☆聖書を読みなさい!at PSY
☆聖書を読みなさい! - 暇つぶし2ch461:神も仏も名無しさん
17/01/02 13:07:27.32 dU+2BGYr.net
1月1日 神の母聖マリア (ルカ2,16-21)

「天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、『さあ、ベツレヘムへ行こう。
主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか』と話し合った。
そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。」
(ルカ2,15-16)


お正月を迎えて、これから始まろうとしている新しい年は、過ぎ去った年よりも、
良い年になるという希望を抱いている人が大勢いるようです。
この希望が新年を迎える挨拶の中でよく表わされています。けれども、
今までの体験からよく分かるはずのことですが、何か良いものを手に入れるために、
また、他の人に善を与えるために、それを願望するだけでは十分ではないのです。

マリアは完全に神を信頼していて、神に自分自身をゆだねました。
神に忠実で、従順であったゆえに全世界の救い主の母、神の子の母となりました。
それによってマリアは自分の最も深い望みを実現したとともに、
すべての人々に神の子イエスという最善の贈り物を与えることができたのです。

私たちが神の愛を知るようになって、マリアのようにこの愛に愛を以て応えるならば、
最高の善である神の愛にあずかるようになります。
同時に、私たち自身が、他の人のために神の命の泉になります。それによって、
私たちが新年を迎える挨拶の中で表している希望や願望が、本当に実現されるのです。
良い一年となりますようにお祈りいたします。

ボグスワフ・ノヴァク神父様のホームページ
「キリストの光を全ての人々に」URLリンク(www.nowaksvd.net)

462:老クリスチャン
17/01/03 10:48:11.15 fFvRLitj.net
「主に従う人よ、主によって喜び歌え。
主を賛美することは正しい人にふさわしい。」(詩 33:1)

「わたしの神よ、わたしを敵から助け出し、
立ち向かう者からはるかに高く置いてください。」(詩 59:2)

463:神も仏も名無しさん
17/01/03 12:46:50.87 /N1F9F5N.net
1月2日 聖バジリオ 聖グレゴリオ(ナジアンス)教会博士 (ヨハ1,19-28)
「ヨハネは答えた。『わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、
あなたがたの知らない方がおられる。その人はわたしの後から来られる方で、
わたしはその履物のひもを解く資格もない。』」
ヨハ1,26
 
洗礼者ヨハネは多くの人に尊敬されていましたが、自分自身には人を救う力がない、
また、自分の使命は人を救うことではなく、
人を救い主のもとに導くことであるということが分かっていたのです。
私たちは、洗礼者ヨハネ、また、今日祝う聖バジリオ、聖グレゴリオと多くの聖人に倣って、
イエスの愛に生き、出会う人々にイエスを現し、彼らをイエスのもとに導くことによって、
この人たちのために最善のことを行うことができますように祈りましょう。

全能の神よ、あなたは聖バジリオとグレゴリオの模範と教えによって、
教会に光を与えてくださいました。
聖人を記念するわたしたちが、
謙虚に永遠の真理を学び、
信仰と愛をもって、日々その光のうちに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
ボグスワフ・ノヴァク神父様のホームページ
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464:神も仏も名無しさん
17/01/03 16:19:44.80 VWZNRerI.net
終油


465: 人の目的 霊操 トレント ヴルガタ新約聖書とラゲ訳 ラテン語の祈り 公教会祈祷文 公教要理 クレド 主祷文 主の祈り ミサ式次第 ミサの流れ 教会暦(典礼暦)について 詩篇の祈り http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1470630478/554-570n 聖句 賛歌 詩篇 イザヤ コラム http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1470630478/571-579n 聖句 教勢 対照表 時課 契約 年代比定 讃美歌 年代の基準 成り立ち トマス福 Q文書 聖書 検索 正典 新約聖書の成立順 構成 初期の歴史 新約 外典 使徒教父 ナグ・ハマディ グノーシス http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1470630478/523n カテキズム 要理 けれど ミサ ハレルヤ ホサナ ウルガタ 祈祷文 終油 人生の目的 信仰問答 信条 教団式文 権威の置き方 救済論 セカンドチャンス 聖句 日本基督教団の主の祈りでネット家庭礼拝の一例 月曜日から金曜日までのネット家庭礼拝 http://rio2016.2ch.net/test/read.cgi/psy/1470630478/524n



466:神も仏も名無しさん
17/01/04 07:41:46.36 b+p2aqpC.net
キリスト教の教勢について(15年前ですが)
平成13年頃のキリスト教各派の信徒数
 カトリック  約44万人
 日本基督教団 約13万人
 聖公会     約6万人
 正教      約1万5千人
当時の日本の総人口1億3千万人
(  比率1%は130万人、
 上記の4派の合計64万5千人、比率0.5%)
別件: アイヌの人口について
北海道の日本人、約550万人
北海道のアイヌ、  約1万2千人
(アイヌ語で日常会話の人口ほぼ80歳以上の老人のみ)

467:老クリスチャン
17/01/05 10:36:17.96 6QWtkMdE.net
2002年(主日A年) 1月6日 主の公現

イザ 60:1~6  エフェ 3:2~6  マタ 2:1~12
クリスマスの祝いの第一が “主の降誕” であるなら、その祝いの第二は “主の公現” であると言うことが出来ます。
教会ではクリスマスはこの後 “主の洗礼の祝日” まで続きます。
そのようにして主の公現の祭日を大切にすることは、古代からのキリスト教の伝統なのです。

東の方 (の国) の占星術の学者たちが、「ユダヤ人の王」 を拝みに来ました。
「ユダヤ人の王」 が 「全世界の王」 となられたということが、公現の祭日の主題であります。
マタイ福音書は、キリスト教がそこから生まれた母体とも言うべきユダヤ教との関係を強く意識して書かれているのですが、そのユダヤ教が元来期待したユダヤ人の王が、全世界のあらゆる民の王となられたということを、この公現の物語りによって語りました。

救い主イエスを拒否したユダヤ教は、紀元70年のエルサレム神殿の崩壊を経験し、キリスト教とは別の道へと進んで行っていました。
初代教会はかつてユダヤ人の王であった方を、今や 「天と地の一切の」(マタ 28:18) 王であるキリストとして礼拝したのです。

キリストを王として礼拝することは、人間の投票によるのではなくて、神の御業であり、神の恵みに起源していたのだという初代教会の 「喜び」(マタ v.10) が、「星が先立って進み」(マタ v.9) という表現に読み取れるのではないでしょうか。

・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より

468:神も仏も名無しさん
17/01/05 12:05:17.48 P5pKM79g.net
1月3日 降誕節  (ヨハ1,29-34)

「わたしはこの方を知らなかった。しかし、
水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、
『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって
洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。わたしはそれを見た。
だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」
ヨハ1,33-34


洗礼者ヨハネがイエスこそ救い主であると分かったのは、神の言葉を聞いて、
メシアの到来にどんなしるしが伴うかを知っていたからです。
私たちは、神の言葉である聖書を読み、
祈りの中で神の言葉に耳を傾けることによって、イエス・キリストを
ますますよく知ることができますように。
そして、いつも私たちとともにおられるイエスを見出して、
イエスを受け入れることができますように祈りましょう。
 

 
救いの源である神よ、
御ひとり子は、
罪の支配の及ばぬ新しい人として
おとめマリアからお生まれになりました。
新しい創造に招かれたわたしたちが、
古い人を脱ぎ捨て、
恵みに生きることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。
 
ボグスワフ・ノヴァク神父様のホームページ
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469:神も仏も名無しさん
17/01/06 03:44:48.93 4jRBEMEP.net
 
> 詩篇 切支丹の子らの耐え難きを耐えるときの歌。
>
> あの鼻にかかった半オクターブ高い声はなんだ。
> あれは暴走老人の声。
> 耳をふさげ。
> いや、それでも聞こえる。
> 見るな。顔を覆え。
> 指の間から見えてしまう。
> 耐えろ。耐えられない。
> 口臭までしてきたぞ。
> おい。抱きつくのか?
> 接吻か。
> 耐えろ。耐えられない。
> 十弦琴と太鼓を高らかに鳴らせ。そしてシンバルも。

470:老クリスチャン
17/01/06 11:32:34.49 cOc7Dk7O.net
2005年(主日A年) 1月2日 主の公現

イザ 60:1~6  エフェ 3:2~6  マタ 2:1~12
第三イザヤの初期の預言に属するこの (イザヤ書の) テキストで、私たちはエルサレム神殿の再建に新しいヤーウェの時代の到来を夢見た、調子の高い告知を聞かされます。
バビロンの捕囚から帰還したイスラエルの民の、長い苦しい待望の時は今や去り、ヤーウェの栄光がこの都に帰って来るというこの預言は、文字通りには実現しませんでした。
しかし、そこに語られたイスラエルの希望は、人の言葉ではなくて、神のことばでありました。
私たちは主の公現の祭日に、イエス・キリストがイスラエルの希望の完成者として、その栄光を現してくださったことを賛美して喜びます。

「そのとき、人の子は天使たちを遣わし、地の果てから天の果てまで、彼によって選ばれた人たちを四方から呼び集める。」(マコ 13:27)
「わたしたちはこの地上に永続する都を持っておらず、来るべき都を探し求めているのです。」(ヘブ 13:14)

私たちキリスト者は、天の故郷、天のエルサレムを待望しているのです。
私たちの福音が、キリストによる “秘められた計画” の福音であることを、21世紀の教会は再び声を大にして宣教しなければなりません。
キリストの血によって贖われたこと、罪を赦されて救いに入れられたことが、終末の神の国を共に受け継ぐ者とされたという恵みへの感謝として、信者一人一人の口で語られねばなりません。

時が満ちるに及んで御子を聖マリアから生まれさせてお遣わしになった神は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じるすべての者に神の国を受け継がせてくださいます。
使徒たちから伝えられたキリストによって実現されるこの計画を、21世紀の教会の宣教の最優先課題とすることは、私たち一人一人に求められている主からの呼びかけなのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より

471:神も仏も名無しさん
17/01/06 11:37:02.78 p0hiDDXB.net
1月4日 降誕節 (ヨハ1,35-42)
 
「イエスは、『来なさい。そうすれば分かる』と言われた。
そこで、彼らはついて行って、どこにイエスが泊まっておられるかを見た。
そしてその日は、イエスのもとに泊まった。」
ヨハ1,39


福音記者聖ヨハネは、福音書の全体に書き記したように、イエスに従ってから、
イエスが神によって遣わされた方で、いつも父である神との一致に留まり、
父である神と一つになっておられるゆえに、いつも神の言葉を語り、
神のわざを行っておられることが分かりましたので、
イエスを信じて、イエスの愛に留まるようになったのです。


私たちも、ヨハネとアンデレのようにイエスに従うことによって、
ますます深くイエスと結ばれて、いつもイエスの愛に留まることによって、
多くの人々をイエスのもとに導くことができますように祈りましょう。
 

 
全能の神よ、
御ひとり子は、
まことの光として世の救いのために来られました。
この救いの光が、
いつも新しくわたしたちの心に注がれますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

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472:老クリスチャン
17/01/07 11:09:13.56 t9z+y1lB.net
2014年(主日A年) 1月5日 主の公現

イザ 60:1~6  エフェ 3:2~6  マタ 2:1~12
「秘められた計画が啓示によってわたし (使徒としてのパウロ) に知らされました。」(エフェ v.3)

長い間教会の伝統的なペリコーペでは、今朝の第一と第三の二つの朗読だけが主の公現の祭日のミサでは読まれて来ました。
第二バチカン公会議後の典礼刷新で、この日の朗読配分にこの第二朗読が加えられました。
これは軽はずみな (IIコリ 1:17) 思いつきだったのでしょうか。
この朗読箇所が選ばれるには、数々の試行錯誤を含む前史がありました。
私たちは今日、感謝すべきことに、キリストの啓示がまさにこの “秘められた計画” に集約されることを、ミサでの朗読を通して明示的に示されるのです。

異邦人である私たちキリスト教会が、本来ユダヤ人の特権であった神からの約束を、キリスト・イエスにおいて、その福音によって、彼らと共に受け継ぐ者となるという “秘められた計画” が、
神から使徒たちに示されて、それを代々の教会が宣教し続けて行くのだということを、私たちはこの祭日に思い起こさなければなりません。

現代の教会にも、“その星を見て喜びにあふれ、入って、キリストを拝む”(マタ 2:10-11) 信者たちが、確かにいるのです。
たとえ少数者であるとしても。

・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より

473:神も仏も名無しさん
17/01/07 11:11:28.03 2y1mHDGA.net
1月5日 降誕節 (ヨハ1,43-51)
 
