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スウェーデンボルグの合理性と見識を今一度ご参照ください。
(軍の司令官における仁慈)
仁慈の教義164(5)
軍の司令官により、その軍の最高の役員が、その者が王であれ、または大公であれ、または
その者たちから権威を得ている法規上の司令官であれ、そうした者が意味されている。もし
彼が主に目を注ぎ、悪を罪として避けるなら、またもし彼がその将軍としての任務と、命令
の事柄において誠実に、公正に、忠実に行動するなら、彼は仁慈の善である用の善を行うの
である。そして彼は、絶えずその用の善に思いをひそめ、それに自分自身を適用させて、それ
を実行するにつれ、仁慈となるのである。もし彼が王または大公であるなら、彼は戦争を愛し
はしないで、平和を愛し、戦争においてすら絶えず平和を愛しているのである。彼は彼の国を
防禦するためでない限り、戦争に訴えはしないのであり、かくて彼は侵略者ではなくて、防禦
者である。しかし後になって、戦争が始まった時、もし侵略することが防禦となるなら、彼は
また侵略者ともなるのである。戦争において、もし彼がそれ以外のものとして生まれていない
なら、彼は勇気があり、英雄であるが、しかし戦争の後では、柔和で慈悲深いのである。彼は
進んで獅子ともなるが、戦争の後では、子羊となるのである。彼はその内なる自分の中では敵
の壊滅と勝利の名誉に喜び躍りはしないが、彼の国と彼の民とが敵の侵略から救い出され、
また彼らの加える破壊と破滅から救い出されたことに喜び躍るのである。彼は慎重に行動し、
家族の父がその子供たちと召使いのために心を砕くように、その民のために忠実に心を砕き、
彼らの各々の者を、その者がその義務を誠実に、また勇敢に行うに従って愛し、その他そう
した多くの事柄を行うのである。彼のもとでは狡猾は狡猾ではなく、慎重である。