14/07/12 18:38:44.29 wi9ReNB3.net
別にパーリ大蔵経や南伝大蔵経は否定してないからな、それと比較してテーラワーダ系の阿那波那念関連の日本語訳はでたらめで、それを比較してでたらめぶりや修行のやり方の偽造がわからないならそれは仕方がないな。
701:神も仏も名無しさん
14/07/13 15:03:44.17 XN/gSK4L.net
阿那波那念は呼吸の息が所縁の対象なのに、なぜ腹の膨らみ縮め、鼻端、ミニッタにズレてしまうのか教えてれ
ヴィパッサナーの瞑想は経典に出てくる身念住の変形で本来は身体の動きの現在的な認識で、それを偽造してむりやり阿那波那念に持ち込んだものだぞ
702:神も仏も名無しさん
14/07/13 16:25:45.79 qHOD557M.net
>>675
アーナーパーナで腹の膨らみ縮みは観察しない
>鼻端
呼吸の息を所縁とする時に、鼻端等の感受なしに、どうやって息そのものを認識するのかな?
一回その間違った経典翻訳とやらの具体例をあげてくれよ
703:神も仏も名無しさん
14/07/13 16:43:23.08 bwKetYRV.net
呼吸を覚知するのに何で鼻端が必要なんだ、はっきりいって呼吸を覚知するのが本質であって、自身が呼吸を実感するなら横隔膜の動きだろうが、腹の膨らみ、縮みだろうがた構わないんだよ
でもそれが適用されるのは身念住のことであって、受・心・法念住では身体のことは一切、粗末なことでありそこでも鼻端だ腹の膨らみ、縮みだといってるのは、理解できないことだな
704:神も仏も名無しさん
14/07/13 19:40:57.61 qHOD557M.net
けっきょく経典翻訳は関係ないじゃん
705:神も仏も名無しさん
14/07/13 19:44:00.47 IdgFCR6N.net
くだらんあげ足取りに付き合う馬鹿じゃないわ
706:神も仏も名無しさん
14/07/13 19:44:11.54 cVzNxXgS.net
正確な仏教を知りたければパオ一択
707:神も仏も名無しさん
14/07/13 19:47:49.65 e3UWQoOD.net
69 :神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 08:41:39.32 ID:QIh5P2++
李氏朝鮮王朝は土地を国有化し、住む土地が簡単には与えられなかったため、
国民は路上や空き地を不法占拠して粗末な掘立小屋を建てて住んだが、
糞便を処理せず、不潔を極めた。
彼らは悪臭を気にせず、糞尿まみれの生活を当たり前と考え、見てくれに良いと信じて、
「小便」で顔を洗い、「人糞」を結核の特効薬として食べた。
李氏王朝の役人(両班)など有力者は、自分の労働を嫌い、国民を奴隷として酷使した。
国民は結婚したくても、毎年多くの若い女性が中国へ献上されるために取り上げられたので、
適齢の女性が不足し、その性的欲求解決のため、密かに「試し腹」の風習ができ、
李氏王朝が崩壊するまで継続して、親族間の近親相姦に明け暮れた。
英国人が、何故人糞まみれになって汚い暮らしをしているのかと聞くと
「清に責められたとき身を守るためわざと汚くしている」だと言った。
【東亜日報】調査結果に愕然、韓国人の71.2%が人格障害
20歳男性の45%が対人関係障害の可能性
URLリンク(japan.donga.com)
708:神も仏も名無しさん
14/07/13 19:57:31.26 qHOD557M.net
>>679
IDコロコロ変えるし変なやつだな君
709:神も仏も名無しさん
14/07/13 20:02:43.03 Lg7vQ2+5.net
口調を変えても尻尾は出るものだね
710:神も仏も名無しさん
14/07/14 00:46:20.07 PjWOXCnY.net
まず該当箇所の原文をパーリ語で提示して下さい。
711:神も仏も名無しさん
14/07/14 03:08:39.91 YPSzm20D.net
動作を意識しようとすると、意識が動作に影響を与えてしまって、
動作がギコチなくなる。意識と動作が上手くかみ合わなくなる。
意識を後だしにして、動作を先行させる・・・ 先行した動作をただ意識する(起こったことをただ見つめる)
のが正しいような気がするけど、どうしても、意識が動作に影響を与えてしまうのは否めない。
茶道のように、やはり意識と動作が絡み合った状態が正しいのか・・、とも思える。
ここをちょっと探求する必要があるな。
712:神も仏も名無しさん
14/07/14 08:05:13.92 rOcPTQZ6.net
自分は、どうも思考というのは、動作が作り出したものじゃないかと思っています。
だから、体を観ることで、思考が落ちやすくなる用に思います。
どうも自由意思というものは、無いようで意識が生起するまえに、身体が
動き出しているという脳研究も出てきています。
713:神も仏も名無しさん
14/07/14 16:44:45.78 0e6g0x2a.net
>>686
>自分は、どうも思考というのは、動作が作り出したものじゃないかと思っています。
>だから、体を観ることで、思考が落ちやすくなる用に思います。
縁起。
瞑想で縁起を断つように、それ以上促進しないように、してるから、煩悩や思考とかが落ちてくる
のではないでしょうか?
714:神も仏も名無しさん
14/07/14 16:53:59.07 hUMSEvZ+.net
やっばり仏陀も言ってるように、自灯明、法灯明だろ
それ以外の他人に自分を投げ出して、それなりの安定感で自己満足して、凝り固まってるテーラーワーダやパオのやからに幸福なんてやってこないだろ、仏陀を利用した真実から、かけ離れた善意を利用した悟りを得たと言えない、凡夫に従っているだけだろ
お前らは、まずは時間がかかるが、自分でかんがえろよ
715:神も仏も名無しさん
14/07/14 18:08:50.40 6N0KMNyh.net
お前らはクソだと言うことが確定したな、なぜテーラワーダやパオが正統だと、仏典に則って正統だと言えないのか、結局言葉尻をごだごだ言ってそれらしく、自分のひよわな
自己を正当性しているだけだろ
716:神も仏も名無しさん
14/07/14 18:14:48.27 NfNgHTB4.net
まあ、2ちゃんのさ糞スレだもんな、結局マトモにぶつかっている真理に近ずようとする、まともなやつはいないか!
717:神も仏も名無しさん
14/07/14 20:59:51.81 7aIEpZiz.net
>>686
ナーマはルーパに依存し、ルーパはナーマに依存する、相互作用じゃないでしょうか
718:神も仏も名無しさん
14/07/14 21:01:34.97 PjWOXCnY.net
無色界にルーパはないよ。
719:神も仏も名無しさん
14/07/14 21:02:30.84 PjWOXCnY.net
部分包摂という考え方で、心をもっと広く捉えた方がよい。
瞑想がすすむと、身体との相互関係で生じる部分と、そうでない部分と
両方あるのが見えてくる。
720:神も仏も名無しさん
14/07/14 21:04:27.51
721: ID:PjWOXCnY.net
722:神も仏も名無しさん
14/07/14 21:07:14.20 7aIEpZiz.net
ダンマパダでも「心が諸法に先行する」ですしね
仏教に信を置いてる人はそれでいいけど、そうじゃない人にどう説明するかというと悩ましいですが
723:神も仏も名無しさん
14/07/14 21:11:45.13 PjWOXCnY.net
瞑想が八正道にまで達していない、普通の人の感覚では
身体との相互関係で生じる心は理解できるだろうが、
心との相互関係で生じる身体は理解できないだろう。
それは、唯物論的な前提から抜け出せていないから。
しかし、相互関係というからには、論理的に考えても後者が
抜け落ちるのは論理破綻なのだ。
724:神も仏も名無しさん
14/07/14 21:13:17.39 PjWOXCnY.net
瞑想が八正道にまで ×
瞑想がサマーディ(八正道でいう正定)にまで ○
725:神も仏も名無しさん
14/07/14 23:23:57.31 QuB1OOcv.net
まず物質である肉体があって、その肉体から心が発生しているという考え方。
特に脳から心が発生しているという考え方。
これも有身見のひとつであって、預流果の悟りに達するまではその謬見から
自由になることはできない。
悟りの智慧に達していない人が、謬見を持っているのは、ある意味当たり前。
従って、責め立てたり、論争したりする必要はない。
726:神も仏も名無しさん
14/07/15 01:15:08.80 e61ZMmio.net
身体の感覚から心が生じるように見えているのは、
「触→受→想」の部分を見ているからだろうね。
727:神も仏も名無しさん
14/07/15 04:58:17.30 tKL7zPDv.net
「解る」ことの全体、つまり究極の「解り」があると仮定して、悟りは「解り」
のうちのどの程度のことなの? 例えば0.0001%とか0.0000001%
とか、まさか100%ってことはないよね。
例えば1000兆分の1%程度の「解り」を問題としているとしてその単位を1Wと
すると、預流果ってのは4WでWWWWくらいなのだろうか? ってことで
W:IQが100の凡人
WW: ちょっと賢い三昧経験者
WWW: さらに賢い
WWWW: 預流果
というような、少なくとも分母(分からなさ)を意識した悟りの段階を
考えたら、分子の大きさっていうのは陽炎の揺らぎのようなもので
錯覚だとか誤差範囲だとかそのあたりの事象ではあるまいか?
728:神も仏も名無しさん
14/07/15 05:57:50.20 7Cewwy28.net
悟りは分かり(智慧)そのものじゃなくて、厭離の気持ちを確立すること
そこで、わたしに、正しい道理にかなった思いが起こった。
患いであるという念いが現れた。
世を厭う気持ちが定まった。
次いで、私の心が解脱した。
ナーガサマーラ長老
}『仏弟子の告白─テーラガータ─』(76ページ)中村元訳、岩波文庫
729:神も仏も名無しさん
14/07/15 06:01:04.75 xn2zhoV/.net
>697
想が無いことが悟りだという話もあるので
それで良いのではないかと思っています。
これがみえると、思いが出てくる瞬間があらかじめわかるので
それに気づきをぶつけると、思いが出てこれなくなる様です。
想いと気づきは共存できませんから、そうなっていませんか?
730:神も仏も名無しさん
14/07/15 10:43:48.91 r9BAn53E.net
>>700
悟りの階梯の説明としては四向四果、
煩悩の減り具合の目安としては十結という物差しはある。
(参考 >>534)
観智の程度(ヴィパッサナーの進捗度)については、清浄道論に
名色分離智から行捨智までが説かれている。
また、如来の智慧を100%とすると、普通の阿羅漢の智慧は
そのうちの極一部に過ぎないらしい。
731:神も仏も名無しさん
14/07/15 17:52:16.32 qUhTEQwe.net
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
732:神も仏も名無しさん
14/07/15 18:09:56.50 dtFOlmxmS
>>655
息入ること身にあまねくことを捨てる時、息入ること身にあまねくことを捨てることを知る
息出ずること身にあまねくことを捨てる時、息出ずること身にあまねくことを捨てることを知る
この意味がわかりません。
733:神も仏も名無しさん
14/07/15 18:05:16.47 7Cewwy28.net
>blog.goo.ne.jp/konsaruseijin
定期的にポストされてるみたいなので
とりあえずNG Wordに入れときますね
734:神も仏も名無しさん
14/07/15 19:12:56.86 qlgu2zbY.net
>>655
>息入ること身にあまねくことを捨てる時、息入ること身にあまねくことを捨てることを知る
息出ずること身にあまねくことを捨てる時、息出ずること身にあまねくことを捨てることを知る
この、あまねくことを「捨てる」というのが理解できません。
あまねくの意味は、「広くいきわたらせる」という意味だと思うんですが
それを捨てるというのはどういうことかわかりますか?
735:神も仏も名無しさん
14/07/15 19:20:07.32 7Cewwy28.net
>>655
>息入ること身にあまねく時、息入ること身にあまねくことを知る
>息出ずること身あまねく時、出ずること身にあまねくことを知る
>息入ること身にあまねくことを捨てる時、息入ること身にあまねくことを捨てることを知る
>息出ずること身にあまねくことを捨てる時、息出ずること身にあまねくことを捨てることを知る
これってもしかして南伝大蔵経?
こんなに訳がめちゃくちゃなのか・・・「身にあまねくことを知る」なんて日本語として成立してないし
736:神も仏も名無しさん
14/07/15 19:52:27.02 0RvjqQUt.net
あまねくと言うのは、微細な呼吸の息が全身の毛根から出入りすること
あまねくのを捨てると言うのは、その微細な呼吸の息が止まってしまうこと。
737:神も仏も名無しさん
14/07/15 20:26:13.94 r9BAn53E.net
長い息・短い息を見続ける
↓
微細な息を観る
↓
(出息と入息において)息の全体を間断なく観る
あまねく知ると訳されている部分は、呼吸の全体を観るということ(のはず。要確認。)
↓
息のサンカーラ(息をしようとする意志。息の形成作用。行。)を鎮める
呼吸瞑想において、集中の度合いが増すに従い、呼吸もこういう風に
変わってくるから、やっていれば自然とこのステップを踏んでいくことになる。
738:神も仏も名無しさん
14/07/15 20:37:27.77 qlgu2zbY.net
>>709
>>710
わかりました。ありがとうございます。
739:神も仏も名無しさん
14/07/15 21:00:52.48 7Cewwy28.net
>>709
皮膚呼吸を観察するとかw
740:神も仏も名無しさん
14/07/16 03:49:24.60 5V64C3J2.net
息じゃなくて、気功でいう気に近いものだろ。
741:神も仏も名無しさん
14/07/16 06:17:36.50 FfvkObwP.net
ティクナットハンの
「ブッダの〈呼吸〉の瞑想 」が出入息念経の全訳してて
「ブッダの〈気づき〉の瞑想 」が四念処経の訳が入ってるんじゃなかったっけ
742:神も仏も名無しさん
14/07/16 06:40:01.31 ZdWGuZeD.net
>気功でいう気に近いもの
経典を重視せよといってるのに、どこにも書かれていない「気」を観察するってどういうことなんだろう(?_?)