「フィリポはナタナエルに出会って言った。『わたしたちは、モーセが律法に記し、
預言者たちも書いている方に出会った。それはナザレの人で、ヨセフの子イエスだ。』
するとナタナエルが、『ナザレから何か良いものが出るだろうか』と言ったので、
フィリポは、『来て、見なさい』と言った。」
ヨハ1,45-46


メシアがナザレから出るはずがないと思ったナタナエルは、
自分の疑問を乗り越えて、行ってみて、イエスと直接に出会ってから、
イエスが約束されたメシアであることを知ったのです。

私たちはナタナエルのように、必要に応じて、自分の考え方や期待、
さらに生き方まで変える覚悟の開かれた心を持って、
いろいろな出来事においてイエス・キリストと出会い、イエスをますます深く知り、
ますます強く愛するようになることによって、
イエスと同じ姿に変えられますように祈りましょう。



すべてを治められる父よ、
あなたは、ひとり子の誕生によって
救いの時を始めてくださいました。
あなたの民が信仰に固くとどまり、
約束された栄光の国に入ることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

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474:老クリスチャン
17/01/09 11:01:53.60 yw4JwWgh.net
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」(ヘブ 11:1)

「信仰」 とは、贖いを成し遂げて天に上げられ、今や私たちがその再臨を待っている 「キリストへの信仰」 のことです。(ヘブ 9:28, 10:12-14 参照)

「望んでいる事柄」 「見えない事実」 とは、教会が 「公に言い表している希望」(ヘブ 10:23)、「生ける神の都、天のエルサレム」 のことを指しています。(ヘブ 11:16, 12:22, 13:14 参照)

「わたしたちは、このような希望によって救われているのです。」(ロマ 8:24)

475:老クリスチャン
17/01/11 11:00:20.17 Y92h+OX0.net
「笛であれ竪琴であれ、命のない楽器も、もしその音に変化がなければ、何を吹き、何を弾いているのか、どうして分かるでしょう。
ラッパがはっきりした音を出さなければ、だれが戦いの準備をしますか。」(Iコリ 14:7-8)
「あなたがたの場合も同じで、霊的な賜物を熱心に求めているのですから、教会を造り上げるために、それをますます豊かに受けるように求めなさい。」(Iコリ 14:12)

476:神も仏も名無しさん
17/01/11 14:55:49.30 057zRucY.net
1月6日 降誕節 (マコ1,7-11)

「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、
ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、
天が裂けて“霊”が鳩のようにご自分に降って来るのを、
御覧になった。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』
という声が、天から聞こえた。」
マコ1,9-11
 

自分が神の子であることは、
イエスの最も深いアイデンティティになっていましたので、
その身分に相応しい生き方、つまり神の心に適う生き方をし、
神の愛と神の命を全世界にもたらすことが、イエスにはできたのです。
 
洗礼を受けた私たちは神の子どもであるわけですので、
この身分をますます深く自覚し、神の子どもであるという事実が
私たちの最も深いアイデンティティになりますように。
そして、父である神の心に適う生き方をすることによって、
イエスと同じように神の心に適う神の子になることができますように祈りましょう。
 

 
神よ、光を注ぎ、御子の栄光の輝きで、
信じる民の心を照らしてください。
救い主を信じ、
そのいのちにあずかることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

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477:老クリスチャン
17/01/12 11:39:39.77 8JPchAeU.net
2002年(主日A年) 1月20日 年間第2主日

イザ 49:3~6  Iコリ 1:1~3  ヨハ 1:29~34
洗礼者ヨハネは、この主イエス・キリストを証しするために神から遣わされました(ヨハ 1:6-7)。
彼はヨルダン川で主イエスに洗礼を授け、天から神の霊がこの方の上に降るのを見ました(ヨハ vv.32-34)。
そして人々に向かって語ったのでした。

「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」(ヨハ v.29)

私たちの主イエス・キリストは、その名を信じて洗礼を受ける人々の罪を取り除いて、永遠の命を与えてくださいます(ヨハ 3:16)。
旧約のイスラエルが過越の小羊の血によってエジプトの国、奴隷の家から導き出されたように、
主イエス・キリストは 「世の罪を取り除く神の小羊」 として、洗礼を受ける人々を新たに生まれさせてくださって(ヨハ 3:3)、永遠の命を得させ、終わりの日には神の国に復活させてくださるのです。(ヨハ 6:39-40)

教会の主であるイエス・キリストを、今朝も福音書のテキストを通して、洗礼者ヨハネが証ししています。

「この方こそ神の子である。」(ヨハ v.34)
「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」(ヨハ v.29)

・・・・・ 以下、本文参照。
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478:神も仏も名無しさん
17/01/12 11:40:44.15 5SDRZ3Iv.net
1月7日 降誕節 (ヨハ2,1-11)

「母は召し使いたちに、
『この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください』と言った。」
ヨハ2,5
 
 
「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた」マリアは、
どんな状況においても神の言葉に従うことが一番賢いことであると知っていましたので、
婚礼の席で、客に出すぶどう酒がなくなりかけたという、
困難に直面した若い夫婦の幸せを求めたがゆえに、
召し使いたちにイエスの言葉に従うように言いました。そのときと同じように、
今私たちの幸福を求めて、マリアは私たちに同じことを言ってくださっているのです。 

私たちは、イエスの言葉に従えば、
何百リットルもの水を井戸から運んだ召し使いのように働くことになるかもしれませんが、
この働きの結果は、私たちの期待や想像を超えて、
ぶどう酒の美味しさに驚かされた召し使いや婚礼の世話役よりも、
私たちを驚かせるに違いないので、
イエスの言葉に従うために惜しみなく全力を尽くすことができますように祈りましょう。



全能永遠の神よ、
あなたは、ひとり子の誕生によって
世に新しい光を注いでくださいました。
おとめマリアからお生まれになった救い主に結ばれて、
わたしたちもあなたの国の栄光に
あずかることができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

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479:老クリスチャン
17/01/13 10:37:40.04 odGss3Vm.net
2008年(主日A年) 1月20日 年間第2主日

イザ 49:3,5-6  Iコリ 1:1~3  ヨハ 1:29~34
使徒パウロはコリント (地方) にある複数の民の集いを 「神の教会 (単数形)」(Iコリ v.2) と呼びました。
なぜならそれは 「至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々」 であり、「イエス・キリストは、この人たちとわたしたちの主である」 と説明しています。

具体的な個々の集いが、単なる個人個人の集まりではなくて、神の “一なる教会” の現れであるということを私たちが実感するのは、ミサにおいてであります。
そのミサで、信者たちは共に “世の罪を取り除く神の小羊” を見上げるのです。

ここで誤解してはならないことは、地方の個々の教会は普遍教会の出先機関や出張所ではないということです。
カトリック教会の中央集権主義という考え方は、誤解に基づく解釈であることを説明して、ラッツィンガー枢機卿は2001年の論文の中で “ローマ教会も一つの地方教会である” と述べています。

ここでも教会を考えることは、ミサを考えることなのです。
具体的な個々の集いのミサを考えることから切り離して教会を理解しようとするなら、それは実りのないことです。
どこでも会衆が “共にミサをささげている” ところが、その多様性にもかかわらず、同じ “一なる教会” であることを信じて感謝しましょう。

・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より

480:神も仏も名無しさん
17/01/13 11:03:50.04 G2o3LP9t.net
1月8日 主の公現 (マタ2,1-12)

「イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、
占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、言った。
『ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。
わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。』」
マタ2,1-2


福音書には、ベツレヘムで生まれたイエスを拝みに来た羊飼いたちと三人の博士に
ついて書いてあります。
羊飼いたちと学者たちとの間にはいろいろな違いが沢山あるでしょうが、
少なくとも一つの共通点があると思います。それは何かというと、謙遜なのです。

おそらく羊飼いたちは、自分の仕事しか知らないほど素朴な人でしたから、
幼い子どもたちが両親の言葉を信じるように、
素直に天使たちに伝えられた知らせを受け入れました。
博士たちは、当時の学者でしたので、本当の学者らしく、
勉強すればするほど自分の限界を良く意識して、ますます謙遜になっていたので、
神の導きに従うことができ、自分の理解力を超えるものであっても、
幼子において啓示された真理を受け入れることができたのです。

現在は、教育の発展の結果、素朴な羊飼いのレベルを超えている人が大勢いますが、
博士たちのレベルに届く人は、それほど多くないようです。
少しだけ学んで、もうすでにすべてを知っていると思い込むがゆえに、
子どもの素直な心を失い、それでいてなお学者の知恵を得ていない人たちは、
自分の限界を認めることなく、自分たちを超えるものを受け入れることができないのです。
恐らくそのため、現代の多くの人々は、人間の知恵をはるかに超える神によって
啓示された真理に対して心を閉ざし、表面的には賢そうでも、
実際は偽りのもので満足しようとしているのではないでしょうか。

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481:老クリスチャン
17/01/14 11:07:34.91 LO2D3TGU.net
2014年(主日A年) 1月19日 年間第2主日

イザ 49:3~6  Iコリ 1:1~3  ヨハ 1:29~34
「すなわち、至るところでわたしたちの主イエス・キリストの名を呼び求めているすべての人と共に、キリスト・イエスによって聖なる者とされた人々、召されて聖なる者とされた人々へ。」(Iコリ v.2)

現代のキリスト者である私たちは、自分の属する小教区の共同体が “聖なる者とされた人々” と呼ばれることには、躊躇を感じるのが普通です。
また他の教会や共同体に向かって “聖なる者とされた人々へ” と呼びかけることにも、あまり馴染みがないと思います。
現代の個々の地方教会の信者の実態は、そのような自覚や確信からはあまりにもかけ離れているからです。

“あなたがたは御子の血によって贖われ、罪を赦されました。”(エフェ 1:7)
“あなたがたは死んだのであって、あなたがたの命は、キリストと共に神の内に隠されているのです。” (コロ 3:3)
“あなたがたは、もしキリストのものだとするなら、とりもなおさず、アブラハムの子孫であり、約束による相続人です。”(ガラ 3:29)
このような前提が、現代のキリスト者にとっては最早当然のことではなくなってしまった、という実態を認めざるを得ないということは、ほんとうに悲しむべきことなのです。

カトリック教会に委ねられた信仰の遺産は、聖伝と聖書という二つの器によって保たれ伝えられて来ました。
それは “難しすぎるものでもなく、遠く及ばぬものでもない”(申 30:11) ので、信者一人一人は自らこれを学んで、その司牧者たちと共に心を一つにすることが出来るのです(神の啓示に関する教義憲章 7,10 参照)。
「あなたがたが “霊” を受けたのは、律法を行ったからですか。 それとも福音を聞いて信じたからですか。」(ガラ 3:2)
あなたがたが自ら読み、ミサでその朗読を聞く聖書は、「洗礼者ヨハネは、○○と言いました ・・・・・ 」、「使徒パウロは、△△と言いました ・・・・・ 」 というようなただの昔話ではなくて、
福音のために命を献げた使徒と殉教者の宣教を伝える “神のことば” の器なのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より

482:神も仏も名無しさん
17/01/14 12:02:01.90 sA4G8DIt.net
聖書を読みなさい!
そして犯罪者になりなさい!

483:神も仏も名無しさん
17/01/14 12:08:04.37 sA4G8DIt.net
聖書を読みなさい!
聖書を読んで憎しみや攻撃的精神を養いまし�


484:蛯、! 貴方も立派な犯罪者の一員になれます!



485:神も仏も名無しさん
17/01/14 15:45:10.27 C9cHB+Yy.net
1月10日 年間第1火曜日 (マコ1,21b-28)

「イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。
人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、
権威ある者としてお教えになったからである。」マコ1,21-22


ただ学んだことを伝えていただけの律法学者と違って、イエス・キリストは、
自らが体験されたこと、実行していたことを宣べておられましたからこそ、
イエスの言葉には力と権威があったのです。

神の国の福音を宣べ伝える使命を与えられている私たちは、
いつもイエスと共に神の国の現実に生きることによって、言葉よりも自分の生き方で、
この使命を果たすことができますように祈りましょう。
 

 
すべてを一つに集めてくださる父よ、
信じる人々が、
あなたにふさわしい礼拝をささげることができるのは
あなたの恵みによるものです。
今ここに集まっているわたしたちが、
約束された国に向かってともに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

ボグスワフ・ノヴァク神父様のホームページ
「キリストの光を全ての人々に」URLリンク(www.nowaksvd.net)

486:老クリスチャン
17/01/16 11:03:43.00 uc6UUoQA.net
「町に災いが起こったなら、それは主がなされたことではないか。」(アモ 3:6)
「しかし、お前たちはわたしに帰らなかったと、主は言われる。」(アモ 4:6,8,9,10,11)
「主を求めよ、そして生きよ。」(アモ 5:6)
以上三つを関連づけて読むと、アモスの預言の意味が分かってきます。

487:神も仏も名無しさん
17/01/16 13:33:18.59 XTwBBXwE.net
>>454
> 聖書を読みなさい!
> 聖書を読んで憎しみや攻撃的精神を養いましょう!
> 貴方も立派な犯罪者の一員になれます!


