マハシゴエンカパオ☆ヴィパッサナー瞑想法Part.12at PSY
マハシゴエンカパオ☆ヴィパッサナー瞑想法Part.12 - 暇つぶし2ch550:神も仏も名無しさん
14/06/19 17:35:33.57 1yiOncjo.net
宇宙と仏教になんの関係が・・・(^^;)

551:神も仏も名無しさん
14/06/19 22:42:19.07 dIXvqAYF.net
>>524
反射的な行動の裏に、過去に経験した出来事の記憶とその時想いとその時に生じた感覚の記憶が呼び起こされて、
それをもとにどんな行動をとるか頭が考えて動作につなげる様子を顕在意識でキャッチでしました。
まだ奥がありそうだったので完全ではなく上澄みだとは思いますが...
あとは、想いが沸き上がるとき、いくつかの感情や思考・記憶の信号のようなものが生じて絡み合って渦を形成するのを捉えたことがありました。
でも、まだまだ観察が足りず上澄みだと思うので、もっと修行したいと思います。

552:神も仏も名無しさん
14/06/20 18:50:26.02 yxsSiRws.net
瞑想がサマディの段階まで深まらないと、色んな意味で仏教はわからない。
そもそも、唯物論的な考え方から抜け出せない。
脳が心を生みだしているという考え方は、唯物論を前提とする価値観だけど
サマディに達すると、それが間違いであることを知るようになる。

そこまでいかないと、色々なことがわからない。

553:神も仏も名無しさん
14/06/20 18:54:03.81 yxsSiRws.net
脳など、物理的身体との相関関係で生じる心は確かにあるし、普通、ひとは
それが自分だと思っている。
だが、すれが心のすべてではない。

身体が死んでも、脳や身体を動かしていた(いる)、生命たらしめていた
もっと深い部分の心までは無くならない。

心を止めてみると、それが見える。

554:神も仏も名無しさん
14/06/20 18:56:12.98 BwV9Gl82.net
心が止まったら認識作用が止まるから何も認識できませんけど
滅尽定みたいに

555:神も仏も名無しさん
14/06/20 18:57:53.31 yxsSiRws.net
五感の感覚はない。
身体を認識していないし、身体に意識があるときに考える部分の意識は止まってる。

でも、それより深い部分はまだ動いてる。
色界禅定の段階。

無色界禅定の段階では、その認識も止まるのだうけれども
そこまでの経験はない。

556:神も仏も名無しさん
14/06/20 23:41:47.98 ZwliYT7j.net
悟りって経験の有無の問題なんですかね
それなら宗教の枠を超えて、
共通の体験がないと悟りと認めない
検定試験みたいなものがあっていいですね

557:神も仏も名無しさん
14/06/21 03:47:07.08 jYMhtvvK.net
共通の体験がないと悟ったとは認められませんし、検定試験みたいな
ものはありますよ。
師僧が弟子の状態を見極めるポイントというのがあります。

教学的には、十結と四向四果のことです。


悟りの段階は、四向四果という八つに分けられる。
大まかには、預流果、一来果、不還果、阿羅漢果の四つ。
これに預流向、一来向、不還向、阿羅漢向の段階を加えて八つ。

衆生を輪廻の生存に結びつけている、十の障害のことを十結という。
十結の最初の五つを五下分結。残りの五つを五上分結という。
そして、最初の三つのことを、特に三結という。

三結がなくなれば、預流果の悟り。
五下分結がなくなれば、一来果の悟り。
五上分結の一部、無色貪さえもなくなれば、不還果の悟り。
五上分結のすべて、従って十結がすべてなくなれば、阿羅漢果の悟り。

558:神も仏も名無しさん
14/06/21 03:51:20.54 jYMhtvvK.net
瞑想が深まり、ものごとの認識の仕方が変わり、ものの感じ方、精神状態が
変わってきて、もしかして自分は悟っちゃったんじゃないかと思ったら、まず
十結をチェックする必要がある。

瞑想をしていて、禅定に入れちゃったんじゃないかと思ったら
五蓋と禅支をチェックする。
五蓋が消え失せ、禅支が出ていたら禅定。
そうでなければ、その瞑想状態は禅定ではない。

明確な基準がある。

559:神も仏も名無しさん
14/06/21 03:54:25.12 jYMhtvvK.net
>>534
ごめんなさい。間違えた。
五下分結がなくなった時点で、不還果でした。

560:神も仏も名無しさん
14/06/21 06:44:00.44 coI2ExdU.net
>>529>>530
526ですが、分かります。
自分が捉えたものも、526で書いた通り上澄みとしか思っていませんから。
頭で考えて~のあたりは誤りですね。
潜在意識に近い領域での演算・算出という表現の方が近いかもしれません。
でも、こうしたことも、あくまで上澄み、浅い領域の断面的なものでしかないと思ってます。
瞑想を続けていくうちに三昧の境地から観たいという思いが沸いてきまして、
また、その境地から見ないと理解できない事があるんだろうなと思っていました。

ちょっと質問なのですが、瞑想をしていく中で意識の動きなどに回転運動を感じた事ってありましたか?

561:神も仏も名無しさん
14/06/21 10:24:34.06 sgDAYXIo.net
>>497
それはマハシはヴィパッサナをしているに対して、パオはサマタをしているからだよ。

パオはよほどの上級者(達人)でない限りヴィパッサナをさせません。

562:神も仏も名無しさん
14/06/21 13:43:36.29 uT2uPtGe.net
>>535の判断は自我がするのですか?

563:神も仏も名無しさん
14/06/21 13:46:51.11 uT2uPtGe.net
>>538
同じことだと思うんですけどどうして分けるのですか?
むしろ両方ともサマタの初歩段階のように見えるのですが

564:神も仏も名無しさん
14/06/21 20:52:40.92 jYMhtvvK.net
>>539
サマディに入っている時、自我は停止しています。
サマディから出た時、瞑想状態を振り返って、停止していたことを思い起こします。

停止しているのを見ているのは、サマディの意識であって、自我は止まっています
から、それを直接見ているのは自我ではありません。

サマディから出た時、肉体に意識がある時は自我がありますから、その時に思い
起こすのは自我です。

565:神も仏も名無しさん
14/06/21 21:01:56.76 pLqhcI/d.net
ちなみに仏教的には自我と真我の区別はナンセンス(^^;)

566:神も仏も名無しさん
14/06/21 21:09:05.93 jYMhtvvK.net
自我という単語で、どの部分を指しているのか、人によって違ってると思うんだよね。

今回の場合、>>539が言っているのは、肉体に意識がある時
「これが私」、「これが自分」だと思っている部分のことだと読み取れた。

また、心の状態は禅定の種類や深さにもよる。
色界禅定だと、不善心は止まってるけど、善心はあるからね。
本当に止まるのは四禅からであって、二禅までは喜と楽を伴うし。

567:神も仏も名無しさん
14/06/21 21:33:08.71 jYMhtvvK.net
>>542
真我という単語が、どこから出てきたのかわからない。

三昧に入っている時の状態は、五蓋が消え失せ、禅支が出ている
状態です、とは言ったけれども、それが真我だなどとはひと言も
言っていないはずです。

568:神も仏も名無しさん
14/06/21 21:40:30.52 pLqhcI/d.net
>>544
言葉を使っていないからといって真の自己を想定していないとは限らないので(^^;)
また言葉たくみに言い換えても実質的に真我を語っているとしか思えない人もいますね

569:神も仏も名無しさん
14/06/21 22:12:55.61 jYMhtvvK.net
三結の見がなくなって初めて、我見が消失しますからね。

たとえ仏教徒であっても、修行中は「わたしが悟る」ために頑張っているので
しょうし、また別にそれでいいと思います。(思うようになりました。昔は責め立てる
気持ちがありましたが。)

論理的、哲学的な思弁によって、無我を理解することは、大変有意義ですが
知的レベルで満足せず、悟りの智慧を目指していきたいものです。

570:神も仏も名無しさん
14/06/21 22:57:48.10 uT2uPtGe.net
jYMhtvvKさんは師匠いるんですか?
それとも本と照らし合わせての見解ですか?

571:神も仏も名無しさん
14/06/22 00:01:05.95 5NAXSrJE.net
師匠いますよ。
一人でサマディを目指すなんて、凡人には無理です。

師匠いますが、特定の一人に決めているわけでもありません。
日本と違って、海外にはテーラワーダのお坊さまは沢山おられます。

仏教徒の拠り所は三宝。仏法僧です。
どれか一つでも欠けていたら、三宝になりません。

お釈迦さまが指導された通りにやるのが、一番早くて安全だと思っています。

572:神も仏も名無しさん
14/06/22 02:16:41.77 FuMx1W5X.net
ですよね。
本とか入り口に過ぎないですよね。
そこから先行きたきゃ直接指導受けたほうがいいですね。

573:神も仏も名無しさん
14/06/22 02:51:17.96 YLteP/fL.net
預流果に到達した人のブログを見てると、
言っている事の本質は同じで、有身見・疑・戒禁取が無くなっている。
諸行無常も体感している感じだし。
彼からの文章から、預流果になる際に、
心身に一定のアルゴリズム展開のようなものが起っているようにも感じるんですよね。
実際に情報処理のアルゴリズム的だったと表現している人もいました。
瞑想していると、身体と意識に何かしらのアルゴリズムを感じる事ありませんか?

574:神も仏も名無しさん
14/06/22 03:00:30.58 YLteP/fL.net
>>548
個人的に質問なのですが、
私が瞑想していて雑念が収まってくると、
心と思っていたものが無くて自分がいない。
あるのは無機質な電気信号だけで、ただただ空虚な世界。
最近イこういう状態が増えて来ました。
こんな時期ってありましたか?
無機質な方向に進んでいるような感じで、
今の自分ではこの状態がどんなものか見当つきません。
ご意見を頂けたら幸いです。

575:神も仏も名無しさん
14/06/22 04:53:25.15 5NAXSrJE.net
>>551
まず、ご自身が修習されている瞑想の系統の指導者にお聞きになる
のが一番でありますし、私には人を指導できるほどの知識も経験も
ありません、ということは先に申し上げておきます。

おそらく、マハシ式のヴィパッサナーを修習されているものと推察します。
そして、観察対象が名と色のうちの、どちらかというと色を中心になっている
のではないでしょうか。
つまり、心よりも、身体、および身体感覚を重点的に観察している状態。

色とは物理現象ですから、
物理現象がアルゴリズム的に見えたとしても、不自然ではないかなと。

禅支には尋、伺、喜、楽、一境性の五つがあります。
順当に瞑想が進んでいけば、喜や楽がでてくるはずなのです。

576:神も仏も名無しさん
14/06/22 05:05:15.19 5NAXSrJE.net
自我(より正確には五蘊のうちの想のことだと思いますが)が止まって
くるほどの集中ができているということは、それだけ強い尋と伺がある
わけですから、それを正しい対象に正しく向ければ、一気に瞑想が
進む可能性はあると思います。

尋とは、瞑想対象に心を向ける働き。
たとえば雑念に囚われていたことに気付いて、その度に膨らみ、縮み
に意識を戻す。その戻す働き。

伺とは、瞑想対象に向いた心を他に逸らさない働き。
雑念に持って行かれないよう、対象を見続ける、その集中の継続性。

これが、慣性の法則で動き続ける物体のように、意識が自動的に
瞑想対象にへばりつき続けるようになるまで続けていく�


577:ニ、次の段階 に進んでいけます。 そうなる頃には、身に喜を、心に楽を感じ始め、いつも雑念や妄想を していた心が、その思考を止め始めるのを見るはずです。



578:神も仏も名無しさん
14/06/22 05:13:45.83 5NAXSrJE.net
かなりエスパーな回答をしてしまうとですね、
膨らみ、縮みを見ている時に、あれこれ解釈を挟まないことですね。
ただ単に見ていれば良いのです。

579:神も仏も名無しさん
14/06/22 07:45:47.36 YLteP/fL.net
>>554>>553>>554
丁寧なお返事とアドバイスに感謝致します。
ありがとうございます。

仰るとおり、心より身体と身体感覚の観察に重点を置いていました。
振り返ってみてハッとしました。
空虚で孤独な世界が広がっていたのですが、
5NAXSrJE様のお返事と、とても親切かつ丁寧な説明・アドバイスに心が救われる思いです。
今後に活かし精進していきたいと思います。
ありがとうございました!

580:神も仏も名無しさん
14/06/23 09:30:03.49 WIRWTA9V.net
スレリンク(psy板:686番)
> >> 684
> サマタとかヴィパッサナーが糞と言っているw
> 龍樹の「我に主張なし」で空を主張する矛盾は飲み込もうw
> だが、我はこう思う~は間違いだと、「我はこう思う」という矛盾は飲み込めないw
>
> 己の姿を反省してモノを言えw

スレリンク(psy板:693番)
> >> 692
> だからサマタとヴィパッサナーに頼っている事自体が駄目なのだよw
>
> 外なる権威や倫理を頼まないが、「サマタとヴィパッサナー」だけは頼るのか?w
>
> 瞑想の価値は呼吸を整え心を落ち着ける事くらいなものだ。
> 瞑想による変性意識で悟りを~なんてのはキチガイの世界で論外w
>
> 己を信じられないモノに救いは無い。自灯明とはそういう教え。

スレリンク(psy板:695番)
> 瞑想の変性意識に頼っていては自灯明の教えは無視と言う事だな。
> 人それぞれで、何を重要と思うかは違うからOKですよ~w

581:神も仏も名無しさん
14/06/23 10:54:56.99 tfwp7XSD.net
ここは集中して己を観て己を修するためにやっている人が多いよ。
変性意識に頼る瞑想とは違う。
観て己を把握する。中には己の解析もやっている人もいる。

582:神も仏も名無しさん
14/06/23 12:37:35.52 WIRWTA9V.net
>>557
彼にはそういう区別はないよw
というか、前者を、行や瞑想、修行という単語で括っていない、
とでもいうのかな。

なんつーか、坊主憎けりゃ何とかまで・・みたいに、
「修行」「行」「瞑想」という概念自体を敵視してるからねぇ・・w
ざっくり言えば、仏教は理論の理解だけで良い、というスタンスだから。

薬物使用の疑いは通報対象と言ってたから、
このスレのことも通報してきたら?とアドバイスしといたんだが、どうしたかな?w
正義感振りかざしてたから、こっちに啓蒙しに来てるかと思ったけど、
まだ来てないみたいだね。

583:神も仏も名無しさん
14/06/23 23:21:59.89 HTz/YolJ.net
なんでわざわざこのスレに貼ったの?

