14/05/21 22:02:54.37 6OGh45vG.net
>>391 >>392
>295 >298 >299
上記では、「スマ師は思考は敵だ」といってるとのことだが、それには同意するのか?
>微妙な隙間で思考が生じるでしょうね
で、君はマントラは何のために唱えるといいたいのだ?微妙な思考とは、言語をつかった思考か?
隙間を作らないように唱えることは可能だ。唱えることに集中し隙間を作らないようにするという前提は認めないのか?
>それは無理ですけど、マントラに実感がありますか?
実感はないよ。でもとりあえず、慣れたマントラを単純に唱えればいいし、そういう利点もある。少なくとも言語を使った思考は不可能になる。
私の場合でいえば、マントラを唱えるときもあるし、ラベリングするときもあるしヤントラを見ることもある。ヤントラとマントラを併用するときもある。
>瞑想中は感覚器官に触れるものや心に浮かんでくるものはなんでも観察しますから、そういう疑問は理解できませんね
六根を精密に観察したいのなら、ラベリングは邪魔にもなるわけだ。微妙なものは言葉で表現できないし、次々と移り変わる感覚などをすべてラベリング
するのも無理だし、じゃあなんでラベリングするのか?ということ。あるがままに観察するならラベリングはいらない。
>ラベリングは、思考を含む六根の対象をあるがままに観察するためじゃないんですか(←これは自分の見解)
言語をつかわずに思考できるのか?という議論はあるのだが、例えば、パズルやルービックキューブをやるときの判断は左脳を使った言語での思考ではない。
あるがままに観察(観る)といことは言語を使った思考でするのではないよな。
スマ師はラベリングにより思考を観察るとはいってない。スマ師は、「(経典により)心の動きは光の100倍早い」という人だから、心や思考の動きをラベリングしながら観察
しろなどとは、言わないはず。