15/12/02 11:20:41.88 g4CfGPys.net
われわれは共通点というものを漠然と捉えて存在というものを確認しているんだよ。
日常生活では人間の知覚能力を使って・・・、ということは、限定された能力の中で存在を確認しているということになる。
つまり、本当に同一のものか、深いところで確認できていないということ。
もちろん、人間の知覚能力であれば、日常生活ではまったく問題なく存在を確認していくことが出来る。
より深い認識で存在を確認しようとするとDNAなどの科学的手法になるが、
それでもDNAのもっと奥深く、素粒子レベルまで見ると、全く同一とはいえない。
どこまでいっても完全な同一の確認など出来ない。
つまり、「全く同一のものが、時間を経過していく・・」ということは、ありえないということになる。
前のものと後のものは、「全く同一のものとは言えない」、ということになる。
これが諸行無常の原理だ。
われわれの世界は1秒足りとも、「存在する」ということが有り得ない。

553:神も仏も名無しさん
15/12/02 14:10:52.66 KCKtP62H.net
物が「変わる」ということは、その基点としての当初の「変わらない状態」の
存在を前提としている。常に変動している物があるとすれば、その変動している
状態が「常」である。従って、「諸行無常」という命題は誤りである。
素粒子学的には、すべての物質は、超高速で運動する総粒子の関係的集合体である。
しかし「人間には」、それが固定した実体に見える。その理由は、誰にもわからない。
そして、そのような固定の概念に基づき、人間社会も、世界も成立している。
そのことの方が、より重要で、神秘ではないか。
プラトンは、人間は、洞窟の入り口にある松明に照らされた影を見ている洞窟内の
囚人だという。しかし、人間と言う種属にとっては、その松明は絶対に見えない
のだから、考えても無意味・無駄、単なる妄想である。若しそれが見えたら、
人間としては狂気の発生ということになる。
「人間は、動物の一種属」という前提を忘れた人間を、人間界では狂人と呼ぶ。
精神病とは、「現実(即ち人間が知覚できる世界)との接触の喪失(loss of
contact with reality)」と定義される。

554:神も仏も名無しさん
15/12/02 14:28:17.47 KCKtP62H.net
時間とは、「物の変化」のことである。物を離れて時間の概念は存在し得ない。
昔は、太陽や水の動きで時間を計測した。現代では、原子の振動である。
物理的時間に対して、「心理的時間」は、単なる心理現象。時と場合によって
ばらばらだから、普遍的な基準にはなりえない。
変化している実在の「構成」は、その変化、即ち時間を止めなければ解明できない。
動いている機械は、その動きを止めなければ、その構造はわからない。
時間を否定することにより、「もろもろの実在」の構成を解明したのが、中論
である。

555:神も仏も名無しさん
15/12/02 14:48:09.01 aXOdCkHp.net
 
> 時間を否定することにより
> 「もろもろの実在」の構成を解明したのが
> 中論である
(難しくて理解できないけど、それでも、とりあえず)
ご教示ありがとうございます m(_ _)m

556:神も仏も名無しさん
15/12/02 16:14:14.82 Hb3ifad/.net
>>548
そのあなたの心 からのお喋りを止めてみなはれ。
心からのお喋りを止めてみたところで、あなたは無になどならないし消えたりしませんから。
デビットカッパーフィールドのイリュージョンじゃあるまいし、何のお喋りをしてるのかと。

557:神も仏も名無しさん
15/12/02 16:23:12.55 Hb3ifad/.net
>>550
縁起は宗教的でもあり哲学的でもあり科学的でもある。
科学じゃ縁起は言わないかも知れないが因果は言うだろう?
実存の如何は常に宗教的論点の的だったろうに。
「それ」は「如何に」して「存在」し得るのか。
「想う」故に「吾」はある、問題は「想わない」ならどうか?
こんなのは常に宗教的だったろうに。