584:神も仏も名無しさん
14/06/23 23:47:38.02 WIRWTA9V.net
>>559
掛け持ちしてる人もいるみたいだし、
こういう考え方の人物に対して、どういう言葉が可能かな、と思って。
ワシはもう、彼に対する言葉を使い切ったから、
縁なき衆生は度し難し、でいくしかないかな・・とw


もう、これで最後にするよ。
迷惑かけてすまなかった。  m(_ _)m

585:神も仏も名無しさん
14/06/24 14:11:21.28 4/cLewJx.net
争いごとがすきなんでしょ

586:神も仏も名無しさん
14/06/24 19:59:59.02 dE57rk5X.net
仏道修行者の基本姿勢は、常に四梵住。
悪に対して怒りを抱き、「正義の戦い」を挑むようなことはしない。

問題に巻き込まれないようにするには、戦うのではなく、離れる。関わらない。

関わるなら、何があっても四梵住。
誰に対しても慈悲喜捨。

587:神も仏も名無しさん
14/06/26 00:23:40.16 Un5VUH1E.net
観察していて気付いたのですが、気分って信号みたいなものですね。
脳から出るデジタル信号って感じ。
人間の感情って何なんだろうって思って、何だか肩の力が抜けました。

588:神も仏も名無しさん
14/06/26 00:29:27.67 sd7x2XCZ.net
順序は逆なのでは?
感情が脳を介して自己意識の表に現れる
のほうがしっくりくる

589:神も仏も名無しさん
14/06/26 00:40:06.20 Un5VUH1E.net
私もずっとそういう認識でした。
今回とらえたのは脳から信号が発せられてから、
感情と過去の思い出の様子が湧き上がる瞬間でして...
ちなみに、湧き上がった過去の思い出とは全然関係ない事をしていて、
その信号を感知するまではその過去を思い出すような脈絡は一切ありませんでした。
リアルタイムの出来事に対する感情だったら、562さんが仰る通りだと思います。

590:神も仏も名無しさん
14/06/26 00:46:54.92 sd7x2XCZ.net
それは一種の自分の人生に対する問いみたいなものですね…

591:神も仏も名無しさん
14/06/26 00:52:01.33 Un5VUH1E.net
>>566さん
頂いたレスもふまえて、観察を続けてみたいと思います。
ただ、のめり込まないように気を付けます。

592:神も仏も名無しさん
14/06/26 05:28:33.91 3vpsT/3e.net
感情ってのは未発達な意識のことでは? 
「この野郎」と思って蹴り飛ばしてスッキリする時には

「この野郎」  未発達な意識
「蹴り飛ばす」  はっきりした意識
「スッキリする」 これはつまりハッキリした意識で未発達な意識を一掃した
 したことによる効果

593:神も仏も名無しさん
14/06/26 09:14:35.97 z+/v1j95.net
>561
それって無我の認識に至ったと言う事じゃ無いのかい?

594:神も仏も名無しさん
14/06/26 09:15:56.78 z+/v1j95.net
気分に巻き込まれず、それから離れた場所に居れるようになっている

595:神も仏も名無しさん
14/06/26 15:47:20.69 QCGzE3hF.net
>>563
瞑想体験の解釈については、個人的に指導者にお話しされてみてください。
不特定多数の意見が交わるところで話すと、議論、混乱、論争の元になりかねません。

596:神も仏も名無しさん
14/06/26 19:45:44.25 Un5VUH1E.net
>>570
参考になりました。

>>571>>570
レスありがとうございます!

>>571
了解いたしました。気をつけます。

597:神も仏も名無しさん
14/06/26 20:09:33.17 waGmbQ4h.net
最終的には、本人がどれだけ手応え
を得たかどうかでわかるんじゃないだろうか

心の中はその本人しかわからないから

598:神も仏も名無しさん
14/06/27 09:18:04.22 mKNjm88L.net
脳波の「ノイズ」で、行動を数秒前に予測できる 2014.6.22 SUN
URLリンク(wired.jp)

(本文)
何か決定を下すとき。それに先立つ数秒の間に脳で起きる偶発的な電気活動が、決定の内容と深い関係にあるよ
うだ。カリフォルニア大学デイヴィス校での研究が、そのことを証明している。

「自由意志」の存在に答えようとする試みは、何世紀もの間に多くの仮説を生んできた。しかしいま、この疑問
を神経科学の研究が解決するかもしれない。

「Journal of Cognitive Neuroscience」で発表されたカリフォルニア大学デイヴィス校のCenter for Mind an
d Brainの新しい研究は、まさにこの問題に向き合ったものだ。彼らの研究によれば、決定に先立つ数秒の間の
脳の偶発的な電気活動をもとに、自由な選択の結果─とくに、人間が視線の方向を決めるとき─を予測する
ことが可能だという。

実験において研究者たちは、被験者のグループをモニターの前に座らせた。モニター上には、ある特定の記号が
完全にランダムな間隔で画面の中心に現れる。そのたびに、被験者たちにはそれぞれ、自由に選択して視線を右
か左に移すように求めた。参加者たちがこの「自由意志のエクササイズ」に携わっている間に、研究者たちは、
脳波計を用いて彼らの脳の電気活動における通常の変動、つまり、ある種の「ノイズ」を記録した。

集めたデータを観察したところ、記号の出現に先立つ数秒の間に、被験者の脳がおかれている活動状態によって、
彼らが左右のどちらを見るか予測することが可能だった。記号は完全にランダムな間隔で画面上に現れていたの
で、参加者たちが事前に選択の準備をする余裕はない。

「記号が表示されるそのときに脳がどのような活動状態におかれているかが、人が右を見るか左を見るかを決定
しているのです」と、研究のコーディネイトを行ったカリフォルニア大学の研究者、ジェシー・ベングソンは確
言する。

では、自由意志は存在しないということだろうか。「選択」とは、無意識の生理的プロセスにすぎないのか? 
ベングソンによると、脳の電気活動の中で記録されている変動の、偶発的な性質から道が開けるかもしれない。

599:神も仏も名無しさん
14/06/27 12:03:25.79 Jjw46D0X.net
上座部仏教の修行や瞑想してる人で、結果が出て、他人にも太鼓判を押してお勧め出来るって人居ます?
(単に思想が素晴らしいというだけじゃなくて、修行でも結果が出てることも大切)

自分なりに瞑想はしてみるのですが、どうも形式立って「瞑想しよう」と思うとイライラしたり感情が
乱れたりして上手くいかないんです。自身は煩悩も沢山あるし、心は常に彷徨ってて集中出来ず、長続
きもしません。こんな感じですが、煩悩減っていって、瞑想も上達して行く道はあると思いますか?

600:神も仏も名無しさん
14/06/27 13:57:21.32 mKNjm88L.net
自分も
煩悩はいくらでもありますし、心はお猿さんですが
ちなみに

どんな瞑想方法をされているのですか?

形式立ってというニュアンスがよくわからないのですけど

601:神も仏も名無しさん
14/06/27 13:59:38.14 FDDSodY+.net
アナパナサティで「息を吸って全身に気づく、息を吐いて全身に気づく」ってあるけど、
息と体を同時に気づくことってできるの?
実況中継なんか挟もうものならどっちかしか集中できないはずなんだけど

それと息そのものから他への観察って全人類共通で発展するものなの?

602:神も仏も名無しさん
14/06/27 14:31:37.25 mKNjm88L.net
出来ませんか?同時に?

おそらく息をすることに対して、それを掴んでいませんか?

目標化するでもいうのか、力を込めてとでも言うか?失礼な事を言っているかと思いますけど

怒らないで下さいね。自分でも不思議なんですけど、なぜそうなっているのだろうって

603:神も仏も名無しさん
14/06/27 15:51:30.38 up2JBmm2.net
>>577
息を吸いながら、(その息の)全体に気付く。
息を吐きながら、(その息の)全体に気付く。

というのがミャンマー比丘の訳でした。
彼によると、(身体の)全体に気付くと訳している派と
(呼吸の)全体に気付くと訳している派とがあるそうです。

パオではサマタとしてのアナパナにおいて、呼吸なら呼吸だけの集中しますので
身体はみません。むしろ無視、スルーします。

604:神も仏も名無しさん
14/06/27 15:53:17.18 up2JBmm2.net
身体感覚等を観ていくのは、サマタ(アナパナ)で禅定に入れるようになった後。
ヴィパッサナーの過程でやります。
サマタの時に、集中対象をあちこちに動かすことはしません。

605:神も仏も名無しさん
14/06/27 15:57:43.51 up2JBmm2.net
>>575
結果がでるまで瞑想して、自分で確認するしかないと思いますよ。
仮に誰かがここで「太鼓判押します」と書いたところで、納得はできないのではありませんか。

606:神も仏も名無しさん
14/06/27 17:14:22.28 Jjw46D0X.net
>>576
ヴィバッサナーとかアナパナです
これらを普通にやろうとするのですが、どうも、自己の幸福追求に対する思いが強くて、その思い
が混ざるせいか、上手くいかないです

>>581
成功した人の話や、先行く人達の体験やアドバイス等を聞ければ、参考とか励みになると思いました

607:神も仏も名無しさん
14/06/27 18:51:36.99 ATs31+6v.net
CVTで頭を働かせるのは無駄なことです。
シルクの様にスムーズな60k走行を味わう。
減速時は50..40..30..とスムーズに
落ちていくスピードを味わう。
シルクの様な肌触りを楽しむのです。

608:神も仏も名無しさん
14/06/27 20:36:48.90 DnqsZ/vC.net
アナパナは、自分では今と言う事を感じる指標にしています。
吸っていると感じる(気づく)、吐いていると感じる(気づく)
当然思考が出てきて、飛びますが、またこの気づきに戻ってくる
ポイントとなっています。
今ここに居ると言う事が、重要なので、ここに戻ることだけを
しています。

609:神も仏も名無しさん
14/06/27 22:08:15.20 xWclwHnz.net
>>582

幸福追求に対する思いが強くて、どうしてアナパナやヴィパッサナーができないのですか?

610:神も仏も名無しさん
14/06/27 22:15:19.35 cOp8ijIv.net
>>584
>ここに戻ることだけをしています。

「今」に集中しようってこと?
「今」から意識を離さないように、ってこと?

611:神も仏も名無しさん
14/06/27 23:02:56.80 Jjw46D0X.net
>>585
純粋な信仰心とかじゃなく、エゴや煩悩が背景にある感情が混ざってくるんです
イライラしてきたりして、感情が乱れ、これでは本末転倒だという感じになるんです

612:神も仏も名無しさん
14/06/28 00:40:35.59 v8DrBXtY.net
>>587
本末転倒も何もなく、単にあなたがそういう存在であるってだけでは?
行を行わなければ、そのことにすらも気づけなかったのだから意味のあることのような気がする

613:神も仏も名無しさん
14/06/28 01:29:02.88 jIUup02c.net
>>580
どっちかしか意識できないのでは?
なんとなく全体を意識してるような気がするときがあっても心が錯覚してるだけでは?
パソコンしながら飯を食べるような、無意識のどっちつかずの印象

>>580
なるほど、あくまでサマタと割り切るのですね
ラリーカールトンの「呼吸による癒し」では
アナパナサティの順番付けは自然と発展していくプロセスとあったような
サマタだけでヴィパッサナーへと発展するのか疑問です

そもそも経典って一番古いのでもブッダの死後500年後くらい経ってからですよね?
説明が必要な時点で不完全な出来なんでしょうか?
パーリ後に通じている人のが真意をつかめるのでしょうか

614:神も仏も名無しさん
14/06/28 02:00:01.01 /TB6Q7qu.net
ゴエンカ氏式では、3日間だったかな?徹底的にアーナーパーナーサティをやった後に
ヴィパッサナー瞑想を始めるという流れですね。
アーナーパーナーサティに徹している時は、
何かを思い出したり何かが浮んでも
徹底的にスルーして意識を鼻下に戻し、
鼻孔を出入りする気息の観察に戻って続けているようです。

ゴエンカ氏式の瞑想合宿に参加された方のブログを参考に
アーナーパーナーサティから取り組むようにしましたが、
段々と気息が心を撫でてくれるように感じられます。
気息が心を包んでくれる時もありますよ。

615:神も仏も名無しさん
14/06/28 06:03:37.05 4owUTpmz.net
経典なんですが、どうもどこかの時点で、ジャンプするようなことが
必要じゃ無いかと思えるのです。
言語自体には、原理的に不完全な部分があるようで
でも言語化しないと、わからないし(話言葉にしてもそう)

でも何かあるという実感(これしかないんですけど)があります。

根拠は不明ですけど。(笑ってやって下さい。)

