スウェーデンボルグ派の教会や書籍 2015.3.4at PSY
スウェーデンボルグ派の教会や書籍 2015.3.4 - 暇つぶし2ch185:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF.
15/03/23 07:04:23.25 TIRH8Fjsb
(続き)
黙示録講解821ロ[7]

それでまたヨハネは主の母を彼自身の家へ連れて行き、彼女と共に住まった
のであり、そのことはヨハネ伝に以下のように記されている―

イエスは十字架からその母とその愛された弟子がそばに立っているのを
見られた、イエスはその母に言われた、女よ、あなたの息子を見なさい、と、
それからイエスはその弟子に言われる、あなたの母を見なさい、と。
それでその時間からその弟子は彼女を彼自身の家へ連れて行った(19・20,27)。

 このことは教会は行為における仁慈が在る所に、または善い業が在る所
に在ることを意味したのである、なぜなら主の『母』と『女』とは教会を
意味し、『ヨハネ』は善い業である行為における仁慈を意味するからである。

(『母』は教会を意味することは「天界の秘義」289、2691、2717、
3703、4257、5581、8897番に見ることができよう。
『女』も同じような意味を持つことは、前の555、707、721イ、
730番イ、ロを参照されたい。)

186:神も仏も名無しさん
15/03/23 07:01:24.65 42XXVwQr.net
URLリンク(asdlkj43.blog.fc2.com)

187:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF.
15/03/23 07:17:10.96 TIRH8Fjsb
上記の記事は下記にあります。
URLリンク(www5b.biglobe.ne.jp)

スウェーデンボルグを読んでも、聖母が新しいエルサレムであるとまでは
書かれていません。

私はひょっとして聖母こそ新しいエルサレムを指しているのではないかと
思うに至り、それをスウェーデンボルグの中に探そうとしましたが、私の読んだ
範囲では見つかりませんでした。

他の啓示でも探しました。
すると、デボラという人の本に発見したのです。

188:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF.
15/03/23 07:28:42.80 TIRH8Fjsb
URLリンク(www5b.biglobe.ne.jp)
聖母は新しいエルサレム

デボラ/生ける神よりあかされた英知/4巻上P148

イエズス:
「私の聖なる母とは、『・・・聖なるエルサレムが天から下ってきて、
人々の住まいの間に居を定めるのを見た・・・』と記されているあの文章
を形成する方である。:,,,調和と均衡を失った家々に住まう神の聖なる町とは、
彼女のことである。
 あなたがたの家庭のいろり端に喜びを取り戻してくださるのは、彼女である。
人間が神と和解することができるように、私たち聖三位の愛が選んだのも彼女である。
全ての天使はこの出来事を知っており、あなたがた、私の憐れみの愛の小さな子らも、
聖なるマリアの共贖のわざの使命について知ることを、私は望んでいる。」

デボラ:
「私たちは聖母を愛しており、本当に大好きです。」

イエズス:
「彼女を誉め崇めることが必要である! 余りにも多くの人が彼女を侮辱し、
卑しめている!」

189:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF.
15/03/23 07:35:26.96 TIRH8Fjsb
すると、他にもありました。(>188のURLご参照)

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P123

「そうです。だが人を罪から救っても、悪魔という永遠の敵はまた攻撃に
出て来るに違いありません。楽園から神の声が聞こえたとあります。
『私はおまえと女との間に敵対をおく・・・女はおまえの頭を踏み砕き、
おまえは女の踵を襲うだろう』それは“女”にとって軽い責めに過ぎない。
なぜなら“女”は敵に打ち勝つ力を内に持ち、そして存在の初めから贖う者です。
目には見えなくとも、その贖いの力はすでに働いています。近いうちに
この世にも見えるように、その力は現れ、女たちが“彼女”において強められます」

「あなたが世を贖われることは、それはよいとしても、女にそれができるとは
どうも考えられません」

「トビアを覚えていますか、その詩を」

「覚えています。エルサレムについて話していますが」

190:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF.
15/03/23 07:37:16.29 TIRH8Fjsb
(続き)
「エルサレムは、神の聖櫃をまだ持っているといえますか。栄光の神が、
そこから神殿の中で行われる罪を見ておられないと思うのですか。
もう一つの聖櫃、迷う人々をいと高き御者に立ち戻らせる星が必要です。
それは救いに協力する“女”にあります。この女は代々に贖われた人々の
母であることを喜ぶでしょう。それは贖いの協力者に対する真の讃歌です。
天子たちも、もう天からこのことを歌っている・・・新しい天のエルサレムは
彼女をもって始まります。これが真実です。世間はこれを知らず、目が
くらんだラビたちも知らない・・・」イエズスは思いをこらすように黙る。

「だれについて話しておられるのだろう」と、ケリオットのユダが、
そばにいるフィリッポに聞く。フィリッポが答える前に、テーブルに
チーズと黒いオリーブの実を持って来たエリーザが厳しい口調で言う。

