14/08/30 08:00:41.89 lCsbkfR6.net
>盲私は夢中で寂しいスレが無くならない様に微力でも出鱈目でも端書きつづけた?
帰る場所があるのはうれしいこと。でも続けらる苦労がしのばれます…。
785:素人A
14/08/31 05:59:52.39 6+zUDOvS.net
夢中説夢 諸々の仏祖が世にお出ましになる道は.世の兆しのおこる以前のことであるから.文字にとらわれている。学者のい
う議論ではない。それゆえに.仏祖においても仏自身を越えていく力が出るのである。仏祖は時間とはかかわりがないから.
それゆえその寿命も長い短いということは関係が無い。われわれの分別・想像をはるかに超えているのである。法輪が転ずると
いう事もまた.よの兆しの起こるさだめである。それゆえに説法のいさおが大きすぎて恩賞の施しようのないというのが.千古
にかかわらぬ標準である。悟りのなかにいながらなお悟りを現していくのであるから.それが夢の中で夢を説くという事である。
この夢中説夢の処.これが仏祖の国土である。また仏祖の会座である。仏の国土.あるいは仏の会座は「悟りの上でなお悟り」.
「夢の中でなお夢を説く」のである。それを仏の会座ではないと思ってはならない。これこそ仏が法輪を転ぜられる事である。
この法輪は.十方・八面に転がってあますところが無いから.大海も須弥山も悉く成就し実現している。?
何故か今朝の夢私は夢の中で死んだ人は如何しているのかと人に聞かれ化けの皮を剥がして真でいると答えていたが煩悩が
無くなるのは少し不味いと思いながら夢が死んで目覚めるそれは不味い死私は悩好き鴨
コトシノナツハサエナカツタアキルマデアソンデキナサイモマアヨイカ
786:素人A
14/09/01 07:46:41.73 dnpYpwgr.net
寝て半分起きて半分ネタに詰まったときは涅槃は寝た適当に語呂合わせの目もメモで行くしかない。
ネタ後いや寝た後起きてから皆安心させるため?いや自分が安心するためか?あのようなこのような輪廻転生と夢のおきてに
ついて考察した。夢見ている時は夢中で起きている世界の事は覚えてないし、昨日の夢と今朝の夢も繋がりがないし第一記憶
が繋がらない?でも起きている時は昨日は記憶でつながつている。毎日の寝たも世界の記憶でつながって行く。これと輪廻転
生何が関係するのか輪空内で?もしかしたら私が今起きているのも夢の中の如し鴨と思った。つまり起きての掟も夢の中の如
しでおきて寝てと生きてこのようと死んであの世うと何か似ている鴨とおもう。はつきり輪空内けど誰か起き起きの人が何で
こんな簡単な事解ら無いのかとそつと説明しているのかも?毎朝ネタをサボって適当に書くときほど自分は凄いとびつくり
其れは私の力では無く誰かに書かされている野鴨ネタ
787:素人A
14/09/01 10:11:59.33 dnpYpwgr.net
大昔孝子師匠が真実は一つ蛇内と色々あるのだとラジオで言っていたけど今頃色即是空画真実なら空即是色も真実何だと
言ったのか?今頃解った。ぽつ師匠に色即是空は食う速食に返せと前教わった師。論さんには外の人の文引用したら
その著者の名前を書き添えればぱくりには成らないと教わった師。小保方さんはそれを怠った空不味い事になつたのか?