これって俺の読みたいように経典を読むってことでしょう
743:神も仏も名無しさん
14/07/16 17:22:15.83 ROFV8w4F.net
>>714
その本思わず買ってしまった。
ほかにも日本語訳探せばあるけど、
やっぱり瞑想熟練者の解説の方がいいかなと思って。
744:神も仏も名無しさん
14/07/16 18:51:22.35 ensKzB7y.net
>>715
仏教の呼吸法って言うのはヨガで言うプラーナヤーマ、調気法だから710の言ってることは外れてはないと思うよ。
経典に書いてある「息」とは単なる息ではなく「気息」のことであろう。
修行を長く積んで感覚が研ぎ澄まされていけばあなたの経典の理解も進むことだろう。
プラーナほぼイコール気ね
745:神も仏も名無しさん
14/07/16 19:00:20.49 ZdWGuZeD.net
>仏教の呼吸法って言うのはヨガで言うプラーナヤーマ、調気法
それって結局ヒンドゥー式に経典解釈してるだけですよね・・・
反論するのもめんどい
746:神も仏も名無しさん
14/07/16 19:14:07.13 ensKzB7y.net
>>718
ヨガはヒンドゥーだけのものじゃないよ。
仏教の修行もヨガ。釈迦もヨガの師に瞑想法習ったのだからね。
経典にかじりついてないで修行しなされ。
747:神も仏も名無しさん
14/07/16 19:22:37.01 ZdWGuZeD.net
>>719
瞑想文化は沙門宗教の伝統で、バラモン教は関係ないよ、バラモンはゾロアスター教と同じで祭祀宗教の伝統
当時ヒンドゥー教なかったし
748:神も仏も名無しさん
14/07/16 19:36:50.87 ensKzB7y.net
>>720
どこからバラモン教が?
沙門宗教はヨガで修行をしてた。瞑想文化って言うのはヨガのこと。
そして釈迦はヨガの師に付いて修行した。累計2人ね。
知識がどうの伝承がどうの言ってないで師について修行しなされ。
息は「気息」だよ。修行してプラーナ感じるところまで行けばそんなの一目瞭然。
まずは修行してそこまで辿り着いてまだ議論したかったら議論しな。
君の段階じゃ伝書がどう歴史がどうの言っててもしかたがない。
749:神も仏も名無しさん
14/07/16 19:57:07.59 6pOpZsN/.net
想いや記憶に伴う感覚を観察していたら、意識と感覚に力点・作用点を感じたよ。
そこを観察したら、今まで気がつかなかった深い意識層があって、
その深い意識層の中に想いを続けようと選択している意思があったのが分かった。
そのバックグラウンドも見えよ。
なんか脱力。
冷静に振り返って整理して区切りをつけたはずなのに癒えない傷だと思っていたんだよね。
でも、自分で想い続けることを選択していたことに気付いたよ。
750:神も仏も名無しさん
14/07/16 20:27:23.49 V4MlL7Jf.net
アーナーパーナサティは、プラーナーヤーマではありません。
サマタ瞑想です。
サマタ瞑想とは、つまり、つまり精神を集中することによって五蓋を止め、
禅支によってサマーディに入る瞑想法です。
751:神も仏も名無しさん
14/07/16 20:31:18.85 ZdWGuZeD.net
>>721
>そして釈迦はヨガの師に付いて修行した。累計2人ね。
彼らがプラーナについて語っていた証拠を出しましょうよ
>知識がどうの伝承がどうの言ってないで師について修行しなされ。
ヨガ系の師につく気はないので・・・
>息は「気息」だよ。修行してプラーナ感じるところまで行けばそんなの一目瞭然。
・・・そうですか
ちゃんとした師につかないとそういう妄想に執着する危険があるのかもね
体験というのは強力だから
>まずは修行してそこまで辿り着いてまだ議論したかったら議論しな。
すんまへん
752:神も仏も名無しさん
14/07/16 20:32:44.36 ZdWGuZeD.net
>>723
なんかヒンドゥー・ヨーガ系の人が「俺の実践してる瞑想法」をヴィパッサナースレで宣伝したがってるみたいですな
やれやれ
753:神も仏も名無しさん
14/07/16 20:44:58.00 V4MlL7Jf.net
プラーナーヤーマは調呼法、
呼吸を通してプラーナをコントロールする修行法です。
アナパナ・サティはサマタ瞑想、
呼吸を観察する瞑想法です。
アナパナは意図的に呼吸をコントロールしません。
単に呼吸の出入りを見つめているだけです。
754:神も仏も名無しさん
14/07/16 20:46:05.64 V4MlL7Jf.net
正誤訂正
× プラーナーヤーマは調呼法
○ プラーナーヤーマは調気法
755:神も仏も名無しさん
14/07/16 21:19:55.81 ensKzB7y.net
>>726
>>726
べつにプラーナーパーマーのこと話してる訳じゃないけど。
>サマタ瞑想とは、つまり、つまり精神を集中することによって五蓋を止め、
>禅支によってサマーディに入る瞑想法です。
これはまさにヨガ。
>アナパナ・サティはサマタ瞑想、
>呼吸を観察する瞑想法です。
これも特別なことなくヨガ。
>アナパナは意図的に呼吸をコントロールしません。
>単に呼吸の出入りを見つめているだけです。
呼吸は長くとか鎮めてるだろ。
これは「気息」というもの。
プラーナ、気、気息の話をした。
聞く耳持たない人間に何言っても無駄だね。
「気息」の意味がわからないようじゃサマディーなんてほど遠いよ。
あなたが言ってるサマディーもヨガの用語。
756:神も仏も名無しさん
14/07/16 21:26:11.74 ZdWGuZeD.net
>>728
>呼吸は長くとか鎮めてるだろ。
静めませんよw 自然な呼吸を観察して、長かったら、長く呼吸している、と観察するだけです
あなたが1回もまともなヴィパッサナーの講習に参加したことがなく、(おそらく本すら読んだこともない)証拠ですね
>あなたが言ってるサマディーもヨガの用語。
なんでも起源を主張したがるのはヒンドゥー教の悪いクセですな
757:神も仏も名無しさん
14/07/16 21:27:19.09 ensKzB7y.net
>>724
>彼らがプラーナについて語っていた証拠を出しましょうよ
釈迦がヨガの師に付いていたこれだけで十分でしょう。
>ヨガ系の師につく気はないので・・・
上座部仏教の師に付けばいいでしょう。
>・・・そうですか
>ちゃんとした師につかないとそういう妄想に執着する危険があるのかもね
>体験というのは強力だから
妄想でも何でもなく四禅(三昧)に入る最低条件でしょうね。
一時的な体験じゃなくてプラーナは常に感じるようになるのが普通。
758:神も仏も名無しさん
14/07/16 21:35:40.63 ZdWGuZeD.net
>>730
>釈迦がヨガの師に付いていたこれだけで十分でしょう。
アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタが現今のヨガと同じ修行法を指導していた証拠はどこに?
>上座部仏教の師に付けばいいでしょう。
調息は教えられたことがありませんね
>妄想でも何でもなく四禅(三昧)に入る最低条件でしょうね。
「プラーナ感じる」なんて原始仏典には書いてないですから
759:神も仏も名無しさん
14/07/16 21:58:09.39 ensKzB7y.net
>>731
>アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタが現今のヨガと同じ修行法を指導していた証拠はどこに?
ヨガの伝統として伝わっているものです。
>>上座部仏教の師に付けばいいでしょう。
>調息は教えられたことがありませんね
息を長くとかゆっくりとか鎮めるとか観察するとか習うでしょ???
まあ私は別に調息について習えと行ってるわけではありません。
「瞑想」を師についてきちんとやってれば「気・プラーナ」はは感じるようになるはずですよ。と言ったのです。
もういちど書きますが「瞑想」の修行について言ったのです。
>>妄想でも何でもなく四禅(三昧)に入る最低条件でしょうね。
>「プラーナ感じる」なんて原始仏典には書いてないですから
息の表現に含まれてるんでしょうね。この世界では息と言えば気息ですから。
>息入ること身にあまねく時、息入ること身にあまねくことを知る
>息出ずること身あまねく時、出ずること身にあまねくことを知る
>息入ること身にあまねくことを捨てる時、息入ること身にあまねくことを捨てることを知る
>息出ずること身にあまねくことを捨てる時、息出ずること身にあまねくことを捨てることを知る
これが判るようになればわかるでしょう。修行してプラーナが判るようになるしかないですね。
760:神も仏も名無しさん
14/07/16 22:17:25.42 F15F9tIv.net
とりあえずもちつけ
ヨガでも、瞑想とプラーナーヤーマやムドラーとの区別はするでしょw
761:神も仏も名無しさん
14/07/16 22:19:14.98 jFr6f17D.net
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
762:神も仏も名無しさん
14/07/16 22:20:47.29 ZdWGuZeD.net
>>732
>ヨガの伝統として伝わっているものです。
循環論法ですね
>息を長くとかゆっくりとか鎮めるとか観察するとか習うでしょ???
だから習わないって
呼吸を操作しないで自然な呼吸を観察するように習うんですって
なんで知りもしないのにヴィパッサナースレに来て語りたがるかなー
>息の表現に含まれてるんでしょうね。この世界では息と言えば気息ですから。
書いてないことをヒンドゥー文脈で読み取れと
それって要するに俺解釈ですよ
763:神も仏も名無しさん
14/07/16 22:50:44.56 ensKzB7y.net
>>735
>循環論法ですね
もともとこの世界は口伝だからね。文献以外否定、文献完全主義は馬鹿らしい。
釈迦は2人の師に付いて、非想非非想処定の高いサマディーまで行ってるけど
特にその修行内容について文献すら残ってないからね。
そして釈迦の前に仏陀は結構いたけどその内容も文献にはない。
ヨーガ八支則がヨーガの伝統と理解するしかない。
>息入ること長き時、息入ること長きを知る
>息出ずること長き時、息出ずること長きを知る
>息入ること短かい時、息入ること短かきことを知る
>息出ずること短かい時、息出ずること短かきことを知る
>息入ること身にあまねく時、息入ること身にあまねくことを知る
>息出ずること身あまねく時、出ずること身にあまねくことを知る
>息入ること身にあまねくことを捨てる時、息入ること身にあまねくことを捨てることを知る
>息出ずること身にあまねくことを捨てる時、息出ずること身にあまねくことを捨てることを知る
あなたの好きな文献でも長く短く言ってるけど。
下の4行で気息であることも推測できる。
サンスクリット語の息が「気息」だから息はみんな「気息」
ヨーガはヒンドゥーの文脈じゃないよ。最初に言ったけど仏教の修行もヨーガ。
非想非非想処定などサマディー全てもヨーガから来たものなのはあなたが好きな文献でも明白。
764:神も仏も名無しさん
14/07/16 23:01:28.82 ensKzB7y.net
色々口論になるのはメンドクサイから結論だけ書いておくと。
師に付いてしっかり修行して「プラーナ・気」がわかるレベルにならなきゃお話にならない。
わからなきゃそれ以上の所には行かない。
もちろんサマディーなんて夢のまた夢。
そんなのが文献だの歴史だの言っててもしょうがない。
765:神も仏も名無しさん
14/07/16 23:05:58.42 ZdWGuZeD.net
>>736
>ヨーガ八支則がヨーガの伝統と理解するしかない。
アシュターンガ・ヨーガはまさにヒンドゥー教じゃないですか
>あなたの好きな文献でも長く短く言ってるけど。
「息入ること短かき時」とは書いてても「息入ること短かくせよ」とは書いてないでしょ
これは自然な呼吸のままに観察するからそういう表現になるわけで、呼吸を長くしたり短くしたりしろとは到底読めないですよ
「ある時には息入ること短かくし、ある時には息入ること長くせよ」とでも書いてあるなら、まだ分かる
>下の4行で気息であることも推測できる
いや全然推測できませんけど?
>最初に言ったけど仏教の修行もヨーガ。
あれもヨーガこれもヨーガっていうのがヒンドゥー教の悪いところですね
766:神も仏も名無しさん
14/07/16 23:07:16.33 ZdWGuZeD.net
>>737
結局あなたは「プラーナ・気」の行法を宣伝しに来ただけなんでしょ?
なら最初からスレ違いですよ
767:神も仏も名無しさん
14/07/16 23:40:22.27 ensKzB7y.net
>「息入ること短かき時」とは書いてても「息入ること短かくせよ」とは書いてないでしょ
こういう理解してるからまったく上達しないんだよ。
長くしなくて良い、短くしなくて良いならいちいち長く短く書かない。
文献主義者がまったく成長しない理由だね。
>いや全然推測できませんけど?
身にあまねく~ が気息と理解できないならもうどうしようもないね。プラーナ前提で言ってるのがわからにゃどうしようもないね。
プラーナが判るレベルになればいままで自分たちのやってたことは瞑想じゃなかったってわかるよ。
上座部仏教の僧侶が瞑想中腕を動かして手で空中の何かをつまむような動作をしきりにするけど
あれはプラーナの動きに合わせてやってること。
文献馬鹿は救いようがないな。
768:神も仏も名無しさん
14/07/16 23:49:17.58 ensKzB7y.net
>>738
あと八支則はヨガの伝統であってヒンドゥーの伝統じゃないよ。
仏教をヒンドゥーにしようとなんてしてないよ。
あくまで仏教の修行法はヨガと言ってるだけ。
哲学の部分には触れてないから。
769:神も仏も名無しさん
14/07/17 00:32:53.53 li3ki0Mb.net
ヨガ教室の先生が宣伝に来た図?
