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2011年(主日A年) 2月6日 年間第5主日
イザ 58:7~10 Iコリ 2:1~5 マタ 5:13~16
「あなたがたは地の塩である。 だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。」(マタ v.13)
「あなたがたは世の光である。 ・・・・・ あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。」(マタ vv.14,16)
これは、幼児や小学生の教育のために語る “おだて” の言葉ではありません。
“愚かな信者たちは、叱るよりもおだてれば奉仕と献金に励む” などと、聖書が述べているのではありません。
ゲルマン諸民族がローマ帝国に進入して来たとき、当時のカトリック教会はその優越した文化によってこの蛮族に勝利することが出来ました(5~6世紀)。
この時代に、聖職位階にある者と一般信徒との間には、古代教会におけるのとは全く別な新しい区別が生まれました。
すなわち聖職者とは “教養ある者”、信徒とは “教養のない者” ということになったのです。
その後ルネッサンス時代を経て現代に至る世界では、文化と教養は聖職者特有の財産ではなくなりましたが、それでもなお、いわば建前として、この区別は今なお生き続けているように見えます。
人はキリストに結ばれ、“新しく創造されて”(IIコリ 5:17) 初めて、 「地の塩」 「世の光」 になるのであって、生まれながらに “可能性として” そのような素質を持っているわけではありません。
ですから、聖職者にせよ信徒にせよ、「福音に覆いが掛かっているとするなら、それは、滅びの道をたどる人々に対して覆われている」(IIコリ 4:3) という聖パウロの警告の言葉を重く受け止めるべきでしょう。
キリストの福音を確かに聞き、信じて贖われ、罪を赦されて、天に蓄えられている希望を与えられた人たち (コロ 1:5) こそが 「地の塩」 「世の光」 なのですから、
私たち一人一人は自らが福音の失格者にならないように(Iコリ 9:27)、「分に応じて働いて」(エフェ 4:16) 成長して行かなければなりません。
現代の信徒はもはや “教養のない者” などではないからです。
・・・・・ 以下、本文参照。
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