558:神も仏も名無しさん
15/12/02 17:34:35.10 Hb3ifad/.net
>>554
>時間を否定することにより、「もろもろの実在」の構成を解明したのが、中論である。
アホw
時間を否定したら縁起を否定しちゃうだろ。
縁起は如何にしても止まらないし止められない。
故に、時間を否定する事も出来ない。
また、そもそも「否定」と思考する時点で戯論。
この世界で戯論に捉われてるのは有情だけ。
天然自然のこの世界は有情が動かしてる訳では無い。

559:神も仏も名無しさん
15/12/02 17:41:41.76 NuDEEZ4g.net
生命生命と鳴く恰好鳥がいるのだが、そのおあんさんに聞きたいものよね。
人が誕生して生命を有するに至るということは、生命が死亡を相手方として存在できる
、相依性のもの、即ち縁起の所産だとすれば、生命が滅するときは相手方の死も滅することになる。
「これ滅すれば、彼滅す」というわけで。
で、結論として、生命というものは、個体的実体なものとして存在していない、とするんだよね。
そして生命とその死亡があったところには、無相、一相なものが現れるのであり、それが実体ある実相というのである、ね。

560:神も仏も名無しさん
15/12/02 17:55:56.36 Hb3ifad/.net
>>559
実体ある実相って、何?
実相は無相なのだから実体が有っちゃ無相にならないでしょ。
いいかな?
生があって滅がある、とするのが有相なのよ。
世間は真実が解らないから一応生滅を方便するけれども
実相としてこの世界は無相なのだから、本当は生も滅も有り得ないのよ。
だから中論でも冒頭に八不で不生不滅ってのたまってる訳。
人の通常の感覚では、人には寿命があって、オギャっと生まれていつか死ぬ。
そこだけで判断してしまう。
精子や卵子は無関係なのかな?
骨と灰とガスとは無関係なのかな?
確かに人間とは言えないだろうけどさ、その人間で居られる範囲だけで論じてしまうから
仏法は中々理解出来ない、故に何で不死の法と言われるのかも解らないままになってしまうと。

561:神も仏も名無しさん
15/12/02 19:01:10.99 Mxu2FoXX.net
>>558
釈迦の縁起は、時間的因果関係。忌むべき業報論を維持するための論理に過ぎない。
実在は、時間的因果関係で常に変動しているのだから、釈迦の時間的縁起では、
その空間的構成を把握することができない。その把握は、時間を否定した中論の
空により、初めて可能になる。
動いている機械の構成は、その機械を止めない限り、絶対に把握できない。

562:神も仏も名無しさん
15/12/02 19:06:12.23 Mxu2FoXX.net
>>558
「天然自然のこの世界」を認識して存在たらしめているのは、生命のみ。
生命が認識しなければ、存在するとはいえない。誰が、その存在を証明
するのか。

563:神も仏も名無しさん
15/12/02 19:19:29.70 Mxu2FoXX.net
有情の世界は、徹頭徹尾、「生存共同体」。生命は、独りでは、絶対に維持
できない。
デカルトが、いくら我ありと言ってみても、他者が彼の肉体を認識しなければ、
我は無い。釈迦が、いくら無我を唱えてみても、他者が彼の肉体を認識すれば、
我は有る。
両者とも、人間の本質としての「共同体性」に思い至っていない。

564:神も仏も名無しさん
15/12/02 20:05:02.23 s/GSw6IG.net
>>563
御隠居! さすがにそれは乱暴過ぎるだろw
>他者が彼の肉体を認識しなければ、我は無い
無人島や深山幽谷で一人過ごす者も、
「オレ」という感覚を失うことはない。
仮に、「他者の認識」よりも緩い「他からの干渉」に依存するならば、
動物がいるから?植物がいるから?
日没や気候等、外的干渉があるから? しかし、それらは、
そうした『外的刺激の感受』によって成立するよな? 違うの?
また、仮に、【そうした外的干渉に依る】のだと見做したとしても、
そうした、《干渉》《外的刺激》を、
【感受し】【情報処理し】【認識する】という行程がなければ無意味じゃないか?w
特に隠居理論でいけば。
それは、「他者が」「彼を」「認識する」かどうかとは無関係の、全くの別問題だ。
また、意識は自己フィードバックするわけで、
そこにこそ着目したのがデカルトなんじゃねーの?www
こういう隠居を持ちあげてるんだから、紐のレベルも推して知るべし、と・・w