616:神も仏も名無しさん
14/06/28 06:07:58.35 4owUTpmz.net
気息が心をなでるとでもいうか、そうなんですよ  

安心のよりどころでもいうか、絶対安全安心静寂の島が今ここにあるとでもいうか

すべての事をこのこの部分で処理すればとでも言うか

617:神も仏も名無しさん
14/06/28 06:32:04.51 J1LajpNK.net
合宿に参加するのが一番早いですよ。

618:神も仏も名無しさん
14/06/28 22:34:52.67 FxhfHVrT.net
>>575
山下良道が指摘する上座部仏教の問題点の
典型ですね

煩悩・エゴ混じりの主体が煩悩・エゴを
押さえつけようとする(雲が雲を払いのけ
ようとする)自己撞着的な構図のため、
ほとんどの人は挫折すると

まずは雲を俯瞰的に眺める慈悲に満ちた
青空としてのもう一つの自己を立ち上げる
プロセスが必要ということになりますね

619:神も仏も名無しさん
14/06/28 23:09:23.99 u5fRAPKK.net
ヴィパッサナー至上主義の人でも
ある程度のとこまではマントラでやっちゃった方が楽だな。
マントラ瞑想から入るよろし。

620:神も仏も名無しさん
14/06/29 01:36:03.71 55tR9t9F.net
瞑想中に胸の周りを覆うように陶器のような
硬いノイズの殻のようなものを感じました。
でもその中に意識があるのを感じました。
タイマーが鳴って瞑想が終わった後は
その殻を叩き割って胸の中の意識に入っていきたいと強く思いましたね。

621:神も仏も名無しさん
14/06/30 00:39:39.15 wbWvkqX0.net
観察とは、あるがままを見ること。
あるがままを見るということは、そこに「何かをしよう、という自分がいない」ということ。
自分がいなければ、あるがままと一体になる。

川がただ流れている。
川の流れに手を加えず、ただあるがままに川の流れを見ていれば、
自分は川の流れと一体になる。

622:神も仏も名無しさん
14/06/30 01:06:27.90 YSUAtPKJ.net
>>597
仰る事分かります。
同意です。

実は、日中にもう何も考えられない程の絶望を味わったのですがが、
何も考えずに解釈もせずに、只あるがままを見ようとしました。
それによって、只あままを見る事が安息と癒しでもあるのだと気付きました。
無心になって空に浮ぶを雲をただ眺めるが如く、
内外のあるがままをただ観るという事の癒しを知りました。
言葉にし難い、静かなでも腹の底からの癒しと安息でした。
同時に、煩悩としての希望というものがあり、
その煩悩としての希望はまた苦でもあるのだと気付きました。

623:神も仏も名無しさん
14/06/30 02:05:55.02 YSUAtPKJ.net
語弊もあったかもしれないので、付け加えます。
595の私の文章だと消極的な受動の印象を
持たれる方もいらっしゃると思ったので。

あるがままを只見ているうちに癒されてきて
心が現実世界に戻ります。
その戻る際と戻った後に色々気付く事があって、
その気付いた事を今後の現実生活において役立てることも可能だと思います。

624:神も仏も名無しさん
14/06/30 03:01:03.74 YSUAtPKJ.net
597の訂正です
×595
○596
595さん、申し訳ございませんでした。

625:神も仏も名無しさん
14/06/30 05:50:38.26 CnwffX4L.net
青山元不動 浮雲飛去来

626:神も仏も名無しさん
14/06/30 10:15:24.96 iQvJOlWE.net
考えられないほどの絶望ってなんだろうな・・・

627:神も仏も名無しさん
14/06/30 18:05:11.99 TM0F9j/6.net
エックハルト・トールかな

628:神も仏も名無しさん
14/06/30 21:48:22.72 Xeqsad+b.net
瞑想とは五感で世界の変化を感じ取ることではないかな?
五感で変化を感じ取ると、その刹那、自分が変わる。五感で感じたことでその変化を自分が体感する。
自分はあれこれと、捉われたり、悲しんだり、喜んだりして、あたかも「私」が存在し、「私」が何かを目指しているかのように感じる。
ところが、冷静に考えると「ある」と信じている「私」は、ただ五感で感じているだけだと知る。
人間は、変わることで悩み苦しむ。人間は変わらないことで悩み苦しむ。
その苦しみの根源は、永久不滅の「私」がいると信じているからだ。ところが、瞑想をして自分はただ五感による世界の変化を知ることで、自分が変わっているだけだと分かると、苦しみはなくなる。
意外なことだが、「愛」すらも自分を縛る框であることを知る。
世界は一瞬一瞬、変化し続ける。何かの目的があるのではなく、ただ変化するだけだ。
自分自身もそうだ。ただ変化を続けるのみである。
世界は無常である。無常の連鎖である。
人は「生きるために生き、時が来れば滅する」だけである。

629:神も仏も名無しさん
14/06/30 22:07:24.28 Xeqsad+b.net
世界は一瞬で変化している。自分自身も一瞬の間に変化している。
言い換えると、二度と同じ世界、同じ自分はこの世にはいない。仏陀はこれを「無常」と言った。
素粒子は光の速度で動き回り、物質を変化させ続けている。それは山だろうと川だろうと草木だろうと一緒である。
人間の「心」と言われている悲喜こもごもの変化もそうで、一瞬たりとも同じ場所にはいない。
「心」も所詮は脳細胞のイタズラ、錯覚でしかない。
神も人間の創造物である。霊界も魂も全てそうだ。絶え間ない命の連鎖があるだけで、儚い脆い「私」は絶対的な完全体の「何か」に縋っているだけである。
世界は無常である。無常の連鎖である。
人は「生きるために生き、時が来れば滅する」だけである。

630:神も仏も名無しさん
14/06/30 22:28:41.38 Xeqsad+b.net
世界と自分の変化には、当然ながら突発的な変化は起きない。
少なくとも僅かな時間的な間隔での変化を読み取ることは可能である。
他人に対しても、この現象世界に対しても、「自分」は何かの影響を与えている。
だからこそ、「無常」が分かると「自分」が意図的に起こす変化が、世界に影響を与えていることが分かる。
仏教的(仏陀的)な悟りが分かると、悪いことをする気が起こらなくなる。
逆を言えば、可能な限り想像できる「現象世界」の中で、「無常」に身を委ねながらより良く生きようと思うのではないか?
世界は無常である。無常の連鎖である。
人は「生きるために生き、時が来れば滅する」だけである。

631:神も仏も名無しさん
14/07/01 02:35:13.17 rt3dUqhx.net
身体の感覚はいつもあるし目にも見えるから
「私はこの身体」って制限から抜け出せないよね

632:神も仏も名無しさん
14/07/01 07:12:14.53 7ri/0SMS.net
 あるがままに見るなんて不可能だよ。仏教的に見ているに過ぎない。

633:神も仏も名無しさん
14/07/01 07:49:52.62 wWCusbyA.net
「あるがままに」じゃなくて「あるががままを」だよ。
「に」と「を」の違いで観方が全然変わるよ。
そこで躓いている人が多い気がする。

634:602
14/07/01 13:01:12.23 2bWmuv3b.net
瞑想の時、何を見つめればいいか?
「私のこの身体」が触れている場所(間隔)を観察する。ところが、同時に二つのことを人間は感じることが出来ない。
椅子に触れているお尻の感覚と、テレビを見ている瞳から入ってくる映像的な情報を同時に自覚することは出来ない。
仕事の悩みと恋愛の悩みを同時に悩むことは出来ない。これは、自分(名目上の・・・)を客観的に観察すれば分かることだ。
人間は、自分以外の情報を受け取る場合、五感で感じ取ることしか出来ない。
そこに絶対的な永久不滅の変化しない「私」があるという誤解した状態で外部の情報を受け取り、永久不滅の変わらない自分の価値観や感性で見つめ、捉え、判断するから間違うのだ。
変化し続ける現象世界を見つめるということは、その外部の変化を知り変化する自分自身を見つめるということだ。
あるがままを見るというのは、物凄く客観的に自分自身の瞬間的な変化を発見するということなのだ。
現象世界が変化する→その変化を捉える→知る・・・これだけだ。
「それが何?」と問い返す人は、仏陀の言う「全ては無常である」を知ることは出来ない。
「全ては無常である」が分からないと、というか発見できないと、どこまでもある筈も無い「私」に捉われた「苦」から逃れることは出来ない。
無常を知ることは、決して退廃的な投げやりな人生を送ることではない。
無常を知り、このあると信じている「私」は無いのだ、全ては現われては消える(生じては滅する)変化に過ぎないのだと知れば、これほどの幸福は無い。
無常の瞬間が分かると、時間的な間隔が無くなる。普通の人の一秒が一秒ではなくなる。
ただし、物理的な一秒が変化するということではない。グリニッジ天文台から発信されるセシウム振動子に基づいた一秒はどこまでもただの一秒だ。
無常の瞬間を発見すると、全てが変わる。
世界は無常である。無常の連鎖である。
人は「生きるために生き、時が来れば滅する」だけである。

635:602
14/07/01 13:15:44.79 2bWmuv3b.net
『天上天下唯我独尊』と、生まれたばかりの釈尊が言ったわけではない。それはただの伝承である。
「世界は無常である」ということを知る、分かることは、実はとても孤独なことで、釈尊はそれを『天上天下唯我独尊』と言ったのだ。
それが何故、人々を幸福に導き、「苦」から脱却できる唯一の手段であるかが分かってしまうことで、その目でこの苦の娑婆を見つめると、何とかしてあげたいと思う。
ところが、その「私」に捉われ「苦」にさいなまれている人々には、「世界は無常である」と説いても、糠に釘なのだ。
釈尊は「諸行無常」を悟って、「全ての仕事を成し終えた」と言った。
悟った自分自身にとってはそれで良い。肉体を持った状態で涅槃を経験したので、あとは時が来て滅するだけだ。
釈尊にとってはそれでいいのだが、何せ史上初めて『仏陀』が現れたのだから、世間が黙っていない、ということで仏教教団が生まれたのだ。

636:神も仏も名無しさん
14/07/01 17:50:24.28 r8wQWuMm.net
こっくり必死

637:神も仏も名無しさん
14/07/01 20:00:26.11 rt3dUqhx.net
慈悲深い人は震災で自分のものほとんど投げ打ったんだろうなぁ
御託並べる奴よりよほど実践的だよなぁ

638:神も仏も名無しさん
14/07/01 22:55:12.95 sXtz/ND9.net
>>613
殆ど擲って、社員や家族を路頭に迷わせろ、と?

639:602
14/07/02 11:57:42.19 SCcbj5S1.net
人間は脆く儚い。殊にあるはずのない「私」に捉われていると、「苦」の娑婆から抜け出せない。
無常を悟ることは、とても孤独なことだ。
無常を語ることは、とても難しい。
ただ無常を悟った時の幸福感は何ものにも例えようのない幸福である。
無常を悟った人は強い。誰よりも人として強い人である。
何ものにも頼らず、奢らず、高ぶらず、蔑まずあるがままである。
無常を悟ると、縁起が分かる。縁起が分かると、因果が見えてくる。
少なくとも自分に対してそれが分かるだけで、人間は幸福になれる。
別に世界の因果や縁起が見えなくとも、この世界と自分は無常であると悟るだけで、よりよく「生きるために生きる」道が分かる。
誰もが永久不滅の「私」がいて、自分は正しいと思い込んでいる。
その思い込みが自分の人生を煩悩まみれにしていることに気づいていない。
ポアなどという思想に縋ったどこかのカルトは、仏陀の悟りを貶めている。
「勝利」と叫び続ける日本最大のカルトにしても、仏陀の悟りに至ることはない。
誠に残念だが、神も仏もいないのだ。霊界など存在すらしていない。
存在しているとすれば、「存在している」と信じている脳の中だけだ。

640:神も仏も名無しさん
14/07/02 14:36:59.03 qwJZSFLY.net
何か仏教関連のスレって独り言が多いね

匿名掲示板で悟りすましたこと書いても
滑稽過ぎて誰も読まねーつーのw

641:602
14/07/03 11:02:32.44 CR/XF6Rm.net
匿名だから書くのだよ。
仮に自分が有名になりたい、金儲けをしたいと思えば、


642:さっさと宗教団体を立ち上げて、その道に向かうだろう? 「悟り」などというものは、自分ではよく分からないものだ。 ただ、何かの真実に触れた瞬間の感動があるだけで、それをどう表現してよいか分からない。 これは一体、何なんだ?という疑問だけだ。 そして、束の間の虚無感に襲われる。どう表現してよいか、誰に訴えてよいか、途方に暮れる。 しかし、どう反証してもそれ以外に答えが無いと分かると、その真実を否定しようがないことも分かる。 2chなど、いい加減な人間の集まりと言えばそれまでだが、匿名であるからこそ、真実を開示することも可能だ。 誰でもいい。一人でいいから、この真実に触れてくれれば、それでいいのだ。 仏陀の言うように、世の中の多くの人々は「無明」である。 自分の廻りを見つめればよく分かる。皆、「自分」に捉われ苦しむのだ。 自分を肯定してくれなくて苦しむ。自分を否定されて苦しむ。自分の望む変化が起こらなくて苦しむ。自分の望まない変化が起きて苦しむ。 その自らが生み出す「苦」或いは「煩悩」を、仏陀は「輪廻転生」と言ったのだ。 「全ては無常」であると「知る」、ただそれだけで、人は幸福になれるのだ。 最初から永久不滅の「私」は無いのだ。



643:神も仏も名無しさん
14/07/03 11:19:04.42 uew+/sqX.net
違うだろ
実名で書く自信が無いから、こんな匿名掲示板の
マイナーなスレで長文書いてオナニーしてる
んだろ