仏教スレってヨガ馬鹿が定期的に湧くけど
同一人物かね?
こんな匿名掲示板で宣伝しても誰も来ない
だろうに
770:神も仏も名無しさん
14/07/17 05:22:29.55 h7LSPT3K.net
>>740
>長くしなくて良い、短くしなくて良いならいちいち長く短く書かない。
それが書くんだな~
原始経典はいちいち瑣末な事がらを列挙するし、繰り返しも多い
だから本当に呼吸をコントロールするよういうなら、
>あるいは息入ること長くし、息入ること長きと知るべし
>あるいは息出ずること長くし、息出ずること長きと知るべし
>あるいは息入ること短かくし、息入ること短かきと知るべし
>あるいは息出ずること短かくし、息出ずること短かきと知るべし
>あるいは息入ること身にあまねくし、息入ること身にあまねくと知るべし
>あるいは息出ずること身あまねくし、出ずること身にあまねくと知るべし
>あるいは息入ること身にあまねくことを捨て、息入ること身にあまねくことを捨てると知るべし
>あるいは息出ずること身にあまねくことを捨て、息出ずること身にあまねくことを捨てると知るべし
とでもなっているのが普通
771:神も仏も名無しさん
14/07/17 05:29:25.27 4xNmK5pw.net
>プラーナが判るレベルになればいままで自分たちのやってたことは瞑想じゃなかったってわかるよ。
なるほど、呼吸って言葉にとらわれすぎてたな。
772:神も仏も名無しさん
14/07/17 05:41:11.04 h7LSPT3K.net
>>741
>あくまで仏教の修行法はヨガと言ってるだけ。
ほらね?こういう風に、
お前のやってる○○は俺達の××のことなんだよ!と起源を主張することで
実質的に「仏教をヒンドゥーに」取り込もうとしてるんですけどねー
773:神も仏も名無しさん
14/07/17 09:30:26.06 4xNmK5pw.net
仏教にもチャクラって概念はあるの?
774:神も仏も名無しさん
14/07/17 10:41:45.01 li3ki0Mb.net
>>746
後期密教・チベット密教だけだね
775:神も仏も名無しさん
14/07/17 13:18:24.36 JSlEvrfe.net
>>746
仏教のやり方って、身体のことをあまり気にしないでダイレクトに瞑想を深めていくでしょ。
身体のことはあまり気にしない。
直接心、を修していく。
チャクラも同様。
チャクラのことはあまり気にしない。
直接、心を修していく。
776:神も仏も名無しさん
14/07/17 13:25:53.49 h7LSPT3K.net
>>748
>仏教のやり方って、身体のことをあまり気にしないでダイレクトに瞑想を深めていくでしょ。
四念処は身念住から始まるんだけど
チャクラを気にしないんじゃなくて、チャクラなんて概念はない
777:神も仏も名無しさん
14/07/17 13:43:10.45 JSlEvrfe.net
そういう言い方すると喧嘩になるよ。
778:神も仏も名無しさん
14/07/17 13:53:49.33 JSlEvrfe.net
マハシの場合、(マハシでいうところの)ヴィパッサナーの初期の段階では
身体の痛みや痒みを、痛み痛み、痒み痒みとラベリングしてから膨らみ縮みに戻る。
禅定に入れても入れなくても、その時入れるベストの集中の度合いまで集中すればいい。
できる範囲の集中力で観察すればいいから、在家でもできる。
パオの場合、ヴィパッサナーの前にサマタで禅定に入るから
身体の感覚も思考も全部無視して止めてしまう。
それから身受心法の生滅をパラマッタ(ナーマとルーパ)のレベルで観ていく。
779:神も仏も名無しさん
14/07/17 14:02:22.13 JSlEvrfe.net
ナーマとルーパというのは、要するに物理現象と精神現象の究極的、本質的な姿。
だから、禅定に入ってそれからヴィパッサナーをしていくようになれば、
チャクラやプラーナと呼ばれる概念や現象があったとして(あるいは無かったとしても)
それの本性も見えるわけだから、気にせず瞑想を進めていけばいい。
どうせ同じことになる。
780:神も仏も名無しさん
14/07/17 16:12:12.25 k4OnhLBA.net
ゴエンカさんのところは、アナパナを3日くらい徹底的にやったあと、
そのあとは身体の感覚を観察するやり方だよ。
感覚は心とも結び付いているといスタンス。
パオの比久の方の法話を読んだけど、身体にも意識を向けていたよ。
歩く瞑想は動きの観察だけでなくて感覚も重んじているよね。
心身の親和は大事だと思うよ。
781:神も仏も名無しさん
14/07/17 17:15:26.59 7DKb8gqE.net
ルーパ(色:身体現象)
ナーマ(名:精神現象)
一つの現象と思っていたものが、実は名色に分離する
ことがわかると名色分離智となる
782:神も仏も名無しさん
14/07/17 17:18:37.14 li3ki0Mb.net
パオは説明も分かりやすくていいね
783:神も仏も名無しさん
14/07/17 17:40:39.15 k4OnhLBA.net
書き込んだ後、後半の書き込みはしない方が良かったなと思いました。
精神的現象の感覚と、身体の動きや接触に伴う感覚は分けるべきだったなと。
784:神も仏も名無しさん
14/07/17 20:24:48.53 JSlEvrfe.net
マハシ系の人たちの中には、サマディに入る瞑想を迷信か邪道だと誤解して
おられる方も居るようだけど、マハシでも一来果以上の道果に達しようとしたら
どのみちサマディに入る段階を経ないと、前に進めないんだよね。
スマさんのところで教えている慈悲の瞑想で、「悟りの光があらわれますように」
ってやるでしょ。
あと、マハシのヴィパッサナーで悟りに至る瞬間を説明している箇所で、一瞬だけ
悟りの瞬間が訪れるとか、そういう描写がある。
これは瞬間定(カニカ・サマーディ)で観察対象の三相を看破して、道心(マッガ・
チッタ)から果心(?パラ・チッタ)が生じる瞬間=悟りに至る瞬間を説明している
ものと思われる。
(アビダンマ、もしくはアビダンマッタサンガハを参照のこと)
また、名色の生滅が、1秒間のあいだに数え切れない程繰り返されていることに
も言及している。
カニカ・サマディから行うヴィパッサナーでは、理屈でなく、実際にそれを観る。
パオでもマハシでも、大念住経に基づいて修行していることに、変わりはない。
785:神も仏も名無しさん
14/07/17 20:29:10.05 JSlEvrfe.net
ただし、預流果に達した人の心は、すでに三結(有身見、疑、戒禁取)が消え
五蓋も弱まっているから、普通の人と比べてサマディに入るのは比較的容易になっているはず。
786:神も仏も名無しさん
14/07/17 21:52:34.45 h7LSPT3K.net
>>757
パオってアビダンマサンガハじゃ全然ダメっていうけど具体的に何読んでるの?
アッタサーリニーとかサンモーハヴィノーダニーとか?
787:神も仏も名無しさん
14/07/18 00:28:32.53 isJWvaUo.net
>>759
アビダンマピタカをパッターナまで。
でも、パーリ経典を直接読んでる人は、比丘でもごく一部だと思うよ。
ほとんどの人は、そういう比丘から要点だけ教えて貰って修行してるのが実情。
788:神も仏も名無しさん
14/07/18 04:37:38.45 PwXBuTmV.net
>>760
ありがとう
比丘自身がアビダンマッタサンガハみたいなものなのかな 凄まじいな
でもアビダンマを全部読むとなると、その人自身はパティパッティがやりにくそうだね
789:神も仏も名無しさん
14/07/19 13:30:09.84 6CEu1goY.net
紀元前500年ごろに、ブッダはヨガの瞑想法、アナパナサティ・ヨグを実習した
と記録されているので、そのことにはヨガの技法が広く修行者たちによって実習
されていたことがわかります。
また紀元前350年から300年頃に成立したとされる「カタ・ウパニシャッド」には、
「感官の確かな制御がヨガである」というヨガの定義が始めて出現します。
ヴィパッサナー(vipassana)とはサンスクリット語で、ものごとを・あるがままに・観照
する・という意味ですが、通常、ヴィパッサナー瞑想というときには、呼吸の出入りに
意識をおいて、同時に周囲で起こっているあらゆる出来事に気づいている、というひ
とつの瞑想法をさしています。
もともとはアナパナ・サティ・ヨグというヨガの呼吸瞑想法でしたが、ブッダ自身が修行
中からおこなっていた瞑想法でもあり、後にブッダがたびたび雨期の定住地でこの瞑
想法についての講義をおこない、パーリー語の経典には、こ
790:の技法にたいするくわし いブッダ自身の講義(経典)が残されています。
791:神も仏も名無しさん
14/07/19 14:16:54.32 Fbvu1P/n.net
歴史捏造のヨガキチガイは巣に帰れ
792:神も仏も名無しさん
14/07/19 17:23:25.74 kAkAsPEN.net
>ヴィパッサナー(vipassana)とはサンスクリット語で
>パーリー語
793:神も仏も名無しさん
14/07/19 21:02:16.84 WAOmISv9.net
野球がスポーツの一支であるようにそのように、
仏教の禅定(手法)も、ヨーガの一支だと思うよ。
ただそれだけのことでしょ。
何が問題なのかしらんw
野球をスポーツではない、と言えないようにそのように、
仏教の禅定をヨーガではない、と言えないのさ。 >>763
794:神も仏も名無しさん
14/07/19 21:41:30.81 6CEu1goY.net
うんうん
795:神も仏も名無しさん
14/07/19 22:39:38.86 WAOmISv9.net
>>766
けど、Sktでは vipazyanA ヴィパシュヤナー だけどな。
796:神も仏も名無しさん
14/07/19 23:13:50.93 Ud58io43.net
仏教には、その他の宗教とは一線を画する特筆すべき特徴がある。
それが四諦と三宝印である。
この故に仏教は、仏教という独立したひとつの宗教とされているのだと思う。
797:神も仏も名無しさん
14/07/19 23:19:52.33 Ud58io43.net
無常、無我の教えである仏教では、サマディを真我との合一とは考えていない。
サマディも無常であることを知っているし、たとえ無色界の梵天であっても輪廻
の境涯であることに変わりはない。
真我との合一を目指す宗教と、涅槃を目指す仏教とでは、やはり根本思想が違う。
798:神も仏も名無しさん
14/07/19 23:23:02.73 Ud58io43.net
仏教を、ヨガの体系の中に(あるいは下位に)位置づけようとする論調には
ひとつの前提的な認識がある。
それは、ヨガの最終到達点と、仏教の最終到達点が同じであるという認識である。
つまり、真我=涅槃という考えがある。
799:神も仏も名無しさん
14/07/19 23:27:54.55 Ud58io43.net
ヨガでいう真我との合一 = 仏教でいう涅槃 だろうか。
この命題の真偽を問うことで、仏教とその他多くのインド宗教との違いが
浮き彫りになるだろう。
実際の検証自体は、修行者各自がやればよい。
過去、2500年間ずっと繰り返されてきた自問自答であろうし、人類が
存続する限り、この議題がなくなることもない。
ずっと繰り返されていくだろう。
800:神も仏も名無しさん
14/07/19 23:49:35.49 6CEu1goY.net
そんなことは当たりまえとして知ってるが思想面の話はしてないんだよ。
仏教の修行はヨガから来たものであり、仏教の修行はヨガ。
思想面は少し違うが仏教はヨガの一支。
その上で
>つまり、真我=涅槃という考えがある。
>ヨガでいう真我との合一 = 仏教でいう涅槃 だろうか。
これは真。
しかし仏教からレベルの高い成就者が出てこないのは何故なのかと思う。
(神をあざ笑ってるからか?)
>たとえ無色界の梵天であっても輪廻
>の境涯であることに変わりはない。
これは仏教者が陥りがちなんだけど仏教が言ってる梵天と他の宗教がいってる神は異なるものなんだよ。
神とは輪廻の外にいる根本仏のこと。ここを誤解してるといっこうに話が進まない。
そんでジャイナ教の言うように涅槃に至った魂も神(宇宙)の中で個我を持ち続けるってのが正解。
801:神も仏も名無しさん
14/07/19 23:51:45.96 6CEu1goY.net
仏教は涅槃に至った後はオラシラネ
ってスタンスなだけ。
802:神も仏も名無しさん
14/07/20 00:04:52.18 bjk1CkcP.net
>しかし仏教からレベルの高い成就者が出てこないのは何故なのかと思う。
それは一切を捨てているからだな
ゆえに「成就者」などという、得る境地には至らない。死に掛けた老人の様に一切を厭離して捨て去るだけ
それがヒンドゥー教徒の目には劣った卑しい境地と見えるのだろう
803:神も仏も名無しさん
14/07/20 00:07:38.70 phoMEQcT.net
始まりがなく、終わりがなく、生じることがなく、滅することがない。
あるとか、ないとか言えない。
語れない。
直接語られることはなく、
ただ苦しみの滅尽とのみ言われる。
804:神も仏も名無しさん
14/07/20 00:09:08.07 bjk1CkcP.net
>>765
>仏教の禅定をヨーガではない、と言えないのさ。
まあサマーディの瞑想をヨーガと総称するならそういえるが、仏教の瞑想はサマーディの助けを得て
諸現象を如実に観察する慧、観(ヴィパシュヤナー)にあるわけ
それは無常・苦・無我。
この三相はヒンドゥー教徒には受け入れがたい真実であり、苦痛で、直視できないもの
ゆえに仏教徒の視点から見るとヒンドゥー教徒に智慧はないし、解脱もない
805:神も仏も名無しさん
14/07/20 00:20:57.67 bjk1CkcP.net
>>772
>そんでジャイナ教の言うように涅槃に至った魂も神(宇宙)の中で個我を持ち続けるってのが正解。
ジャイナ教ではそうなんだ
でも仏教で個を形成するものは五蘊の他には何もない
完全な涅槃に入ると五蘊を全て捨て去ってしまうので、魂も何も残らないのよね
806:神も仏も名無しさん
14/07/20 00:21:24.09 phoMEQcT.net
サマディに入ったら、もうその時点で個我は消えちゃうよね。
個我を保ったままサマディに入れないでしょ。
(瞑想から出て、肉体に意識が戻ってきたら、また個我が働き始めるけど)
ヨガには、そういう瞑想状態があるの?