565:神も仏も名無しさん
15/12/02 20:32:47.86 8z0ZuOk/.net
ご隠居に哲学のセンスはないよ。
哲学は書かれたテキストの内容よりも、それが書かれるにいたった
問題意識を共有していないと、そこからはなにも読み取れない。
デカルトのテキストに書かれているのは、
「疑って疑ってなお疑って、それでも疑いきれないものは何か」。
こういう問題意識が立ちあらわれる前提を感得していないと。

566:神も仏も名無しさん
15/12/02 21:35:10.64 Mxu2FoXX.net
>>564
>無人島や深山幽谷で一人過ごす者も、
>「オレ」という感覚を失うことはない。
社会にとっては、存在しないも同然。一般に、7年以上行方不明だと、失踪宣告が
出され死者扱いにされる。
「オレという感覚」が、妄想ではないという証明は、自分では不可能。
釈迦は、それは妄想だとさえ言っている。

567:神も仏も名無しさん
15/12/02 21:38:15.19 Mxu2FoXX.net
>>565
デカルトは、神の存在は疑いきれなかった。彼のコギトは、すべて崩壊。

568:神も仏も名無しさん
15/12/02 21:59:33.44 aXOdCkHp.net
 
> 釈迦は、それは妄想だとさえ言っている
  …  …  …
プルシャは永遠に変化することのない実体である
プルシャの観察(観照、関心)を契機に平衡が破れると
プラクリティから様々な原理が展開(流出)してゆくことになる
我は、常住であり
他との何らの関係をもたないで単独で存在することができるものと考え
それは働きのうえで自由自在の力をもつとした
この我によって人間生存は根拠付けられ、支配されていると考えるのである
釈迦は
このような実我観念を批判し
「我として認められるものはない」として、諸法無我と説いた
これを色受想行識の五蘊について説き
生物(衆生)は無常である
五蘊の仮和合したものであるから
我は
(地水火風空識に依存して現れ(滅し)ている)
(仮設としての)
仮りの存在であると説いた

569:神も仏も名無しさん
15/12/02 22:11:35.56 s/GSw6IG.net
>>566
ほんと、浅いな・・。
所謂「妄想」「思い込み」「理想の投影たる生活の中の各種設定」.、
或いは(今日の相棒じゃないがw)多重人格等も、
自己意識の過剰なフィードバックに依るわけだが・・・。
>「オレという感覚」が、妄想ではないという証明は、自分では不可能
まさに、>「オレという感覚」 は、>妄想 的に、
(自己フィードバックを、その機構として)心的事象として生じるが故に、
自身では、その真偽を判別し得ないわけさ。デカルトのようにね。

御隠居・・、さすがに今回のレスは浅すぎるわ・・。

570:神も仏も名無しさん
15/12/03 01:40:35.75 jljJ4gqe.net
>>568
>五蘊の仮和合したものであるから
「仮」和合というのなら、そのほかに「本」和合があるのか?すべてが「仮」和合なら、
「仮」和合が「本」和合であり、「仮」という言葉を使うのは、無駄なこと。
すべてが「仮設」住宅なら、「仮設」住宅が、「狭いながらも楽しい我が家」である。

571:神も仏も名無しさん
15/12/03 01:54:12.71 jljJ4gqe.net
「己の我を以って無我を説いた釈迦」
「すべてを疑えと言いながら、神は疑えなかったデカルト」
世界の「二大コント」であるw。
バークリーも同じ失敗をやった。「実在とは、知覚されることである」
という名言を吐きながら、「庭の樹木が、見ていない時でも実在してい
るのは何故か」と突っ込まれて、「神が見ているから」と言ってしまった。しかし、
神は知覚できないから、実在しないはずであるw。

572:神も仏も名無しさん
15/12/03 02:04:37.16 Eqo7kXMd.net
>>511
ご隠居は実在についてどう考えますか?
>「実在とは、知覚されることである」という名言を吐きながら、
ご隠居がこれに同意されるのなら、
>「庭の樹木が、見ていない時でも実在しているのは何故か」
という突っ込みにどう答えますか?