鬼和尚さんに教わったことはうんそう屋だった師。大王さんの真面目な骨骨の王何ーも教わった師。一は位置と異ならず
まあ異論な立場で夢が身得る師。私はここ居るぶら不満も此処に居るでまあ色々な正解で夢世界画ある野鴨
私はここにいる 岡村孝子 URLリンク(www.youtube.com)
生きていたくない 悲しい時にも あきれてしまうほど 笑って見せてる私を 許せないほど 憎んで 会えない時にも過
ごせるようにと 始めた夢なのに 二度とは会わずに こうして 強くなってゆくのネ 笑って手を振る私を無理にとめて
ほしかった あなたがいなけりゃ 愛はもう 歌えない いつでも 私の心に あなたがいる
楽しく話せる仲間もできたし 夢に近づいても 切ない位に孤独よ 自分を見つけられずに 全てを敵にしてでも あなたが
いれば良かった あなたがいなけりゃ 愛はもう さがせない いまでも 私の心に あなたがいる
あなたが いたって 愛はもう 歌わない あなたが いなくても 私は ここにいるわ
788:神も仏も名無しさん
14/09/02 07:12:59.09 u8w8rVac.net
今日の天気は曇っているけどまあ良いかで、我々衆生にはさあとつてもいい天気では無いけど、百聞は一見にしかずかと
読書百遍意自ずから通るというから、芯知なくても信じれば盲少しで安心があるのか?自我を捨てなさいとか難しいけど
画絵事言う人に付いていこう?でキャンベルさん第五章英雄と冒険 さらに我々は独力で冒険を挑む必要さえない。あら
ゆる現代の英雄たちが先に進んでくれたからだ。もはや迷路の出口はすべて明らかにされている、我々はただ英雄が開いた
が開いた小道をたどりさえすればいい。そうすれば、かつては恐るべき怪物に出会に会うと思っていた所で神に出会うだろ
う。そして他人を殺すべきと思っていたところで自我を殺すだろう。まだだ遠くまで旅を続けなければならないと思って
いたところで我々の存在の中心に到達するだろう。そして孤独だと思い込んでいたのに、実は全世界が自分と共にあること
をしるだろう。 でも今の日本は世界で無く国や社会がすべてで宗教など信仰されていていないし利益にならないもの
は認められない死後の世界も迷神とされる?でも馬鹿ばかし新興宗教やカルトの人たちはかりがニュースで話題になる?
789:素人A
14/09/03 06:07:41.28 1/k20CGN.net
世界の意味とは?時間空間の意味とは? 世界とは世界全体全時間を通して眺められる人がいたら?満足な世界なのか?
満足してもその中で苦しい役をしている我々衆生の事を少しは考えているのか?眺める人が優しい人でもドラマだからと
割り切って劇の中では現実はなく苦しい役に化かされて苦しんでいるだけ?でも化けているのは全体を観ている視聴者だとし
たら?今我々は苦しいのだよ何とかせよ?何とかするとドラマの筋描きは支離滅裂になるし時間空間の法則を守れないしそう
思っても如何にも出来ない。ぶら不満化。損な世界の夢など観ないほうが良いとお釈迦様は叱ったのか?でも世界画ないと
淋しい無の世界だけある死?そんなのが永遠に続くのは絶えられるのか?楽しい世界だけの天国世界では遺憾のか?苦しい
地獄絵よりはましたろう?なぜそうならないのか?でもドラマはサスペンスや難病のドラマは視聴率は高いし?平凡な
ただ働いて食う寝るのドラマは誰もみないし。我々がテレビみるのブラフマンになつている時は悲しいや殺人が起こっても
観るのが楽しいし平凡は人気ないし災害のニュースは可愛そうに興味があるし天国から地獄みるお釈迦様も分別のくもの糸
を垂らすし?せめて少し暗いほのちょつとだけ知らせるために宗教があるのだから信じるものはほんの少し救われる暗いが
ちゅうちゅうとねずみは鳴くのか?悟りとは悟らなくてもまあ良いか今は骨骨ある苦たび.旅とは目的地だ目的地ではなく
旅そのものが目的?修行とは修行そのものと明らめる事か?旅がなければちーん黙黙化?でも苦しみは中暗いでお願いします
790:神も仏も名無しさん
14/09/03 08:02:23.14 bYnwnEwC.net
悟りとは物事の真理に気づくこと
お釈迦さん達、悟りを開いた者達は宇宙の真理に気づいたって言うけどね。
791:神も仏も名無しさん
14/09/03 18:05:54.82 l+JDNOyW.net
初めて書き込みますが、悟り体験をしたいのですが、
具体的に何をどうやったらいいのでしょうか?今まで禅寺等々で座ったりした
経験があり、ある種の悟りの片鱗に触れたような経験もありますが、より効果的な
悟りの法があったら知りたいです。
お奨めの方法ってありますか?