その程度の自己分析もできないカスが悟り
云々を言っちゃあかんよw

644:602
14/07/03 17:30:31.22 CR/XF6Rm.net
www
それを自意識という。
過剰になってはいけないね。
それと、オナニー云々と言うが、いちゃもんをつけるとは君も余程、暇なのだろ?
お互い、暇人同士で良いではないか。
カスというが、皮かぶりのご自身の大事な場所を眺めると良かろう。
たっぷり、そのカスとやらが溜まってないか?
それが自意識の物質化したものだよ。
実名を公表すれば自信があるとか無いとか、2chではよく聞くセリフだな。
そんなことはどうでも良い。
事実か否か。真理か否かが大事だね。

がんばってください。

645:神も仏も名無しさん
14/07/03 21:23:14.12 WIrlTJpQ.net
過去は過ぎ去りもう無い。
未来は未だ来たらずまだ無い。

646:神も仏も名無しさん
14/07/03 22:01:53.03 uew+/sqX.net
>>619
図星突かれて発狂し過ぎだろw

まあそんなにメンタル弱いから匿名掲示板で
悟り長文オナニーしてるんだろうけどさ

647:602
14/07/03 22:28:55.38 CR/XF6Rm.net
人は生きていると随分と腹を立てることばかりだ。
しかしよく考えてみると、その中身の殆どは変わることに腹を立て、変わらないことに腹を立てているに過ぎない。
それは傲慢で不遜なことなのだ。変わらない永久不滅の「私」が強すぎて、自分以外のことに関心し過ぎるのだ。
そして、智恵無き弱い自分は、次の瞬間に全く別の、どうでもいいことに腹を立てている。
人間とは全く忙しい生き物である。
仏陀はそれを「無明」と言った。
ご自身の「無明」を知らず、人様についてはあれこれと言う。
それでも地球は周り続け、川は流れ続けていることに気づいてはいない。
ご自分だけが「無明」という暗黒の中でもがいているのだ。
真の強者とは、他人に迷惑をかけず、自分のことは自分でやり、人のために「生きるために生きている」人を言う。
それでも弱き者どもは、未完成の自分を補いたいという欲求から、完全なる「神」や手の届かない「霊界」「魂」を、勝手に想像しているだけだ。
人間の浅はかな智恵でどうがんばっても、世界はただ変化し続けているだけである。
世界は無常なのだ。

648:神も仏も名無しさん
14/07/03 23:07:24.13 uew+/sqX.net
>>622
匿名掲示板で図星突かれて涙目長文書いちゃう
君が何言っても説得力無いんだよなぁ

自分を客観的に見てごらん
PCの前に座って匿名掲示板に必死に長文書いてる
自分の姿を鏡で見てみるといい

そこにあるのは不安と煩悩と執着、そして
現実逃避だけ

その程度の自覚も無いんじゃ仏教語っちゃ
駄目だよw

649:602
14/07/04 00:00:48.35 1LBxS1Qo.net
弱き者よ。
浅はかな智恵に縛られる「我」の人よ。
心は千路に乱れるだろうが、迷いの中にある自分を発見したらどうだ?
学問としての仏教を完成された哲学と見るのは、浅学の極みである。
仏陀は、心優しき人は、これ以外には何もありませんよ。ご自分で発見されたらどうですか?と語りかけているだけだ。
もっと言えば、発見することは誰にでも出来るが、それを「悟る」ことは容易ではない。
この真理をして世の中を見た時の孤独感は言いようが無い。同時に悲哀も例えようが無い。
人は脆く儚いのだ。泡沫のようなものである。現われては消えるだけだ。
誰もが「私」という不確実な何かに縋っているのだ。
その「私」が悲喜こもごもを経験すると、「人」や「人生」の何たるかを思うだけだ。
仏陀は愛すらも煩悩と言った。仏陀の悟りは感情ではない。不変な真理を体得することだ。

650:神も仏も名無しさん
14/07/04 01:04:18.45 eJztj0nK.net
以上、デブオタニートの戯言でした

651:神も仏も名無しさん
14/07/04 05:45:26.13 MmLaM11s.net
仏教スレからホモがいなくなればこんなに荒れんのにな
欲求不満ホモ2chで三毒垂れ流し

652:神も仏も名無しさん
14/07/04 08:23:01.95 ltIU19hM.net
スマナサーラさんの教え方って、自分の場合は集中させかたが強引過ぎて
落ち着きより苛立ちが生まれるよ。
あまり、唯一の方法だとか、あちこちの瞑想をまわって比較する人は迷惑だとか
力説しない方がいいのにね。
まわりを見渡して、比較したりする余裕も落ち着きのひとつだから。

一時期、協会の人がイライラして人のあら探しするタイプが
多かったのは、この指導法に無理してなじもうとしたからじゃないのかな。

653:神も仏も名無しさん
14/07/04 08:25:11.71 ltIU19hM.net
スマナサーラさんの教え方って、自分の場合は集中させかたが強引過ぎて
落ち着きより苛立ちが生まれるよ。
あまり、唯一の方法だとか、あちこちの瞑想をまわって比較する人は迷惑だとか
力説しない方がいいのにね。
まわりを見渡して、比較したりする余裕も落ち着きのひとつだから。

一時期、協会の人がイライラして人のあら探しするタイプが
多かったのは、この指導法に無理してなじもうとしたからじゃないのかな。

654:神も仏も名無しさん
14/07/04 13:36:33.20 eJztj0nK.net
山下んとこの一法庵にでも行っとけよ

655:神も仏も名無しさん
14/07/04 19:02:25.27 x1luU0NE.net
>>621
貴方はなぜ、実名で書き込まれないのですか?

656:神も仏も名無しさん
14/07/04 20:42:41.42 eJztj0nK.net
悟り長文オナニーする気無いからに
決まってんじゃん
そんなことも分からんの?根本的にアホなんだね

657:神も仏も名無しさん
14/07/05 00:56:49.31 +8to8sA5.net
>>631
長文オナニー関係なく、
『自分の発言に自信があれば』実名やコテを使うべき、
としか>>618は読めませんが?

658:神も仏も名無しさん
14/07/05 01:23:14.57 SSuOuMya.net
おまえはどこまでアホなんだw
長文書きたい主張があるなら、こんな匿名掲示板
に書き込まず、ブログやサイト作って実名で書く
2chなんて信用0のただの雑談所だからな

それができずにこんな匿名掲示板で匿名のまま
悟り長文書き続けてる奴なんてのは、実名で
主張するだけの自信も勇気も無いけど、誰かに
自分の悟りを見てもらいたいっていう自己顕示欲
だけが先走ってるカス以外いねーだろ

659:神も仏も名無しさん
14/07/05 02:16:34.03 +8to8sA5.net
さて・・・
>>633が長文か短文か、主張かそうでないか、
他の住人に判断して貰いましょうかw

つか、その態度、滑稽で見苦しいわw

660:神も仏も名無しさん
14/07/05 03:08:41.79 SSuOuMya.net
悟りうんぬんについての長文だって
何度も書いてるだろ

俺はそんなもん一度も書いたこと無いわw

図星突かれて涙目なのは分かるけど
そうやって必死に食らいついてる時点で
自滅してることに気付けよw

661:神も仏も名無しさん
14/07/05 05:12:05.29 METFMn56.net
ここは現代の永平寺僧堂じゃねえんだ
虐めを極めるならよそいってくんろ

662:神も仏も名無しさん
14/07/05 07:50:12.76 cwhO5AB6.net
         (   (
        ( (   (. )
         . -‐ ) ‐- .
       .´,.::::;;:... . . _  `.
       i ヾ<:;_   _,.ン |
       l      ̄...:;:彡|
        }  . . ...::::;:;;;;;彡{
       i   . . ...:::;;;;;彡|∧_∧
       }   . .....:::;::;:;;;;彡{´・ω・`) お茶飲んでマターリしましょ
         !,    . .:.::;:;;;彡   と:.......
        ト ,  . ..,:;:;:;=:彳:―u'::::::::::::::::::::::::::..
        ヽ、.. ....::::::;;;ジ.::::::::::::::::::::::

663:神も仏も名無しさん
14/07/05 09:45:26.06 +8to8sA5.net


>>635
『悟り云々といった内容の長文は、実名・コテでレスされるべき』
という命題に必然性は無いよね。

「昨日行ったコンサートが良かった」ということを長文で書いても、
「お釈迦さんのお悟りは云々」ということを長文で書いても、何の差異も無い。
寧ろ、「このスレ」的には、後者こそがテーマに適うもので、前者こそがスレチだったりする。

ま、畢竟
「今日、クレーンゲームでふなっしーのぬいぐるみを取った゚+.ヽ(≧▽≦)ノ.+゚」という呟きも、
スッタニパータにはこうあって、中阿含の○○にはこうあって、中村元はこう解説してて・・云々」
と語っても同じことなんだけどね・・。
どちらも投下なレスであるのが、こうした掲示板の特徴であり、それを利用しているわけだ。

複数人で議論が錯綜してくれば、便宜上互いに名前欄を埋めることもあり得るが、
ID出る板ならIDで十分だし。  つか、君は2chに向いてないんだと思うよ。
ID(やレス内容)も見えてないようだしw   ワシのこと、ほかの誰かと混同してるよ。

664:神も仏も名無しさん
14/07/05 11:08:41.91 SSuOuMya.net
必死になり過ぎw
長文オナニーたしなめられて発狂するって
おまえ小学生かよ

665:神も仏も名無しさん
14/07/05 11:56:03.00 +8to8sA5.net
仏教議論スレッド106
スレリンク(psy板)

666:神も仏も名無しさん
14/07/05 13:22:35.48 SSuOuMya.net
それにしてもこの板はすごいな
自称仏陀がそこかしこにおるね
アホおちょくって暇潰すにはちょうどええわ

667:神も仏も名無しさん
14/07/06 15:07:06.39 z2Q/FGno.net
文句あるなら俺のブログで相手してやんよ
URLリンク(blog.goo.ne.jp)

668:神も仏も名無しさん
14/07/08 19:59:43.26 9sFJAgIA.net
阿那波那念は呼吸に繋念するものであって、お腹の膨らみや縮み、鼻端に繋念するのは明らかに身念住に固定化してしまうのでそのさきの受・心・法の観察には進めなくなる
それよりも呼吸に確実に集中するためにも、数息観を練習した方がいいだろ

669:神も仏も名無しさん
14/07/09 05:59:00.12 iHFUbE+i.net
自分では鼻端の状態を注視していくことで、心と体の関係が
よく見えるようになったよ

息が出て行く、息が入っていくんだけど、よくよく観ていると
どうもそれだけなんだけど、それだけじゃない

なんとも説明しにくいんだけど

670:神も仏も名無しさん
14/07/09 14:19:53.09 sA0kmiub.net
息に任せてりゃいいからストレス感じたときとか楽になる

671:神も仏も名無しさん
14/07/09 20:24:08.70 iHFUbE+i.net
安全の島

息を吸いながら 内なる島に帰る
美しい木々が茂る島
涼やかなせせらぎが走り
鳥と 陽光と さわやかな空気の満ちる島
息を吐きながら 安らぎを感じる

テックナットハン

672:神も仏も名無しさん
14/07/10 00:58:48.10 qXS9XtJB.net
八正道

正見 (四聖諦に則したものの見方、考え方)
正思惟 (慈悲喜捨に基づいた考え方、感じ方)
正語、正業、正命 (身口意において戒を護ること)
正精進 (戒・定・慧の修行に精励すること)
正念 (サンマーサティ。瞑想対象、観察対象を忘れないこと。)
正定 (三昧。禅定。サンマーサマーディ。)

サマーディの力によって如実知見が生じる(悟り)。
如実知見(悟り)によって遠離、離貪が生じる。
遠離、離貪によって解脱する。

673:神も仏も名無しさん
14/07/10 09:50:19.25 YWemOEej.net
しかし変な話なんだが、息を観ている、息に身を任せてるようにすることで

安全の島で書かれてあるような事が、実感できるとは

普通では考えられない

だから困っている。説明が付かない

安全の島はあるからとわかっているから

674:神も仏も名無しさん
14/07/10 14:11:44.02 JNG+OGZ4.net
阿那波那念では、始めに覚知するのは長い息風で次に短かい息風を覚知するものであるが
次の身体の微細な息風を覚知する段階になるといわゆる鼻腔の息風は止んで全身の毛根からの微細な息風を覚知するわけだが
いわゆる鼻端だの腹の膨らみ縮みに執着していては奥深い阿那波那念はたいけんできないあだろうし、まったく仏陀の教説からかけはなれた邪教の範疇であろうよ。

675:神も仏も名無しさん
14/07/10 15:58:24.53 1cKem8FL.net
>>649
パオのHPはご覧になった事はありますか?

それから、ここの人たちがアーナーパーナーサティに取り組む際、
鼻端の動きや触覚的な感覚を重視しているように捉えてませんか?
また、単純に鼻端に意識を置く事だけしか考えていないと思っていませんか?
もしもそうだとしたら誤解ですよ。

ここの人達も取り組んでいる、アーナーパーナーサティでは感覚は観察の対象外です。
入出息の際の鼻孔表面の感覚を対象とするのは、四界分別観瞑想の方です。
アーナーパーナーサティとはまた違う瞑想法になってきます。

それから、アーナーパーナサティだけに取り組んでいる訳ではないですよ。
その後にヴィパッサナー瞑想を行っている人達もいます。
ただ、流派によってヴィパッサナー瞑想もやり方が違いますけどね。

676:神も仏も名無しさん
14/07/10 17:21:49.31 i6GXtXpf.net
かれらも仏典にも書かれてない、自説だと認めていますが

677:神も仏も名無しさん
14/07/10 17:41:15.02 1cKem8FL.net
>>652
具体的にどの事柄が自説なのか分かりますか?