旧約聖書はおすすめ。
ヒトコロシは悪いことだと思わなくなります。
神はたくさん人をころします。

キリスト教では、その神が、イエス・キリストその方なのです。

488:神も仏も名無しさん
17/01/16 13:39:47.01 XTwBBXwE.net
>>454
> 聖書を読みなさい!
> 聖書を読んで憎しみや攻撃的精神を養いましょう!
> 貴方も立派な犯罪者の一員になれます!


警告

聖書で養われた憎悪・攻撃的精神は、決して自分に向けてはいけません。

489:神も仏も名無しさん
17/01/16 13:59:14.06 3MXnEm0l.net
キリスト教徒が聖書を信じる事は、とても危険な洗脳を受けている

可能性が大です。パウロはイエスの教えに自分の思想を上書き

保存しているからです。イエスは人を裁いたり、見下したり、

自分の優越感を信仰心の燃料にしたりする事を認めていません。

490:神も仏も名無しさん
17/01/16 14:01:43.92 UzikkVp1.net
そのとおりだよね。

パウロから離れたほうがいい。

491:神も仏も名無しさん
17/01/16 14:05:13.31 UzikkVp1.net
旧約聖書を読めば
一番残虐なのは神って分かるよね。

殺せ殺せって言ってるのは神だもんね。

が、あれは神話だからね。

イスラエル人が自分たちの残虐性を神のせいにして
責任逃れしたんだ。

492:神も仏も名無しさん
17/01/16 17:22:42.52 sBoKKq8F.net
それでもいいんだがwwwwwwwwwwwwwwwwww

イスラエル人は他の民族に対して残虐であることを、良くないこととは考えていない。

むしろ良いことだと思っている。

だから神が残虐に描写されているわけだ。これは「良いこと」なわけだよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

493:老クリスチャン
17/01/17 10:39:39.60 8+gO8YqX.net
「主の言葉を聞け、イスラエルの人々よ。 主はこの国の住民を告発される。
この国には、誠実さも慈しみも、神を知ることもないからだ。」(ホセ 4:1)
ホセアはこの “神を知る”、つまり “神の知識” を、以下のように説明しています。
「わたしこそあなたの神、主。 エジプトの地からあなたを導き上った。
わたしのほかに、神を認めてはならない。 わたしのほかに、救いうる者はない。」(ホセ 13:4)

新約の民である私たちにとっての “神の知識”、すなわち “キリストの知識” を、あなたは持っていますか ?
フィリ 3:8-14 参照。

494:神も仏も名無しさん
17/01/17 19:23:00.07 FAIJBTIq


495:.net



496:神も仏も名無しさん
17/01/17 19:26:47.61 8pVwOqaJ.net
その人形劇の脚本家はいねーのかよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

497:神も仏も名無しさん
17/01/17 19:44:18.46 FAIJBTIq.net
>>463
おまえは「キリストの知識」を頼りの綱にして崖にぶら下がる
マムシ。

その綱はやがて切れる。
役に立たないものだったと、そのときに思い知るだろう。
おまえは泣きながら谷底へと墜ちていく。
そのときおまえの手を握り助ける者が現れる。

あわれみの心を持ったフィリピン人の女性が現れる。

498:神も仏も名無しさん
17/01/17 20:05:22.95 FAIJBTIq.net
マムシの目と心をを持つ者よ 。
おまえが引いていく先はマムシの国。
そこには枯れたいちじくの木しか見あたらない。

マタイによる福音書18・10
この小さな者の一人さえ、あなどらないように気をつけよ。
私は言う。この子らの天使は天上にいて、常に天にまします父の前に立っている。

499:神も仏も名無しさん
17/01/17 20:24:47.32 8pVwOqaJ.net
一度ケムシにしてみろよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

500:神も仏も名無しさん
17/01/17 20:37:45.96 FAIJBTIq.net
かの者はマムシ。聖書にそう書かれているのですから。

501:神も仏も名無しさん
17/01/17 20:57:00.57 cWLTegAl.net
>>1

何が聖書を読みなさい! だ。

押しつけがましい。

だから、キリスト教は誤解される。

502:神も仏も名無しさん
17/01/17 21:13:30.79 n6GKzY8v.net
>>461聖書って齟齬だらけの書物なのだ
モーセの十戒に汝、殺すなかれと書かれているのに、殺戮を繰り返すイスラエルの民

503:神も仏も名無しさん
17/01/18 04:46:34.82 zTni/6F9.net
>>471
あれはイスラエル人同士で殺し合いをするなと言う意味だぞ。

異教徒殲滅はむしろ推薦だwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

504:神も仏も名無しさん
17/01/18 05:35:05.55 BX27tUya.net
当時の世界がキリスト教によって殺戮が発生したかのように勘違いしてるね。
紀元前二千年から紀元前七世紀のアッシリアの残虐さと殺戮を少し調べれば、
>>471のような認識は持たないよ。
アッシリアはキリスト教の国ではないのだから。

505:神も仏も名無しさん
17/01/18 18:58:47.47 zTni/6F9.net
ハンムラビ法典ならバビロンだぞwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

聖書のオリジナルははハンムラビ法典だからなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

506:神も仏も名無しさん
17/01/19 05:01:44.56 a7e9XhuD.net
471: 老クリスチャン [] 2017/01/16(月) 16:21:09.64 ID:uc6UUoQA

ID:tClqOa/U
パチンコもスロットもやるお金が無くて、一日中 2ch のあちこちのスレを荒らし回っているのが生き甲斐の、かわいそうな人です。
最近の異常な荒れようからみて、断末魔の老人と思われます。

もちろん 偽物の 「すろ」 で、毎日同じ ID で、いろんな名前に変身しても直ぐ分かります。

507:老クリスチャン
17/01/19 11:39:55.54 BKcZRbmn.net
2002年(主日A年) 1月27日 年間第3主日

イザ 8:23b~9:3  Iコリ 1:10~17  マタ 4:12~23
私たちの主イエス・キリストの福音は、「御国の福音」(マタ v.23) であります。
イエスの宣教はガリラヤから始まりました。
それは洗礼者ヨハネが捕えられたときから始まったと、マタイ福音書は述べています。
神の救いの歴史の新しいページが開かれました。
「すべての預言者と律法が預言したのは、ヨハネの時までである。」(マタ 11:13)
今やイエスの到来によって、新しい出来事 (使 10:37) が始まっていました。

「そのときから、イエスは、“悔い改めよ。 天の国は近づいた” と言って、宣べ伝え始められた。」(マタ v.17)

“天の国” は “神の国” と同義語で、マタイ福音書が “神” と呼ぶ代わりに “天” と表現するユダヤ教の慣習に従ったものです。
イエスの宣教の中心主題は終始この “天の国” でしたから、私たちはそれが何を意味しているのかを、福音書を通して正しく知る必要があります。

神の国という言葉を地上の一つの領域である “国” と考えて、聖書は理想的な社会や国の実現を目指しているかのように、一般に誤解される傾向があります。
しかしこの “国” という語は、聖書では元来、王の支配、統治などを意味する用語であって、神の国とは神が王である状態、神の支配のことなのです(ルカ 1:32-33 参照)。
そしてイエスの宣教は、“天の国は近づいた” でありました。
それは来たるべき新しい世 (マタ 12:32) であり、今の時代 (マタ 11:16) の次に来る別の世なのです。(マタ13章の天の国の譬え話 参照)
しかもこの将来の神の国の支配は、イエスの宣教を通して既にその前兆が現れるほどに “近づいた” のでした。(マタ 12:28 参照)

・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より

508:神も仏も名無しさん
17/01/19 11:40:50.40 jx6BNfuk.net
1月12日 年間第1木曜日 (マコ1,40-45)

「しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。
それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。
それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。」マコ1,45


イエスは重い皮膚病を患っている人に触れることによって、
実際にこの人を清めましたが、
ユダヤ人の法律上、逆にイエスが汚れたものになりましたので、
癒された人が清くなったという証明書を祭司からもらわない限り、
イエスは公の場所に行くことができませんでした。
癒やされた人がイエスの言葉に従わなかったために、
町に入ろうとしたイエスは自分の計画を実現することができませんでした。
けれども、イエスが「人のいない所に」とどまっていても、
(もしかして町に滞在していた人よりも)
多くの人が四方から集まったので、イエスは元の計画よりも、
大きな働きをすることができたのです。
 
私たちは邪魔されて、思い通りにならないときにも気を落とすことなく、
悪や他の望ましくないことから、
より大きな善を引き出すことのできる神を信頼して、
与えられた使命を果たすために、働き続けることができますように祈りましょう。
 
ボグスワフ・ノヴァク神父様のホームページ
「キリストの光を全ての人々に」URLリンク(www.nowaksvd.net)

509:神も仏も名無しさん
17/01/19 16:06:35.92 SZ5UDdeh.net
私はわかってしまったぞー。
アダムとエバが食べた禁断の知恵の実であるが、なぜ禁断と言われたのか・・・。
その実には、【糖分】が含まれていたからだ!
つまり、人間の堕落の原因は、糖質である。
マサイ族の神話を信じるのであれば、本来は一神教であり、神様は【牛】であり、遊牧民であるマサイ族は野菜も果物も食べない。
食べるのは、乳製品である。
あと、時々肉を食べる程度。
糖質を取らないから、快楽に溺れることもなく、非常に淡泊である。
また、視力も良いし、体力もあるし、記憶力もある。
糖質を取り続けた人間は、バカになるし、デブになって動くこともやっとになってしまうし、誘惑にも負けやすい。
悪魔は、この糖質というものをうまく紛れ込ませることで、人間を奴隷化し、支配し続けたんだと思われます。
なので、出来る限り、糖質はカットしていった方が良いかと思う。

510:神も仏も名無しさん
17/01/19 16:13:16.97 SZ5UDdeh.net
肉を食べていた日本人・朝鮮人の一部は、猫を嫌っていたという。
それは、猫=稲作が入り込んできた時から、奴隷化が始まったからだ。
お米は、糖質の塊のような食材で、食べ続けると無気力、無抵抗になる。
よくいえば、優しく温厚になるともいえるの�


511:セが・・・。 また、善悪二元論が始まった国ともいえるインドで生まれた食べ物が【砂糖】であるという事実。 やはり、糖質は禁断の食べ物だったのだ。



512:老クリスチャン
17/01/20 11:05:03.03 WgDxbs7H.net
2008年(主日A年) 1月27日 年間第3主日

イザ 8:23b~9:3  Iコリ 1:10~17  マタ 4:12~23
教会がその初期の頃から、党派的に対立する諸集団となる傾向を持っていたことは、否定できない事実です。
ローマ・カトリック教会が 「キリストの唯一の教会は、 ・・・・・ カトリック教会の内に存在する」 と主張することがいかに正しいとしても、
しかし現実には 「この組織の外にも聖化と真理の要素が数多く見出される」 というのが事実です(教会憲章 8)。

教会は、福音によって、しかもキリストの十字架が空しいものになってしまわぬように福音を宣べ伝えることによって(Iコリ v.17)、“神の教会” となるという一事を大切に考えましょう。
なぜなら、福音が宣べ伝えられるところでは、人々は救われて “主イエス・キリストの現れを待ち望む者” となり(Iコリ 1:7)、
“主も最後まであなたがたをしっかり支えて、わたしたちの主イエス・キリストの日に、非のうちどころのない者にしてくださる”(Iコリ 1:8) ということを、聖書は語っているからです。
それは神の御業であって、救済史と切り離しては決して理解出来ないものです。

キリスト教とは、この世の歴史をよりよいものに改善する “世直し” の宗教だと考えるなら、それは使徒たちが伝え、聖書が語っている福音とは何の関係もない、見当外れな理解であることを知りましょう。

・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より

513:神も仏も名無しさん
17/01/20 11:07:45.29 JNBiZNok.net
1月13日 年間第1金曜日 (マコ2,1-12)

「四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、
イエスのもとに連れて行くことができなかったので、
イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。」
マコ2,3-4


 人間は神の命と愛にあずかるために創造されていますので、
神との愛の交わりに生きているときだけ、真に幸せです。
それゆえに、誰かを神のもとに導くことは、
この人のために最善のことを行うことであり、最高の愛の実践なのです。