792:素人A
14/09/04 06:39:25.59 oZg6KlcY.net
三界唯心 玄沙院の宗一大師が、地蔵院の真応大師に問うて言うに
宗一「三界唯心について、あなたはどの様に理解するか」
そこで真応は椅子をさしていうに、真応「和尚はこれを何と呼ばれますか」
宗一「椅子」
真応「和尚は三界唯心を理解しておられません」
宗一「私はこれを竹木と呼ぶが、あなたは何と呼ぶか」
真応「わたしもまた竹木と呼びましょう」
宗一「世界に仏法を理解している人を求めても、一人も得る事は出来ない」
??後の仏仏 宗一「世界に仏法を理解している人を求めても、一人も得る事は出来ない」は正解は理解出来ないという事か?
長州は和尚は和尚は「庭先の柏の木」と答えてはいけないといわれて「庭先の柏の木」と答えたから
私なら「それでもいい素」それはだじゃれ 何か今朝は落ちない
793:神も仏も名無しさん
14/09/04 07:16:59.18 1nv9gcIC.net
宇宙の真理とは大袈裟に思うけど、悟りはそんなもんじゃないと思います。
もっと単純なものですね。
単純なものほど奥が深いですからね。
794:素人A
14/09/05 05:51:51.08 gRePq3Yn.net
《有情》衆生といい、意識を持つもの 《無情》有情と対をなすもので、意識の無いもの、山川草木、瓦など
無情説法 「説法に於いて説法するというのは、「仏祖において仏祖が付託する」ということであって、それこそ真髄が実現
していることである。「説法に於いて」の説法とは、仏が法を説くのでなく、法が仏を説く説くことである。その法とは、
有情でもなければ無情でもない。また有為でもなく無為でもなく。有為や無為に関わることでもなく、縁起に関わる事でも
なく、縁起に従うのでもない。しかしながら、鳥の飛んだ後は跡形もない。ただ仏道者のために与えられているだけである。
仏道が成就するときは、説法(法説という説法)も成就する。正方が付託されるときは、説法を○ぜられるのであり、五祖が六
祖へ袈裟を伝えたのであり、それゆえに諸の仏祖は、威音仏以前から説法に伝てきたのであり、説法によってももともと行ぜ
られてきたのである。(つづく) 師匠も山河水木と言っていた?鶯も法ほけきよと泣く師、さあとりあえずはまあ良いか《有情》衆生といい、意識を持つもの 《無情》有情と対をなすもので、意識の無いもの、山川草木、瓦など
無情説法 「説法に於いて説法するというのは、「仏祖において仏祖が付託する」ということであって、それこそ真髄が実現
していることである。「説法に於いて」の説法とは、仏が法を説くのでなく、法が仏を説く説くことである。その法とは、
有情でもなければ無情でもない。また有為でもなく無為でもなく。有為や無為に関わることでもなく、縁起に関わる事でも
なく、縁起に従うのでもない。しかしながら、鳥の飛んだ後は跡形もない。ただ仏道者のために与えられているだけである。
仏道が成就するときは、説法(法説という説法)も成就する。正方が付託されるときは、説法を○ぜられるのであり、五祖が六
祖へ袈裟を伝えたのであり、それゆえに諸の仏祖は、威音仏以前から説法に伝てきたのであり、説法によってももともと行ぜ
られてきたのである。(つづく) 師匠も山河水木と言っていた?鶯も法ほけきよと泣く師、さあとりあえずはまあ良いか
795:神も仏も名無しさん
14/09/05 12:07:47.52 SPIHKDPA.net
シンプルがベストなのさwww
796:素人A
14/09/06 05:23:47.40 3swsn3tE.net
山や川などは意識はあるのだろうか?人間の意識とは自分達の都合の生き易いように周りを変える様に意識する?それは和が
ままか?我々動物達はそういう意識の脳力我ある?時の流れるままに判子押したく無い。山や川は運命に抵抗しない死?それ
では死んでいるのか?でも物理学の法則は守る師?時間空間の仲で身得る師?動物や人間が運命に抵抗している様にみえても
其れは時空の運命の思う壷の中鴨?我々衆生は解から無いよ世うで輪空内に居るのか?ああ無情な避けないなあなんかわから
んけど時の正解の中で過去現在未来と間違いなく有苦のか?抵抗しても思う壺だから無駄な抵抗してもへぼ将棋なだけで
将棋のルールは守っているからまあ良いか?さあとりあえずは好きにしなさい?見放しているようで見守られているのか?
