17/03/25 10:50:07.32 KkKHfbxj.net
2014年(主日A年)
3月30日 四旬節第4主日
サム上 16:1~13 エフェ 5:8~14 ヨハ 9:1~41
「わたしは世の光である」(ヨハ 8:12)
“キリストは光である” という聖書の表現が、しばしば “光はキリストである” というふうに誤解されることがあります。
その典型の一例として、“あなたがたは世の光である。 ・・・・・ あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい”(マタ 5:14-15) という聖句が、キリストの救いとは何の関係もない、単なる人間的な善意や善行の意味で解釈されるのを挙げることが出来ます。
実際に、そのように理解している信者が多いのです。
この生まれつきの盲人のように、肉体の目が開かれるだけではなくて、信仰の目が開かれて “救い主キリストを見た” という体験こそが重要なのですから、私たち信者は “心の目を開いてくださるように” (エフェ 1:17-18) と常に神に祈ることが大切です。
信仰体験というものを軽視して、ただの雑多な知識を持つことによって “見える”(ヨハ v.41) つもりになっていては駄目なのです。
「シロアム “遣わさ- - れた者” という意味 - - の池に行って洗いなさい。」(ヨハ v.7)
聖書を学ぶことは、そこから “使徒たちから伝えられた福音”(神の啓示に関する教義憲章 8) を聞き取ることであって、決してあたかも “イエスのおとぎ話” のような気分で福音書の物語りを眺めることではありません。
“遣わされた者” とは先ず第一にキリストのことであり、さらにそのキリストの福音を宣べ伝えるために遣わされた使徒たちのことであって(ヨハ 20:21)、私たちは聖伝と聖書を通してこの “遣わされた者” に会うことが出来るのです。
・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より