まぁ、別にいいけど。
807:神も仏も名無しさん
14/07/20 00:24:12.16 phoMEQcT.net
サマディに入ったら、意識が繋がってるのが体験的にわかるでしょ。
というか、意識の端っこが各々の肉体に入って、各々が別の生き物だと思ってる状態が
普通の生存状態なんだろうけど、深い処は繋がってて別個じゃないよね。
それはヒンドゥー教のヨギがよく語ることでもあるよね。
808:神も仏も名無しさん
14/07/20 00:25:36.78 phoMEQcT.net
アーサナとプラーナーヤーマは瞑想の準備段階でしょ。
準備はそこそこでいいから、はやいとこ瞑想やってサマディに入った方がいいと思うよ。
仏教はダイレクトに行くから、その辺は早いんだよ。
809:神も仏も名無しさん
14/07/20 00:34:44.85 gcvYQGhK.net
>>777
>でも仏教で個を形成するものは五蘊の他には何もない
思想はね。
そして肉体を持ってるうちはそう感じるのが限界なのかもしれない。
しかし、宇宙的視点(神)からみれば無余涅槃になったとしても個我は残ってる。
これは仏教で悟ろうが、ジャイナ教で悟ろうが、アドヴァイタで悟ろうがヨガで悟ろうが同じ。
(並み外れた優れた神通もってるような巫女はいまでも釈迦の個我と通じたり出来たりする。)
でも仏教者なら
>完全な涅槃に入ると五蘊を全て捨て去ってしまうので、魂も何も残らないのよね
こう思い込んでてもいいよ。
しかし真実はジャイナ教が述べている通り。
810:神も仏も名無しさん
14/07/20 00:44:31.01 phoMEQcT.net
>>781
それで、ヴィパッサナー瞑想法はマハシでやられているんですか?
あるいはゴエンカさん、地橋さん、パオさん、どこのヴィパッサナーを修習しておられるのでしょうか。
811:神も仏も名無しさん
14/07/20 00:57:42.85 gcvYQGhK.net
>>778
>サマディに入ったら、もうその時点で個我は消えちゃうよね。
778に書いたけど無我ってのは肉体を持ってる普通の人間が感じられる限界なんだと思う。
ヨガは瞑想に入って無くてもサマディー状態ってのが瞑想のサマディーのさらに上にある。
でも仏教もヨガも境地は同じものだよ。解釈が違うだけ。
(釈迦は瞑想は入って無くてもサマディー状態になってたんだと思う、釈迦以来この境地に入った仏教者はいなさそうだけど。)
>>780
>>アーサナとプラーナーヤーマは瞑想の準備段階でしょ。
準備段階と言うより瞑想と平行してやる。
瞑想だけやるよりよっぽど早いペースで進む。あっという間に深い瞑想に入る所作手法なども・・・
全部やった方が断然いいことは確か。
私は上座部仏教の瞑想も使うよ。思想も使う。
とにかく一番早い方法でやってる。
経典の枝葉末節をゴジャゴジャ言うよりとにかく悟りに至らなきゃ意味ないからね。
812:神も仏も名無しさん
14/07/20 01:16:41.49 phoMEQcT.net
上座部の瞑想は、どの系統でやられていますか。
仏教修行者の場合、サマディ(精神集中)の練習の次に
ヴィパッサナー(観察)をやるんですよね。
そこが特にヨガと違うところだと思います。
813:神も仏も名無しさん
14/07/20 01:17:32.18 phoMEQcT.net
おっと失礼。
それもヨガの一支なのかな。
だったらごめんなさいね。
814:神も仏も名無しさん
14/07/20 05:27:33.55 bjk1CkcP.net
>>783
>でも仏教もヨガも境地は同じものだよ。解釈が違うだけ。
そりゃサマーディの段階に限ればね(^^;)
ヴィパッサナーをやらなきゃ無意味なのに、どこのメソッドでヴィパッサナーやってるかは答えないのか(笑)
まあヒンドゥー・ヨーガを宣伝に来ただけだから当たり前だけど
>私は上座部仏教の瞑想も使うよ。思想も使う。
それを貴方はサマーディを得るための方便だと思ってるから話が噛み合わないのかもね
815:神も仏も名無しさん
14/07/20 08:45:49.47 gcvYQGhK.net
>>784
>>786
やり方がヨガと違っても到達できる境地は一緒ですよ。慧解脱。
ヴィパッサナーやるから偉いとか到達できる境地が違うとかはありません。
自分たちは特別だから偉いとか、自分たちのやり方は特別だから偉いとか
思ってしまうのは上座部仏教の悪い癖です。
違いはそこに至るまでの早さです。仏教が後期密教まで進化したのは早さが理由です。
現在では(ある系統の)ヨガの方法を使うのが一番早いでしょう。
ヴィパッサナー瞑想で到達できる境地も他の仏教、ヨガ、ジャイナ教で到達できる境地も一緒です。
ヨガでは無種子三昧に到達すれば慧解脱となります。
無種子三昧=慧解脱 何の違いもありません。サマディーという呼び名だから下とかそういうのは無いのです。
仏教者のたちの悪い思い込みです。
悟りとは思い込みやこだわりを捨て無分別になる方向なのに上座部の人達は何故か逆方向に行きがちです。
不思議。
816:神も仏も名無しさん
14/07/20 10:52:05.15 IXxwgkeg.net
>784
その境地に達した人って、具体的にはどんな人がいるのですか?
817:神も仏も名無しさん
14/07/20 11:20:17.86 phoMEQcT.net
四諦と三宝印。
諸法に対しては三相を観る。
仏教以外の宗教にこれはない。
818:神も仏も名無しさん
14/07/20 11:26:48.57 phoMEQcT.net
申し訳ないけど、ヨガの宣伝はヨガスレでやって欲しいなぁ。
ここはヴィパッサナースレだからなあ。
819:神も仏も名無しさん
14/07/20 11:48:53.98 bjk1CkcP.net
>>787
>やり方がヨガと違っても到達できる境地は一緒ですよ。慧解脱。
>ヴィパッサナーやるから偉いとか到達できる境地が違うとかはありません。
偉いえらくないじゃなくてね・・・
サマーディだけじゃ時解脱しか得られないから、わざわざヴィパッサナーやるんだけど
>サマディーという呼び名だから下とかそういうのは無いのです。
下なのではなく戒定慧の定までしか行っておらず、慧が欠けているんです
智慧の定義とは四諦、縁起、三相をはっきりと理解することね
>悟りとは思い込みやこだわりを捨て無分別になる方向なのに上座部の人達は何故か逆方向に行きがちです。
その思い込み、こだわりの最たるものが真我とかブラフマンなどの実在論
そこはがっつり抱え込んでヨガ行者は悟ってるんだYO~と言われても
820:神も仏も名無しさん
14/07/20 13:34:41.20 D5ivnpsU.net
ヨガやっている人達もゴエンカ氏式ヴィパッサナー瞑想の合宿に参加してるんだよね。
その人達は何のためにヴィパッサナーをやるのか理解しているよ。
ヨガの人は、ヴィパッサナー瞑想合宿でググって参加者のブログを複数読んでみてちょ。
あそこに参加した人達がブログに書く時は、かなり詳しく書いむくれるから分かりやすい。
821:神も仏も名無しさん
14/07/20 13:55:09.88 D5ivnpsU.net
訂正
× 書いむくれる
822: ○ 書いてくれる
823:神も仏も名無しさん
14/07/20 14:00:25.12 gFBvnf+S.net
URLリンク(blog.goo.ne.jp)
824:神も仏も名無しさん
14/07/20 18:00:04.32 IXxwgkeg.net
漫画の世界みたいなものなんですか? 理想的に書かれた凄い人はいろいろ
あるのでしょうが、実際に高い境地に達した人はいないのですか。
825:神も仏も名無しさん
14/07/20 19:46:39.85 bjk1CkcP.net
>>795
そんなこと聞いても無駄だよ
自分が実践してる流派によって、パオ・セヤドーだ、マハシ・セヤドーだ、いやゴエンカ氏だ、レーディー・セヤドーだとか
流祖を挙げるだけなんだからさ
確かめる方法は簡単で、パオとかマハシとか
教学的に信頼性の高い有名どころで真面目に瞑想して、自分が実際に高い境地に達すること
何故なら聖者は自分と同じ境地の聖者を見分けられるから
826:神も仏も名無しさん
14/07/20 20:50:20.39 Yo4QvGgV.net
>>791
あなたの言ってる事が全て仏教側からの思い込みなんだよ。
ヨガの無種子サマディーは時解脱じゃないよ。
煩悩が完全に絶たれ解脱=無種子サマディーだから。
思想や見方が違うだけで境地は同じ。
仏教以外からすれば四諦、縁起、三相は不要。超越神が存在するからね。
上の3つ+無我と神(最高の智慧)+真我どちらに付くかの思想的違いだけ。(本来のヨガからすればプルシャの諦観だが)
どちらでもいいんだ。貴方は見方が上座部仏教に偏ってるだけ。
ヨガの悟りが上座部仏教の悟りに劣るようなことは決して無い。
(かえって上座部仏教修行者の態度の方が問題だと思うけどね。 預流果に達したら地上にはもう来ないで色界で解脱するとか、
自分だけ悟ればOKで何もしないとか。一応、大乗とかヒンドゥーは悟った後色々やってくれるからね。まあ境地の問題とは関係ないけどね。
またこれ書くと余計拗ねて頑なになっちゃうかな?)
何度も言ってるがジャイナ教が教えるように真実的には神も存在するし、慧解脱後身解脱した魂の個我も存在し続ける。
肉体を持ってると無我とか合一の認識が限界みたいだけど。マハーヴィーラはその手の神通もっててつまびらかに見てわかったんでしょ。
>>790
上座部仏教の人達は頑なで凝り固まってて悟りから遠ざかってるからたまには他の系統の話聞いた方がいいからね。
ヨガの一支流行者としてね。私はそう言うスタンスでここに書き込んでる。宣伝じゃないよ。
>>792
上座部仏教の思想でなければヴィパッサナーは特に必要ってわけじゃないんだよ。
私は自分の人生の経験から苦が良くわかってる&少し調子に乗りやすいから梵我一如ばかりじゃどうもと危うかったと言うのがあって
苦、無情、無我、(不浄)の想観が便利&捗るから使ってるだけ。基本はヨガの瞑想。
あるブログに
>逆に、テーラワーダ仏教こそ真理で、他はすべて間違いであるという新興宗教的な動きも見られる。
>ヴィパッサナー瞑想至上主義におちいって、他を否定するのでは、ブッダの道から遠ざかるだけである。
って書いてあったよ。
私が一番言いたいことはこれw まさにあんたたちw
827:神も仏も名無しさん
14/07/20 21:01:22.96 Yo4QvGgV.net
>>788
結構いっぱいるよ。近代・現代でもいっぱいる。
現代に近いとこで一人挙げるとスリ・ユクテスとか。
828:神も仏も名無しさん
14/07/20 21:21:32.34 XHQFaDRj.net
>>771
>それは、ヨガの最終到達点と、仏教の最終到達点が同じであるという
違うだろw
禅定という、具体的な手法が、同一カテゴリーとして括れるだけであって、
その到達点は全く違う。
だから、ゴールだけ見れば、ヨガやヒンドゥと同一視されることを嫌悪せざるを得ない。
が、その具体的方法、採用している身心調整のプラクティスを見れば、同一視が可能になる。
ただそれだけなのに、何でこんなにこじれるかなw
>>776に尽きるように思うなw
>>781
同じじゃねーだろw
少なくとも、仏教的にアプローチする者なれば、そこを同一視してはならんのじゃない?
829:神も仏も名無しさん
14/07/20 21:27:26.26 XHQFaDRj.net
>>797
>仏教側からの思い込み
当たり前じゃねーかw
つか、寧ろそうでなくてはいけない。
でなければ、二仙人の後に、一人菩提樹下に坐した意味が無いw
>>791が言うように、 >慧が欠けている 点は、外せないでしょ。
つーか、
≪複数ある側の中、仏教側から見ることを選ぶからこそ、仏式の瞑想法をとる≫んだから、
「 >仏教側から 」の評価判断なのは当然だろ?
何頓珍漢なこと言ってんのさ。
830:神も仏も名無しさん
14/07/20 21:28:55.68 Yo4QvGgV.net
チベット仏教に聞いたら同じと答えるよ。
彼らは上座部仏教、大乗仏教共全部知っててそう答える。
解ってないのは上座部仏教の人なんだよ。
井の中の蛙大海を知らず状態。
831:神も仏も名無しさん
14/07/20 21:46:30.25 Yo4QvGgV.net
>>800
いやお釈迦様の作った哲学では四諦、縁起、三相つう慧が必要だっただけで
ヨガその他の方では神という最高慧が在ればいいのだよ。
二仙人はたまたま有種子三昧に留まっていただけで、ヨガの最高のサマディーは無種子三昧(サマディー)=慧解脱だよ。
832:神も仏も名無しさん
14/07/20 21:50:48.10 D5ivnpsU.net
>>797
ヴィッパサナー至上主義になるな。これはゴエンカ氏や
アシスタント達も言っているね。
同意だよ。
私自身は、どちらかというと大乗側の人間で臨済禅のお寺の座禅会に参加したりしている。
ヴィパッサナーはあるブログで見て、やり方を知って実践してみて取り組むようになった。
で、ここはヴィッパサナー瞑想のスレだからスレに則してヴィッパサナーの書き込みをしているだけのこと。
臨済禅のスレに書き込む事もあるし、別板のゾロアスター教のスレにおじゃまする事もある。
一つ気になったのだけど、書き方が一方的じゃない?