573:神も仏も名無しさん
15/12/03 02:46:05.88 jljJ4gqe.net
>>572
いい突込みするね。感心した。
(1)人間は、己の知覚を記憶して、他者に伝える能力を有する。
(2)自分が知覚した庭の樹木は、他人を連れてくれば、いつでも同様に知覚
   できる状態にある。
そのほかに、あなたご自身の答えがあれば、教えて下さい。

574:神も仏も名無しさん
15/12/03 03:18:07.77 jljJ4gqe.net
>>573への追加
庭の樹木は、見ていない間に、ドロボー団が切って持ってゆき無くなっている
かもしれない。それでもドロボーたちは、樹木を知覚している。

575:神も仏も名無しさん
15/12/03 03:20:41.38 +m2Hi+nI.net
 
中観自立派
火にも、自相がある
誰かが
分別しても
分別しなくても、熱さや燃焼作用がある

中観帰謬派
火も、自相ではない
誰かが
無常を常であると思い、苦を楽であると思い、無我を我であると思い、不浄を浄であると思い
顛倒(てんどう)し
妄想し
分別して、その法が火として設定される
「誰も気づいていない山火事」も
いま我らによって
無常を常であると思い、苦を楽であると思い、無我を我であると思い、不浄を浄であると思い
顛倒(てんどう)し
妄想し
分別されている

576:神も仏も名無しさん
15/12/03 03:30:20.48 +m2Hi+nI.net
 
中観自立派
誰かが
分別しても
分別しなくても
ドロボーが庭の樹木を切って持ち去っていった

中観帰謬派
誰かが
無常を常であると思い、苦を楽であると思い、無我を我であると思い、不浄を浄であると思い
顛倒(てんどう)し
妄想し
分別して
ドロボーが庭の樹木を切って持ち去っていった
として設定される
「ドロボーが庭の樹木を切って持ち去っていった」も
いま我らによって
無常を常であると思い、苦を楽であると思い、無我を我であると思い、不浄を浄であると思い
顛倒(てんどう)し
妄想し
分別されている

577:神も仏も名無しさん
15/12/03 04:11:42.53 52HaVKAQ.net
おじゃるは五下分結を離れられたのかな、その様に読める気がする。
それならお目出度い事だが。

578:神も仏も名無しさん
15/12/03 05:19:21.71 +m2Hi+nI.net
 
> おじゃるは五下分結を離れられたのかな
(自らを特別な存在として妄信することは)
存在しないにも関わらず
(自らを特別な存在として妄信することが)
有ると思う虚妄の執著である遍計所執性が現れ(滅し)ているので
それゆえに
URLリンク(ecx.images-amazon.com)
朝霧の巫女 弐 [DVD] 2002/12/25
第5話  集結巫女委員会
URLリンク(www.anitube.se)
↑これを見て『巫女さん萌え~ッ!』という想いが現れ(滅し)ているので
五下分結を離れてない  おじゃる♪

579:神も仏も名無しさん
15/12/03 06:18:00.08 hx+bMAjm.net
>>553
あなたの言うとおり、「変動」というのは何かの「基点」を掴んでいるということだよね。
目の前のパソコンが変化していく・・・。
パソコンに基点を置くから、それが変化(変動)しているように見えるんだよ。
基点が無かったら何が変化していると言える・・・?
何もないじゃないか。
では、あなたは「変動している」と言ったが、一体「何が」?
「何が」変動しているの?
変動の主体を打ち出さないといけないんだよ。 
でないと何が変動するんだ?
じゃあ、常に変動しているのに、そんな基点が存在できると思うか?
できるわけないだろ、このうすらトンカチ。

580:神も仏も名無しさん
15/12/03 08:00:03.69 VNfnYBq4.net
君は十悪、とりま悪口。

581:123
15/12/03 09:50:37.01 qT/FZngT.net
579.
変動か。
それは外部の物理学の問題である。
旗が動くか、風が動くか。
それは外部の問題である。
それによって心が動くか。
それが不動心のの問題である。
不動心を持て。答えは簡単である。
だが実現は出来ない。
なんでか。それは物理学をやっているからである。

