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【聖書を読む目的 -4-】
礼拝における "説教" とは、このような意味での "神のことば" が確かに語られ、会衆がそれを聞き取るときにだけ、真に説教になります。
「あなたは今朝、どのような神のことばを語ることが出来ましたか ?」 「聞くことが出来ましたか ?」 という質問に、喜びをもって答えることが出来るのでなければ、それは説教ではない ! のです。
当然、牧師や司祭はその説教の務めのために、熱心に聖書を読まなければなりません。
また信者自身も、真剣に聖書を読んで備えているのでなければ、「すぐにサタンが来て、蒔かれた御言葉を奪い去る」(マコ4:15)ということが起こります。
たとえ説教者の能力や信仰が足りない・・・・・実際そう思えることが多いのですが・・・・・場合でさえも、よく準備して礼拝に参加している信者は、その日の朗読聖書を通して自ら "神のことば" を聞くことがあるのです。
いずれにしても、聖書を熱心に読み学ぶという熱意と意欲のないところでは、説教者も信者も共に、「見るには見るが認