私たちは、様々な妨げに出遭っても、それを乗り越えて、ますます多くの人々を、
人間と神との唯一の仲介者であるイエス・キリストのもとに導くことができますように祈りましょう。
 


全能永遠の神よ、
あなたの恵みは限りなく、
人の思いをはるかに超えて世界の上に注がれます。
わたしたちを罪の重荷から解放し、
まことの自由に導いてください。 
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

ボグスワフ・ノヴァク神父様のホームページ
「キリストの光を全ての人々に」URLリンク(www.nowaksvd.net)

514:神も仏も名無しさん
17/01/20 14:17:52.14 MMrGpCP2.net
>>159
> 南無阿弥陀仏@2CH@南無阿弥陀仏@2CH
> @南無阿弥陀仏@2CH@南無阿弥陀仏@2
> CH@南無阿弥陀仏@2CH@南無阿弥陀仏@
> 2CH@南無阿弥陀仏@2CH@南無阿弥陀仏
> @2CH@南無阿弥陀仏@2CH@南無阿弥陀
> 仏@2CH@南無阿弥陀仏@2CH@南無阿弥
> 陀仏@2CH@南無阿弥陀仏@2CH@南無阿
> 弥陀仏@2CH@南無阿弥陀仏@2CH@南無
> 阿弥陀仏@2CH@南無阿弥陀仏@2CH@南
> 無阿弥陀仏@2CH@南無阿弥陀仏@2CH@

515:神も仏も名無しさん
17/01/20 14:22:02.40 MMrGpCP2.net
>>222
> ギリシア語やヘブライ語を学ぶことが、無駄だとは言いませんが、辞書や文法書を使って少しだけ読めるようになったぐらいで自惚れると、かえって落とし穴に落ちる危険があります。
>
> それよりも、日本語の聖書を2・3種類手に入れて、比較しながら読むほうが、ずっと有益です。
> それぞれの翻訳者たちは、一般の信者(私も含めて)とは比べものにならないほど、レベルの高い方々なのです。
> しっかり聖書の素読に励んでいるうちに、福音の理解と共に、彼らへの尊敬と信頼も生まれてくるものです。
>
>   ↓ ★聖書と言語★ ↓  よかったら、ご参考に。
> URLリンク(www.kuwaei2000.com)

516:神も仏も名無しさん
17/01/20 14:22:27.53 MMrGpCP2.net
>>222
> ギリシア語やヘブライ語を学ぶことが、無駄だとは言いませんが、辞書や文法書を使って少しだけ読めるようになったぐらいで自惚れると、かえって落とし穴に落ちる危険があります。
>
> それよりも、日本語の聖書を2・3種類手に入れて、比較しながら読むほうが、ずっと有益です。
> それぞれの翻訳者たちは、一般の信者(私も含めて)とは比べものにならないほど、レベルの高い方々なのです。
> しっかり聖書の素読に励んでいるうちに、福音の理解と共に、彼らへの尊敬と信頼も生まれてくるものです。
>
>   ↓ ★聖書と言語★ ↓  よかったら、ご参考に。
> URLリンク(www.kuwaei2000.com)

517:神も仏も名無しさん
17/01/20 14:22:53.20 MMrGpCP2.net
>>226
> >>218 ただ、毎日毎日読むと疲れませんか?
>
> 私のサイトの お


518:知らせ'w に、 > 「聖書を読むのはそんなにたいへんなことではなく、日常的に新聞や週刊誌を読んでいるレベルの方であれば、一年もあれば全体を通読できます」 > と書いたのには、理由があるんです。 > > 特にプロテスタントの教会では、「毎日一章ずつ読みましょう」とか、もっと短い区切りを作って、「せめて毎日一区切りずつ」などという指導が行われ、信者もそんなオマジナイみたいな読み方で自己満足していることが多いのです。 > 週刊誌をそんな読み方しますか ?  おかしいでしょう。 > > 好きで、興味と意欲があって読むのでなければ、意味がないんですよ。 > 疲れるのに、がんばって読む、なんてのはダメです。受験参考書ではないのですから。御利益ナシ !!



519:神も仏も名無しさん
17/01/20 14:23:19.82 MMrGpCP2.net
>>229
> >>227
> ・文語訳
> ・口語訳
> ・新共同訳
> ・フランシスコ会訳
> あたりを、御自分で比較対照しながら読んでご覧なさい。
> >何回も都合が悪いとこを書き直している
> なんてところが見つかりましたら、それは奇跡です。

520:神も仏も名無しさん
17/01/20 14:23:38.31 MMrGpCP2.net
>>230
> 私のサイトにある「聖書講義」の一部を、紹介させていただきます。
> URLリンク(www.kuwaei2000.com)
>
> 原始教会が "旧約聖書を自らの正典として受け入れた" と言うとき、その教会とは、イエス・キリストの出来事を旧約聖書が語って来た救済史における神の御業の頂点ないし完成として捉え、宣教している共同体でありました(ヘブ1:1-4)。
> ですから、この福音の宣教から切り離しては、キリスト教会における正典というものの意味を正しく理解することは出来ないのです。
>
> そこにあったのは、救済史は教会を通して地上で続行する、つまりキリストの受肉からその再臨までの教会の時は、救済史の一部であるという認識です。
> それ故に第二世紀の教会が新約聖書の正典を、そこには使徒に由来する文書のみを採用するという配慮をもって創ったとき、それは旧約聖書と合わせて一つの正典となったのであって、決して独自に新しい別の正典が誕生したのではありませんでした。

521:神も仏も名無しさん
17/01/20 14:23:58.93 MMrGpCP2.net
>>231
> このような救済史の認識は、啓示によって教会に知らされました。
> 歴史の教会はこの啓示の中にその存在の基礎を持っています。
> この啓示の証人が使徒たちであり(ガラ1:11f)、私たち代々のキリスト者は使徒たちの証しを通して啓示を与えられ、啓示を受け入れるのです。
> 信仰とは、このような使徒たちが証しする啓示に自発的に同意すること(神の啓示に関する教義憲章5)に他なりません。 ローマ・カトリック教会は、聖伝と旧・新約聖書の二つが、使徒たちから伝えられた啓示を伝達する器であると教えています(神の啓示に関する教義憲章7)。
>
> ・・・・・プロテスタントの教会では、聖書だけを唯一の啓示伝達の器(正典)としていますが、上記の主張そのものには異論ないと思います・・・・・

522:神も仏も名無しさん
17/01/20 14:24:19.95 MMrGpCP2.net
>>232
> さて、当然のことながら、教会の教導職(司教と司祭、あるいは牧師と呼ばれる人々)の主要な、そして第一の任務は、信者に使徒たちの証しである啓示の内容を説き聞かせることであり、
> 信仰の目標が救済史の完成である神の国なのだということを教えることです。
> 教会は古くからミサ典礼文や信仰宣言によって、あまりにも明確にこのことを表明して来たにもかかわらず、現代のキリスト教諸教会はそれとは全く違う方向に進んで来てしまいました。
> つまりそれはローマ・カトリック教会だけ、あるいはプロテスタントのある一部だけの問題ではなくて、近・現代という時代の流れであると言う方が当たっているように見えるのです。
>
> 使徒たちの宣教によれば、イエス・キリストの受肉から再臨までの教会の時は、旧約聖書が語って来た救済史の継続であり、その完成の時であります。
> ですから、もし "新しいキリスト教" というものがこの救済史の連続性を断ち切ってそこから脱皮するのであれば、それは新しい別の宗教を始めることであって、
> いわば買収による経営者の交代、父・子・聖霊なる神が "知られざる神"(使17:23)と入れ替わることなのです。 そこではもはや聖書は正典ではなくて、ただの

523:神も仏も名無しさん
17/01/20 14:24:45.47 MMrGpCP2.net
>>237
> 【聖書の読み方 -1-】
> 何よりも第一にお勧めしたいのが、聖書の素読です。
> あるがままの聖書を、そのあるがままに通読するということが、何よりも基本です。
>
> 当然分からないことが多くあるでしょうが、聖書には別途「正解集」というものは用意されてはいません。
> 聖書は聖書によって、理解や解釈の鍵を得ていくというのが、正しい読み方なのです。
> ほんの1ページだけ読んで、自己流でいっぱしの批評をしているような人は、とうてい見込みナシです。
>
> 日本語聖書の翻訳者たちは、一般の信者(私も含めて)とは比べものにならないほどレベルの高い方々であって、その仕事というのは、ただ外国語(ギリシア語やヘブライ語)を日本語や英語に "変換" するような単純なものではありません。
> ですから、しっかり聖書の素読に励んでいると、やがて福音の理解と共に、彼らへの尊敬と信頼も生まれてくるものです。

524:神も仏も名無しさん
17/01/20 14:25:08.86 MMrGpCP2.net
>>238
> 【聖書の読み方 -2-】
> 聖書を読むのはそんなにたいへんなことではなく、日常的に新聞や週刊誌を読んでいるレベルの方であれば、一年もあれば全体を通読できます。
> ただ、聖書は本質的に信仰の書でありますから、私たちは信仰と祈りを以てこれを読むことが大切です。
>
> しかし、疲れるのに義務としてがんばって読む、などという読み方は、受験参考書ではないのですから御利益はありません。
> 読む以上は、好きで興味と意欲があって読むのでなければ、意味がないのです。
> そして大切なことは、繰り返し旧・新約聖書全体を通読することです。どうぞ、聖書が好きになってください !!
>
> 現行の日本語聖書として主なものは、「新共同訳」と「フランシスコ会訳」の二つですが、同じ原典の底本を使っているので、そんなに大きな訳文の違いはありません。
> ただ後者には、聖書各巻の初めに簡単な解説と、本文に豊富な訳注がついているので、これから新しく購入する人にはオススメです。

525:神も仏も名無しさん
17/01/20 14:25:34.47 MMrGpCP2.net
>>240
> 【聖書の読み方 -3-】
> 聖書は、古代の書物です。しかもその古代というのが、ほぼ一千年余もの永い時代にまたがっているので、歴史的・文化的にもいろいろ異なる時代背景を考慮しないと、その元来の意味を正しく読み取ることが出来ません。
> このような古代の諸文書を、現代人である私たちに理解出来るようにしてくれるのが、聖書神学者や聖書翻訳者という専門家の仕事なのです。
>
> 教会ではしばしば、信徒たちに聖書を学ばせようとして、いろいろな集まりや行事を工夫したり行ったりします。
> するとみんなが、聖書の中のあの言葉この言葉を取り上げて、それぞれ自分の感想を述べたりすることが多いようです。
> また「証し」などと称して、信徒が聖書から受けた教訓や感激などを、一同に紹介することも、よく行われます。
> でも・・・・・それは、神のことばを聞いた、福音の慰めを受けた、救いの確信を得た、というのとは何か違うのではないかと・・・・・、あなたは思ったことはありませんか。
>
> 聖書が自ら語っているメッセージを明確に聞き取るためには、翻訳された聖書のテキストを素直に読んで理解することこそが大切なのであって、自己流の解釈や評価、感想や意見などを皆

526:神も仏も名無しさん
17/01/20 14:26:01.53 MMrGpCP2.net
>>241
> 【聖書を読む目的 -1-】
> 旧・新約聖書は、神の救済の歴史をその民の信仰の告白、あるいは宣教という形で語っている文書であります。
> 旧約のイスラエルにとっても新約の教会にとっても、その民の礼拝(あるいは祭)の中心主題はいつも、この救済史の叙述(つまり説教や信仰宣言、あるいは別の表現では記念)でありました。
>
> ですから聖書が、自然科学の教科書ではないという当たり前のことが、先ず明確にされなければなりません。
> ヘロデ王が学者たちをベツレヘムへと送り出すと、東方で見た星が彼らに先立って進み、幼子イエスのいる場所の上に止まったと、マタ2:8f に書かれています。
> これをあくまで実際に起こった奇跡的現象だと信じても、あるいはそんなことは実際には起こり得ないと主張してみても、どちらに転んでも、聖書から 「神のことば」 を正しく聞き取ることには何の関係もないのです。
>
> 教会共同体がキリストの名によって集まるところ(マタ18:20)、すなわち礼拝というものの、その中心主題は神の救いの御業です。
> この 「救済史における神の御業への信仰告白的宣教」 を聞き取ることこそが、聖書を読む第一の目的であることを理解しましょう。