パオのHPに掲載されている比丘の方達の法話は、
具体的な仏典が挙げられ、そこから引用されている文章も多いですよね。
指導内容のどんな事柄が自説によるもので、
仏典を根拠に代々指導がされている事柄はどんな事なのか、整理する必要があると思いまして。

678:神も仏も名無しさん
14/07/10 18:01:34.81 i6GXtXpf.net
ここはパオのスレじゃねーし
阿那波那念で呼吸に集中するのに、呼吸に集中すると光が見えてその光を意識するようにとか
まぁクソみたいなパオの瞑想やってろよ

679:神も仏も名無しさん
14/07/10 18:08:05.18 1cKem8FL.net
>>653
アーナーパーナーサティしかやっていない訳ではないですよ。
呼吸に集中する時間を設けた後は、
ゴエンカ氏式を参考に観察やっています。

680:神も仏も名無しさん
14/07/10 18:55:31.07 6K1tAE21.net
なぜ仏典をそのまま読まないの、仏典には
息入る時、息入るを知る
息出ずる時、息出ずるを知る

息入ること長き時、息入ること長きを知る
息出ずること長き時、息出ずること長きを知る

息入ること短かい時、息入ること短かきことを知る
息出ずること短かい時、息出ずること短かきことを知る

息入ること身にあまねく時、息入ること身にあまねくことを知る
息出ずること身あまねく時、出ずること身にあまねくことを知る

息入ること身にあまねくことを捨てる時、息入ること身にあまねくことを捨てることを知る
息出ずること身にあまねくことを捨てる時、息出ずること身にあまねくことを捨てることを知る
ここまでが身念住だが、仏典に書いている通り修行すればもっと先にいけるぞ
これ読んでなに書いてあるかわからないならそれまでだ

681:神も仏も名無しさん
14/07/10 19:14:18.00 qXS9XtJB.net
マハシもゴエンカもパオも、大念住経に基づいて修行していることに
変わりはない。

マハシでも、本当に意識が一点に集中してくれば、つまり禅支として
一境性が出てくれば、ウパチャーラ・サマーディ(近行定)や、カニカ・
サマーディ(瞬間定)には入ってしまう。
マハシでも、そういう体験談を見聞きするはず。

このことは、スマナサーラさんも一来果以上は瞑想しないと行けない
という話の中でサラリと説明している。
瞑想が三昧の域に達していない人に言っても、迷信との違いが区別
できないから、直接的な表現は避けているのだろう。
(参考>>529-528)

光が見えるのではなくて、サマタにおいて、集中対象の本質を見抜く
だけの集中力が備わると、観察対象が光として知覚されるようになる
ということであって、「光が見える」のとは違う。
「見え方が光に変わる」という方が近い。

682:神も仏も名無しさん
14/07/10 19:20:23.26 jZLOSso9.net
光を持ち出している時点で、話にならんわ

683:神も仏も名無しさん
14/07/10 19:20:24.67 qXS9XtJB.net
マハシのヴィパッサナーは、瞬間定(サマタ)と観瞑想(ヴィパッサナー)を
ひとつながりのメソッドで修行し、そのふたつの間を細かく行き来するやり方。
サマタでサマーディに入れない人、在家の人でもヴィパッサナー的なことは出来る。

パオのやり方は、サマタをサマーディのレベルにしてからヴィパッサナーをやる
という方法。
サマーディに入れるのは、よほど才能があって、環境も整っている修行者か
あるいは一時�


684:Iにせよ出家して修行に専念できる人に限られる。



685:神も仏も名無しさん
14/07/10 19:22:30.62 qXS9XtJB.net
>>657
迷信的な瞑想を警戒する気持ちはよくわかる。
経典通り、五蓋を抑制し、禅支によって正定に入ることを目指せば良い。
その時、何が起こるかは自分で確かめればいい。

686:神も仏も名無しさん
14/07/10 19:26:41.36 qXS9XtJB.net
三昧に達した時、修行者は肉体の感覚を忘れ、思考も停止している。
にも関わらず、心は瞑想対象に集中して禅定に入っている。

こういう経験を通して、心というものが、脳の中に収まるような小さなもの
ではなく、電気信号や脳内物質のような物質的なものに収まるようなもの
でもないことを知る。
経験的、体験的に知る。

そこで初めて輪廻転生や、肉体が死んでも回転し続ける心は消えないこと
が分かる。

それは、天動説を信じ、地球が平らだと思っていた人が
宇宙船から丸い地球を見るような体験で、認識の一大転換を引き起こす。
そうならざるを得ない。

687:神も仏も名無しさん
14/07/10 19:30:22.64 1cKem8FL.net
>>655
誰宛の書き込みか確認しても良いですか?

ちなみに、650の私の書き込みは、
649さんに情報ソースを求めるような意図です。

688:神も仏も名無しさん
14/07/10 19:38:45.32 MT8vrzrD.net
>>661
おめーだよ

689:神も仏も名無しさん
14/07/10 19:54:28.95 1cKem8FL.net
>>662
653さんですか?

690:神も仏も名無しさん
14/07/10 20:00:05.73 MT8vrzrD.net
>>663
スマホで書き込みしてるけど、IP変わっちゃうんだよね
お前も修行頑張れよ、っと

691:神も仏も名無しさん
14/07/11 04:31:44.25 ex3Uu4Sw.net
>658
 輪廻転生なんて科学的には当たり前のことだろ。なんでいまさら。種が保存
される限り輪廻転生している。
 でせまーい意味での輪廻転生のよなもの。つまり呼吸を整えることで感じられる
ような狭い意味でのね。それを知ることの意味ってなんなの?

692:神も仏も名無しさん
14/07/11 05:47:57.70 +wDA2xDG.net
>>665
>種が保存される限り輪廻転生している

心が無明と渇愛から離れない限り、輪廻から解脱することはできない。
無色界の梵天は、物理的な身体を持っていない。

693:神も仏も名無しさん
14/07/11 14:39:54.36 /6Nsjhcn.net
テーラワーダ系の阿那波那念関連の経典の日本語翻訳はまったくのでたらめであり支離滅裂で真実とはかけ離れている

694:神も仏も名無しさん
14/07/11 16:32:37.12 cZnnVWTR.net
釈迦以来の正統な修行は、パオでしか
体験できないよ

695:神も仏も名無しさん
14/07/11 21:57:48.07 b5T+n481.net
>>653
小学校ではひらがなしか教えないのか?
と文句を言っているようにしか見えませんが?

696:神も仏も名無しさん
14/07/11 22:00:47.29 b5T+n481.net
>>667
では、貴方が訳したら良いと思いますよ。

訳が出鱈目だと判断できるということは、貴方自身は翻訳できているということに他なりませんから。

697:神も仏も名無しさん
14/07/12 01:24:15.11 y7fdCHBI.net
最近、お客さんが増えたわね。

698:神も仏も名無しさん
14/07/12 11:53:54.77 70c/FzsV.net
>>670
英語のスペシャリストかもしれんよ
>>667氏の素晴らしい重訳に期待w

699:神も仏も名無しさん
14/07/12 17:36:42.75 dmFRN5ny.net
なんで英語ンゴwww

700:神も仏も名無しさん
14/07/12 18:38:44.29 wi9ReNB3.net
別にパーリ大蔵経や南伝大蔵経は否定してないからな、それと比較してテーラワーダ系の阿那波那念関連の日本語訳はでたらめで、それを比較してでたらめぶりや修行のやり方の偽造がわからないならそれは仕方がないな。

701:神も仏も名無しさん
14/07/13 15:03:44.17 XN/gSK4L.net
阿那波那念は呼吸の息が所縁の対象なのに、なぜ腹の膨らみ縮め、鼻端、ミニッタにズレてしまうのか教えてれ
ヴィパッサナーの瞑想は経典に出てくる身念住の変形で本来は身体の動きの現在的な認識で、それを偽造してむりやり阿那波那念に持ち込んだものだぞ

702:神も仏も名無しさん
14/07/13 16:25:45.79 qHOD557M.net
>>675
アーナーパーナで腹の膨らみ縮みは観察しない

>鼻端
呼吸の息を所縁とする時に、鼻端等の感受なしに、どうやって息そのものを認識するのかな?

一回その間違った経典翻訳とやらの具体例をあげてくれよ

703:神も仏も名無しさん
14/07/13 16:43:23.08 bwKetYRV.net
呼吸を覚知するのに何で鼻端が必要なんだ、はっきりいって呼吸を覚知するのが本質であって、自身が呼吸を実感するなら横隔膜の動きだろうが、腹の膨らみ、縮みだろうがた構わないんだよ
でもそれが適用されるのは身念住のことであって、受・心・法念住では身体のことは一切、粗末なことでありそこでも鼻端だ腹の膨らみ、縮みだといってるのは、理解できないことだな

704:神も仏も名無しさん
14/07/13 19:40:57.61 qHOD557M.net
けっきょく経典翻訳は関係ないじゃん

705:神も仏も名無しさん
14/07/13 19:44:00.47 IdgFCR6N.net
くだらんあげ足取りに付き合う馬鹿じゃないわ

706:神も仏も名無しさん
14/07/13 19:44:11.54 cVzNxXgS.net
正確な仏教を知りたければパオ一択

707:神も仏も名無しさん
14/07/13 19:47:49.65 e3UWQoOD.net
69 :神も仏も名無しさん:2014/07/09(水) 08:41:39.32 ID:QIh5P2++
李氏朝鮮王朝は土地を国有化し、住む土地が簡単には与えられなかったため、
国民は路上や空き地を不法占拠して粗末な掘立小屋を建てて住んだが、
糞便を処理せず、不潔を極めた。
彼らは悪臭を気にせず、糞尿まみれの生活を当たり前と考え、見てくれに良いと信じて、
「小便」で顔を洗い、「人糞」を結核の特効薬として食べた。

李氏王朝の役人(両班)など有力者は、自分の労働を嫌い、国民を奴隷として酷使した。
国民は結婚したくても、毎年多くの若い女性が中国へ献上されるために取り上げられたので、
適齢の女性が不足し、その性的欲求解決のため、密かに「試し腹」の風習ができ、
李氏王朝が崩壊するまで継続して、親族間の近親相姦に明け暮れた。

英国人が、何故人糞まみれになって汚い暮らしをしているのかと聞くと
「清に責められたとき身を守るためわざと汚くしている」だと言った。
 
 
【東亜日報】調査結果に愕然、韓国人の71.2%が人格障害
20歳男性の45%が対人関係障害の可能性
URLリンク(japan.donga.com)

708:神も仏も名無しさん
14/07/13 19:57:31.26 qHOD557M.net
>>679
IDコロコロ変えるし変なやつだな君

709:神も仏も名無しさん
14/07/13 20:02:43.03 Lg7vQ2+5.net
口調を変えても尻尾は出るものだね

710:神も仏も名無しさん
14/07/14 00:46:20.07 PjWOXCnY.net
まず該当箇所の原文をパーリ語で提示して下さい。

711:神も仏も名無しさん
14/07/14 03:08:39.91 YPSzm20D.net
動作を意識しようとすると、意識が動作に影響を与えてしまって、
動作がギコチなくなる。意識と動作が上手くかみ合わなくなる。

意識を後だしにして、動作を先行させる・・・ 先行した動作をただ意識する(起こったことをただ見つめる)
のが正しいような気がするけど、どうしても、意識が動作に影響を与えてしまうのは否めない。
茶道のように、やはり意識と動作が絡み合った状態が正しいのか・・、とも思える。
ここをちょっと探求する必要があるな。

712:神も仏も名無しさん
14/07/14 08:05:13.92 rOcPTQZ6.net
自分は、どうも思考というのは、動作が作り出したものじゃないかと思っています。
だから、体を観ることで、思考が落ちやすくなる用に思います。

どうも自由意思というものは、無いようで意識が生起するまえに、身体が
動き出しているという脳研究も出てきています。

713:神も仏も名無しさん
14/07/14 16:44:45.78 0e6g0x2a.net
>>686
>自分は、どうも思考というのは、動作が作り出したものじゃないかと思っています。
>だから、体を観ることで、思考が落ちやすくなる用に思います。

縁起。
瞑想で縁起を断つように、それ以上促進しないように、してるから、煩悩や思考とかが落ちてくる
のではないでしょうか?

714:神も仏も名無しさん
14/07/14 16:53:59.07 hUMSEvZ+.net
やっばり仏陀も言ってるように、自灯明、法灯明だろ
それ以外の他人に自分を投げ出して、それなりの安定感で自己満足して、凝り固まってるテーラーワーダやパオのやからに幸福なんてやってこないだろ、仏陀を利用した真実から、かけ離れた善意を利用した悟りを得たと言えない、凡夫に従っているだけだろ
お前らは、まずは時間がかかるが、自分でかんがえろよ

715:神も仏も名無しさん
14/07/14 18:08:50.40 6N0KMNyh.net
お前らはクソだと言うことが確定したな、なぜテーラワーダやパオが正統だと、仏典に則って正統だと言えないのか、結局言葉尻をごだごだ言ってそれらしく、自分のひよわな
自己を正当性しているだけだろ

716:神も仏も名無しさん
14/07/14 18:14:48.27 NfNgHTB4.net
まあ、2ちゃんのさ糞スレだもんな、結局マトモにぶつかっている真理に近ずようとする、まともなやつはいないか!

