14/07/25 14:01:57.64 GgGryiJL.net
サマタもビパッサナーも、根源的には同じじゃないかと思っています。
ただ身体を観ると言う事がビッパッサナ-であり、それには
ある程度の集中力(サマタ)が必要になるから
という感じなんですけど
ラベリングは、身体の意識化が初めのうちは、難しいから言語化しているだけで
サマタの集中が上がってくると、認識できる分解能が上がってくることが
はっきりとわかってくるので、言語化が追いつかなくなります。
そうなってくると、ただ感じているという表現になっている
つまり気づいていると言う状態
感じるのを、受け身的な様相で観ていると言うか
言語化すると、それをするという能動的な状況は、まずいと感じています。
受け身的に感じていることを、ただ眺めている
雲が空を悠々と流れているのを観ているような
川の水がただ流れているのを観ているような