527:神も仏も名無しさん
17/01/20 14:26:39.12 MMrGpCP2.net
>>246
> 【聖書を読む目的 -2-】
> ですから私たち信者が聖書を学ぶということは、ある特定の歴史(救済史)を通して神が行われた救いの業を、信仰と愛と感謝をもってたどることに他なりません。
> 私たちにとって、歴史こそが神の啓示の主要な舞台だからです。
>
> この "歴史を通しての神の救いの業" は、旧約聖書においてはイスラエルにより、新約聖書においては新しいイスラエルである教会による解釈に基づいて、記録されています。
> それではこの、それぞれの時代の多くの出来事を理解し解釈して来た基準とは、何だったのでしょうか。
> 聖書を読むことにおける真に重要な第一の目的は、この解釈の基準を見出すことでなければなりません。
>
> 私のウェブ・サイトの中の ●聖書講義(2015年)● → 7.神の選び/(選ばれた)神の民 を参照。
> URLリンク(www.kuwaei2000.com)

528:神も仏も名無しさん
17/01/20 14:27:03.76 MMrGpCP2.net
>>248
> 【聖書を読む目的 -3-】
> 初期のイスラエルは、彼らの父祖アブラハムに対する神の選びと約束(創12:2f)が、(1) 出エジプトとシナイにおける民族の形成、(2) 嗣業の地の取得、(3) ダビデ王国の成立、という三段階において実現したと理解しました。
> そしてこの信仰基準を輪郭として、モーセ五書と申命記が編集され、それ以降の旧約の歴史はすべてこの光の下で解釈されたのです。
>
> 原始教会は、この救済史における神の御業がイエス・キリストの出来事によって頂点に達し、現実になったと宣教しました。
> 今や新しいイスラエルである教会は主なるキリストの支配下にあって、最終的な勝利はその再臨において完成するのです。
>
> 聖書の中では "神のことば" という用語が多く使われていますが、それは決して歴史の過去および将来におけるこのような "神の行為" から切り離しては理解出来ないものなのです。
> なぜなら、聖書が述べている "神のことば" は、天地創造から終末の神の国到来に至る救済史(神の救いの御業の歴史)とは無関係な、独立した抽象的な真理のようなものではないからです。

529:神も仏も名無しさん
17/01/20 16:02:00.31 MMrGpCP2.net
>>252
> 【聖書を読む目的 -4-】
> 礼拝における "説教" とは、このような意味での "神のことば" が確かに語られ、会衆がそれを聞き取るときにだけ、真に説教になります。
> 「あなたは今朝、どのような神のことばを語ることが出来ましたか ?」 「聞くことが出来ましたか ?」 という質問に、喜びをもって答えることが出来るのでなければ、それは説教ではない ! のです。
>
> 当然、牧師や司祭はその説教の務めのために、熱心に聖書を読まなければなりません。
> また信者自身も、真剣に聖書を読んで備えているのでなければ、「すぐにサタンが来て、蒔かれた御言葉を奪い去る」(マコ4:15)ということが起こります。
>
> たとえ説教者の能力や信仰が足りない・・・・・実際そう思えることが多いのですが・・・・・場合でさえも、よく準備して礼拝に参加している信者は、その日の朗読聖書を通して自ら "神のことば" を聞くことがあるのです。
> いずれにしても、聖書を熱心に読み学ぶという熱意と意欲のないところでは、説教者も信者も共に、「見るには見るが認めず、聞くには聞くが理解できない」(マコ4:12)のです。

530:神も仏も名無しさん
17/01/20 16:02:20.58 MMrGpCP2.net
>>253
> 【聖書と説教 -1-】
> 教会の福音宣教の働きは、基本的にはすべての信者に神から与えられた課題であるという主張には、恐らく反対する人はいないでしょう。
> しかし牧師にせよ信徒にせよ、正しく 「福音」「救い」


531:「信仰」 を自分のものにしている (理解している、説明出来る) ということがないと、実際にはそれはただの空論になってしまいます。 > > 歴史的にはすでに一世紀末から二世紀にかけて、教会の位階的構成というものが整えられ始めると、教導職(司教と司祭)と信徒の区別が徐々に強調されるようになります。 > クレメンスの牧会書簡は、恐らく当時の司教に関して、正しい教理を学び・伝承し・守護することがその使命であると強調しています。 > > 組織としてのキリスト教会は、最初にカトリック教会として成立しました。 歴史を学ぶ者は、この事実の重みを決して無視することは出来ません。 > その萌芽は極めて早い頃にあり、やがて成長して三世紀の初頭には、堅固な骨組みとして「出来上がって」いました。



532:神も仏も名無しさん
17/01/20 16:02:52.54 MMrGpCP2.net
>>254
> 【聖書と説教 -2-】
> 五世紀から六世紀にかけて、ローマ・カトリック教会がゲルマンの世界を支配するようになった頃に、教導職と信徒の区別の意味が、古代教会におけるのとは全く違ったものに変化するということが起こります。
> それは 「教導職とは教養ある者、平信徒とは教養なき者」 という理解です。
>
> カトリック教会の優越した文化がゲルマン民族を支配したのです。
> そしてゲルマン民族は宗教の橋を渡ってこの教養の国に入り、蛮族であることをやめて行きました。
>
> 修道者を含むこの教導職という階層が、あらゆる学問、技術、教養を独占するという社会システムは、やがてルネッサンスと宗教改革を経て近代に至るまで確実に破壊されて行くのですが、建前としては残ります。
> 正しく 「福音」「救い」「信仰」 を自分のものにしている (理解している、説明出来る) ということとは関係のない、このような教導職と信徒の区別という建前を、あなたは現代の自分の教会でも見ているのではありませんか。

533:神も仏も名無しさん
17/01/20 16:03:20.37 MMrGpCP2.net
>>255
> 【聖書と説教 -3-】
> 一般的に牧師や司祭の 「説教」 というものが、ただの 「よいお話し」 であって、聖書が伝える使徒たちの宣教の継続とは何の関係もないというのが、多くの教会の偽らざる現実であります。
> かつて原始教会が、どのように福音を理解し、信じ、宣教したかは、まるでそのままでは現代には通用しない古い時代の話だと、思い込んでいる節があるのです。
>
> 聖書は、現代人の知恵で解釈することによって、そこから有用な教訓や教えを引き出すために用いるものだと、多くのクリスチャンが本気で考えています。
> つまり聖書は神の言葉であるとか、聖書を通して神の言葉を聞くなどという表現は、ただの宗教用語に過ぎなくなっているのです。
>
> どうしてそんなことになってしまったのでしょう。
> 私のウェブ・サイト URLリンク(www.kuwaei2000.com) で、その分析をしています。ご参照ください。 
> ●聖書講義(2015年)● → 2.19世紀の名残/教導職と信徒のキリスト教理解 

534:神も仏も名無しさん
17/01/20 16:03:43.13 MMrGpCP2.net
>>256
> 【聖書と説教 -4-】
> 一般に人々は、牧師や司祭と呼ばれる人は皆、聖書の専門家であるとか神学者であると思っているものです。
> しかし実は皆さん実態をご存じないのであって、ほとんどの司教や司祭も、また牧師たちも、神学者ではない ・・・ 神学者になるということは、そんな片手間で簡単に出来るものではないのです。
>
> しかもその上に、大部分の教会指導者たちは、そのような本格的な神学の成果を神学書によって学び、自分の説教に取り入れる能力にさえ欠けているのが現実です。
>
> 冷静に考えれば分かることですが、日本のキリスト教人口は極端に少ないのですから、確率から言っても、そんなに有能な人材が滅多にいないのは当然です。
> その意味で、牧師や司祭と一般信者との間に、教養や知識、能力に優劣の差があるなどと考えるのは、全く間違っています。
> 彼らは、UFO に乗ってどこかから来たのではなくて、現実のこの日本の貧弱な教会が産み出した人々なのですから、せいぜい信者全体の平均レベル、下手をすると平均以下の人物だと考えた方がよいのです。

535:神も仏も名無しさん
17/01/20 16:04:09.98 MMrGpCP2.net
>>257
> 【聖書と説教 -5-】
> ここからは、しばらく私自身の体験に基づいてお話しをしてみます。
>
> 先ず、私はこれまで神学を学ぶに当たってはいつも、学界で主流であるような学説に絞って、自分の学びを進めて来ました。
> つまり背伸びをして一人前の神学者ぶるのではなくて、あくまでも神学の成果の利用者に徹して来たのです。
> すでに神学校の学部時代に、いろいろな神学書を少しずつ読んでいましたが、やがて大学院で学ぶ頃には、自分の能力と将来の説教者としての仕事のことを思って、比較的楽に読めるような中程度のレベルの神学書を買うようになって行きます。
>
> その頃に私は、もう一つの実際的な問題に関心を持つようになって来ました。
> それは、将来自分が一つの教会を任されるようになったとき、主日ごとに説教に使う聖書のテキストはどのようにして選んだらよいのかということです。
>
> 神学校で学ぶことというのは、実はほんの序の口、いわば入門的なことだけであって、実際に教会に遣わされてからが本当の勝負だからです。

536:神も仏も名無しさん
17/01/20 16:04:59.03 MMrGpCP2.net
>>259
> 【聖書と説教 -6-】
> 牧師でも司祭でも、実際に教会を担任するようになると、べらぼうな程に忙しい日々の連続で、まともに書斎で勉強する暇などないような生活が始まります。
>
> それで神学校在学中に、何人かの教授や先輩から、初めの頃は 「連続講解説教」 をするのがよいと助言されました。
> つまり一年二年するうちに、少なくとも注解書を一冊勉強することが出来るから、というのです。
> また別の教授からは、せめて一年に一冊は神学書を、頑張って学ぶように努力しなさいと励まされました。
>
> つまりそれは本人の努力次第の、実に厳しい世界であって、実際には大部分の牧師や司祭は、神学を学ぶことからは離れてしまうのが現実の姿なのです。
> そのようにして、本格的な神学の成果を神学書によって学んで自分の説教に取り入れるなどという能力を持つに至らずに、たいていはその生涯を閉じて行きます。

537:神も仏も名無しさん
17/01/20 16:05:50.90 MMrGpCP2.net
>>261
> ●本日の追加書き込み● 2ch での論客たちの正体を見分ける方法
>
> 「キリスト」 や 「聖書」 に関する書き込みは、どこの掲示板でもたくさんの論客たちで賑わっています。
> しかし、ほとんど 「信仰」 とは関係のない、いわば得手勝手な理屈や主張のキャッチボールが行われているだけです。
> 一人のキリスト者としての信仰に関心を持つ人、ましてや 「教会の信仰」 というものを自分自身の問題として考える人はいません。
>
> また多くの牧師たちも含めて、聖書の話(説教や解説など)をする人たちのほとんどが、ほとんど自己流の主張や解釈をしているだけで、正しい意味で 「神学的に聖書を釈義する」 ということを知りません。
> 神学は学問ですが、決して 学問 = 神学 ではありません。
> ですから同様に 聖書学 ≠ 聖書神学であり、古代オリエント考古学 ≠ 聖書考古学 であるということが理解出来ていないと、結局 「神学的に聖書を釈義する」 ことから離れてしまうことになります。

538:神も仏も名無しさん
17/01/20 16:06:47.14 MMrGpCP2.net
>>270
> 【聖書と説教 -7-】
> 牧師や司祭の無能を非難するのは簡単なことです。 しかし信徒は、それが "無い物ねだり" にしか過ぎないことを理解すべきなのです。
> なぜなら彼らを生み出したのは、現在の貧弱なレベルの教会なのであって、鳶(とんび)が鷹(たか)を生んだりする筈はないからです。
>
> 教会の福音宣教の働きは、基本的にはすべての信者に神から与えられた課題であるということを、もう一度考えましょう。
> 牧師にせよ信徒にせよ、正しく 「福音」「救い」「信仰」 を自分のものにする (理解し、説明出来る) ということは、神の御前での責任と使命なのですから。
>
> 「教導職とは教養ある者、平信徒とは教養なき者」 などという建前に逃避するのは止めましょう。
> そうではなくて、信徒たち自身が各自の能力に応じて神学を学び、聖書を学んで、教会を造り上げる 「生きた石」(Iベト2:5)として用いられることこそが、現代の教会の喫緊の課題なのです。

539:神も仏も名無しさん
17/01/20 16:07:12.09 MMrGpCP2.net
>>271
> 【聖書と説教 -8-】
> 私はかなり早い時期から、教会暦とそれによる聖書日課に注目して、いろいろと参考資料を探し出し�


540:ト研究していました。 > そして実際に、自分の説教にこの聖書日課表によるテキストを用い始めました。 > > 私が利用したのは、1955年版のドイツ語の聖書の末尾にある日課表で、古くからの伝統的なペリコーペ(日課表)と、新しく作られたペリコーペが、並べて掲載されていました。 > 教会暦についても、・・・ 当時も現在も同じですが ・・・ 満足出来るような解説書がほとんどなくて、全くの手探り状態であったことを覚えています。 > > そうこうしているうちに全く偶然に、既に 1957年に翻訳発売されていた A.Nygren の 「神の福音」 という本に出会い、私はそれを入手して読んだのでした。 > ニグレンはあの有名な 「アガペーとエロース」 の著者で、スエーデンのルター派の神学者だった人です。