よく解らんこうやつて説きは進んでいくのかも?果てしなく果てのない正解鴨?眼暗の人が眼倉の人を道引いて行くだけ?
???つづき写すの大変なので今はいつもの適当だらだらまあ八行書き終わったしまあ良いか
797:神も仏も名無しさん
14/09/06 08:53:53.49 pe5Ofss9.net
ミジンコも夢を見るのでしょうか。大きな微生物に喰われるホラー映画を。
とりあえず大きな魚に転生出来れば大安心?残念でした、人間に釣られて相互依存。
人間だって大安心を求める?いったい誰が始めたのでしょうか…?
798:素人A
14/09/07 07:30:16.45 UtukecIR.net
梅華玉城康四郎さんの解説 しかしながらこの梅華の最も行じたいのは、瞑れるはずのない目の玉が、実感として瞑れたとき
である。如浄の一説はそれを次のように語る。「釈尊の目の玉が瞑れるときも、雪の中で梅の一枝は華開いている、いまや
見渡す限りの茨や棘はかり、それを笑うように春風は華の咲き乱れる中を吹き渡っているが如くである」この茨や棘ばかのを
道元はどう処理するのか。もし魔が差してきて、目の玉が見えなくなつたとき、「今日はわたしの今日にあらず、大家の今日
なり、直に梅華眼晴なるべし、さらにもとめることやみぬ」もとめればもとめるほど見えなくなる。求めてはならない。そし
て私の今日ではなくて大家の今日に気ずくべきである。そのとき目の玉は直に開かれるであろう、と言う。そして「ただ一枝
という語の命脈のなかに、身をひるがえしていく」のである。・・・
799:神も仏も名無しさん
14/09/07 07:47:30.37 9cojc1co.net
悟りの教えにしたがって修行するのじゃ。
そうすれば、悟りを開いた者と同じ経験ができるのじゃ。
それを実体験し、答えを出すのじゃ。
さあ、悟りまでもう少しじゃ。
スレリンク(psy板)l50
800:素人A
14/09/08 07:08:26.34 gUAJI+pr.net
玉城さん、業熟体 限り無い過去から、生きとし生けるもの、ありとあらゆるものと交わりつつ、生まれ変り死に変わり、死に
かわりうまれかわりしなが゛ら輪廻転生し、いま、ここに現われつつある私自身の総括体であると同時に、ありとあらゆるもの
と交わっているがゆえに、宇宙共同体の結び目である。私性の極みであるととももに公性の極みである。しかもその根底は、底
なく深く、無意識であり、無智であり、無明であり、暗黒であり、あくたもくた、へどろもどろである。
これが業熟体である。「この業熟体にこそ、ダンマ・如来は、顕になり、しん透しつづける」という事が知られてきた。そして
ダンマの無限活動こそ、全仏道を包括する原態であるという事が明らかになつてきた。原始経典の過去七仏も大乗の阿弥陀仏、
・・・大日如来も悉く、このダンマの無限活動のなかから出現されてきた。・・・
801:素人A
14/09/09 07:37:04.70 SLlDRH9L.net
無情説法(つづき)ここに言う法が仏という説法は仏祖がとりしきつてきたものと考えてはならない。仏祖は逆に
その説法に量られてきたのである。この説法はわすかに八万四千の教法を開き示してきただけではない。実に無量無辺の法門
をを説いてきたのである。先なる仏が説法したことを後なる仏説法が説法すると学んではならない。または後なる仏になると
いうものではない。あるいは先なる仏が、また先なる仏になるというものではないと言う様に、説法についても先なる仏が
説法した事を、後なる仏が説法するのではない。それゆえに釈迦無に仏は次のように言われている。「三世の仏の説法の
しきたりのように、私もまた、そのような無分別の法を説く」こういうわけで説法は普遍なる説法を用いるように.諸仏は
説法を用いるのである。また諸仏は普遍なる説法を正伝するように.諸仏は説法を正伝するのである。それゆえに無情説法
(これこそ諸仏に普遍なる説法)は七仏以前の古仏から.七仏へと正伝し.その七仏から今日まで正伝しているのである。
「我いま説法す」というのは.正法ではなく新しい説法と思ってはならない。また古より伝わる正伝を鬼のすみかのように考え
てはいけない。(つづく) 宇宙が始まる前の一句をもつて来い?宇宙の後の何時来るかそれはアートかまあ絵画化?