あなたに対して口汚い言葉を用いた人もいるし、不愉快な気分になったのは察するよ。
中にはヴィッパサナー至上主義、テーラワーダ至上主義の人もいるだろうけど、
ここがヴィッパサナー瞑想のスレだから、スレに即して書き込んでいるだけの人も多いと思うよ。
信仰している神がいる人もいるだろうし、ヨガもたしなんだ人もいるかもしれない。
書き方によって他者の反応は変わってくるものだよ。
833:神も仏も名無しさん
14/07/20 21:53:18.05 XHQFaDRj.net
>>802
だからw
>神という最高慧が在れば
仏教では、(そういう)神様は要らんでしょ?
で、「慧=神」なんて図式も採用せんでしょ?
なんで君はこのスレに来たの? (´・ω・`)
834:神も仏も名無しさん
14/07/20 21:54:40.82 Yo4QvGgV.net
>>804
ヨガを教えに来ました。
835:神も仏も名無しさん
14/07/20 22:01:18.27 XHQFaDRj.net
>>805
間に合ってます。 m(_ _)m
836:神も仏も名無しさん
14/07/20 22:10:37.21 Yo4QvGgV.net
>>803
はい、少し書き方が荒かったですね。
貴殿の書き込みを参考にさせていただきます。
837:神も仏も名無しさん
14/07/20 22:54:32.97 yLC/hBrW.net
>>801
呼ばれたんで、一回だけ言うけど
チベットの先生で解脱とサマーディが同じとか、超越神が存在するとは言わないね。
寧ろそういう有身見、サマーディ体験を解脱と勘違いするから外道は悟れないというのが、各宗派共通の見解だと思う。
これはゲルクはもちろん、ニンマ、サキャ、カギュも同じ。
ただし、チョナンなど他空説を執る伝統では、超越神(本尊)が存在するという表現はいうかもしれないが、
その場合でもヒンドゥーとは違うと必ず言うと思う。
縁起を悟らないから、超越神が存在すると考えるんだということで仏教はどんな時代、どんな地域でも一貫してるように思う。
仏教は縁起に集約されますから。行法も戒定まではヒンドゥーとほぼ共通かもしれないけど、
重要な慧が縁起であり、それこそが観であり、無我・空性などを悟る仏教の核心ですから。
838:神も仏も名無しさん
14/07/20 23:29:50.07 Yo4QvGgV.net
>>808
いやダライ・ラマはヒンドゥー(ヨガ)の解脱者に賛辞を送ってますよ。認めてますよ。
そして私はまだまだそこまで到達してないと言ってますよ。
何度も書くけど
境地は仏教の解脱=ヨガの解脱だよ。
ヨガの無種子サマディー=慧解脱
(あなたの言ってるのは有種子サマディ)
優劣はない。
ここだけを問うているのだ。
そこに至るまでの方法と考え方が違うだけ。
思想についてはそれぞれだから問うてないし言い合っても無駄。
縁起を悟っても、超越神を悟っても同じ事。
どちらでも結果は同じ。
839:神も仏も名無しさん
14/07/20 23:33:44.36 XHQFaDRj.net
┐(´ー`;)┌
840:神も仏も名無しさん
14/07/20 23:39:57.68 Yo4QvGgV.net
到達点が違うとか言ってる奴恥ずかしすぎるぞw
証拠にインドから追い出されたのは仏教の方だ。
841:神も仏も名無しさん
14/07/20 23:40:17.44 phoMEQcT.net
>サマディ=解脱
この図式はヨガの図式。
仏教の場合、
サマディ≠解脱
842:神も仏も名無しさん
14/07/20 23:42:07.82 phoMEQcT.net
仏教の場合、サマディが到達点じゃないんだよ。
サマディ(サマタ瞑想)の後、ヴィパッサナーをやる。
止観の止がサマーディの修行。
止観の観がヴィパッサナーの修行。
サマーディで終わりじゃない。
843:神も仏も名無しさん
14/07/20 23:44:55.32 phoMEQcT.net
サマーディは、色界の四禅から無色界の四禅まで、仏教でもヨガでも
同じようにサマーディに入っていく(らしい)。
お釈迦さまが、高名なヨギのもとで無色の四禅である非想非非想処を
修したことは周知の通り。
問題はその後。
違いが出てくるのは、その後。
844:神も仏も名無しさん
14/07/20 23:50:50.48 Yo4QvGgV.net
ヨガの無種子サマディー=解脱も
仏教のサマディー=「非想非非想処」=有種子サマディー
の後、数工程を歴てあとのもの。
仏教の解脱の境地とヨガの解脱の境地に違いはない。
何度言っても判らないようなので、もう馬鹿の相手しても無駄なのでこのへんで。
845:神も仏も名無しさん
14/07/21 00:28:33.34 WC/uvrzw.net
直ぐ馬鹿とか言っちゃうのって、このスレに一体何しに来てるんだよって話
846:神も仏も名無しさん
14/07/21 00:51:37.33 mgtSt1Wz.net
キリスト教神秘主義のマイスター・エックハルトとかは、ヨガも仏教もヴィパッサナーも
知らなかったと思うが、ああいう人は皆さん如何考えられる?
847:神も仏も名無しさん
14/07/21 11:34:36.83 tczjvlYv.net
>>817
けっして侮れるような対象ではないよね。
私は仏教に帰依する者だけど、いかなる教義であろうと、それを具現する人たちを見くびったり蔑むようなことは出来ないな。
その人たちの幸せと発展を心から祈ってこそ、自分が最高の自分でいられるわけだから。
848:神も仏も名無しさん
14/07/21 11:53:42.67 iq5sr1TI.net
>>797
>ヨガの無種子サマディーは時解脱じゃないよ。
>煩悩が完全に絶たれ解脱=無種子サマディーだから。
釈尊はまさにそうやってサマーディで解脱に達したとする二人の師匠のもとで瞑想して
これは一時的なものに過ぎず、煩悩の根は断たれないと見て、それらを捨て、
最終的には自分でヴィパッサナー(四諦、縁起)を観察する瞑想を編み出したわけ
>ヴィパッサナー瞑想至上主義におちいって、他を否定するのでは、ブッダの道から遠ざかるだけである。
そんなことはない。
『大念処経』でブッダ自身が、
「比丘たちよ、この道は…涅槃を証するための一乗(エーカヤーナ)である、それは四念処である」と説かれているからね
ブッダの言葉に従うなら、他の道を求めることこそ、ブッダの道から遠ざかるだけ
849:神も仏も名無しさん
14/07/21 11:58:13.17 iq5sr1TI.net
ヴィパッサナー(四諦、縁起)を観察する瞑想 ×
ヴィパッサナー、四諦、縁起を観察する瞑想 ○
850:神も仏も名無しさん
14/07/21 14:32:51.80 BT9QQ78y.net
ヨーガの場合はサマディ行きっぱなしで
おしまいだけど、仏教の場合は、そこから
志向・思考発生の観察に入って、常に
自分の志向・思考・言動を自覚・制御できる
ようにするってことでおk?
851:神も仏も名無しさん
14/07/21 14:52:43.19 cVo+yBZa.net
そう。
それに加えて名色の生滅を観て、無常、苦、無我の三相を観る。
ものごとの本性がその三相であることを見破る。
これによって煩悩の対象を厭い(厭離)、離貪する。
厭離、離貪によって解脱する。
マインドフルに生きるだけで終わりじゃないし、そこが最終地点という
わけでもない。
そこはまだ過程。
最終目標は、あくまでも涅槃に至ること。
852:神も仏も名無しさん
14/07/21 15:55:08.08 pA0Rc4Bt.net
真剣なのは解るけど、なんかどこかに違和感あるな。プロレスを見ている
ような感じで、興奮はするけどもどこかに八百長がある。WWW
悟りショー的なところがあるんかなー。どこまでを信じていいのかわからん。
現実にTVとかがチベットの山奥に住む凄い聖者を探しにいくと、普通の
叔父さんだったりするとかではないの? どこに住んでいるかというとたいていは
僻地だったり秘境だったりして絶対に身近な人にはいないよね。
確かめにいくには萎えてしまう。
853:神も仏も名無しさん
14/07/21 15:59:28.69 pA0Rc4Bt.net
もう少し正直に身近なところから修行をしたほうがいいのではないかな。
>厭離、離貪によって解脱する。
こんなこといくらしゃべっても解脱なんて誰も体験したことがないのだし
不可能なことだから、もうすこしハードルを下げたほうがいいのではないか。
854:神も仏も名無しさん
14/07/21 18:32:43.22 cVo+yBZa.net
んーと、ですから各自にあった高さのハードルを選べばいいと思いますよ。
マハシ、ゴエンカ、地橋さん、パオとあって、森林派の僧院に出家するよう
な人は、僻地の聖者を探すというより、自分自身がその僻地に行ってしまいます。
でも、そこまで出来ない(するつもりもない)人がほとんどでしょうから。
しかし、元来の仏教は、悟りと解脱を目指すものであって、それが本来の姿だと
思います。そこを譲ってしまったら上座部仏教ではなくなってしまうので、やはり
譲れない部分です。
法の六徳のひとつには、こうあります。
ブッダの法は、衆生を涅槃に導く教えである。
これが本来の仏教のはずです。
855:神も仏も名無しさん
14/07/21 18:54:57.83 cVo+yBZa.net
>>823
もしいつか、その気になった時は
瞑想によって禅定に達するという話が、現実のことなのか、不可能なことなのか
ご自身で確かめてみるのが一番だと思います。
実は、それ以外に証明する方法はないです。
なぜなら、心は物質ではないので、台の上に上げて再現実験をすることはできま
せんし、見せてあげることもできないからです。
現代科学の理論では、常に心の真実は偽になるのです。
856:神も仏も名無しさん
14/07/21 19:02:05.51 cVo+yBZa.net
科学的であるための定義には、次の二つの条件が必要なはずです。
・科学的な思考とは、帰納と演繹において、論理に整合性がある考え方のことである。
・科学的な態度とは、論理と実験、双方において真偽を確かめることである。
そして、実験するためには、その実験対象が物理的に実在している必要があります。
これが科学的であるために必要な前提です。
しかし、心は物質ではありません。(←しかしこれを科学的に証明できません)
実験できませんから、わたしは科学的にこの説が真であることを証明できません。
それは、定義上の限界によって出来ないのです。
しかし、ご自身で瞑想を進めていかれると、そこには実験再現性があり
飛躍のない、整合性のある論理に貫かれた心の現実があります。
857:神も仏も名無しさん
14/07/21 19:05:51.48 cVo+yBZa.net
スマナサーラさんも言っている通り、仏教はとても科学的です。
しかし、唯物論ではないのです。
858:神も仏も名無しさん
14/07/21 19:27:48.48 iq5sr1TI.net
>>824
>もう少し正直に身近なところから修行をしたほうがいいのではないかな。
ものすごく身近なところから始まりますよ
たとえば気づきを持ちながら食事することも瞑想です
歯磨きするときも気づきながらやる、とかね
859:神も仏も名無しさん
14/07/21 19:31:32.44 cVo+yBZa.net
>>824
確かに、身近な生活のなかでの修行も大事ですよね。
仕事でも、瞑想でも、やるべきことに集中し、怠け心に飲み込まれ
ないようにいつも精進し、何がおきても忍耐して心を乱さず、いつも
慈悲の心を保ち・・・という、要するに八正道、あるいは七科三十七
道品を修していくべきであることに、変わりはないはずです。
でも、悟りに至るように心を鍛えていくには、やっぱり瞑想するのが
一番効率的で早いです。
瞑想しないと、本当のところは見えてきません。
860:神も仏も名無しさん
14/07/21 19:49:21.24 sXhA3VPd.net
効率的にはヨガが一番速いよ。
きちんとグルに付けばヴィパッサナーで50年かかることが1~2年位で出来る。
だから私はメインはヨガの瞑想。
861:神も仏も名無しさん
14/07/21 19:52:13.47 cVo+yBZa.net
そこは修行者自身のセンスで好きな方を選べばいいことでしょうし、
そもそも好きな方しか選ばないでしょう。
センスの出るところです。
862:神も仏も名無しさん
14/07/21 20:47:41.40 7FvEj3cr.net
>>809
ダライラマについての誤解をただします。
恐らくアナタに何を言っても通じないので、これを読んで他の方がチベット仏教を誤解しないためです。
>いやダライ・ラマはヒンドゥー(ヨガ)の解脱者に賛辞を送ってますよ。認めてますよ。
>そして私はまだまだそこまで到達してないと言ってますよ。
上のように言うことと、下は全く違いますから上のダライラマ猊下の発言は下の発言の根拠になりません。
ダライラマ猊下は、基本的によく言う方ですのでそういう発言を根拠にならないでしょう。
>境地は仏教の解脱=ヨガの解脱だよ。
>ヨガの無種子サマディー=慧解脱
>(あなたの言ってるのは有種子サマディ)
>優劣はない。
私が知る限り仏教徒で同じと言った人で、後に認められた人はいません。
邪見とされます。
>そこに至るまでの方法と考え方が違うだけ。
>思想についてはそれぞれだから問うてないし言い合っても無駄。
>縁起を悟っても、超越神を悟っても同じ事。
>どちらでも結果は同じ。
こういうことを言うのはナータ以降のヒンドゥーのみで、仏教ではそうはいいません。
仏教では以下の釈尊が説かれた『梵網経』に従って、超越神は常住論、定見とされ、それぞれ体験した境地の転生をもたらし涅槃はもたらさないとします。
URLリンク(www28.atwiki.jp)
もちろん、ダライラマ猊下も同じです。『梵網経』に従っているのは以下龍樹ボサツ『勧戒王頌』第108詩句に対するダライラマ猊下講義録200頁以下がそれに他なりません。
URLリンク(tbrc.org)
六十二見と十四無記は同じ主題について説かれます。
863:神も仏も名無しさん
14/07/21 20:48:08.59 7FvEj3cr.net
ダライラマ猊下ご自身も以下の通り『愛と非暴力』で次のよう発言されています。
以下の訳はKindness, Clarity, & Insight, 2006版と三浦順子訳を参照して、チベット訳の以下から私が訳したものです。
URLリンク(tbrc.org)
> Calm abiding, which is predominantly stabilizing meditation, is common to both non-Buddhist and Buddhists.(208頁)
> 'jog sgom gyi gtso bo zhi gnas ni phyi rol pa dang nang pa gnyis kar thun mong ba yin | (295頁)
> 主たる禅定修習である止(サマタ)はヒンドゥーと仏教に共通のものです。(和訳79頁)
> Special insight is attained in a similar way when the bliss of
> mental pliancy is induced, not by the power of stabilizing meditation,
> but by the power of analysis with investigatory wisdom.(212頁)
> bde ba de ni shes rab kyis dpyad pa'i stobs las skyes pa yin gyi | 'jog sgom gyi stobs las skyes pa min | (301頁)
> [身体の楽でなく心の]その楽は般若によって分析する(ヴィパサナの)力から生じるので、禅定修習の力から生じるのではありません。(和訳85頁)
以上から止(サマタ)こそがサマーディの別名ですから、それはヒンドゥーと共通ですが、般若によって分析する、ヴィパサナは共通しないということになりますし、
明瞭な部分は見つけられませんでしたが、般若による空観、縁起観で分析して実体なく空性であると直観することが仏教の特徴であることはあらゆる仏教に一貫してるので、ダライラマ猊下もチベットの伝統通りそう捉えていると見ることができるでしょう。
864:神も仏も名無しさん
14/07/21 20:49:36.54 7FvEj3cr.net
より明らかなのは以下です。
> Milarepa, in his “Song to the
> Five Long Life Sisters” (tshe ring mched lnga) says that even though
> Buddhas, the Truth Body, grounds, paths, and so forth―even
> emptiness―do not ultimately exist, within the scope of nonanalysis
> and non-investigation the omniscient Buddha said that
> everything exists for a conventional consciousness.
