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2008年(主日A年) 3月2日 四旬節第4主日
サム上 16:1~13 エフェ 5:8~14 ヨハ 9:1~41
主はサムエルに言われました。
「わたしは ・・・・・ 王となるべき者を見出した。」(サム上 v.1)
そして人々の大方の予想に反して、羊の番をしていた末の子ダビデが連れて来られ、主は言われました。
「立って彼に油を注ぎなさい。 これがその人だ。」(サム上 v.12)
救済史を導かれるのは主であってイスラエルではない、という一事に注目しましょう。
救済史はすべての歴史をその周りに結びつける中心として理解されなければなりません。
“歴史はすべて、結局は救済史に参加するように定められているのである。”(O.A.パイパー)
このダビデの子孫から、神は約束に従って救い主イエスを遣わされました(使 2:22、13:23)。
私たちキリスト者にとってミサとは、“ことばとしるし” によってキリストとその御業に与る場所です。
“ミサの祭儀は ・・・・・ キリスト者の生活全体の中心である。” “他の聖なる行為とキリスト者の生活のすべての行いはミサに結ばれ、ミサから流れ出、ミサに向かって秩序づけられている。”(ミサ典礼書の総則 1)
私たちの共にささげるミサが、いつもそこで受難と復活の主に会衆が出会い、罪の赦しと永遠の命を受けて神を賛美する場所でありますように。
・・・・・ 以下、本文参照。
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