582:神も仏も名無しさん
15/12/03 09:59:01.40 AIqdHp8K.net
>>579
「変動」とは「固定」の相対概念。固定があるから変動がある。釈迦がいう
ように、すべてが無なら、変動の主体がない。
常に変動しているものは、変動が常態。「行くものは行かず」である。

583:神も仏も名無しさん
15/12/03 10:13:58.60 AIqdHp8K.net
>>579
変動する物も、刹那においては固定している。流れる川の水も、刹那においては、
固定した水である。

584:神も仏も名無しさん
15/12/03 10:25:39.87 4axRBhQC.net
>常に変動しているものは、変動が常態。「行くものは行かず」である。
間違ってるね。
移動する物体は「行く」でも「行かない」でもない、敢えて言うなら事実として「移動」する・してるだけ。
「行く」「行かない」「移動する・してる・しない」は物体を指してるつもりで、それは物体自体ではない。
故に、それは表象なので「何処へも行かない・移動しない」
相対概念も悪く言えば妄想の産物に過ぎないので、それは事実ではなく心上でのイメージなんだよ。
中論の去来の考察は、名色の「名(表象)」を論じていて、それはどこまで行っても妄想を事実と断定して言うから矛盾するって指摘。
我々は「色(物体)」を直に論じる事が出来ない、何故なら物体は勝義に相当するから。
言葉にだして「あれ」と指した時点でそれは「あれ」ではなくなる、と言うのが去来の考察の趣旨。

585:神も仏も名無しさん
15/12/03 10:28:45.98 4axRBhQC.net
>>583
はいダメ。
そう言うものの見方が三世実有法体恒有になっちゃうのよ~ん。

586:神も仏も名無しさん
15/12/03 11:00:16.03 AIqdHp8K.net
>>584
人類は、その発生以来、その五感に映じる対象を、実体(実在、物質)、そう
でない対象を非実在、空想、妄想と区別して生きているのですよ。人間でない
方は、お引取りください。人間界では、話が通じません。
人間は、実在に100%依存しなければ一瞬も生きられないのだから、いくら
無を語ってみても無駄な話です。あなたが今生きている大地が無なら、あなたは
一蹴にして奈落の底です。お釈迦さんでも同じ。
この世界は、すべてが「相互依存性・関係性・相対性」(中論の空)によって
成立しています。世界をよーく観察してみてください。

587:神も仏も名無しさん
15/12/03 13:34:36.68 hx+bMAjm.net
>>582
あー、わかった。
あなたは「諸行無常」のことを、「変動」と捉えてるんだよ。
ちがう。
無常とは、「一定の固定がない」ということ。
変動の主体すらない。
主体が無いのに、何が「変動」する?
変動することなんてないんだよ。
凡夫には変動しているように見える。
そこで説法する人が、「すべて変動しているように見えるでしょ?  留まってないでしょ?
だから一定の物なんて無いんですよ。 固定された『存在』というものはないんですよ。」
と言ってるわけ。
「変動」自体が「諸行無常」ということではなくて、「変動」から「諸行無常」が導き出されるんだよ。
「変動」というのは凡夫の目に見えること。
「在るように見えるものが変動しているのは…、」 という前置きなんだよ
「在るように見える」から、「変動しているように見える」、と言ってるわけ。
「変動」という時点ではまだ物事を捉えてるんだよ。
「変動する物」を捉えちゃってる。
「在るように見える」から、→ 「変動してるように見える」 → (変動というのは時間の経過を現す。)
「生老死苦」が生じる。
「生老死」が生ずるということは、「物事が在る」と見ているからだ。
「物事が在る」と見ているから、「生老死(変動)」が生まれる。