717:神も仏も名無しさん
14/07/14 20:59:51.81 7aIEpZiz.net
>>686
ナーマはルーパに依存し、ルーパはナーマに依存する、相互作用じゃないでしょうか

718:神も仏も名無しさん
14/07/14 21:01:34.97 PjWOXCnY.net
無色界にルーパはないよ。

719:神も仏も名無しさん
14/07/14 21:02:30.84 PjWOXCnY.net
部分包摂という考え方で、心をもっと広く捉えた方がよい。
瞑想がすすむと、身体との相互関係で生じる部分と、そうでない部分と
両方あるのが見えてくる。

720:神も仏も名無しさん
14/07/14 21:04:27.51


721: ID:PjWOXCnY.net



722:神も仏も名無しさん
14/07/14 21:07:14.20 7aIEpZiz.net
ダンマパダでも「心が諸法に先行する」ですしね
仏教に信を置いてる人はそれでいいけど、そうじゃない人にどう説明するかというと悩ましいですが

723:神も仏も名無しさん
14/07/14 21:11:45.13 PjWOXCnY.net
瞑想が八正道にまで達していない、普通の人の感覚では
身体との相互関係で生じる心は理解できるだろうが、
心との相互関係で生じる身体は理解できないだろう。
それは、唯物論的な前提から抜け出せていないから。

しかし、相互関係というからには、論理的に考えても後者が
抜け落ちるのは論理破綻なのだ。

724:神も仏も名無しさん
14/07/14 21:13:17.39 PjWOXCnY.net
瞑想が八正道にまで ×
瞑想がサマーディ(八正道でいう正定)にまで ○

725:神も仏も名無しさん
14/07/14 23:23:57.31 QuB1OOcv.net
まず物質である肉体があって、その肉体から心が発生しているという考え方。
特に脳から心が発生しているという考え方。

これも有身見のひとつであって、預流果の悟りに達するまではその謬見から
自由になることはできない。

悟りの智慧に達していない人が、謬見を持っているのは、ある意味当たり前。
従って、責め立てたり、論争したりする必要はない。

726:神も仏も名無しさん
14/07/15 01:15:08.80 e61ZMmio.net
身体の感覚から心が生じるように見えているのは、
「触→受→想」の部分を見ているからだろうね。

727:神も仏も名無しさん
14/07/15 04:58:17.30 tKL7zPDv.net
「解る」ことの全体、つまり究極の「解り」があると仮定して、悟りは「解り」
のうちのどの程度のことなの? 例えば0.0001%とか0.0000001%
とか、まさか100%ってことはないよね。 
 例えば1000兆分の1%程度の「解り」を問題としているとしてその単位を1Wと
すると、預流果ってのは4WでWWWWくらいなのだろうか? ってことで

W:IQが100の凡人
WW: ちょっと賢い三昧経験者
WWW: さらに賢い
WWWW: 預流果
というような、少なくとも分母(分からなさ)を意識した悟りの段階を
考えたら、分子の大きさっていうのは陽炎の揺らぎのようなもので
錯覚だとか誤差範囲だとかそのあたりの事象ではあるまいか?

728:神も仏も名無しさん
14/07/15 05:57:50.20 7Cewwy28.net
悟りは分かり(智慧)そのものじゃなくて、厭離の気持ちを確立すること


そこで、わたしに、正しい道理にかなった思いが起こった。
患いであるという念いが現れた。
世を厭う気持ちが定まった。
次いで、私の心が解脱した。

ナーガサマーラ長老
}『仏弟子の告白─テーラガータ─』(76ページ)中村元訳、岩波文庫

729:神も仏も名無しさん
14/07/15 06:01:04.75 xn2zhoV/.net
>697
想が無いことが悟りだという話もあるので
それで良いのではないかと思っています。
これがみえると、思いが出てくる瞬間があらかじめわかるので
それに気づきをぶつけると、思いが出てこれなくなる様です。
想いと気づきは共存できませんから、そうなっていませんか?

730:神も仏も名無しさん
14/07/15 10:43:48.91 r9BAn53E.net
>>700
悟りの階梯の説明としては四向四果、
煩悩の減り具合の目安としては十結という物差しはある。
(参考 >>534

観智の程度(ヴィパッサナーの進捗度)については、清浄道論に
名色分離智から行捨智までが説かれている。

また、如来の智慧を100%とすると、普通の阿羅漢の智慧は
そのうちの極一部に過ぎないらしい。

731:神も仏も名無しさん
14/07/15 17:52:16.32 qUhTEQwe.net
URLリンク(blog.goo.ne.jp)

732:神も仏も名無しさん
14/07/15 18:09:56.50 dtFOlmxmS
>>655
息入ること身にあまねくことを捨てる時、息入ること身にあまねくことを捨てることを知る
息出ずること身にあまねくことを捨てる時、息出ずること身にあまねくことを捨てることを知る

この意味がわかりません。

733:神も仏も名無しさん
14/07/15 18:05:16.47 7Cewwy28.net
>blog.goo.ne.jp/konsaruseijin

定期的にポストされてるみたいなので
とりあえずNG Wordに入れときますね

734:神も仏も名無しさん
14/07/15 19:12:56.86 qlgu2zbY.net
>>655
>息入ること身にあまねくことを捨てる時、息入ること身にあまねくことを捨てることを知る
息出ずること身にあまねくことを捨てる時、息出ずること身にあまねくことを捨てることを知る

この、あまねくことを「捨てる」というのが理解できません。
あまねくの意味は、「広くいきわたらせる」という意味だと思うんですが
それを捨てるというのはどういうことかわかりますか?

735:神も仏も名無しさん
14/07/15 19:20:07.32 7Cewwy28.net
>>655
>息入ること身にあまねく時、息入ること身にあまねくことを知る
>息出ずること身あまねく時、出ずること身にあまねくことを知る

>息入ること身にあまねくことを捨てる時、息入ること身にあまねくことを捨てることを知る
>息出ずること身にあまねくことを捨てる時、息出ずること身にあまねくことを捨てることを知る

これってもしかして南伝大蔵経?
こんなに訳がめちゃくちゃなのか・・・「身にあまねくことを知る」なんて日本語として成立してないし

736:神も仏も名無しさん
14/07/15 19:52:27.02 0RvjqQUt.net
あまねくと言うのは、微細な呼吸の息が全身の毛根から出入りすること
あまねくのを捨てると言うのは、その微細な呼吸の息が止まってしまうこと。

737:神も仏も名無しさん
14/07/15 20:26:13.94 r9BAn53E.net
長い息・短い息を見続ける

微細な息を観る

(出息と入息において)息の全体を間断なく観る
あまねく知ると訳されている部分は、呼吸の全体を観るということ(のはず。要確認。)

息のサンカーラ(息をしようとする意志。息の形成作用。行。)を鎮める

呼吸瞑想において、集中の度合いが増すに従い、呼吸もこういう風に
変わってくるから、やっていれば自然とこのステップを踏んでいくことになる。

738:神も仏も名無しさん
14/07/15 20:37:27.77 qlgu2zbY.net
>>709
>>710
わかりました。ありがとうございます。

739:神も仏も名無しさん
14/07/15 21:00:52.48 7Cewwy28.net
>>709
皮膚呼吸を観察するとかw

740:神も仏も名無しさん
14/07/16 03:49:24.60 5V64C3J2.net
 息じゃなくて、気功でいう気に近いものだろ。

741:神も仏も名無しさん
14/07/16 06:17:36.50 FfvkObwP.net
ティクナットハンの
「ブッダの〈呼吸〉の瞑想 」が出入息念経の全訳してて
「ブッダの〈気づき〉の瞑想 」が四念処経の訳が入ってるんじゃなかったっけ

742:神も仏も名無しさん
14/07/16 06:40:01.31 ZdWGuZeD.net
>気功でいう気に近いもの

経典を重視せよといってるのに、どこにも書かれていない「気」を観察するってどういうことなんだろう(?_?)
これって俺の読みたいように経典を読むってことでしょう

743:神も仏も名無しさん
14/07/16 17:22:15.83 ROFV8w4F.net
>>714
その本思わず買ってしまった。
ほかにも日本語訳探せばあるけど、
やっぱり瞑想熟練者の解説の方がいいかなと思って。

744:神も仏も名無しさん
14/07/16 18:51:22.35 ensKzB7y.net
>>715
仏教の呼吸法って言うのはヨガで言うプラーナヤーマ、調気法だから710の言ってることは外れてはないと思うよ。
経典に書いてある「息」とは単なる息ではなく「気息」のことであろう。
修行を長く積んで感覚が研ぎ澄まされていけばあなたの経典の理解も進むことだろう。

プラーナほぼイコール気ね

745:神も仏も名無しさん
14/07/16 19:00:20.49 ZdWGuZeD.net
>仏教の呼吸法って言うのはヨガで言うプラーナヤーマ、調気法

それって結局ヒンドゥー式に経典解釈してるだけですよね・・・

反論するのもめんどい

746:神も仏も名無しさん
14/07/16 19:14:07.13 ensKzB7y.net
>>718
ヨガはヒンドゥーだけのものじゃないよ。
仏教の修行もヨガ。釈迦もヨガの師に瞑想法習ったのだからね。

経典にかじりついてないで修行しなされ。

747:神も仏も名無しさん
14/07/16 19:22:37.01 ZdWGuZeD.net
>>719
瞑想文化は沙門宗教の伝統で、バラモン教は関係ないよ、バラモンはゾロアスター教と同じで祭祀宗教の伝統
当時ヒンドゥー教なかったし

748:神も仏も名無しさん
14/07/16 19:36:50.87 ensKzB7y.net
>>720
どこからバラモン教が?

沙門宗教はヨガで修行をしてた。瞑想文化って言うのはヨガのこと。
そして釈迦はヨガの師に付いて修行した。累計2人ね。

知識がどうの伝承がどうの言ってないで師について修行しなされ。

息は「気息」だよ。修行してプラーナ感じるところまで行けばそんなの一目瞭然。
まずは修行してそこまで辿り着いてまだ議論したかったら議論しな。

君の段階じゃ伝書がどう歴史がどうの言っててもしかたがない。

749:神も仏も名無しさん
14/07/16 19:57:07.59 6pOpZsN/.net
想いや記憶に伴う感覚を観察していたら、意識と感覚に力点・作用点を感じたよ。
そこを観察したら、今まで気がつかなかった深い意識層があって、
その深い意識層の中に想いを続けようと選択している意思があったのが分かった。
そのバックグラウンドも見えよ。
なんか脱力。
冷静に振り返って整理して区切りをつけたはずなのに癒えない傷だと思っていたんだよね。
でも、自分で想い続けることを選択していたことに気付いたよ。

750:神も仏も名無しさん
14/07/16 20:27:23.49 V4MlL7Jf.net
アーナーパーナサティは、プラーナーヤーマではありません。
サマタ瞑想です。

サマタ瞑想とは、つまり、つまり精神を集中することによって五蓋を止め、
禅支によってサマーディに入る瞑想法です。

751:神も仏も名無しさん
14/07/16 20:31:18.85 ZdWGuZeD.net
>>721
>そして釈迦はヨガの師に付いて修行した。累計2人ね。
彼らがプラーナについて語っていた証拠を出しましょうよ

>知識がどうの伝承がどうの言ってないで師について修行しなされ。
ヨガ系の師につく気はないので・・・

>息は「気息」だよ。修行してプラーナ感じるところまで行けばそんなの一目瞭然。
・・・そうですか
ちゃんとした師につかないとそういう妄想に執着する危険があるのかもね
体験というのは強力だから

>まずは修行してそこまで辿り着いてまだ議論したかったら議論しな。
すんまへん

752:神も仏も名無しさん
14/07/16 20:32:44.36 ZdWGuZeD.net
>>723
なんかヒンドゥー・ヨーガ系の人が「俺の実践してる瞑想法」をヴィパッサナースレで宣伝したがってるみたいですな
やれやれ

753:神も仏も名無しさん
14/07/16 20:44:58.00 V4MlL7Jf.net
プラーナーヤーマは調呼法、
呼吸を通してプラーナをコントロールする修行法です。

アナパナ・サティはサマタ瞑想、
呼吸を観察する瞑想法です。

アナパナは意図的に呼吸をコントロールしません。
単に呼吸の出入りを見つめているだけです。

754:神も仏も名無しさん
14/07/16 20:46:05.64 V4MlL7Jf.net
正誤訂正
× プラーナーヤーマは調呼法
○ プラーナーヤーマは調気法

755:神も仏も名無しさん
14/07/16 21:19:55.81 ensKzB7y.net
>>726
>>726
べつにプラーナーパーマーのこと話してる訳じゃないけど。

>サマタ瞑想とは、つまり、つまり精神を集中することによって五蓋を止め、
>禅支によってサマーディに入る瞑想法です。
これはまさにヨガ。

>アナパナ・サティはサマタ瞑想、
>呼吸を観察する瞑想法です。
これも特別なことなくヨガ。

>アナパナは意図的に呼吸をコントロールしません。
>単に呼吸の出入りを見つめているだけです。
呼吸は長くとか鎮めてるだろ。
これは「気息」というもの。

プラーナ、気、気息の話をした。

聞く耳持たない人間に何言っても無駄だね。
「気息」の意味がわからないようじゃサマディーなんてほど遠いよ。

あなたが言ってるサマディーもヨガの用語。

756:神も仏も名無しさん
14/07/16 21:26:11.74 ZdWGuZeD.net
>>728
>呼吸は長くとか鎮めてるだろ。
静めませんよw 自然な呼吸を観察して、長かったら、長く呼吸している、と観察するだけです
あなたが1回もまともなヴィパッサナーの講習に参加したことがなく、(おそらく本すら読んだこともない)証拠ですね

>あなたが言ってるサマディーもヨガの用語。
なんでも起源を主張したがるのはヒンドゥー教の悪いクセですな

757:神も仏も名無しさん
14/07/16 21:27:19.09 ensKzB7y.net
>>724
>彼らがプラーナについて語っていた証拠を出しましょうよ
釈迦がヨガの師に付いていたこれだけで十分でしょう。

>ヨガ系の師につく気はないので・・・
上座部仏教の師に付けばいいでしょう。

>・・・そうですか
>ちゃんとした師につかないとそういう妄想に執着する危険があるのかもね
>体験というのは強力だから
妄想でも何でもなく四禅(三昧)に入る最低条件でしょうね。
一時的な体験じゃなくてプラーナは常に感じるようになるのが普通。

758:神も仏も名無しさん
14/07/16 21:35:40.63 ZdWGuZeD.net
>>730
>釈迦がヨガの師に付いていたこれだけで十分でしょう。
アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタが現今のヨガと同じ修行法を指導していた証拠はどこに?