541:神も仏も名無しさん
17/01/20 16:07:34.99 MMrGpCP2.net
>>274
> 【聖書と説教 -9-】
> この 「神の福音」 という小著は、ニグレンがルンド教区の監督となったときにその教区民に宛てた牧会書簡で、その第四章で "説教における福音" という主題を取り上げています。
> 私が非常に多くの感銘を受けた章なので、その中からいくつかの文章を引用してみたいと思います。
>
> 「われわれの神に対する奉仕が本質的には説教という形をとるのは偶然ではありません。 言葉の説教なくして礼拝はあり得ません。」
> 「礼拝の意義は、神からの使信をもたらすことでありますから、説教の根底に聖句の特定の箇所がなければなりません。」
> 「説教者は、自分の言葉や自分の思想を提供するのではなく、他のお方の使者として臨まなければなりません。」
> 「彼の宣べ伝えんとする言は "わたしはかく言う、かく考える"、"これはかくかくの権威者の考えである" ・・・・・ というものであってはなりません。」
> 「説教がかたく聖書のテキストに基礎をおく場合、宣べ伝えられんとする使信は神の使信であるということを意味しております。」

542:神も仏も名無しさん
17/01/20 16:08:00.80 MMrGpCP2.net
>>275
> 【聖書と説教 -10-】
> ニグレンは、説教の準備としての聖書釈義の重要性を述べた後に、しかし説教は単なるテキストの講解に終わってはならないと警告して、次のように述べるのです。
>
> 「かくして説教の基礎となるテキストは、その真の福音的性質、すなわち使信の性質を留めるように取り扱われるべきです。」
> 「この目的のために貴い助けとなるものは、教会暦の前後関係のうちにあるこれらのテキストの配列であります。」
> 「事実、聖書から選ばれたテキストを順序をたてて配列している教会暦は、使信としての福音の性質を非常によく証ししております。」
>
> 私はそれまでの、自分の手探り状態でのペリコーペ利用のおかげで、古くからルター派の教会が使用して来た教会暦と聖書日課に関するニグレンの説明を、直ちに理解することが出来ました。
> このニグレンの著書を読んだ読者の中で、いったいどれだけの人がペリコーペというものの大きな意義を理解したでしょうか。
> 何年も聖書日課に実際に取り組む経験をして来た人でなければ、それを真に理解することは出来ないだろうと、私は思いました。

543:老クリスチャン
17/01/21 11:27:48.04 gZiwBO/i.net
以前の私の書き込みを、再掲してくださってありがとうございます。
私が、自分の信仰の情熱をもって綴ったこれらの文章を、ご自分の信仰で受け止めてくださる方々がいることを感謝しています。

544:老クリスチャン
17/01/21 11:28:40.80 gZiwBO/i.net
2011年(主日A年) 1月23日 年間第3主日

イザ 8:23b~9:3  Iコリ 1:10~17  マタ 4:12~23
アッシリアの王ティグラト・ピレセルⅢが征服したガリラヤ地方でも(王下 15:29)、住民の入れ替えが行われて(王下 17:24 参照)、今やそこは 「異邦人のガリラヤ」(イザ v.23) になっていました。
恐らくイザヤがこの預言を語った頃、すでに北イスラエルの繁栄と栄華は過去のものになっていたことでしょう。
私たちは現在、この時代に活動したホセア、アモス、イザヤの預言を旧約聖書で読むことが出来ます。

今や残された南王国ユダで、神の福音が語られ始めていました。
ただ 「万軍の主の熱意がこれを成し遂げる」(イザ 9:6) ことにだけ信頼し期待する、そのような神の民の信仰の遺産が、
やがてイエスに、そして原始教会に受け継がれたことを理解するとき、私たちはキリストの福音が “時が満ちて”(ガラ 4:4) “神が実現された永遠の計画”(エフェ 3:11) であることを知って驚くのです。

マタ 4:17 の 「そのときから」 開始された、イエスと使徒たちによる “御国の福音の宣教” の現代における継続が、“落日の国、日本で” 再開する日を (カトリック新聞 2011.1.23日号)、ウィリアム・グリム神父と共に、神に願い求めて行こうではありませんか。

・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より

545:神も仏も名無しさん
17/01/21 11:30:57.21 cmP6Mi+q.net
>>481
1月14日 年間第1土曜日 (マコ2,13-17)

「イエスはこれを聞いて言われた。
『医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。わたしが来たのは、
正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。』」マコ2,17


どこにでもおられ、何でも見ておられる神が存在さえしなかったならば、
人間は罰せられずに、何の心配もすることなく罪を犯すことができたと思う人がいますが、
それは大きな誤解なのです。罪を犯した人が体験しているいろいろな苦しみは、
神が与える罰ではなく、罪の結果なのです。医者が病気の人を癒すように、
神は罪によって苦しみ、自由を失った人を助け、解放するように働いておられる方なのです。

私たちは、罪を犯すことがあれば、私たちを愛し罪から解放することのできる方が、
一緒にいてくださることに希望を見出して、レビのように心を開いて、
罪の最終的な結果を味わうことにならないうちに、
癒しの恵みをいただくことができますように祈りましょう。



いつくしみ深い父よ、
あなたはわたしたちを選び、光の子としてくださいました。
わたしたちが罪のやみに迷うことなく、
いつも真理の光のうちに歩むことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

ボグスワフ・ノヴァク神父様のホームページ
「キリストの光を全ての人々に」URLリンク(www.nowaksvd.net)

546:神も仏も名無しさん
17/01/21 11:31:22.15 cmP6Mi+q.net
1月16日 年間第2月曜日 (マコ2,18-22)

「だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。
そんなことをすれば、ぶどう酒は革袋を破り、ぶどう酒も革袋もだめになる。
新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。」マコ2,22


新しいぶどう酒が、古い革袋ではなく、新しい革袋に入れられるときだけ、
保管され役に立つものとなるように、
人間は、イエス・キリストを受け入れることによって、
父である神と新しい関係に生きるようになり、それによって初めて、
イエスの教えによって生かされて、豊かな人生を送ることができるのです。
私たちはイエスと共に、
イエスがご自分の言葉と模範を通して示してくださった道を歩むことによって、
常に成長し、イエスご自身の姿に変えられますように祈りましょう。



万物を治められる神よ、
世界の歩みを力強く導いてください。
現代に生きる教会が人々に仕え、
平和のために尽くすことができますように。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

ボグスワフ・ノヴァク神父様のホームページ
「キリストの光を全ての人々に」URLリンク(www.nowaksvd.net)

547:神も仏も名無しさん
17/01/21 11:31:58.48 cmP6Mi+q.net
1月17日 年間第2火曜日 (マコ2,23-28)

「そして更に言われた。
『安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。』」
(マコ2,27)


神が、掟によって人間を支配したり、
コントロールしたりすると考える人が大勢いるようですが、
イエス・キリストが教えているとおりに、人間が作った法律と違って、
神が与えてくださった掟は、必ず人のためにあるものなのです。
つまり、神が何かを禁じるのは、それが人間にとって悪いもので、
害を与えるものであるからです。また、何かを命じるのは、
それが人間にとって良いもので、人間を生かすものであるからです。
 
私たちは、父である神がイエス・キリストを通して与えてくださった教えを、
永遠の命への道しるべとして受け入れ、
この教えが示している道を歩むことによって、
人間として成長し、完成されますように祈りましょう。

*

1月17日 聖アントニオ修道院長   (記)
聖なる父よ、
あなたは聖アントニオが、砂漠の孤独の中
であなたに仕えるよう選ばれました。聖人の取り次ぎを
求めるわたしたちが、自分を捨て、すべてを越えてあな
たを愛することができるよう、恵みをお与えください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

ボグスワフ・ノヴァク神父様のホームページ
「キリストの光を全ての人々に」URLリンク(www.nowaksvd.net)

548:老クリスチャン
17/01/23 11:26:51.04 GXeaH1yR.net
「告白を神へのいけにえとしてささげ、いと高き神に満願の献げ物をせよ。
それから、わたしを呼ぶがよい。
苦難の日、わたしはお前を救おう。」(詩 50:14-15)

549:神も仏も名無しさん
17/01/23 11:29:11.64 LKA7jyDN.net
「ですから私は神に改心する異邦人を悩ませてはいけないと思います。」(使徒15:19)

550:神も仏も名無しさん
17/01/23 11:32:11.46 LKA7jyDN.net
聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせない
ことに決めました。すなわち、偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の
肉と、みだらな行いとを避けることです。以上を慎めばよいのです。
健康を祈ります。(使徒15:28-29)

551:鬼和尚
17/01/23 11:34:53.85 FieoGozl.net
>>513告白は神の生け贄とは知らんかったのじゃ
本当だったら凄いのじゃ
悟りに通じるものがあるのじゃ

552:老クリスチャン
17/01/23 12:56:25.77 GXeaH1yR.net
>>516
和尚さんは、聖書にはあまりご縁がありませんようで、誤解を与えて申し訳ありません。

この 「告白」 という言葉が何を意味しているか、分かる人には分かりますが、(キリスト教の人々の間でも) 分からない人には、まるで見当外れな誤解が生じます。

この引用部分は、その前の 詩 50:8-13 に続いて述べられているので、「告白」 = 「いけにえ」 と言っているのではありません。
そうではなくて、告白を 「“いけにえ” として」 ささげなさいと述べているのです。

553:神も仏も名無しさん
17/01/23 17:43:01.79 DLd8Vz4l.net
長くて読む気しない
何が書いてあるの?
ザックリ教えて

554:老クリスチャン
17/01/24 12:23:06.00 uF2rjAgw.net
>>513 の つづき

旧新約聖書においても、また教会の礼拝においても、「告白」 という用語は本来、何よりも先ず 「神への賛美」 の意味で使われて来ました。
この 「告白」 とは、「神の救済史の御業」 に対する 「主の民の賛美」 のことなのです。

「告白をいけにえとしてささげる人は、わたしを栄光に輝かすであろう。
道を正す人に、わたしは神の救いを示そう。」(詩 50:23)

聖書が語る 「悔い改め」 とは、「民が神への賛美へと立ち帰ること」 であり、民がその礼拝を通して 「神を栄光に輝かせ、その救いを示す」 ことに他なりません。
そのような教会の告白の、最も基本的な形が、「信条」 であります。

555:神も仏も名無しさん
17/01/24 23:28:11.17 YAm4FFK0.net
みことばを
理解できない
老まむし

556:鬼和尚
17/01/25 10:28:07.56 kWA56uiP.net
>>517同じように聞こえるのじゃ

557:老クリスチャン
17/01/26 11:10:13.93 Fm59kvt0.net
2002年(主日A年) 2月3日 年間第4主日
ゼファ 2:3, 3:12-13  Iコリ 1:26~31  マタ 5:1~12a

マタイ福音書がいわゆる “山上の説教” という形でまとめている 5~ 7章の最初のところに、今朝の日課である 「幸いである」 は置かれています。
イエスは


558:集まってきた大勢の群衆から離れて、弟子たち (だけ) を教えるために、山に登られました。 ここでは “山” は、マタ 14:23 の場合と同じように、“自分たちだけになる場所” を意味していたと思われます。 そこで、イエスは口を開き、教えられました。 「心の貧しい人々は、幸いである。 天の国はその人たちのものである。」(マタ v.3) マタイはここで、使徒たちが主イエスから聞いた 「御国の福音」(マタ 4:23) を、私たちに伝えようとしているのです。 “近づいている天の国” は、「心の貧しい人々」 「悲しむ (嘆いている) 人々」 のものであると、イザ 61:1-2 からの引用に従ってイエスは語り始められます。 マタ v.3 と マタ v.10 の 「天の国」 は、マタ vv.4-9 でも等しく前提となっているものです。 「(天の国で) 慰められる」 「(天の国でその) 地を受け継ぐ」 「(天の国で) 満たされる」 「(天の国で) 憐れみを受ける」 「(天の国で) 神を見る」 「(天の国で) 神の子と呼ばれる」、 そして マタ v.11 の 「わたしのために」 は “天の国のために” と同じ意味です。 キリスト教会の土台である使徒たち (エフェ 2:20) は、心の貧しい (神の前にへりくだった) 人々、悲しむ (イスラエルの慰められるのを待ち望む/ルカ 2:25) 人々となるように、主イエスによって選ばれました。 その彼らに、後に主イエスは言われます。 「はっきり言っておく。 新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、12の座に座ってイスラエルの12の部族を治めることになる。」(マタ 19:28) 私たちが教会や福音について理解する土台が使徒たちの証言 (伝承) であるように、そのように天の国でも使徒たちは主と共に治めることになるのです。