588:神も仏も名無しさん
15/12/03 14:06:11.78 hx+bMAjm.net
>>582
「諸行無常」は=そのまま「諸法無我」ということを現してるんだけど、
「変動」=「諸法無我」ということじゃない。
「変動」はある「もの」を捉え、その「もの」の時間の経過を見ているからだ。
時間が存在するということは、時間の対象が存在するということだ。
時間の対象とは何だ?  
大まかに言ってこの「世界」だ。
「世界」は存在しない。 ゆえに「時間」は存在しない。
たとえば、「パンがカビていく」という時、「パン」という主体が「カビる」という「変動」を起こすわけだよね?
「パン」というものの「変動」を見ている。
つまり、「パン」という固定された存在を意識してるわけだよ。
前にも言ったとおり、「パン」という固定された実体は、どこをどう探しても出てこないわけ。
「パンという固定された実体」があって、それが「変動してるように見える」
その「固定が無いんですよ」、というのが「諸行無常」ということなんだよ。
なので正確に言うと、「パンがカビて(変動して)いく」 → 「だから諸行無常なんだ」 
というのは間違い。
「時間の経過」が「諸行無常」なんじゃなくて、「時間が無い」ということが「諸行無常」なんだよ。
時間があるから、ありとあらゆる「生滅」が存在する。
時間を掴むということは、存在を掴んでるのと同じ。
そして存在(固定された存在)を掴むということは、諸行無常に反するんだよ。
何物も一定した存在は無いから、何かを対象とした時間も存在しない。
「時間」、つまり、「変動」も存在しない。
変動する、しない、というのは、その対象が存在するということ。
なので、対象(固定された存在)が存在しなければ、「変動することも無く、変動しないことも無い。」 
ということになる。
「不生不滅」「不垢不淨」「不増不減」とは、対象が存在しないことを現している。
対象が存在しないものに、「変動」ということがあるわけがない。
ゆえに、もし「変動が常である」というなら、それは「諸行無常」ではない。

589:神も仏も名無しさん
15/12/03 14:21:22.61 hx+bMAjm.net
「諸行無常」=「諸法無我」=「空」=「縁起」=「中道」
ということ。

590:123
15/12/03 16:21:59.14 qT/FZngT.net
588.
対象は存在しない、か。
物理学では対象は存在する。
宗教では対象が存在しても、しなくても、どちらでも良い。
なんでか。
584のように存在を、その表彰に置き換えても良い。
なんでか。
それは、宗教は対象の問題、存在の問題ではないからである。

591:神も仏も名無しさん
15/12/03 17:00:04.44 AIqdHp8K.net
>>590
科学は、すべての生物・無生物、全世界、全宇宙を対象とする。
特定の開祖とその教義「のみ」に執着し、世界が判らなくなっている
のが創唱宗教。開祖の精神病の感染の結果としての「視野狭小」「観念の
遊戯」「論理性の喪失」の故である。
古代人の自然宗教は、生存に必要な物質的利益の追求という、「生存の
手段の一部」として発生したことを、忘れてはならない。

592:神も仏も名無しさん
15/12/03 18:04:22.02 4axRBhQC.net
>>586
>いくら無を語ってみても無駄な話です。あなたが今生きている大地が無なら、あなたは一蹴にして奈落の底です。
では聞くが、お主の眼耳鼻舌身意が情報を受けてる、その「受け」と言う感受は実在なのかね?
無を語るだの無を云々としきりに「有」を言いたがるが、その言いたがる感情・思い・意根は実在と言えるのかね?
そうやって受けた情報から起きているそのお主の所感・思いは有るのかね?無いのかね?
もし有るなら今ここで写真に撮って見せてみてくれ。
もし無いと言うならお主がレス出来る筈がなかろう?
それが中論でも仮設されてる「空」と言う事実なのだが、
>人間でない方は、お引取りください。人間界では、話が通じません。
と理解出来て無いのは中論を誤読してるからなのだろう。
>>588
>「世界」は存在しない。 ゆえに「時間」は存在しない。
諸行とはサンカーラの事を指すので世界の事ではないですよ、全く前知識が無い人にそう言って教えるのは方便として言われてきましたが
彼は多少なりとも知識があるので、ズブ用の方便では誤解が増えるだけでしょう。
存在しないとは無いと言う事になりますが、認知できる世界は有る訳でも無い訳でもないでしょう。
そして、時間とは概念ですが、これは縁起の事です。
時間でも縁起でも、存在では無いので、これまた有る訳でも無い訳でもありません。
空をお浚いしながら説き直してみては如何でしょう。

