15/01/29 07:51:30.46 UbxoF56I.net
しかし聖書の時間は、社会問題を討論する時間であり、
雰囲気は、外国のように先に出された課題を調べてきて、
グループ討論し、最後に各人がレポートにまとめ上げる。
聖書は、授業の始まりに先生が聖句を挨拶のように短く読まれるだけで
意味不明と言うのか、
そもそも子供には聖書そのものは高度だ。
ただ、今から聖書の時間だよという聖句でお知らせがあると言った感じだ。
たまに美しい教会へ行く日は 子供たちにとって楽しい時間だ。
ただ歌を唄って過ごすのだから。
で、家庭がクリスチャンの子も友達でいるけれど、
その頃の学友も
何と言うのか、形式的な洗礼を受けたかどうかでいえば、
そういったクリスチャンでない子が大多数。
とにかく、小さなヨハネさんのような線引きは どこのならわしなのかと
感じる次第だ。
「私は、小さなヨハネ氏より クリスチャン」
おもしろいでしょ(笑)