> Thus, Milarepa advocated a non-confusion of dependent-arisings in the sphere of
> conventional truths as well as the non-findability of even emptiness ultimately.(229頁)
> mi la ras pas tshe ring mched lnga'i mgur nang don dam par ni sangs rgyas dang |
> chos sku | sa lam la sogs pa dang | stong pa nyid kyang med na'ang |
> ma brtag ma dpad pa'i tha snyad pa'i shes pa'i ngor thams cad yod pa kun mkhyen gyis gsungs
> zhes gsungs pas rje mi las kun rdzob bden pa'i char rten 'byung mi bslu ba dang |
> don dam par ni stong nyid kyang mi rnyed par sgrub gnang | (321頁)
> ミラレパが『五長寿女神姉妹歌』の中で「勝義としてはブッダも、法身も五道十地なども、
> 空性も無いけれど、[観や見解による]思索せず分析しない言い習わし(常識)的意識の面では一切が[世間で言う通りあるがままに]有ると一切智者(ブッダ)が仰られた」と説かれたので、
> 尊者ミラレパは世俗諦の点で確かな縁起と、勝義としては空性さえも不可得であることを支持なさっています。(和訳285)
ブッダも法身も、空性も無いのですから、「超越神」のようなものが存在すれば、常見になってしまうので、存在するわけないでしょう。
またチベットではインド大乗仏教の伝統に従って創造主遮断(dbang phyug dgag pa)という伝統があります。
遮断というのは否定するのではなく、相手の執着を解き放って戯論寂滅に導くのが本来の意味ですが、単に否定とか批判の意味で捉える方もいたように思います。
865:神も仏も名無しさん
14/07/21 21:02:03.92 pA0Rc4Bt.net
仏陀も弟子を指導する過程でいろいろ失敗もして試行錯誤しているわけで
悟って解脱した人でも指導方法において試行錯誤しなくてはならない。その意味
では悟りは知恵としては不完全なわけでしょう。つまり認識をつかさどるところ
の知恵が不完全なら「これが涅槃だ」と確信したとしてもそれも当然不完全なものと
いうことになりますね。
そもそもそういう不完全さについて仏陀が知らない筈は無いわけで、当然それをも
含めた教えであると考えられる。そう考えてみると、悟りや涅槃の意味が違ってくる気がする。
866:神も仏も名無しさん
14/07/21 21:04:42.68 pA0Rc4Bt.net
>効率的にはヨガが一番速いよ。
それはなぜなの? 深い変性意識状態に効率よく入っていけるから?
多分練習量が違うとか、過激さが違うとかそういうことじゃない。ヨガがなにか
特別なことをやるわけじゃないと思うし、特別なことをしても変わらないと思う。
867:神も仏も名無しさん
14/07/21 21:14:40.86 7FvEj3cr.net
>>836
だから仏教の伝承は聖者のサンガによるわけで、聖者が途絶えた時点で伝承は断絶します。
それを示したのが道元禅師『正法眼蔵』の「四禅比丘」
URLリンク(www28.atwiki.jp)
サマーディの境地である四禅を得た比丘が、その境地を涅槃と勘違いし、
慢心、謗法を起こしたので地獄に転生する話。
同様の比丘を師が導いてアルハットにする話。
聖者の指導がないと仏教はちゃんと伝わらないということ。
仏教の伝承は聖者のサンガによるというのは水野弘元『仏教要語の基礎知識』旧版107頁に非常に優れた説明がありますので是非読んでください。
868:神も仏も名無しさん
14/07/21 21:46:36.53 VIWuxdIC.net
変性意識かぁ
869:神も仏も名無しさん
14/07/21 22:05:46.65 SqZA1uI3.net
最近お客さんが多いけど、どこでこのスレを知ったのかね?
色々な経緯でヴィパッサナー瞑想を知って、
興味を持ったり実践しようとして、このスレにたどり着いた人が多い感じだったけど、
今月に入ってからはどうも様子が違うような...
870:神も仏も名無しさん
14/07/21 22:11:38.60 ZLJ1lyie.net
>>838
上座部仏教は聖者も口伝も途絶えてるよね。
いまのヴィパッサナー、上座部仏教は20世紀に再興された新興宗教。
経典至上主義になっちゃっておかしくなってる
私たちは特別だみたいな
経典じゃないんだよねこの世界は、聖者(グル)と口伝これが非常に重要。
871:神も仏も名無しさん
14/07/21 22:27:53.01 iq5sr1TI.net
>>841
>聖者(グル)と口伝これが非常に重要。
それを上座仏教で声高に主張すること自体が極めて新興宗教的ですけどね
口伝(ルン)がどうとかいうのは密教に置いて重要なだけでしょう
上座仏教には筆記されず聖者がマンツーマンで伝えるしかない秘密の教えなんてものはありません
872:神も仏も名無しさん
14/07/21 22:31:52.36 ZLJ1lyie.net
ヴィパッサナーだけでもやはりプラーナを感じるようになるみたいだね。
ヴィパッサナーの先生は身が細かい粒子にみたいになるって表現するんだってw
冬でも寒くなくなるとも表現するみたいw
まあここにいる連中はまったく判ってないんだろうけど。
873:神も仏も名無しさん
14/07/21 22:38:12.67 KO0R8dyY.net
まあ野球選手はサッカーのゲーム展開の機微をまったく判ってないんだろうけど。
と言ってるようなもんだな。 >>843
874:神も仏も名無しさん
14/07/21 22:38:42.63 iq5sr1TI.net
>>843
>ヴィパッサナーだけでもやはりプラーナを感じるようになるみたいだね。
だから何なの?
厭離を促す智慧につながらなければどんな凄い神秘体験も仏教的には無意味
875:神も仏も名無しさん
14/07/21 22:44:33.03 7FvEj3cr.net
>>841
スリランカは断絶して文献学みたいになってるようですが、
ビルマは聖者の伝統が続いてるでしょう。
今もアルハットがたくさん出てると聞いてます。
それとニューウェーヴ・テーラワーダでヴィパッサナーと言われるのは、伝統仏教では四念処ですね。
経典も重要ですよ。
>>845
全くそうだと思いますが、体験も重要だと思いますすよ。
876:神も仏も名無しさん
14/07/21 22:44:39.68 ZLJ1lyie.net
>>837
心、体、見えない身体、エネルギー、トータルで全て判っててやるからかな。
ヨガはその辺りむろん瞑想も全部解ってて体系的、段階的に各種技法がある。
あとサマディーによるエネルギーがやはり凄いのよ。
師にきちんと付かないとだめだけどね。
ブログとか書いて中途半端にヴィパッサナー合宿とかもやってるヨガの人はだいたい駄目だけど。
>それはなぜなの? 深い変性意識状態に効率よく入っていけるから?
変性意識という言葉はあんま好きじゃないけど、仏教の四禅、無色界禅定はサマディーでありあなたの言ってる変性意識でしょ。
当然のようにそこまで到達しないとどうしようも無いじゃん。
877:神も仏も名無しさん
14/07/21 22:45:37.85 ZLJ1lyie.net
まあここにいる人達は経典オタクだから
おそらく初禅にも到達しないでしょうからまあいいや。
878:神も仏も名無しさん
14/07/21 22:56:14.25 iq5sr1TI.net
>>846
瞑想の進展具合をはかる目安にはなると思いますし、言いたいことも分かる気がしますけど、
プラーナがどうとかクンダリニーがなんだとか体験を口にするヒンドゥー教徒にロクな人間がいないんですけどね
879:神も仏も名無しさん
14/07/21 22:56:40.86 SqZA1uI3.net
ギャグのためにこのスレに来ているのですかね?
どんなにヨガの素晴らしさを説いても、見る人達は文章の書き方や言葉遣いを見るんですよ。
ヨガの瞑想をやっていて、この我の強さ・人となりなんですか。
れとも遠回しにヨガのネガキャンでしたいのですか?
880:神も仏も名無しさん
14/07/21 22:58:38.14 cVo+yBZa.net
変性意識という名称で呼ばれている意識は、脳(肉体)との相互関係で
生じる意識を指しているので、肉体感覚も思考も止まっているサマーディの意識は
想定できていないはず。
サマーディの意識も、脳が生みだした電気信号と脳内物質による働きだと
いう前提認識があるでしょう。
881:神も仏も名無しさん
14/07/21 23:02:38.48 cVo+yBZa.net
行の過激さに応じて、変性意識状態であるところ瞑想の効率が
変わってくるという考え方ですから、その考え方の前提には
心・意識は肉体から発生�
882:キるものである、という考えがある。
883:神も仏も名無しさん
14/07/21 23:10:10.02 ZLJ1lyie.net
過激さとか無いんだよね。
全て判っててその上で効率的、合理的な行をやるかどうか。
解ってないと心一辺倒になったりする。
経典一辺倒になったりする。
884:神も仏も名無しさん
14/07/21 23:17:29.68 cVo+yBZa.net
何度言っても分からない馬鹿どもの相手をしても無駄だと思います。
優秀な修行者は、貴重なお時間を大事にして下さいませ。 >>815
幸運を。
885:神も仏も名無しさん
14/07/22 02:12:26.15 BB13zzkj.net
ラマナ・マハルシの、思考が起こるたびに「その思考がどこから来る」と
自分にたずねなさい、というのはヴィパッサナーだと思うけどな~
886:神も仏も名無しさん
14/07/22 02:29:54.62 Kpdpw9Lu.net
お前ら楽しい?
887:神も仏も名無しさん
14/07/22 02:32:28.90 AYXKwOXc.net
ヨガが真我だとするものについて、仏教ではそれも縁起に依っているという立場だから
もうこの平行線はずっとなくならないよ。
何度も言ってるけど。
2500年間、ずっと繰り返されてきたFAQだから、これ。
888:神も仏も名無しさん
14/07/22 02:39:23.99 AYXKwOXc.net
ヨガだと、その思考は真我から来ると言うのだろうけど
仏教では、その思考は縁起によって生起するのであって、
固定的な実体があるわけではなく、真我から来るとは言わない。
もう仏教は邪教とでも何とでも言ってくれて構わないから、同じにしたがるのは
いい加減やめて欲しい。
何千年粘着してくるつもりなんだ、バラモンたち。
889:神も仏も名無しさん
14/07/22 04:01:43.87 BB13zzkj.net
まあ悟ってなければ誰もが同じだけどね。金に執着するのと同じレベルでドグマに執着してるだけだし。
890:神も仏も名無しさん
14/07/22 09:54:46.75 W+qRF7pn.net
幸福ってのはつまり
ちゃんと飯が食えて
人の役に立てて
健康なら
十分幸福だろ。
悟りっていうのはこれ以上の高望みをしないことではないかな。
2500年前ならこれすらかなり難しかったかもしれないが、今なら簡単だろ。
時代によって要求されるものもちがってくるので、この時代にあった役にたつ技術を
身に着けたほうが楽に簡単に幸福になれると思うよ。それが悟りだと思う。
891:神も仏も名無しさん
14/07/22 11:03:27.27 QoTUqw6C.net
そう思う。同感
ご飯が食べられるのは、ありがたい
と思うな ホント
892:神も仏も名無しさん
14/07/22 17:35:48.80 AYXKwOXc.net
やっぱり一人で山へ行こう。
893:神も仏も名無しさん
14/07/22 17:54:32.62 Kpdpw9Lu.net
震災ですべての私財を失った人ってどうなったんだろう
894:神も仏も名無しさん
14/07/22 18:27:36.23 G9gRlQiv.net
>>860
だからさ、そんな間抜けな僕ちゃん悟りを
わざわざ上座部仏教のスレに来て開陳すんなよ
自称悟りスレで他のアホと射精しあってろよ、巣から出てくんな
895:神も仏も名無しさん
14/07/22 19:40:16.88 IIz76H0O.net
>>860
>幸福ってのはつまり
> ちゃんと飯が食えて
> 人の役に立てて
> 健康なら
>十分幸福だろ。
まあそう言ってもいいけど、
1.それらの世俗的な幸せを完備しているのに満たされない人はいる
2.それらの幸福はずっと続くものだろうか?