559:神も仏も名無しさん
17/01/26 22:09:07.49 W/hp5p8+.net
和尚よ
素人目には
見まがうぞ

560:神も仏も名無しさん
17/01/27 09:46:11.39 P+Lf5lW1.net
創世記から。
「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう。
また地のすべての獣、空のすべての鳥、地を這うすべてのもの、すなわち命あるものには、食物としてすべての青草を与える」
ここには、種をもつ草と種のある実を結ぶ木が人間の食べ物だって書いてあるんだよなぁ。
なのに、なぜ肉食べてるの?魚食べてるの?本当は食べちゃいけなかったんじゃないの?
あと、生き物も、みんな草を食べてたんだね。
ってことは、本来、肉食動物なんて生き物はいなかったってことだよね。
どこで狂ったんだろうなぁ。
キリスト教でエッセネ派ってあるけど、エッセネ派って肉や魚って食べないんだよね。
あとは、インドにあるジャイナ教とかね。
天理教の中山みきが「獣の世になった」って言ってたけど、本当なんだな・・・。
肉食べる民族って、我慢できないし、我が強いし、理性的じゃないし。
韓国人を見ればわかる。

561:老クリスチャン
17/01/27 12:17:29.60 d58IVHDv.net
2005年(主日A年) 1月30日 年間第4主日
ゼファ 2:3,3:12~13  Iコリ 1:26~31  マタ 5:1~12

「イエスはこの群衆を見て、山に登られた。 腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。 そこで、イエスは口を開き、教えられた。」(マタ vv.1-2)

主イエスが山に登られたのは、ひととき群衆から離れて弟子たちだけを教えるためであったと、マタイ福音書はここで説明しているように思えます(マコ 3:13、マタ 14:23 参照)。
そこで語られているのは主の弟子たちのあるべき姿であって、それはイスラエルの信仰の伝統を表現する数々の言葉でありました。

「心の貧しい人々」(マタ v.3) とは神への敬虔の表現であり、「悲しむ人々」(マタ v.4) とはイスラエルの慰められるのを待ち望む (ルカ 2:25) 人々を指しています。
「地を受け継ぐ」(マタ v.5) とは天の国に入ることであって、神の救いの完成を待望するイスラエルの信仰を表しています。
詩 37 には 「主に望みをおく人は、地を継ぐ。 ・・・・・ 貧しい人は地を継ぎ、・・・・・」 と歌われています。
「義」(マタ vv.6,10) はマタイ福音書では “メシア的苦難の僕” としてのイエスによって実現する贖い、救済史の目標である神の民の救いを意味しています。
「神を見る」(マタ v.8) は神の国の祝福の頂点であって(エズ・ラ 7:98、黙 22:4 参照)、心の清い人 (詩 24:4) への祝福のことであり、「平和を実現する人々」(マタ v.9) とはキリストによる和解の福音を宣べ伝える使徒たち (IIコリ 5:18以下) の姿そのものです。

このような “御国の福音の宣教者” としての使徒たちの姿を描くことによって、マタイ福音書は私たちキリスト者が何に耳を傾けるべきかを示しました。
使徒たちをこのような者として理解し、その使徒たちに委ねられた福音を正しく聞くことは、21世紀の教会にとっての緊急の課題でなくて何でしょう。

・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より

562:神も仏も名無しさん
17/01/27 12:21:44.45 C7TaQ7gS.net
。。。。


† エペソ6章10-12節

終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また天にいるもろもろの悪霊に対するものです。


。。。。

563:老クリスチャン
17/01/28 14:55:53.84 Pv1z9Jjg.net
2011年(主日A年) 1月30日 年間第4主日
ゼファ 2:3, 3:12-13  Iコリ 1:26~31  マタ 5:1~12a

「恵みの業を求めよ、苦しみに耐えることを求めよ。」(ゼファ 2:3)
「主の怒りの日がお前たちに臨まぬうちに。」(ゼファ 2:2)
     
今日、新約聖書が語っている “主の日は近い” というキリストの再臨についての言葉を、もはや真面目に受け取ることをしない人々が多いのです。
神が歴史の主であるということを、つまり聖書が証言する救済史を信じない “キリスト信者” が、どちらかといえば普通なのです。

ゼファ 2:3 の 「恵みの業」 とは、人の業ではなくて神の業 (צדק/şedeq) であることを、ここで指摘しておくことが大切に思われます。
天の国で喜ぶことが出来る人 (マタ 5:12) とは、この神の業に望みをおいて 「苦しめられ、卑しめられた民」(ゼファ 3:12) であると、今朝の朗読聖書は語っているのです。

詩編 42-43 の祈りが、現代の私たちの祈りでありますように。

「なぜうなだれるのか、わたしの魂よなぜ呻くのか。 神を待ち望め。 わたしはなお、告白しよう。 “御顔こそ、わたしの救い” と。 わたしの神よ。」

・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より

564:神も仏も名無しさん
17/01/28 15:27:08.70 C7wLJVEl.net
1月18日 年間第2水曜日 (マコ3,1-6)

「そこで、イエスは怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、
その人に、『手を伸ばしなさい』と言われた。伸ばすと、手は元どおりになった。」
マコ3,5


人間の頑なな心は、イエスの深い悲しみと怒りの原因となっています。なぜなら、
その人が心を開かない限り、父である神は御ひとり子を与えるほどに人を愛しておられても、
その人に必要な善を与えることも、愛を心の中に注ぐこともできないし、
その人は、神の尊い恵みを無駄にし、他人を傷つけ、自分の滅びを招くからです。
したがって、この怒りは人に対する怒りではなく、
それだけ酷い結果をもたらす頑なな心という現状に対する怒りなのです。

ますます多くの人々が、神のいつくしみ深い愛の素晴らしさを知り、
父である神に信頼するようになり、
心を開いて神の愛と命を受け入れることができますように祈りましょう。



聖なる父よ、
あなたは倒れていた世界を、
キリストの死によって、
新しいいのちに立ち上がらせてくださいました。
信じる者を罪の束縛から解放し、
終わりのない喜びを味わわせてください。
聖霊の交わりの中で、
あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、
わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。

ボグスワフ・ノヴァク神父様のホームページ
「キリストの光を全ての人々に」URLリンク(www.nowaksvd.net)

565:神も仏も名無しさん
17/01/28 15:27:27.03 C7wLJVEl.net
1月19日 年間第2木曜日 (マコ3,7-12)

「そこで、イエスは弟子たちに小舟を用意してほしいと言われた。
群衆に押しつぶされないためである。イエスが多くの病人をいやされたので、
病気に悩む人


566:たちが皆、イエスに触れようとして、そばに押し寄せたからであった。」 マコ3,9-10 イエスは、人の病気を癒すことによって、父である神の愛と人間に関する神の望みを現していました。 ですから、開かれた心を持つ人なら、このようなイエスの行いから、神が人と和解し、 愛の交わりに生きることによって人をあらゆる病気や他の苦しみだけではなく、 罪の結果である死からも解放することを望んでおられるということが分かるのです。 残念ながら、非常に多くの人々が、病気の癒しという目の前にあった利益をあまり激しく求めたので、 その与え主の望みも、神の愛を見出すこともなく、イエスを受け入れることも、 父である神を受け入れることもできなかったのです。 私たちは、いただいている賜物においてその与え主の愛を見出すことができますように。 そして、賜物と共にその与え主である神を受け入れて、 愛の交わりのうちに永遠に生きることができますように祈りましょう。 * 喜びの源である父よ、 あなたに感謝をささげるために、 わたしたちはここに集まっています。 キリストの復活を信じるわたしたちが、 日々の仕事を通して 神の国のあかしとなることができますように。 聖霊の交わりの中で、 あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、 わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。 ボグスワフ・ノヴァク神父様のホームページ 「キリストの光を全ての人々に」http://www.nowaksvd.net/



567:老クリスチャン
17/01/30 10:12:44.77 l3NvZi54.net
「わたしはあなたの道を教えます、
あなたに背いている者に、
罪人が身元に立ち帰るように。」(詩 51:15)

568:老クリスチャン
17/01/30 10:14:11.56 l3NvZi54.net
(訂正)
「わたしはあなたの道を教えます、
あなたに背いている者に、
罪人が御もとに立ち帰るように。」(詩 51:15)

569:老クリスチャン
17/01/31 10:50:44.04 uLwxte/z.net
「見よ、神はわたしを助けてくださる。
主はわたしの魂を支えてくださる。
わたしを陥れようとする者に災いを報い、
あなたのまことに従って、彼らを絶やしてください。」(詩 54:6-7)

570:神も仏も名無しさん
17/01/31 11:05:45.15 GWHDKF0z.net
>>531-532
自分自身がまむしの目と心を持つ者であると反省しよう。

571:鬼和尚
17/01/31 11:13:06.21 j5YW6QuI.net
>>533反省だけでは救われんのう

572:神も仏も名無しさん
17/01/31 11:22:02.94 GWHDKF0z.net
いつの間にか他者を巧妙に悪人にすり替えてきた悪魔憑き。
鬼和尚さんもじっと観察するといいですよ。

573:鬼和尚
17/01/31 11:24:49.85 DBQplofd.net
観察は悟りの極みじゃ

574:老クリさんと共に困難を乗越える友の会
17/01/31 11:27:18.60 8TJ9h/z/.net
>>532
> 「見よ、神はわたしを助けてくださる。
> 主はわたしの魂を支えてくださる。
> わたしを陥れようとする者に災いを報い、
> あなたのまことに従って、彼らを絶やしてください。」(詩 54:6-7)



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 <老クリさま!老クリさま!老クリさま!老クリさま!老クリさま!老クリさま! >
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575:神も仏も名無しさん
17/01/31 22:33:47.10 Q2yIN56n.net
神とかいってメンヘラでしょう?
支離滅裂矛盾まみれで大量殺戮者 自己愛性障害者 サイコパス
あんな馬鹿がトップに立つ世界でいいんです?
聖書読んで馬鹿になるのかという

576:神も仏も名無しさん
17/01/31 22:36:56.99 Q2yIN56n.net
哀れ こんなもの読んでも教養にもならん
子供に読ませても害になりそうだ
一番の罪は神そのものであり元凶の癖に
いつになったら目を覚ますのだろうな

577:老クリスチャン
17/02/01 10:56:01.12 mo7aaXqz.net
「御子は、肉によればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中からの復活によって力ある神の子と定められたのです。
この方が、わたしたちの主イエス・キリストです。」(ロマ 1:3-4)

578:老クリスチャン
17/02/02 12:17:59.18 csFpAq+P.net
2005年(主日A年) 2月6日 年間第5主日
イザ 58:7~10  Iコリ 2:1~5  マタ 5:13~16

主イエスは弟子たちに向かって語られました。

「あなたがたは地の塩である。 ・・・・・ あなたがたは世の光である。 ・・・・・ あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。」(マタ vv.13-14)

使徒たちの後継者である代々の司教たちとその同労者である司祭たちに何が求められているのかを、聖書は私たちに教えています。
復活の主から託された御国の福音を宣教する務めの故に、彼らは地の塩、世の光であり続けなければならないのです。
塩がその塩気を、光がその輝きを失うことがあり得ないように、代々の教会の聖職位階にある人々は、主から委ねられた御国の福音と決して切り離し得ない存在でありました。

しかし実際、現代の普通のキリスト者会衆は、このマタイ福音書の言葉を全く誤って教えられて来たのではないでしょうか。
マタ vv.13-16 が説明されるとき、殆どの解説者は マタ vv.1-2 を完全に無視して来ました。
「弟子たちが近くに寄って来た。 そこで、イエスは口を開き、教えられた。」
ここで 「あなたがた」 とは 「イエス・キリストと、キリストを死者の中から復活させた父なる神とによって使徒とされた」(ガラ 1:1) 人々のことであることを見落として来た過ちが、現代の小羊たちを迷わせてしまったのです。

“あなたがた少年たちは未来を切り開く地の塩である” “あなたがた若者たちは次の時代を築く希望の光である” という具合に、青少年にバラ色の夢を持たせる煽て言葉に聖書が利用されて来ました。
しかし人は自らの内に将来何を持つかによって、その人生の評価が決まるのです。
キリストの福音を正しく受け継ぐことなしに、どうして聖書が語る “地の塩” “世の光” となることが出来るでしょうか。
無邪気で純粋に見える少年たちの中から、将来の凶悪犯も国際テロリストたちも育って来るのです。

・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より

579:神も仏も名無しさん
17/02/02 15:32:53.65 TGWnm1gd.net
 

 きょうも元気!万年青年 老クリスチャン

   ∧∧∧∧λ∧∧∧∧∧∧∧∧λ∧∧∧∧∧∧∧∧λ∧∧∧
 <老クリスチャン!老クリスチャン!老クリスチャン!老クリスチャン!!! >
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580:神も仏も名無しさん
17/02/03 09:11:48.81 B4R+kcQm.net
天幕に住んでいたノアって農夫なのに、なぜみんな肉食なんだ?