802:素人A
14/09/10 07:31:12.12 2ena6cZa.net
我々の朝知恵で真実を素人しても圧倒的な不可読みのまえで我々衆生は頭の脳力も足ずコンピューターの脳力に詣りました
と言うしかないのか?我々人類の知恵を越え地球の声を聞いてもその上の宇宙の越えもありその上のブラフマンの脳もありその
ブラフマンを作った人?の脳の中?その人も何かの脳の中.その人も何かの脳の中?ああ我々はああ無情の中で真実を求めても
脳がイライラして脳力が無いとため息がでるだけの我々は無能力か疑いなく我々はほんの少ししか知らない素人でも玄人の人
から観れば下手な考え休むに似たりと言われても。玄人の人も今は考え休まず骨骨素人した空いま玄人しているだけでまあ先は
果てしないぞと素人でも解る鴨。無情も脳力が足りないし真実は何手先か果てしないたびは続く野鴨。今はイライラの仲でああ
無情
803:逸れはジャンバルジャン。 あもしかしたら真実が正解つま何故此処私か居るのかか解らず.趣味レーションで世界を創造 してその中のお釈迦な人に正解を教えてもらおうとした野かも?それを押し付けられた人もその中に世界の劇を作りその中の お釈迦なひとに正解を.そのなかでも鏡こんでお釈迦任された人たちが頭をかかえていて?正解は内あるいは外と限が無く迷い かで果てしなく???が続く。適当な落ちが無い書き込みだしもうそろそろまあ良いか。
804:素人A
14/09/10 09:35:06.53 2ena6cZa.net
私野将棋画弱いのは注意秋刀魚んで何事も秋つぽく色々手を出すので何時天も集中の凝年
もなく修行の基礎が身につかずまあ良いかと弱いけど居直っているからか?
