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2011年(主日A年) 4月17日 受難の主日
イザ 50:4~7 フィリ 2:6~11 マタ 27:11~54
「イエスは再び大声で叫び、息を引き取られた。 そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、 ・・・・・ 」(マタ vv.50-51)
御子イエスは十字架にかかって、自らその身に私たちの罪を担ってくださいました(Iベト 2:24)。
そのことによって成し遂げられた永遠の贖い (ヘブ 9:12) が、神御自身の御業(IIコリ 5:21)、神の愛の御業であった (Iヨハ 4:9-10) ことを、深く味わいたいと思います。
「それで、兄弟たち、わたしたちは、イエスの血によって聖所に入れると確信しています。 イエスは、垂れ幕、つまり、御自分の肉を通って、新しい生きた道をわたしたちのために開いてくださったのです。」(ヘブ 10:19-20)
「わたしたちの主イエス・キリストによってわたしたちに (罪と死と悪魔に対する) 勝利を賜る神に、感謝しよう。」(Iコリ 15:57)
Pope Benedict XVI の “ナザレのイエス -第二部-” が、先月発売されました。
日本語訳も間もなく出版されることでしょう。
その中で、「民はこぞって答えた。 “その血の責任は、我々と子孫にある”」(マタ v.25) を巡る解説がなされています (pp.184-188) が、これをあたかも Pope Benedict XVI の新判断のように受け取るのは間違っています(ある紹介記事)。
“第一部” に続いて Pope Benedict XVI はこの著作によって、一般信徒のために “あるがままの聖書” が語っていることを紹介しているのです。
私自身も、かつて未だ本格的な注解書に取り組む実力がなかったころ、聖書の中のあれこれの言葉への偏見や先入観を捨てて、“聖書が語っているままに読む” という訓練を、“この種の書物” によって教えられました。
キリスト教出版界で無数の本が売られているにもかかわらず、実際には “この種の書物” に出会うことは珍しく、信者にとってたいへん貴重であることを、お伝えしたいと思います。
聖書の素読に励むカトリックの子らにとって、Pope Benedict XVI の “ナザレのイエス -第二部-” が、ふさわしい導きの書として、主に用いていただけますように。
・・・・・ 以下、本文参照。
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