581:老クリスチャン
17/02/03 11:06:37.61 9vNvBw0+.net
2011年(主日A年) 2月6日 年間第5主日
イザ 58:7~10  Iコリ 2:1~5  マタ 5:13~16

「あなたがたは地の塩である。 だが、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味が付けられよう。」(マタ v.13)
「あなたがたは世の光である。 ・・・・・ あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。」(マタ vv.14,16)

これは、幼児や小学生の教育のために語る “おだて” の言葉ではありません。
“愚かな信者たちは、叱るよりもおだてれば奉仕と献金に励む” などと、聖書が述べているのではありません。

ゲルマン諸民族がローマ帝国に進入して来たとき、当時のカトリック教会はその優越した文化によってこの蛮族に勝利することが出来ました(5~6世紀)。
この時代に、聖職位階にある者と一般信徒との間には、古代教会におけるのとは全く別な新しい区別が生まれました。
すなわち聖職者とは “教養ある者”、信徒とは “教養のない者” ということになったのです。
その後ルネッサンス時代を経て現代に至る世界では、文化と教養は聖職者特有の財産ではなくなりましたが、それでもなお、いわば建前として、この区別は今なお生き続けているように見えます。

人はキリストに結ばれ、“新しく創造されて”(IIコリ 5:17) 初めて、 「地の塩」 「世の光」 になるのであって、生まれながらに “可能性として” そのような素質を持っているわけではありません。
ですから、聖職者にせよ信徒にせよ、「福音に覆いが掛かっているとするなら、それは、滅びの道をたどる人々に対して覆われている」(IIコリ 4:3) という聖パウロの警告の言葉を重く受け止めるべきでしょう。

キリストの福音を確かに聞き、信じて贖われ、罪を赦されて、天に蓄えられている希望を与えられた人たち (コロ 1:5) こそが 「地の塩」 「世の光」 なのですから、
私たち一人一人は自らが福音の失格者にならないように(Iコリ 9:27)、「分に応じて働いて」(エフェ 4:16) 成長して行かなければなりません。
現代の信徒はもはや “教養のない者” などではないからです。

・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より

582:老クリスチャン親衛隊
17/02/03 11:53:13.90 GTlW6qn8.net
 
   ∧∧∧∧λ∧∧∧∧∧∧∧∧λ∧∧∧∧∧∧∧∧λ∧∧∧
 <老栗万歳!老栗万歳!老栗万歳!老栗万歳!老栗万歳!老栗万歳!! >
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583:神も仏も名無しさん



584:
「あなたがたは地の塩である。  だが、塩に塩気がなくなれば、 その塩は何によって塩味が付けられよう。」 塩に塩気がなくなるなんてありえないね。 塩なめても辛くないときは、 味覚に異常が起きてるわけだ。 病院に行くのがいい。 で、オマイら塩なのか。 塩分摂り過ぎで高血圧なのか。 そういえば梅干しババアってのもいたな。



585:老クリスチャン
17/02/04 12:47:34.05 NEsl5kTF.net
2014年(主日A年) 2月9日 年間第5主日
イザ 58:7~10  Iコリ 2:1~5  マタ 5:13~16

“あなたがたの光”(マタ v.16) とは “教会に委ねられた信仰の遺産”(カテキズム) のことであり、
“あなたがたの立派な行い”(マタ v.16) とは “以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて(エン クリストー)、光の子として歩んでいる”(エフェ 5:8) という生き方のことなのです。
そうでなければ、“イエス・キリストを通して父なる神に栄光がありますように”(ロマ 16:27) などということは言えないでしょう。

「 ・・・・・ 同胞に助けを惜しまないこと。」(イザ v.7)

第三イザヤと呼ばれる イザ 56~66章 は、捕囚民のエルサレム帰還以後、第二神殿の再建前後、ユダヤ教が成立する時期の預言を集めたもので、その関心事の第一は “わたしの民、ヤコブの家”(イザ 58:1) でありました。
ですから、そのような預言の対象である “再建のイスラエル” に対する理解と熱望を前提にして読まないと、私たちはまるで無関係な思想をそこから引き出すことになってしまいます。

現代のキリスト者である私たちは、キリスト教や福音というものを考える前提として、
先ず “聖なる、普遍の、使徒的、唯一の教会”、すなわち自分たちの教会を “造り上げてゆく”(エフェ 4:12) ということに、どれだけ本気で取り組んで来たかを反省してみなければなりません。
「自分の家庭を治めることを知らない者に、どうして神の教会の世話ができるでしょうか。」(Iテモ 3:5)
自分の教会を愛することを知らない者に、どうして外の世界のことへの口出しが出来るでしょうか。

神が選ぶ断食とは、“自分の同胞に助けを惜しまないこと。”(イザ v.7)
私たち現代の教会を主が憐れんでくださって、使徒パウロが “それを受けるように熱心に努めなさい” と教えた賜物としての “キリスト者の最高の道”、すなわち “教会を愛する愛” を、真剣に学ばせてくださいますように(Iコリ 12:31, 13:13 参照)。

・・・・・ 以下、本文参照。
URLリンク(www.kuwaei2000.com) ●Archives● より

586:神も仏も名無しさん
17/02/04 12:52:59.32 UrYkyBB+.net
暇な人は、読んで下さい
だろーが

587:神も仏も名無しさん
17/02/04 15:28:43.56 ergbPG+I.net
長すぎる
3行にまとめて

588:神も仏も名無しさん
17/02/04 15:32:58.51 0XRO6mBf.net
コピペのやり方は知ってるようだけどまとめ方はどうかなあwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

589:老クリスチャン
17/02/04 16:05:33.03 NEsl5kTF.net
>>546
代々の時代のキリスト者たちが、使徒たちの証言する福音を受け入れ、それをさらに宣べ伝えるとき、彼らもまたその時代に対しての 「地の塩」 「世の光」 であると言うことが出来ます。
しかし使徒たちの福音から離れるなら、それは “塩気の抜けた塩” “升の下に置かれたともし火” でしかないことを、私たちはよく知らなければなりません。
スレリンク(psy板:745番)

590:神も仏も名無しさん
17/02/04 18:48:07.65 WH7pVQ0R.net
>>1

押しつけがましいんだよ!!!!!!!!!!!!!!!

591:神も仏も名無しさん
17/02/04 20:09:22.46 kxmhpueq.net
聖書を読んで、神を信じないと、
罪に定められて、神の怒りがとどまる
そうです。

592:神も仏も名無しさん
17/02/05 09:18:05.57 lDkbJ0hw.net
神は、完璧だから
怒らない
すべてを受容する
信者であっても、信者でなくても

593:神も仏も名無しさん
17/02/05 09:19:03.84 Qp6QeD6J.net
それならキリスト教は必要無くなるなwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

594:神も仏も名無しさん
17/02/05 20:36:41.15 AdmtNamy.net
URLリンク(plaza.rakuten.co.jp)

595:老クリスチャン
17/02/06 17:08:00.24 j5ekmeSR.net
「あなたの重荷を主にゆだねよ、主はあなたを支えてくださる。
主は従う者を支え、とこしえに動揺しないように計らってくださる。」(詩 55:23)

596:神も仏も名無しさん
17/02/06 17:13:02.09 yhCujGwb.net
そうだな
神に欠陥があってはならない
完璧な存在であるはずだな
すべての
生物、物質に対して
差別はしないんじゃない

597:神も仏も名無しさん
17/02/06 17:23:29.97 yhCujGwb.net
聖書は、人間が書いたものだから
神からすると
欠陥だらけで
本来の神の意志を
伝えていない
つまり、聖書を神の言葉というのも間違いで
神は、聖なるものとみていないし
神も聖書至上主義を認めていない

598:老クリスチャン
17/02/07 10:33:26.11 +UvK5O9l.net
「神のみ言葉を賛美します。神に依り頼めば恐れはありません。
肉にすぎない者が、わたしに何をなしえましょう。」(詩 56:5)

599:神も仏も名無しさん
17/02/07 12:01:28.95 T5h6/tem.net
ファンタジー系はちょっと苦手なんで
すいません

600:神も仏も名無しさん
17/02/07 12:03:49.46 y/tjsOGj.net
>>560
それはあなたの周りのクリスチャンの詩篇だと考えてください。

601:神も仏も名無しさん
17/02/07 14:31:19.86 gaFwU1Cv.net
天変地異を神のせいにしてはならない
神はそのような事をしない。もともと神を越えた神の計画にある
人間などすべての生物の幸福を追求している
そこで疑問、食物連鎖は?、火山や地震などの天変地異は科学的に証明されている
そこで考える。科学は人間をとおして神が作った
また、人間がいなかった時代も、恐竜の絶滅などが科学的に証明できる
前に、アダムとイヴが最初の生物でノアの箱船があり。恐竜などいなかったという
クリスチャンがいたが、これほどキリスト教をおとしめたことはない

また食物連鎖、太陽の誕生や将来爆発すること、相対性理論、IPS細胞、ピコ太郎も神の計画通りである
聖書はこの点からして、聖書に欠陥があることが一部であるが証明できる

人間は、神の言葉が正確に聖書に書かれていると勘違いしている
科学が進歩しているように、旧態依然とした部分のある間違った聖書を正すべきである
なにしろ、聖書は当時のクリスチャンに都合のいいように書かれたのだから
これに正さず迎合しているようでは、真のクリスチャンではない

なお、ノーベル賞受賞者はそのほとんどがユダヤ教、キリスト教信者である

ある進歩的革新的クリスチャンより

間違ったところがあれぼ指摘して下さい

602:神も仏も名無しさん
17/02/07 15:17:20.51 QaAvGJ2N.net
。。。。


† エペソ6章10-12節

終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。
悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。
私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また天にいるもろもろの悪霊に対するものです。


。。。。

603:老クリスチャンファンクラブ
17/02/07 19:30:15.14 CT0ficJX.net
>>560
> 「神のみ言葉を賛美します。神に依り頼めば恐れはありません。
> 肉にすぎない者が、わたしに何をなしえましょう。」(詩 56:5)

 
 ∧_,,∧  ∩
(*`∀´)彡 老栗万歳!老栗万歳!
   ⊂彡

604:神も仏も名無しさん
17/02/08 03:41:50.77 kP8xm+aT.net
イメージです

URLリンク(gallery.g-cash.biz)

605:神も仏も名無しさん
17/02/08 04:00:33.83 vfXDd9l3.net
URLリンク(park18.wakwak.com)

606:老クリスチャン
17/02/08 10:52:54.07 ucFA/g69.net
「神の御言葉を賛美します。 主の御言葉を賛美します。
神に依り頼めば恐れはありません。 人間がわたしに何をなしえましょう。」(詩 56:11-12)

607:老クリトリス
17/02/08 10:57:42.48 4WhjH0z0.net
人間をだませても、神はだませません。
神は ジジイに騙されるw
カトリック南山教会事務室

608:神も仏も名無しさん
17/02/08 11:31:09.32 HIwg78FC.net
ローマ法王がガリレオに謝罪した天動説も
明らかに間違っている



609:Rペルニクスにも謝罪して欲しい それに、人類(ホモ・サピエンス)の祖先は、ミトコンドリアレベルで オルドバイ渓谷付近の14万年前の女性(ミトコンドリア・イブ)だとほぼ分かっている 神ではなく、聖書を書いた人間がいかに民衆を欺き、愚かで、自分本位であったのかがわかる すでに聖書ではない聖書は変わるべきである ある進歩的革新的クリスチャンより†



610:神も仏も名無しさん
17/02/08 11:37:31.84 2OntA9UD.net
一番タチの悪い嘘が死後の世界だろうな。史上最悪の詐欺だwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

611:神も仏も名無しさん
17/02/09 04:06:56.40 BH0Uuliq.net
みことばを
盾に隠れる
まむしかな

みことばに
隠れてもだめ
ヘビはヘビ

老まむし
誘う先は
ヘビの国

ヘビの国
そこの王様
老まむし

リアルでは
だましおおせた
ここはダメw


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