593:神も仏も名無しさん
15/12/03 18:55:30.04 4axRBhQC.net
>>591
釈尊をしきりに精神病にしたがるが、その論で大乗は該当しないのか?
統合失調などの人は、一般的には尊敬されてる偉人等をこき下ろす事でカタルシスを得るものが居る。
そう言う人にとってその行為は「安心する為の麻薬」なのだろう。
釈尊を精神病者と断定し、自らと同じ病なら自らの方が優れているのだ、と誇示をしたがる。
その薬は麻薬なので、処方箋に従う以外では控える事をお勧めする。

594:神も仏も名無しさん
15/12/03 20:44:09.87 AIqdHp8K.net
>>589
>「諸行無常」=「諸法無我」=「空」=「縁起」=「中道」
釈迦の「縁起」と中論の「空」とは本質的に異なる。世界の、特に西洋の
仏教学者の一致した見解。西洋の仏教学者は、恐らくは仏教信者ではないから、
客観的な分析が可能なのだろう。
両者を混同するから、あらゆる混乱が生じている。
「煩悩即菩提・生死即涅槃」、「一切衆生悉有仏性」、「如来蔵」、「本覚思想」、
「真如としての衆生心」、「自利・利他」などは、釈迦からは絶対に出てこない。
釈迦カルト(小乗信者)は、皆、これらの思想に必死で反対する。
大乗の発生については、シリーズ大乗仏教の、該当諸論文を参照されたし。
発生源の思想が根本的に異なっていることが理解できる。
釈迦が重度のうつ病患者又は躁うつ病患者であったことや、精神病が伝染する
ことは、精神医学の教科書を読めば自明。「一切皆苦」という強度の苦悩感や
「無」「無我」という「微小妄想」は、教科書そのまま。

595:神も仏も名無しさん
15/12/03 22:33:09.51 hx+bMAjm.net
>>592
諸行 = 有為法 = 「縁によって生起したもの」 ということじゃないかい?
ニュアンスとしては、「ある状態が保たれている」ということで、
複合的に要因で成り立っているものと取れる。
「複合的な要因で成り立っているもの、(状態)」ということで、別に「物体」でも、「現象」でも、「精神的働き」でも、
同じということじゃないか?

596:神も仏も名無しさん
15/12/03 22:52:55.50 hx+bMAjm.net
>>594
釈迦の縁起も「空」を表している。
だいたい、「これが有るからそれが有る」「これが無ければそれは無い」 という時は、
今目の前にある「それ」は、「これ」によって成り立っているということを表している。
「土台があるから、家がある」とすると、今そこにある「家」は、「土台」によって成り立っていることになる。
「土台」が建った後、交代で「家」が現れるわけじゃない。
簡単に言うと、「土台」と「家」でセットなんだよ。
1セットのものは全く分けることの出来ない状態を、「縁起している」というんだよ。
1 → 2 → 3 と前のものが消えて後ろのものが現れるということじゃなく、
「3」の中には[1,2]が入ってるんだ。
「2」の中には[1]が入ってるんだ。
それは切り離すことも出来ず、縁起しているんだよ。
龍樹は横のつながりを縁起とし、釈迦は縦のつながりを縁起とした。
両方とも、1つのものが別のものの原因によって支えられていて、切っても切り離せないということを表している。