>上座部仏教の師に付けばいいでしょう。
調息は教えられたことがありませんね

>妄想でも何でもなく四禅(三昧)に入る最低条件でしょうね。
「プラーナ感じる」なんて原始仏典には書いてないですから

759:神も仏も名無しさん
14/07/16 21:58:09.39 ensKzB7y.net
>>731
>アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタが現今のヨガと同じ修行法を指導していた証拠はどこに?
ヨガの伝統として伝わっているものです。

>>上座部仏教の師に付けばいいでしょう。
>調息は教えられたことがありませんね
息を長くとかゆっくりとか鎮めるとか観察するとか習うでしょ???
まあ私は別に調息について習えと行ってるわけではありません。
「瞑想」を師についてきちんとやってれば「気・プラーナ」はは感じるようになるはずですよ。と言ったのです。
もういちど書きますが「瞑想」の修行について言ったのです。

>>妄想でも何でもなく四禅(三昧)に入る最低条件でしょうね。
>「プラーナ感じる」なんて原始仏典には書いてないですから
息の表現に含まれてるんでしょうね。この世界では息と言えば気息ですから。


>息入ること身にあまねく時、息入ること身にあまねくことを知る
>息出ずること身あまねく時、出ずること身にあまねくことを知る

>息入ること身にあまねくことを捨てる時、息入ること身にあまねくことを捨てることを知る
>息出ずること身にあまねくことを捨てる時、息出ずること身にあまねくことを捨てることを知る

これが判るようになればわかるでしょう。修行してプラーナが判るようになるしかないですね。

760:神も仏も名無しさん
14/07/16 22:17:25.42 F15F9tIv.net
とりあえずもちつけ
ヨガでも、瞑想とプラーナーヤーマやムドラーとの区別はするでしょw

761:神も仏も名無しさん
14/07/16 22:19:14.98 jFr6f17D.net
URLリンク(blog.goo.ne.jp)

762:神も仏も名無しさん
14/07/16 22:20:47.29 ZdWGuZeD.net
>>732
>ヨガの伝統として伝わっているものです。
循環論法ですね

>息を長くとかゆっくりとか鎮めるとか観察するとか習うでしょ???
だから習わないって
呼吸を操作しないで自然な呼吸を観察するように習うんですって
なんで知りもしないのにヴィパッサナースレに来て語りたがるかなー

>息の表現に含まれてるんでしょうね。この世界では息と言えば気息ですから。
書いてないことをヒンドゥー文脈で読み取れと
それって要するに俺解釈ですよ

763:神も仏も名無しさん
14/07/16 22:50:44.56 ensKzB7y.net
>>735
>循環論法ですね
もともとこの世界は口伝だからね。文献以外否定、文献完全主義は馬鹿らしい。
釈迦は2人の師に付いて、非想非非想処定の高いサマディーまで行ってるけど
特にその修行内容について文献すら残ってないからね。
そして釈迦の前に仏陀は結構いたけどその内容も文献にはない。
ヨーガ八支則がヨーガの伝統と理解するしかない。


>息入ること長き時、息入ること長きを知る
>息出ずること長き時、息出ずること長きを知る

>息入ること短かい時、息入ること短かきことを知る
>息出ずること短かい時、息出ずること短かきことを知る

>息入ること身にあまねく時、息入ること身にあまねくことを知る
>息出ずること身あまねく時、出ずること身にあまねくことを知る

>息入ること身にあまねくことを捨てる時、息入ること身にあまねくことを捨てることを知る
>息出ずること身にあまねくことを捨てる時、息出ずること身にあまねくことを捨てることを知る

あなたの好きな文献でも長く短く言ってるけど。
下の4行で気息であることも推測できる。
サンスクリット語の息が「気息」だから息はみんな「気息」

ヨーガはヒンドゥーの文脈じゃないよ。最初に言ったけど仏教の修行もヨーガ。
非想非非想処定などサマディー全てもヨーガから来たものなのはあなたが好きな文献でも明白。

764:神も仏も名無しさん
14/07/16 23:01:28.82 ensKzB7y.net
色々口論になるのはメンドクサイから結論だけ書いておくと。

師に付いてしっかり修行して「プラーナ・気」がわかるレベルにならなきゃお話にならない。
わからなきゃそれ以上の所には行かない。

もちろんサマディーなんて夢のまた夢。


そんなのが文献だの歴史だの言っててもしょうがない。

765:神も仏も名無しさん
14/07/16 23:05:58.42 ZdWGuZeD.net
>>736
>ヨーガ八支則がヨーガの伝統と理解するしかない。
アシュターンガ・ヨーガはまさにヒンドゥー教じゃないですか

>あなたの好きな文献でも長く短く言ってるけど。
「息入ること短かき時」とは書いてても「息入ること短かくせよ」とは書いてないでしょ
これは自然な呼吸のままに観察するからそういう表現になるわけで、呼吸を長くしたり短くしたりしろとは到底読めないですよ
「ある時には息入ること短かくし、ある時には息入ること長くせよ」とでも書いてあるなら、まだ分かる

>下の4行で気息であることも推測できる
いや全然推測できませんけど?

>最初に言ったけど仏教の修行もヨーガ。
あれもヨーガこれもヨーガっていうのがヒンドゥー教の悪いところですね

766:神も仏も名無しさん
14/07/16 23:07:16.33 ZdWGuZeD.net
>>737
結局あなたは「プラーナ・気」の行法を宣伝しに来ただけなんでしょ?
なら最初からスレ違いですよ

767:神も仏も名無しさん
14/07/16 23:40:22.27 ensKzB7y.net
>「息入ること短かき時」とは書いてても「息入ること短かくせよ」とは書いてないでしょ
こういう理解してるからまったく上達しないんだよ。
長くしなくて良い、短くしなくて良いならいちいち長く短く書かない。
文献主義者がまったく成長しない理由だね。

>いや全然推測できませんけど?
身にあまねく~ が気息と理解できないならもうどうしようもないね。プラーナ前提で言ってるのがわからにゃどうしようもないね。


プラーナが判るレベルになればいままで自分たちのやってたことは瞑想じゃなかったってわかるよ。

上座部仏教の僧侶が瞑想中腕を動かして手で空中の何かをつまむような動作をしきりにするけど
あれはプラーナの動きに合わせてやってること。

文献馬鹿は救いようがないな。

768:神も仏も名無しさん
14/07/16 23:49:17.58 ensKzB7y.net
>>738
あと八支則はヨガの伝統であってヒンドゥーの伝統じゃないよ。
仏教をヒンドゥーにしようとなんてしてないよ。

あくまで仏教の修行法はヨガと言ってるだけ。

哲学の部分には触れてないから。

769:神も仏も名無しさん
14/07/17 00:32:53.53 li3ki0Mb.net
ヨガ教室の先生が宣伝に来た図?

仏教スレってヨガ馬鹿が定期的に湧くけど
同一人物かね?

こんな匿名掲示板で宣伝しても誰も来ない
だろうに

770:神も仏も名無しさん
14/07/17 05:22:29.55 h7LSPT3K.net
>>740
>長くしなくて良い、短くしなくて良いならいちいち長く短く書かない。
それが書くんだな~
原始経典はいちいち瑣末な事がらを列挙するし、繰り返しも多い

だから本当に呼吸をコントロールするよういうなら、

>あるいは息入ること長くし、息入ること長きと知るべし
>あるいは息出ずること長くし、息出ずること長きと知るべし

>あるいは息入ること短かくし、息入ること短かきと知るべし
>あるいは息出ずること短かくし、息出ずること短かきと知るべし

>あるいは息入ること身にあまねくし、息入ること身にあまねくと知るべし
>あるいは息出ずること身あまねくし、出ずること身にあまねくと知るべし

>あるいは息入ること身にあまねくことを捨て、息入ること身にあまねくことを捨てると知るべし
>あるいは息出ずること身にあまねくことを捨て、息出ずること身にあまねくことを捨てると知るべし

とでもなっているのが普通

771:神も仏も名無しさん
14/07/17 05:29:25.27 4xNmK5pw.net
>プラーナが判るレベルになればいままで自分たちのやってたことは瞑想じゃなかったってわかるよ。

なるほど、呼吸って言葉にとらわれすぎてたな。

772:神も仏も名無しさん
14/07/17 05:41:11.04 h7LSPT3K.net
>>741
>あくまで仏教の修行法はヨガと言ってるだけ。
ほらね?こういう風に、
お前のやってる○○は俺達の××のことなんだよ!と起源を主張することで
実質的に「仏教をヒンドゥーに」取り込もうとしてるんですけどねー

773:神も仏も名無しさん
14/07/17 09:30:26.06 4xNmK5pw.net
仏教にもチャクラって概念はあるの?

774:神も仏も名無しさん
14/07/17 10:41:45.01 li3ki0Mb.net
>>746
後期密教・チベット密教だけだね

775:神も仏も名無しさん
14/07/17 13:18:24.36 JSlEvrfe.net
>>746
仏教のやり方って、身体のことをあまり気にしないでダイレクトに瞑想を深めていくでしょ。
身体のことはあまり気にしない。
直接心、を修していく。

チャクラも同様。
チャクラのことはあまり気にしない。
直接、心を修していく。

776:神も仏も名無しさん
14/07/17 13:25:53.49 h7LSPT3K.net
>>748
>仏教のやり方って、身体のことをあまり気にしないでダイレクトに瞑想を深めていくでしょ。
四念処は身念住から始まるんだけど
チャクラを気にしないんじゃなくて、チャクラなんて概念はない

777:神も仏も名無しさん
14/07/17 13:43:10.45 JSlEvrfe.net
そういう言い方すると喧嘩になるよ。

778:神も仏も名無しさん
14/07/17 13:53:49.33 JSlEvrfe.net
マハシの場合、(マハシでいうところの)ヴィパッサナーの初期の段階では
身体の痛みや痒みを、痛み痛み、痒み痒みとラベリングしてから膨らみ縮みに戻る。
禅定に入れても入れなくても、その時入れるベストの集中の度合いまで集中すればいい。
できる範囲の集中力で観察すればいいから、在家でもできる。

パオの場合、ヴィパッサナーの前にサマタで禅定に入るから
身体の感覚も思考も全部無視して止めてしまう。
それから身受心法の生滅をパラマッタ(ナーマとルーパ)のレベルで観ていく。

779:神も仏も名無しさん
14/07/17 14:02:22.13 JSlEvrfe.net
ナーマとルーパというのは、要するに物理現象と精神現象の究極的、本質的な姿。
だから、禅定に入ってそれからヴィパッサナーをしていくようになれば、
チャクラやプラーナと呼ばれる概念や現象があったとして(あるいは無かったとしても)
それの本性も見えるわけだから、気にせず瞑想を進めていけばいい。
どうせ同じことになる。

780:神も仏も名無しさん
14/07/17 16:12:12.25 k4OnhLBA.net
ゴエンカさんのところは、アナパナを3日くらい徹底的にやったあと、
そのあとは身体の感覚を観察するやり方だよ。
感覚は心とも結び付いているといスタンス。

パオの比久の方の法話を読んだけど、身体にも意識を向けていたよ。
歩く瞑想は動きの観察だけでなくて感覚も重んじているよね。
心身の親和は大事だと思うよ。

781:神も仏も名無しさん
14/07/17 17:15:26.59 7DKb8gqE.net
ルーパ(色:身体現象)
ナーマ(名:精神現象)

一つの現象と思っていたものが、実は名色に分離する
ことがわかると名色分離智となる

782:神も仏も名無しさん
14/07/17 17:18:37.14 li3ki0Mb.net
パオは説明も分かりやすくていいね

783:神も仏も名無しさん
14/07/17 17:40:39.15 k4OnhLBA.net
書き込んだ後、後半の書き込みはしない方が良かったなと思いました。
精神的現象の感覚と、身体の動きや接触に伴う感覚は分けるべきだったなと。

784:神も仏も名無しさん
14/07/17 20:24:48.53 JSlEvrfe.net
マハシ系の人たちの中には、サマディに入る瞑想を迷信か邪道だと誤解して
おられる方も居るようだけど、マハシでも一来果以上の道果に達しようとしたら
どのみちサマディに入る段階を経ないと、前に進めないんだよね。

スマさんのところで教えている慈悲の瞑想で、「悟りの光があらわれますように」
ってやるでしょ。
あと、マハシのヴィパッサナーで悟りに至る瞬間を説明している箇所で、一瞬だけ
悟りの瞬間が訪れるとか、そういう描写がある。
これは瞬間定(カニカ・サマーディ)で観察対象の三相を看破して、道心(マッガ・
チッタ)から果心(?パラ・チッタ)が生じる瞬間=悟りに至る瞬間を説明している
ものと思われる。
(アビダンマ、もしくはアビダンマッタサンガハを参照のこと)

また、名色の生滅が、1秒間のあいだに数え切れない程繰り返されていることに
も言及している。
カニカ・サマディから行うヴィパッサナーでは、理屈でなく、実際にそれを観る。

パオでもマハシでも、大念住経に基づいて修行していることに、変わりはない。

785:神も仏も名無しさん
14/07/17 20:29:10.05 JSlEvrfe.net
ただし、預流果に達した人の心は、すでに三結(有身見、疑、戒禁取)が消え
五蓋も弱まっているから、普通の人と比べてサマディに入るのは比較的容易になっているはず。

786:神も仏も名無しさん
14/07/17 21:52:34.45 h7LSPT3K.net
>>757
パオってアビダンマサンガハじゃ全然ダメっていうけど具体的に何読んでるの?
アッタサーリニーとかサンモーハヴィノーダニーとか?

787:神も仏も名無しさん
14/07/18 00:28:32.53 isJWvaUo.net
>>759
アビダンマピタカをパッターナまで。
でも、パーリ経典を直接読んでる人は、比丘でもごく一部だと思うよ。
ほとんどの人は、そういう比丘から要点だけ教えて貰って修行してるのが実情。

788:神も仏も名無しさん
14/07/18 04:37:38.45 PwXBuTmV.net
>>760
ありがとう
比丘自身がアビダンマッタサンガハみたいなものなのかな 凄まじいな

でもアビダンマを全部読むとなると、その人自身はパティパッティがやりにくそうだね

789:神も仏も名無しさん
14/07/19 13:30:09.84 6CEu1goY.net
紀元前500年ごろに、ブッダはヨガの瞑想法、アナパナサティ・ヨグを実習した
と記録されているので、そのことにはヨガの技法が広く修行者たちによって実習
されていたことがわかります。
また紀元前350年から300年頃に成立したとされる「カタ・ウパニシャッド」には、
「感官の確かな制御がヨガである」というヨガの定義が始めて出現します。

ヴィパッサナー(vipassana)とはサンスクリット語で、ものごとを・あるがままに・観照
する・という意味ですが、通常、ヴィパッサナー瞑想というときには、呼吸の出入りに
意識をおいて、同時に周囲で起こっているあらゆる出来事に気づいている、というひ
とつの瞑想法をさしています。
もともとはアナパナ・サティ・ヨグというヨガの呼吸瞑想法でしたが、ブッダ自身が修行
中からおこなっていた瞑想法でもあり、後にブッダがたびたび雨期の定住地でこの瞑
想法についての講義をおこない、パーリー語の経典には、こ


790:の技法にたいするくわし いブッダ自身の講義(経典)が残されています。



791:神も仏も名無しさん
14/07/19 14:16:54.32 Fbvu1P/n.net
歴史捏造のヨガキチガイは巣に帰れ

792:神も仏も名無しさん
14/07/19 17:23:25.74 kAkAsPEN.net
>ヴィパッサナー(vipassana)とはサンスクリット語で

>パーリー語

793:神も仏も名無しさん
14/07/19 21:02:16.84 WAOmISv9.net
野球がスポーツの一支であるようにそのように、
仏教の禅定(手法)も、ヨーガの一支だと思うよ。

ただそれだけのことでしょ。
何が問題なのかしらんw

野球をスポーツではない、と言えないようにそのように、
仏教の禅定をヨーガではない、と言えないのさ。      >>763

794:神も仏も名無しさん
14/07/19 21:41:30.81 6CEu1goY.net
うんうん

795:神も仏も名無しさん
14/07/19 22:39:38.86 WAOmISv9.net
>>766
けど、Sktでは vipazyanA ヴィパシュヤナー だけどな。

796:神も仏も名無しさん
14/07/19 23:13:50.93 Ud58io43.net
仏教には、その他の宗教とは一線を画する特筆すべき特徴がある。
それが四諦と三宝印である。
この故に仏教は、仏教という独立したひとつの宗教とされているのだと思う。

797:神も仏も名無しさん
14/07/19 23:19:52.33 Ud58io43.net
無常、無我の教えである仏教では、サマディを真我との合一とは考えていない。
サマディも無常であることを知っているし、たとえ無色界の梵天であっても輪廻
の境涯であることに変わりはない。

真我との合一を目指す宗教と、涅槃を目指す仏教とでは、やはり根本思想が違う。

798:神も仏も名無しさん
14/07/19 23:23:02.73 Ud58io43.net
仏教を、ヨガの体系の中に(あるいは下位に)位置づけようとする論調には
ひとつの前提的な認識がある。
それは、ヨガの最終到達点と、仏教の最終到達点が同じであるという認識である。

つまり、真我=涅槃という考えがある。

799:神も仏も名無しさん
14/07/19 23:27:54.55 Ud58io43.net
ヨガでいう真我との合一 = 仏教でいう涅槃 だろうか。

この命題の真偽を問うことで、仏教とその他多くのインド宗教との違いが
浮き彫りになるだろう。

実際の検証自体は、修行者各自がやればよい。
過去、2500年間ずっと繰り返されてきた自問自答であろうし、人類が
存続する限り、この議題がなくなることもない。
ずっと繰り返されていくだろう。

800:神も仏も名無しさん
14/07/19 23:49:35.49 6CEu1goY.net
そんなことは当たりまえとして知ってるが思想面の話はしてないんだよ。
仏教の修行はヨガから来たものであり、仏教の修行はヨガ。
思想面は少し違うが仏教はヨガの一支。

その上で
>つまり、真我=涅槃という考えがある。
>ヨガでいう真我との合一 = 仏教でいう涅槃 だろうか。
これは真。
しかし仏教からレベルの高い成就者が出てこないのは何故なのかと思う。
(神をあざ笑ってるからか?)

>たとえ無色界の梵天であっても輪廻
>の境涯であることに変わりはない。
これは仏教者が陥りがちなんだけど仏教が言ってる梵天と他の宗教がいってる神は異なるものなんだよ。
神とは輪廻の外にいる根本仏のこと。ここを誤解してるといっこうに話が進まない。

そんでジャイナ教の言うように涅槃に至った魂も神(宇宙)の中で個我を持ち続けるってのが正解。

801:神も仏も名無しさん
14/07/19 23:51:45.96 6CEu1goY.net
仏教は涅槃に至った後はオラシラネ
ってスタンスなだけ。

802:神も仏も名無しさん
14/07/20 00:04:52.18 bjk1CkcP.net
>しかし仏教からレベルの高い成就者が出てこないのは何故なのかと思う。
それは一切を捨てているからだな
ゆえに「成就者」などという、得る境地には至らない。死に掛けた老人の様に一切を厭離して捨て去るだけ
それがヒンドゥー教徒の目には劣った卑しい境地と見えるのだろう

803:神も仏も名無しさん
14/07/20 00:07:38.70 phoMEQcT.net
始まりがなく、終わりがなく、生じることがなく、滅することがない。
あるとか、ないとか言えない。
語れない。

直接語られることはなく、
ただ苦しみの滅尽とのみ言われる。

804:神も仏も名無しさん
14/07/20 00:09:08.07 bjk1CkcP.net
>>765
>仏教の禅定をヨーガではない、と言えないのさ。
まあサマーディの瞑想をヨーガと総称するならそういえるが、仏教の瞑想はサマーディの助けを得て
諸現象を如実に観察する慧、観(ヴィパシュヤナー)にあるわけ
それは無常・苦・無我。
この三相はヒンドゥー教徒には受け入れがたい真実であり、苦痛で、直視できないもの
ゆえに仏教徒の視点から見るとヒンドゥー教徒に智慧はないし、解脱もない

805:神も仏も名無しさん
14/07/20 00:20:57.67 bjk1CkcP.net
>>772
>そんでジャイナ教の言うように涅槃に至った魂も神(宇宙)の中で個我を持ち続けるってのが正解。
ジャイナ教ではそうなんだ
でも仏教で個を形成するものは五蘊の他には何もない
完全な涅槃に入ると五蘊を全て捨て去ってしまうので、魂も何も残らないのよね

806:神も仏も名無しさん
14/07/20 00:21:24.09 phoMEQcT.net
サマディに入ったら、もうその時点で個我は消えちゃうよね。
個我を保ったままサマディに入れないでしょ。
(瞑想から出て、肉体に意識が戻ってきたら、また個我が働き始めるけど)

ヨガには、そういう瞑想状態があるの?
まぁ、別にいいけど。

807:神も仏も名無しさん
14/07/20 00:24:12.16 phoMEQcT.net
サマディに入ったら、意識が繋がってるのが体験的にわかるでしょ。
というか、意識の端っこが各々の肉体に入って、各々が別の生き物だと思ってる状態が
普通の生存状態なんだろうけど、深い処は繋がってて別個じゃないよね。
それはヒンドゥー教のヨギがよく語ることでもあるよね。

808:神も仏も名無しさん
14/07/20 00:25:36.78 phoMEQcT.net
アーサナとプラーナーヤーマは瞑想の準備段階でしょ。
準備はそこそこでいいから、はやいとこ瞑想やってサマディに入った方がいいと思うよ。
仏教はダイレクトに行くから、その辺は早いんだよ。

809:神も仏も名無しさん
14/07/20 00:34:44.85 gcvYQGhK.net
>>777
>でも仏教で個を形成するものは五蘊の他には何もない
思想はね。
そして肉体を持ってるうちはそう感じるのが限界なのかもしれない。

しかし、宇宙的視点(神)からみれば無余涅槃になったとしても個我は残ってる。
これは仏教で悟ろうが、ジャイナ教で悟ろうが、アドヴァイタで悟ろうがヨガで悟ろうが同じ。

(並み外れた優れた神通もってるような巫女はいまでも釈迦の個我と通じたり出来たりする。)

でも仏教者なら
>完全な涅槃に入ると五蘊を全て捨て去ってしまうので、魂も何も残らないのよね
こう思い込んでてもいいよ。

しかし真実はジャイナ教が述べている通り。

810:神も仏も名無しさん
14/07/20 00:44:31.01 phoMEQcT.net
>>781
それで、ヴィパッサナー瞑想法はマハシでやられているんですか?
あるいはゴエンカさん、地橋さん、パオさん、どこのヴィパッサナーを修習しておられるのでしょうか。

811:神も仏も名無しさん
14/07/20 00:57:42.85 gcvYQGhK.net
>>778
>サマディに入ったら、もうその時点で個我は消えちゃうよね。
778に書いたけど無我ってのは肉体を持ってる普通の人間が感じられる限界なんだと思う。

ヨガは瞑想に入って無くてもサマディー状態ってのが瞑想のサマディーのさらに上にある。
でも仏教もヨガも境地は同じものだよ。解釈が違うだけ。
(釈迦は瞑想は入って無くてもサマディー状態になってたんだと思う、釈迦以来この境地に入った仏教者はいなさそうだけど。)

>>780
>>アーサナとプラーナーヤーマは瞑想の準備段階でしょ。
準備段階と言うより瞑想と平行してやる。
瞑想だけやるよりよっぽど早いペースで進む。あっという間に深い瞑想に入る所作手法なども・・・
全部やった方が断然いいことは確か。
私は上座部仏教の瞑想も使うよ。思想も使う。
とにかく一番早い方法でやってる。
経典の枝葉末節をゴジャゴジャ言うよりとにかく悟りに至らなきゃ意味ないからね。

812:神も仏も名無しさん
14/07/20 01:16:41.49 phoMEQcT.net
上座部の瞑想は、どの系統でやられていますか。

仏教修行者の場合、サマディ(精神集中)の練習の次に
ヴィパッサナー(観察)をやるんですよね。
そこが特にヨガと違うところだと思います。

813:神も仏も名無しさん
14/07/20 01:17:32.18 phoMEQcT.net
おっと失礼。
それもヨガの一支なのかな。
だったらごめんなさいね。

814:神も仏も名無しさん
14/07/20 05:27:33.55 bjk1CkcP.net
>>783
>でも仏教もヨガも境地は同じものだよ。解釈が違うだけ。
そりゃサマーディの段階に限ればね(^^;)

ヴィパッサナーをやらなきゃ無意味なのに、どこのメソッドでヴィパッサナーやってるかは答えないのか(笑)
まあヒンドゥー・ヨーガを宣伝に来ただけだから当たり前だけど

>私は上座部仏教の瞑想も使うよ。思想も使う。
それを貴方はサマーディを得るための方便だと思ってるから話が噛み合わないのかもね

815:神も仏も名無しさん
14/07/20 08:45:49.47 gcvYQGhK.net
>>784
>>786
やり方がヨガと違っても到達できる境地は一緒ですよ。慧解脱。
ヴィパッサナーやるから偉いとか到達できる境地が違うとかはありません。
自分たちは特別だから偉いとか、自分たちのやり方は特別だから偉いとか
思ってしまうのは上座部仏教の悪い癖です。

違いはそこに至るまでの早さです。仏教が後期密教まで進化したのは早さが理由です。
現在では(ある系統の)ヨガの方法を使うのが一番早いでしょう。


ヴィパッサナー瞑想で到達できる境地も他の仏教、ヨガ、ジャイナ教で到達できる境地も一緒です。
ヨガでは無種子三昧に到達すれば慧解脱となります。

無種子三昧=慧解脱 何の違いもありません。サマディーという呼び名だから下とかそういうのは無いのです。
仏教者のたちの悪い思い込みです。

悟りとは思い込みやこだわりを捨て無分別になる方向なのに上座部の人達は何故か逆方向に行きがちです。
不思議。


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