あそうか将棋盤が眼を瞑っても頭の中に見得る暗い修行しないと.でも素人視無いだし
あそうか修行とは正解つまり世界将棋盤を身に付ける事か?でも私は色々注意散漫だし
修行は辛いし嫌いだし攻めるだけで守りにはいるとすぐ投げて反省もないしまあよいか
私は答えは解っている?答えは私の中にある?でも修行しないので身につかないだけ
それじゃ遺憾だろうでも何か力がはいらない今はまあ良いか?煩悩好きで遊びずきで小●
盲秋魔変なんでかなあ秋になると心はメランコリーに毎度コントロールされてる
暑い夏が懐かしいなあ
805:神も仏も名無しさん
14/09/10 09:40:29.45 l4qgpt2Y.net
私たちには結果だけが見えている。
この世界はここにある。
それは創られたものか、創られなかったものか、数式の答えだけが現れていてそれを解くのに四苦八苦。
果たして科学と宗教はいつどこで一致するのでしょうか…。
806:神も仏も名無しさん
14/09/11 05:51:28.40 nifPJac5.net
動けば良し悪しに関係なく結果が出るじゃろ。
その結果にまた行動するのじゃ。
そしたらまた結果が出るじゃろ。
結果の良し悪しに価値などないのじゃ。
807:素人A
14/09/11 06:27:02.91 +jf58OHU.net
龍潭和尚の部屋で徳山があれこれと質問して教えを受けながら夜も更けてきました。龍潭 「夜も遅いからそろそろ終わりにしな
いか? 」徳山もそう言われてとうとう重い腰を上げ師匠に礼拝し、すだれを上げて部屋を出ますが、外がまっ暗なのを見て戻って
来て 「部屋の外が黒くてなにも見えません」 と言うと龍潭はすぐにロウソクに火を点けてそれを徳山に手渡そうとします、とこ
ろが徳山がそれを受け取ろうと手を出したその瞬間、龍潭は火を吹き消してしまい、またもとの闇にもどってしまいました。
徳山はこのときこつねんとして、それが何かを理解したようで、すぐに師匠に礼拝をしてみせます。龍潭 「おまえはいま、どん
なことが判ったのかね? 」徳山 「わたしは今日からこの山を去って、あなたの教えが疑いのないものであることを、世の中に広
めたいと思います (某甲、今日より去って天下の老和尚の舌頭を疑わず)」その翌日、龍潭和尚は僧堂でみんなに向かって言います
、「なにごともなく暮らしたがる世の中に、一人の男がいたとする (可中箇の漢有り)、その牙は伝説の剣樹のようであり、口は
血の池地獄にも似ていて (血盆)、一棒で打たれたとしても頭を回すことがなく、いまこの時ではなく今日この日でもないいつか
そのときに (他時異日)、ただひとつのそそりたつ山頂に向って自分の道を確立することになるだろう」
808:素人A
14/09/12 07:09:16.48 HlxqdhX7.net
玉城さん。・・・さて以上の様に述べてくると、仏道を求めている私の生活はいかにも順調に進んでいるかのように見える。
しかし実際はけつしてそうではなく、山あり、谷あり、崖あり、あえぎながら踏み歩いていく忍辱の道であると言えよう。これ
まで長い間、目覚めては後戻りする、つまり、一進む一退、一開一を繰り返してきた。ところが目覚めとは「ダンマが顕になる」
という事が解って以来、当然ながら禅定の度にダンマの顕現が求められる。それがなかなか顕になつて来ないのである。つまり
このまえの繰り返しと同じことである。ただ禅定を重ねているうちにダンマの顕になる回数の増えてきている事はたしかである。
しかし問題はダンマの顕にならない場合である。いくら禅定を努めてもどうしても顕にならない状況がしばしば起こってくる。
それが問題なのである。むしろ実際は逆に、努めれば努めるほど顕にならないという状況である。そうなるともう金輪際顕にな
らないと思いに堕ちる。それはまさに仏道の破滅ではないか、そのために私はどれだけ絶望に落ちたかわからない。・・
809:素人A
14/09/13 06:09:04.82 OrKTDd2a.net
何か昔あった猿の惑星という映画が作られた様だが去るものは追わずで何で今猿なのか?人間とは圧倒的な戦力の差があるから
戦にはならない。なぜ猿でなくロボットにならなかったのだろう?猿は過去でロボットは未来では人間の勝ちは無くオマケの
人間画みえている。損な暗い未来は見たくない風刺にもならないから人間は逃げるのか?去るで今反省しても現実から逃げている
人間では未来を変える事は出来ないし、叶わないものから全て逃げて戦いにはならない、まあ勝が無いけど消費税は来るのか
消費税から逃げるにはロボット開発費をを政府でだしてどんどんロボットの能力あげて労働は全部ロボットにまかせて人間は楽に
なり、価値のあるロボットに税金を払ってもらおう。そしてロボットが革命使用としたら争いはやめて人間は勝ちを譲る禅譲で
次の輪廻転生はロボットに生まれてもよいではないか?とほほ何か情けない未来しか創造できない。それで良いのだろうか?