「ご自分の母上のことを話していらっしゃるのが分からないのですか?」

191:神も仏も名無しさん
15/03/23 09:06:33.20 Gc+iSRU2j
お返事ありがとうございます。
そうですよね、書いてないですよね。
でも確かに、主は弟子たちに「あなたの母を見なさい」と仰ってますね!
マリアは教会そのものを表すぐらい、とても素晴らしい方だったんですね。

192:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF.
15/03/23 09:36:15.49 TIRH8Fjsb
>>191
どういたしまして。

確かに、スウェーデンボルグは新しいエルサレムについて啓示しているのに、
聖母が新しいエルサレムかどうかについては一切触れていません。
これはまさにスウェーデンボルグにおけるミッシングリンクです。

聖母が新しいエルサレムであることは他の啓示を通してのみ知ることが出来ます。

恐らく主は意図的にスウェーデンボルグの段階では聖母を隠されたのだろうと
思われます。スウェーデンボルグがそれを知っていたかどうかは分りません。

主は、私たちはまず主が神ご自身であることを知ることが第一に必要とお考えなのではないかと思うのです。
そのため、スウェーデンボルグへの啓示ではそのことを明らかにされなかったのだと。

聖母が主に御自分を隠されるようお願いしている所が他の啓示には出てきます。
例えば、アグレダのマリア/神の都市とか、グリニョン・ド・モンフォールとか。

193:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF.
15/03/23 09:48:09.19 TIRH8Fjsb
もし、主が神ご自身であることを私たちがよく理解しないうちに聖母の素晴らしさを
顕されると、私たちは聖母を神と勘違いしてしまうからです。女神崇拝のように。

それでは主がスウェーデンボルグを通じてあれほどたくさん啓示なさったご尽力は
水泡に帰してしまいます。

ですから、むしろスウェーデンボルグに於いては聖母を重視しないように書かせられた
のではないでしょうか。
スウェーデンボルグが聖母に出会った場面とか、聖母の遺伝悪の記事とか。
(聖母に遺伝悪があったことはその通りでしょう。そうでなければ主は地獄に
近づくことはできなかったのですから。)

194:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF.
15/03/23 10:00:33.34 TIRH8Fjsb
>でも確かに、主は弟子たちに「あなたの母を見なさい」と仰ってますね!

ええ、聖母が教会だと言うなら、その教会とはただの教会のことを主は
仰っているとは思えません。ヨハネは使徒の中で最愛の弟子でした。
ヨハネは仁慈の実践を意味し、愛は実践の中にこそ存在するからです。

そしてヨハネとは私たちのことです。
私たちに与えて下さる教会とは良い教会に決まっていますし、そうであるなら、
それは新しいエルサレムでなくて何でしょう?


>マリアは教会そのものを表すぐらい、とても素晴らしい方だったんですね。

ええ、被造物中最大の「神の傑作」と言われるようです。
スウェーデンボルグや他の預言者たちは主の聖言を預かって、それを私たち
に啓示してくれました。彼らが素晴らしいなら、神そのものを預かって
私たちに与えてくれた聖母が素晴らしくない筈はありません。

聖母の特権はアグレダのマリア/神の都市/にも何度も触れられています。
マリア・ワルトルタやヴァッスーラでもたくさん聖母の素晴らしさや、主が
聖母をいかに愛していらっしゃるかが書かれています。

195:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF.
15/03/23 10:24:43.45 TIRH8Fjsb
スウェーデンボルグだけを読んでいたら、スウェーデンボルグ読者は
主が十字架上から聖母とヨハネに言われた聖言(ヨハネ19・26-27)を
説明できないでしょう。
聖言には無限の意味があるとスウェーデンボルグは言っていることはご存知の通りです。
単に世間的な面倒を見なさいと言われただけでしょうか?
そんなはずはありません。
もしそれだけしか考えないなら、私たちの頭の方がミッシングです。

また、聖母がこれまで世界各地で数限りなくご出現されていることもご存知でしょう。
有名な所ではルルドとかファチマとかグアダルペなど。
すぐに異端だとか言われますが、メジュゴリエ、ガラバンダル。
我が国でも秋田。韓国のナジュなど。

スウェーデンボルグ読者は聖母の御出現をやはり説明できないでしょう。

主は今もそうして啓示されているのです。
スウェーデンボルグで終わりだなどと考えるとしたら、それは間違いだと思って
います。

196:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF.
15/03/23 10:45:18.30 NOEKrG2P.net
啓示はたくさんたくさんあります。
聖書だけではありません。またスウェーデンボルグだけでもありません。
ブレンドしなければなりません。シングル・モルトで飲めと主は仰っていないのです。
あふれるほど主は啓示を与えて下さっているのです。

197:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF.
15/03/23 10:49:13.07 NOEKrG2P.net
私たちは狭量にならないように注意したいものです。
たくさんのものをこだわりなく受け入れて改善する、これが
日本人の良い特徴ではないですか。

198:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF.
15/03/23 10:53:18.08 NOEKrG2P.net
こと宗教に関してそれが出来るのは日本人を置いて他にないでしょう。
本当に誰もが受け入れることの出来るウィスキーを造れるのです。
それは御木本幸吉の養殖真珠のようなものです。

199:神も仏も名無しさん
15/03/23 11:07:28.99 Gc+iSRU2j
ルルドの泉から聖母の御出現など調べて見ましたが、とても興味深いですね。
もう少し自分でも調べてみます。

それでもマリアに神的なものを帰することは出来ませんが、これも神の御心の計らいだと感じました。

200:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF.
15/03/23 23:00:26.60 TIRH8Fjsb
>>199
聖母はスウェーデンボルグの言う「被術者」かもしれません。
聖母を通して語っておられるのは実は主なのかもしれません。
しかし、聖母は聖母の自己もお持ちでしょう。

201:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF.
15/03/24 21:57:20.27 0QsG/zVj.net
主の身体は聖母にいただいたものです。
教会は主の身体といいますが、すると教会は聖母に作っていただいたとも言えます。
聖母は恩寵の分配者ともアグレダのマリア/神の都市/では言っています。
教会とは私たち個人個人のことを言います。
すなわち使徒たちも私たちも皆、聖母に形作られたのです。
主ご自身もそうでした。
万物の創造主である主がこの世に生まれるために聖母の胎にはぐくまれた
ことは、私たちも聖母に育まれることを意味している象徴なのでしょう。

202:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF.
15/03/25 07:54:15.40 TlvggOY3.net
誰もかれもがマリアの胎から生まれたと言ったのはグリニョン・ド・モンフォール
であったか、忘れてしまいました。
彼は聖母は神の都市であると言います。
神の都市とはアグレダのマリア著『神の都市』と符号します。
スウェーデンボルグによれば、都、町とは教義のことを意味します。
新しいエルサレムが花嫁の姿をして降って来ると黙示録にあるのは
教会は教義のうえで変ることを意味しているのだと彼は言います。
その新しい教義とは主イエス・キリストは父なる神ご本人であるということに
尽きます。
そのことを最もよく知っていたのは聖母マリアにおいて他なりません。
そういう意味で、聖母マリアはその新しいエルサレムの教義を意味する
方でしょう。
その教義によって、その教義に育まれて私たちは霊的に生まれ変わるのです。

203:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF.
15/03/25 08:01:16.94 TlvggOY3.net
確かに、この教義を知らなければ私たちは霊的に生まれ変わること「再生」
は出来ないでしょう。いつまでたっても神がどなたか知らないのでは。
主はヴァッスーラの中で、誰も、生まれる前に父親の顔を見た者はいないと
おっしゃっていました。その生まれるとは「再生」を意味しています。
主がヨハネ福音書の最初の方で、ニコデモに言われたことも同じです。
誰も生まれなおさなければ神の国を見ることは出来ないと。
つまり、私たちは聖母マリア、すなわち新しい教義によって生まれるのです。
この教義を通らなければ天には入れないのです。
ですから聖母マリアは「天の門」なのです。

204:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF.
15/03/25 10:16:04.75 TlvggOY3.net
>202
ありました。
グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心/山下訳/32/P44
聖霊は言っておられます-「あの人も、この人も、彼女から生まれた」(詩篇87・5)。
ある教父たちの解説によりますと、マリアから最初に生まれた人は、神人イエズス・キリストです。
次に生まれた人は、養子縁組によって生まれた純潔な人、神とマリアとの子供です。
もしも人類のかしらイエズス・キリストがマリアから生まれたのなら、このかしらのからだである
すべての救われる人も、当然の帰結として、マリアから生まれねばなりません。
ひとりの同じ母親が、からだのないあたまだけの子供を産みますか。または、あたまのない、
からだだけの子供を産みますか。そうだとしたら、まさに世紀のオバケです。これと同じ
理くつで、恩寵の世界においても、かしらとそのからだは、ひとりの同じ母親から生まれる
のです。だから、もしもイエズス・キリストの神秘体のある成員が、つまり救われる人が、
神秘体のかしらをお産みになったマリアいがいの、他の母親から生まれたとしたら、この
人はもはや、イエズス・キリストの神秘体の成員でもなければ、したがって、救われる人で
もないわけです。そんな人は恩寵界のオバケです。

205:小さなヨハネ ◆1oKmZSIAF.
15/03/25 10:18:44.22 TlvggOY3.net
もう一箇所ありました。
グリニョン・ド・モンフォール/聖母マリアへのまことの信心/山下訳/P306
ここで霊魂が、イエズス・キリストの姿に形造られ、またイエズス・キリストも、
この霊魂の姿に形造られるためです。なぜなら、教父たちが言っているように、
マリアのご胎こそ、「神の密室」であって、ここでこそ、イエズス・キリストを
はじめとして、すべての選ばれた者が形造られたからです。「だれもかれもが
ここで生まれました」(詩篇87・5)。


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