597:神も仏も名無しさん
15/12/04 00:22:34.59 /23LRPCi.net
>>595
>諸行 = 有為法 = 「縁によって生起したもの」 ということじゃないかい?
うん、そう。
しかしいつも問題になるのはその「縁によって生起したもの」のターゲットなんだよ。
そのターゲットを、例えば「コップ」と言う対象に設定するから矛盾が起こる。
仏法はそれを言っていない。
コップをターゲットとして受け取った「感受」の方こそが言わんとしてる「諸行」なんだな。
多くの人はここを「コップ」と言う存在に向けてしまう。
仏道は「苦」と言う感受をどうしたら超克できるかを解明し尽くした方法なんだから
苦を縁起させた「わがものならざる」対象物の方は問うていないのさ。
自分にとってはそれが「苦」であっても、他の人は同じそれを「苦」とはしていない。
つまり、苦とは感受より認識され得るものだとわからないかい?
コップが苦なのではなく、コップと受け取ってから、そこから想起されたりする「何か」が苦を起こしているんだと。

598:神も仏も名無しさん
15/12/04 00:40:32.34 M5klFFSL.net
>>596
中論第一章で、竜樹は、釈迦の「これがあるから、あれがある」を「明示的に」否定して
いるのは何故か。中論は、また、「生滅」や「無」の概念も否定してる。
中論の空(空間的相互依存性、関係性、相対性)とは異なり、釈迦の縁起は「時間的因果
関係」で、忌むべき「業報論」を維持するための論理としか考えられない。
西洋の仏教学者が、「世界宗教史上稀有の例」と解釈しているのは、この相違ではないか。

599:神も仏も名無しさん
15/12/04 00:48:48.66 M5klFFSL.net
>>597
三枝氏は、「中論の空は、釈迦の縁起を換骨奪胎した」と言っているが、
この「換骨奪胎」はどの部分か?

600:神も仏も名無しさん
15/12/04 00:50:00.81 fenRpf6S.net
御隠居はミーハーだからなぁぁw
有名な誰それが言ったことだから正しい筈!とw
中村さんやら平川さんやら三枝さんやら・・。
確かに、偉大な学者さん方だが、100%錯誤がないと誰が言いきれるのか?とw
今度は西洋の近代仏教学者か・・。 誰を念頭に発言してるのか知らんがwww
馬鹿だねぇ・・。

601:神も仏も名無しさん
15/12/04 00:57:38.51 /23LRPCi.net
>>598
>中論第一章で、竜樹は、釈迦の「これがあるから、あれがある」を「明示的に」否定しているのは何故か。
具体的にその部分を中論から引用してみて。

602:神も仏も名無しさん
15/12/04 01:00:21.34 M5klFFSL.net
>>600
>誰を念頭に発言してるのか知らんがwww
君は、日本における中論研究の基本書ともいうべき、中村元の「龍樹」も
読まないで、中論を語っているのかw。その西洋の仏教学者の氏名も国籍も、
ちゃんと記載されている。

603:神も仏も名無しさん
15/12/04 01:08:14.41 /23LRPCi.net
>>599
↑こっちは簡単だな。
仏法に於いて法は全て、本来は勝義なので語れない。
釈尊は迷える凡夫の目線に立って、同じ目線で教えたのだから、それは全て世俗諦を語って
教えて、行なわせる様に導いたに過ぎない。
龍樹尊者の犯した失敗は、解らせて上げたい気持ちが先に立ち、世俗諦の核心たる勝義諦を
中論で展開した事に尽きる。
ただし、中論は、例えば隠居レベルの初心者相手に論じられたのではなく、阿羅漢と呼ばれてるレベルの
連中相手にその誤謬を指摘し、徹底的に潰す目的で論じられている。
潰す相手は釈尊なのではなく、部派仏教最大勢力の説一切有部とその支持者達だった。
三枝さんは有部の教義を支持する立場なのかなw
多分そんな事は無いと思われるが、ご本人の立ち居地如何で見方も変わる事は否めないだろう。
有部の教義がそのまま釈尊の教えだと考えてる人には、確かに龍樹尊者の中論は釈尊の教えを破壊したと見えるかも知れない。
それは誤謬なんだけどね。

604:神も仏も名無しさん
15/12/04 01:13:22.91 M5klFFSL.net
>>600
釈迦の言葉以外は、一切受け付けない。一挙手一投足を釈迦に支配される。
まさに、イスラムテロリストの心理状態だなw。
日本の仏教は、釈迦仏教(小乗)ではなく、大乗仏教ですよ。


次ページ
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch