15/05/04 05:37:33.72 IW240n9V.net
>>85-86
それは解脱・悟りを得ていない後世の大乗仏教徒による曖昧な大乗論。
説かれている内容は崇高だが、修行していない凡夫が言葉だけで理解しようとすると間違った解釈に陥ってしまう。
大乗では煩悩をある程度までは許容する。しかしこの許容の限度を間違えると、たちまち仏陀の教えから外れてしまう。
「煩悩のあるままで悟りを得る」というのはある意味正しい、でも世俗を捨て解脱・悟りを得ていない修行者にとっては大変危険な落とし穴となる。
現世煩悩を肯定し現世的な観念を捨てられないまま煩悩に翻弄された状態では、決して悟り・解脱に至ることはない。
煩悩をありのままに見つめて「達観」出来るなら、そこで初めて大乗の解脱・悟りを得る事が出来る。
その為に必要な条件は全ての煩悩を包み込む大きな四無量心と意識を煩悩から離し超える為の現世捨断・離解脱、そしてそれらを支えるための不断の積徳によって培った大きな功徳です。
だから小乗の修行を修していない者が大乗の道を歩くことは本来は不可能なのです。
そしてこの大乗の壮大なプロセスを特殊なプロセスで短期間で到達させる技法が、タントラ・ヴァジラヤーナと呼ばれる密教です。