「人の役に立てる」「健康」というならば人はいずれ必ず不幸になる
人は老いるものだし病気になるものだから
896:神も仏も名無しさん
14/07/22 20:15:33.89 DSYj0A0d.net
>>865
人は必ず老いるものだが、老いた人でも「人の役にたてる」ことはあるにゃ。
それに、全ての人がかならず病気になる、というわけでもないにゃ。
どうやら、全ての生きている人は基本的に幸福で、ただ自分が幸福だと気がつい
てる人と気がついてない人がいるだけのようなのだが、「すべての生きている人が
幸福だ」という決定的な証拠が見つからない。
897:神も仏も名無しさん
14/07/22 20:19:57.16 Bzel5nsH.net
さきほどのクローズアップ現代で、
乳児へのプロポフォール投与による死亡関連の放送をしていたが、
生後一年にも満たない我が子を亡くした両親は幸せかな?
>全ての生きている人は基本的に幸福で、
>ただ自分が幸福だと気がついてる人と気がついてない人がいるだけ
898:神も仏も名無しさん
14/07/22 20:30:38.32 IIz76H0O.net
>>866
>老いた人でも「人の役にたてる」ことはあるにゃ。
たしかにそうかも知れないが、その時に先に述べたようたような幸せはあるのですか?
>どうやら、全ての生きている人は基本的に幸福で、
>ただ自分が幸福だと気がついてる人と気がついてない人がいるだけ
一欠片も根拠はないですね
そういう言葉だけの空理空論を正当化しようと悩む意味がわかりません
899:神も仏も名無しさん
14/07/22 20:54:20.43 kTjcBKpb.net
>>864
言葉遣いに気を付けよう。
900:神も仏も名無しさん
14/07/22 21:01:13.72 DSYj0A0d.net
>>867、865
別に空理空論を正当化しようと悩んでいませんよ。
ただ、生きているかぎり人は必ず誰かの役にたっている、というのは事実でしょう。
病人がいなけりゃ医者は困るし、老人がいなけりゃ福祉関係の仕事をしている
人が困るでしょう。生活保護を受給する人がいないと、役所の担当者が失業
してしまいます。
だから、「人の役にたっている」=「幸福」だというのがもし本当なら、生き
ている人はみんな幸福なはずです。例え生後一年に満たない我が子を亡くした
両親でもです。
瞑想と直接関係ない話で申し訳ありません。
901:神も仏も名無しさん
14/07/22 21:13:26.85 G9gRlQiv.net
分かってるなら巣に帰れよ
上座部仏教は日本の腐れ中国大乗仏教と
違って、明確な経典と行法があるの
おまえら中坊レベルの人生論とは関係無い
世界なのよ
そこんとこ理解して
902:神も仏も名無しさん
14/07/22 21:31:16.63 IIz76H0O.net
>>870
>ただ、生きているかぎり人は必ず誰かの役にたっている、というのは事実でしょう。
ほんとうにそうなら改めて指摘するまでもなく事実なんだから、誰も老いて疎まれることに苦悩しないでしょう
>病人がいなけりゃ医者は困るし
その病人は俺は医者を食べさせてあげてるんだ、俺は役に立ってるので本当に幸せだ、と心から言えるでしょうかね?
それよりも病気が苦しい、なんとかしてこの病気を治したいと思うんじゃないですか?
>瞑想と直接関係ない話で申し訳ありません。
関係大アリですよ
ヒトは誰でも本来的に幸福であり、そのことに気づきさえすれば、いついかなる場合でも幸せだというなら瞑想なんてやる必要ないでしょう
903:神も仏も名無しさん
14/07/22 21:57:53.29 kTjcBKpb.net
>>871
言葉遣いがなってないよ。
経典を語るなら品位を大切にして。
汚い言葉ついで経典を語る行為は経典を貶めることになる。
904:神も仏も名無しさん
14/07/22 21:58:39.62 A+2ws25W.net
大乗仏教は腐れもあるが、至高もある。
905:神も仏も名無しさん
14/07/22 22:01:54.74 A+2ws25W.net
ティクナットハンを読むべし。
彼はベトナム出身だが、大乗の僧であり、禅僧だ。
スマに見られる排他的傾向がない。
906:神も仏も名無しさん
14/07/22 22:03:15.47 kTjcBKpb.net
870最後の一行を訂正
汚い言葉遣いで
907:神も仏も名無しさん
14/07/22 22:53:34.03 G9gRlQiv.net
>>873
なんねーよアホ
仏教で重要なのは正語、正しいことを
語っているか否かであって、言葉遣いが
どうとかなんてバラモンみてーな権威主義
・形式主義には依らねーんだよ
そんな常識も知らんアホがいっちょまえに
仏教語るなカス
908:神も仏も名無しさん
14/07/23 02:23:36.49 t/uUbEjm.net
とことん下品な人だ。
それとも何かのネタかな。
909:神も仏も名無しさん
14/07/23 04:30:01.46 rB1esAXV.net
>ヒトは誰でも本来的に幸福であり、そのことに気づきさえすれば、いついかなる場合でも幸せだというなら瞑想なんてやる必要ないでしょう
瞑想している人にしては頭が柔軟なんですね。
瞑想というのは、「体を使った心の理解」というような一面もあるような気がします。
心のことにとらわれていると、心が見えなくなる。こころを離れてみると心が見える。
とは思いませんか?
病気になって初めて健康の有り難みが解るとか、海外にでて初めて日本の良さがわかるとか
そういうことは経験があると思います。
「平凡な日常こそが最高の幸福なのだ」というのは頭ではわかっていても、実際には
金が無いとか病気だとか現実には苦労の種はいくらでもある。それが問題だと。
>それよりも病気が苦しい、なんとかしてこの病気を治したいと思うんじゃないですか?
健康を失って初めて健康だったころがいかに幸福だったかというのが解る。幸福というのは
時間差で解るものです。それでも問題ないでしょう。実際に今幸福なのです。あなたには
必ず不幸がやってきます。その時には今がどれだけ幸福だったかが解ります。
910:神も仏も名無しさん
14/07/23 07:06:45.29 XLO2zARY.net
>>872
ごめん。前のレスは正しい言葉遣いではなかった。
生きている限り人は誰かの役にたっている、というのは客観的事実です。
実際に今、病気の人、子供を亡くしてしまった人、老人などが自分の主観として
自分は他の人に役にたってるから幸福だ、と考えるのは難かしいですね。
おっしゃる通りです。
911:神も仏も名無しさん
14/07/23 07:39:28.50 rB1esAXV.net
幸福も不幸もサイクルなのだから、それを達観すれば全体的には幸福以上の
ものつまりは「人生って面白い」になるのではないでしょうか?
瞑想で達観できるでしょうか? 実はジルボルトテイラーの体験が凄く
参考になるような気がします。彼女の場合左脳の障害で右脳だけの世界を
体験した。そのことにより「心を離れる」という強烈な体験をしたのだと
思います。これが悟りにちかい体験になった。
坐禅もまた同じように脳の正常を損なうことでそれを達成しようとしている。
そして強力な作用がある。
しかし1ヶ月やっても達観できないような人には、脳へのダメージの副作用の
方が問題になる。
912:神も仏も名無しさん
14/07/23 07:52:45.63 rB1esAXV.net
水の中に水を探しても見つかりません。同じように仏教に悟りを求めても
見つかりません。仏教は悟りだからです。悟りから離れることができる人が
悟りを得ます。
瞑想を一旦離れることが重要です。意図的に離れることでそこで体験した
意味がよく解るようになります。特にベテランな人ほどこのことが大切です。
小学生や3,4歳児に教えを求めたほうがよいです。
913:神も仏も名無しさん
14/07/23 09:13:19.25 KQps2/Eh.net
>>882
「欲するがまま」という「自然な在り方」を『あるがまま』とするのは、
近代日本仏教(特に近代禅)の「悪しき現状肯定」だよ。
運動場を一周してきてから見る景色でないと駄目だよ。
>>879
キサーゴータミーの話、知ってます?
或いはアングリマーラとか。
「だった」とかの表現が使われる形での「幸福」なぞ、一時的な(縁による)現れに過ぎないでしょ?
それを「本来は(常に)幸福なのです」なんて言辞は、軽過ぎてくしゃみで飛んでっちまうわw
時間差? アングリマーラは、殺戮に塗れていたころが、幸せであったとでも?w
> 健康を失って初めて健康だったころがいかに幸福だったかというのが解る。
>幸福というのは時間差で解るものです。
914:神も仏も名無しさん
14/07/23 15:43:43.96 dR1g/+gS.net
日本の支那大乗は仏教の名に値しない
外道の教えであるがゆえに、こうした
相対主義と正覚を混同する輩が出てくる
のも無理はない
915:神も仏も名無しさん
14/07/23 17:23:01.87 VHCIIAYm.net
>>879
>幸福というのは時間差で解るものです。それでも問題ないでしょう。
問題ですねえ
時間差で分かるというのはそれは、延々と過去の断片的な記憶と今を相対比較して「あのときは幸せだったのに」と後悔しているだけに過ぎず、
いつの時でもそこに幸せはなかったのです
>頭ではわかっていても、実際には金が無いとか病気だとか現実には苦労の種はいくらでもある。
あなたの人生論には頭で分かるだけじゃなくて真にそれを把握して今この場で幸せになる具体的な方法論がありますかね?
だから空理空論だと言ったんですよ
916:神も仏も名無しさん
14/07/23 17:31:04.58 VHCIIAYm.net
>>882
>同じように仏教に悟りを求めても見つかりません。仏教は悟りだからです。
>
917:悟りから離れることができる人が悟りを得ます。 本当に仏教が悟りなら、仏教に悟りを求めればまさに、そこにおいて悟りを見つけられるはずです そういう言葉遊びは無意味というか、アホらしいというか。 矛盾したことをいうと如何にも高尚な哲学を言ってるように聞こえますが >小学生や3,4歳児に教えを求めたほうがよいです。 そうやって子供時代に憧れを持つ時点で苦しんでるでしょ、「子供の頃は毎日が新鮮で楽しくて幸せだったのに!」という風にね
918:神も仏も名無しさん
14/07/23 18:34:09.75 XLO2zARY.net
>>885
あなたは瞑想をやっている方としては明晰ですね。おどろきました。
あなたの言う通り、幸福を時間差で認識している間は、過去に存在した幸福を発見しているにすぎません。
もし、幸福が存在するとすれば、それは今ココにあるはずです。
919:神も仏も名無しさん
14/07/23 18:47:10.18 dR1g/+gS.net
幸福に囚われてる時点で失敗
出直して来い
920:神も仏も名無しさん
14/07/23 18:55:55.00 /eEzeaj2.net
仏教が言っている価値観は、瞑想やらないと本当には分からないよ。
輪廻転生、三相などの前提認識があって、それに基づく価値観だから。
輪廻転生なんて信じられん、という人にとっては、どうしても今世、今生、
この身体で生きる、この人生が判断基準の全てになってしまう。
輪廻転生、
諸行無常、一切行苦、諸法無我、
縁起、四諦、
少なくとも、この基本思想を知識ベースで構わないから知って、論理構造も
理解して、そのうえで出てくる判断が仏教の価値観だから。
921:神も仏も名無しさん
14/07/23 18:57:07.13 VHCIIAYm.net
>>880
>実際に今、病気の人、子供を亡くしてしまった人、老人などが自分の主観として
>自分は他の人に役にたってるから幸福だ、と考えるのは難かしいですね。
ありがとうございます
貴方がムチャクチャな観念論を振りかざして瞑想不要論を唱えだすような変な人じゃないと分かって安心してます
>>887
>もし、幸福が存在するとすれば、それは今ココにあるはずです。
本当にその通りだと思います
922:神も仏も名無しさん
14/07/23 18:57:16.96 /eEzeaj2.net
そして、輪廻転生にリアリティを感じられるようになるのは、
瞑想がサマディに達した後のことだから、それまでは、この身体が
自分だと思ってしまうし、この身体が死んだら心も消えるはずだと
いう認識に、どうしてもなるでしょ。
それは、十結の最初のひとつ、有身見というんだけど。
923:神も仏も名無しさん
14/07/23 19:02:11.33 dR1g/+gS.net
>>891
外道支那大乗には、そういう教義や行法が
まともに伝わってないからなぁ
924:神も仏も名無しさん
14/07/23 19:07:31.36 /eEzeaj2.net
有身見というか、断見?かな?
厳密には、六十いくつかある邪見のうちの、どれかに該当するはずだけど、
・この身体が自分である。死んだらお終いである。(断見)
・この身体以外に真実の自分がある。それは永遠不滅の我、真我である。(常見)
現代人の信仰は、だいたいこの2パターンのうちのどっちか。
前者は唯物論、後者は一神教。
925:神も仏も名無しさん
14/07/23 19:39:00.14 /eEzeaj2.net
「瞑想でサマディに入るなんて無理だ。(やりたくても)出来ない。」
そういう人でも、仏教に目覚めるきっかけはある。
それは、人生で逃れられない苦に直面した時。
生、老、病、死。
愛する人との死別など。
苦しくてどうしようもない状況に陥った時、思い出して欲しい。
苦は滅することが出来る。(滅諦)
苦を滅する道があると。(道諦)
解脱・悟りとまではいかんでも、心の平安を取り戻すぐらいなら
誰でもできる
926:。
927:神も仏も名無しさん
14/07/23 19:46:01.18 /eEzeaj2.net
そういえば、ここは瞑想スレだった。
瞑想しよう。
928:神も仏も名無しさん
14/07/23 19:51:52.59 dR1g/+gS.net
うん、だからさ、何でわざわざテーラワーダの
スレ来てまで、その仏教入門第一章的な
ゴミ知識を書き込もうとするのかね?
外道支那大乗の悟り戯論は、それにふさわしい
別スレでやれよ、な
929:神も仏も名無しさん
14/07/23 19:52:15.60 t/uUbEjm.net
そうですよね、瞑想スレですよね。
930:神も仏も名無しさん
14/07/23 19:59:20.82 /eEzeaj2.net
なんで
931:瞑想の前に慈悲の瞑想をすると、瞑想が深まりやすくなるかと いうと、怒り(瞋恚)は欲界に生じる心で、欲界の対象に対する強い執着が もとになっているから。 慈悲はその反対の心の働き。 瞋恚は、五蓋の二番目に上げられている。 要約すると、怒っているとなかなか瞑想は深まらない。
932:神も仏も名無しさん
14/07/23 19:59:22.02 dR1g/+gS.net
外道支那大乗が仏教のふりをすることは、
あたかもキリスト教徒がユダヤ教徒を
自称するごとき暴論であってどこにも
正当性は無い
テーラワーダ仏教圏では外道支那大乗は
仏教とは認めていないし、その僧侶は
在家信者の地位にすら及ばない
ただの外道愛好家である
933:神も仏も名無しさん
14/07/23 20:01:50.44 /eEzeaj2.net
サマディちゅうのは、欲界の心が停止することと言い換えることもできるので
欲界の不善心である怒り、怒りのもとになる欲を心に抱くことは、ダイレクトに
瞑想の妨げることになる。
934:神も仏も名無しさん
14/07/23 20:05:17.63 /eEzeaj2.net
だから四梵住が大事なのね。
瞑想している時だけでなく、日常生活の中でも慈悲喜捨。
正念と正精進。
気にくわないことは捨。捨が無理なら忍耐。
捨と忍耐が、念(サティ)を護る。
935:神も仏も名無しさん
14/07/23 20:53:23.58 rB1esAXV.net
瞑想して、悟りに到達しても一週間もしたら飽きるだろうね。WWW
すべて過ぎ去る。悟りも過ぎ去る。過ぎ去らないものなんて無いよ。
936:神も仏も名無しさん
14/07/23 20:59:38.80 rB1esAXV.net
>サマディちゅうのは、欲界の心が停止することと言い換えることもできるので
畑の草とおなじで、抜いても抜いてもすぐにはびこる。せいぜい草引きに
せいを出しなされ。 そしたらサマディになる。しかしまた草がはびこる。摂理だから
人だけの思うようにはならん。
937:神も仏も名無しさん
14/07/23 21:11:48.92 VHCIIAYm.net
>>902
慧解脱に退転はないから悟りも元の状態に戻ることはない
ガンジス河に穢れた死体を流して(捨てて)も、もう戻ってこないのと同じ
一度捨てた死体を拾って自分のものにするなどということはない
938:神も仏も名無しさん
14/07/23 21:19:29.86 /eEzeaj2.net
仏教の瞑想修行はサマディで終わりじゃない。
サマディ(サマタ瞑想)の後、ヴィパッサナー瞑想を通して智慧を開発し
煩悩を落としていく。
何度目だろうか。
939:神も仏も名無しさん
14/07/23 21:23:24.51 VHCIIAYm.net
>何度目だろうか。
永遠に繰り返していくんだろうね
940:神も仏も名無しさん
14/07/23 21:30:07.63 /eEzeaj2.net
仏教においてサマディは三昧、禅定、正定などと呼称されている。
それは仏教において悟りではないし、解脱ではない。
仏教では、サマディを以て解脱・悟りとする立場は取らない。
941:神も仏も名無しさん
14/07/23 21:45:46.61 ixuclx+N.net
>>902
一回経験してみないとわからんが、
絶対に飽きないから安心していい
表現が難しいのだけど、一瞬のそのときにおいて常に完結する
これが永遠に続く感じ
実際には違うけど、わかりやすく言うと、毎回新しい刺激が訪れる
942:神も仏も名無しさん
14/07/23 23:45:19.84 j8V7uj0B.net
即席本でどこまで進めるんだか
943:神も仏も名無しさん
14/07/24 04:50:23.87 dv+/cMFX.net
>905
悟りってどういうものなんですか?
944:神も仏も名無しさん
14/07/24 05:39:06.24 1db2PhbF.net
>907
悟りとは3倍酢。砂糖と酢と塩をたして混ぜたもの。
945:神も仏も名無しさん
14/07/24 05:40:09.33 1db2PhbF.net
>慧解脱に退転はないから悟りも元の状態に戻ることはない
元には戻らないよ。でも次へいく。ガンジスの死体と同じさ。
上へ上へ、そして下へ下へ、そしてまた上へ、、、
行き先なんて誰もわからん。
>時間差で分かるというのはそれは、延々と過去の断片的な記憶と今を相対比較して
>「あのときは幸せだったのに」と後悔しているだけに過ぎず、
>いつの時でもそこに幸せはなかったのです
後悔とか懺悔って凄い快感なんですよ。ある宗教では集会で壇上に立って懺悔するのが
恒例になっていて、泣きながら懺悔した後の晴れ晴れとした姿はま�
946:驍ナ天使のようだった。 あなたも素直に思いっきり泣き叫んでみたらどうでしょう。 >あなたの人生論には頭で分かるだけじゃなくて真にそれを把握して今この場で幸せになる具体的な方法論がありますかね? >だから空理空論だと言ったんですよ 悲しみも苦しみも幸福も等しくすべて大切なことです。幸福ばかりでは臭い映画のように 面白くない人生になります。
947:神も仏も名無しさん
14/07/24 05:51:01.36 1db2PhbF.net
>なんで瞑想の前に慈悲の瞑想をすると、瞑想が深まりやすくなるかと
>いうと、怒り(瞋恚)は欲界に生じる心で、欲界の対象に対する強い執着が
>もとになっているから。
慈悲とは人の不幸の高みの見物だ。それを繰り返していれば自分の不幸も達観できる
ようになる。
貧乏で頭が悪くても、さらに貧乏で不細工なカスを見つけ出して慈悲を行えば
気持ちも朗らかになる。
948:神も仏も名無しさん
14/07/24 06:48:03.22 V5TtERdk.net
>>910
覚者の受け売りになるけど、我在りとしか表現できない
認識のスイッチががらっと切り替わる
病的な切り替わりではなくて、静寂が訪れる
不思議体験に興奮もせず、ほとんど何も考えなかったと思う
ちなみに病的な切り替わり(現実感の喪失と、離人症的なもの)も経験したことがあるが、
普段と違うという自覚があり、恐怖があった
そういえば悟りじゃないけど、あることに対して、絶対に揺らがない確信を持つという経験もあったな
あのときも恐怖はなかったし、興奮もなかった
なんじゃこりゃとは思ったけどね
949:神も仏も名無しさん
14/07/24 07:31:13.96 dv+/cMFX.net
それが悟りなら同じですね
950:神も仏も名無しさん
14/07/24 07:34:34.39 39xp62fu.net
仏教における悟りとは、三相を知ること。
仏教における解脱とは、十結が消えること。
我在りというのは、サマディの状態を認識している認識作用のことを
表現しているものと思われるが、
仏教は、サマディを以て解脱とも悟りともしない立場。
951:神も仏も名無しさん
14/07/24 07:57:39.96 39xp62fu.net
仏教ではサマタ瞑想(正定=サンマー・サマーディ)の練習をした後、
ヴィパッサナー瞑想をやる。
952:神も仏も名無しさん
14/07/24 08:20:05.90 XNXHRMkX.net
ただそういう正統な行法をちゃんと
教えてくれるのはパオぐらいだよなぁ
953:神も仏も名無しさん
14/07/24 08:48:47.09 G5x3wZlj.net
>911
うるさい部屋にいて、急にその音のスイッチを切っちゃった様な感じではありませんか?
954:神も仏も名無しさん
14/07/24 15:12:40.60 NMsikfPx.net
そういう経験って瞑想中に起こるもの?日常生活で突然起こるもの?
悟る瞬間って禅のイメージあるから後者なんだが
955:神も仏も名無しさん
14/07/24 16:28:02.60 RoXn0Cz+.net
とても静かな状態、揺らがない、誰もいない湖のピーーーンと張った
湖面の様な状態が出現し始める。
これはなんじゃいなと言う状態
それが悟りかどうかは、定義が無いからわからない
ただその時間は増えていく、とても静かで、安定している。
だれでもあると思えるけど
物事の認識が180度ひっくり返っていると思えるんだが
説明がつかない
956:神も仏も名無しさん
14/07/24 19:12:04.08 NMsikfPx.net
来ては去っていくものは悟りちゃうんちゃう
957:神も仏も名無しさん
14/07/24 19:16:49.13 gAoEZz93.net
>>917
ヴィパッサナーが出来るのは第四禅定まで、その上の無色界四禅のサマーディを極めなければ悟りどころではない。
無色界の瞑想は当然の如くサマタでやる。お前が言ってるのは初心者レベルのこと。
ヨガ瞑想は、止、観、マントラと一通り揃ってるんだよ。
上座部だけが観(ヴィパッサナー)やってるわけじゃない。
958:神も仏も名無しさん
14/07/24 19:22:36.04 gAoEZz93.net
>>916
仏教では最高の悟りのことを「滅尽定」すなわちサマーディと呼ぶ。
阿羅漢の上の悟りでお釈迦様が到達された境地。
それをヨガでは無種子サマディーと呼ぶ。
ヨガやヒンドゥーでは阿羅漢レベルは聖者と呼ばれない。
滅尽定=無種子サマディーを達成した者のみ聖者と呼ばれる。
ヒンドゥーの聖者は阿羅漢より一段上なのよ。
さらにヨガ、ヒンドゥーでは「滅尽定」の一つ上の境地
サハジャ・ニルヴィカルパ・サマーディ
と言うのもある。
ここまで行くと神の領域で阿羅漢の二段上。
上座部みたいに甘くないんだよ。
959:神も仏も名無しさん
14/07/24 19:52:34.41 HPWlv3Tt.net
>>924
それ、「仏教(→お釈迦さんが説示したこと)」じゃないからw
960:神も仏も名無しさん
14/07/24 19:55:56.87 PlII0+1m.net
二千五百年間、ずっとこの繰り返し。
961:神も仏も名無しさん
14/07/24 20:23:58.79 NMsikfPx.net
定義付けでわいわいやる前にどの境地にいるか確かめてみたら?
962:神も仏も名無しさん
14/07/24 20:31:44.20 TAz4EfWK.net
>>923
>ヨガ瞑想は、止、観、マントラと一通り揃ってるんだよ。
マントラは止じゃないんですか?
観があるなら真我とか最高神には行かないはずですけど
観って無常・苦・無我を知ることだから
>>924
>仏教では最高の悟りのことを「滅尽定」すなわちサマーディと呼ぶ。
呼ばないす。滅尽定に入れない阿羅漢も一杯いますから
963:神も仏も名無しさん
14/07/24 22:08:10.91 XNXHRMkX.net
だからさー、ヨガ馬鹿や支那大乗馬鹿は
なんでわざわざこのテーラワーダスレに
やってくるのかね?
不安なのか、自己顕示欲なのか
964:神も仏も名無しさん
14/07/24 22:16:08.97 gAoEZz93.net
>>928
ヨガでは滅尽定=無種子サマディー
に入れない者を聖者とは呼ばない。
阿羅漢のような低い者を聖者としない。
そして神から選ばれた者のみ滅尽定のさらに上のサハジャ・ニルヴィカルパ・サマーディに至ることが出来る。
神を認めない仏教、屁理屈坊主には到底到達できない境地。
965:神も仏も名無しさん
14/07/24 22:39:42.71 Y8xlOKr3.net
>>919
うるさい部屋で、急にうるさく感じなくなる
というほうが近いかもしれない
音はそのまま聞こえていて、あくまで自分の感じ方が変わる
>>921
自分も湖面が思い浮かぶ
966:神も仏も名無しさん
14/07/24 23:55:55.33 HPWlv3Tt.net
>>930
だから、それ、仏教(お釈迦さんが説いたこと)じゃないでしょ?とw
仏教以外の考え方や方法論があってもいいの。
どれを選ぶかは個人の自由なの。
その上で、わかった上で、それぞれ選んだ方向へ行っているのだから、
(そして【目指すところは違うのだから】)、
横から比較云々の意味ないでしょ。
貴方が言ってるのは、ラーメンの方が饂飩より美味い、みたいなものと思うよw