まあ良いのではないか?今は楽したいからなる世うになるだけ鴨。楽なものや今楽しいものは捨てられないし
810:神も仏も名無しさん
14/09/13 06:24:18.34 VQQHagoM.net
↑これはまことのハッキングの盗聴かのう。
昨日、電話で猿の惑星の話をしておったからのう。
そもそも儂が宗教2chに来たのは、まことの敵がいたからじゃ。
これを見たら返事をしてほしいのじゃ。
811:素人A
14/09/14 06:04:46.55 srKOdCJJ.net
千の顔を持つ英雄 ・・精神エネルギーのこの世への果てしない循環に欠かせず、共同体の見地から見ても長期にわたる遁世
を正当化する「帰還ならびに社会との再統合」を、英雄自身はなにものにも変えがたい至難の要求とみなしているのかもしれ
ない。なぜならもしも英雄が仏陀のように、完全な悟りを開いて何者にもおびえない静寂の境地を獲得するのであれば、この
ような至福の体験がこの世の不幸への追憶、関心、希望をおしなべて破壊しつくしてしまう危険にさらされるからである。
さもなければ日常の経済問題に束縛されている衆生に光明を灯す途を知らしめる〔禅の〕公案は、とてつもなく空々淡々とし
ている解決の方途が見出せないように思えるからである。そして反面、その英雄がイニシェーションに従うかわりにプロメテ
ウスのように(暴力や抜け目の無い策略や幸運によって)ひたすら己の目標を目指し、己の意図した世界に与えられた恩寵を
奪いとってくるのであれば、かれがめちゃくちゃにした力がひどいしっぺ返しをするために、彼は内からも外からも打砕かれ
る「」も知れない。・・・この話とは関係ないけど 今夜NHKスペシャルで臨死体験の特集がある?何か裏があるのか健康保
険が赤字なので金に苦しむよりも明るい死がと?赤字削減のために利用されるのか?
812:神も仏も名無しさん
14/09/14 07:30:36.75 5jmlvKsf.net
「無」はなんにも無い状態。だから変化すらない「無」。
「無」から何かが生じるという場合は変化が起きてるということ。
だが、変化も何も無い「無」から何かが生じることはない。
「無」からは何も生じない。
この世界は何かがあるから「無」ではない状態。
たとえ幻想(空)だとしても「無」ではない。なにかは在る。
「無」の状態には幻想(空)すらも無い。
有の世界は変化がある世界。永遠に存在してる何かはあるのか?
変化のある世界に生きてるので人間は死んでも何かに変化するのだと考えられる。
また、この世界は無ではないので人間は死んでも無にはならないだろう。
縁起より相互依存となり空とすると、独立した実体はないとなる。
そうなると自分の他に誰かが死だら自分も死んでることになる。
そんなことにはこの世はなっていないので空の説はこの世に当てはまらない。
一つの神のみが存在すると考える一元論だと、人間は神の意識に取り込まれ
てることになるが、そうなる人間が死んだ後どうなるとか、宇宙はどうやって
できたかとか、その一つの神は何という名前でどんなことをしてきたのかが、
まだよく解らないという人間の有様を見れば、一つの神だけで成り立つ一元論
では無理がありそう。
無限について考えると、ある何かがあって他の何かがあると無限とならない。
Aの他にBがあると、Aが限りなくある状態ではないので無限とならない。
無限になるにはそれ一つだけがある状態でないと無理。
宇宙に目を向ければ、光る星と光らない星と闇がある。
光だけでも、闇だけでも、光らない星だけでもない。
なのでこの宇宙は無限とならず有限の世界。
これより、一つの神だけとする一元論も成り立たない。
813:神も仏も名無しさん
14/09/14 07:32:15.74 5jmlvKsf.net
>>781の続き
陰と陽、光と影、善と悪の二元論だとお互いが相殺するのでゼロ、つまり無
となる。
なので、無でないこの世界は二元論では表せない。
夜空を見てみると、光を放つ星、光を放たない星、闇とある。
こう考えても3つの要素が宇宙にある。
陸(ヤマツミノカミ、クニツカミ)・海(ワタツミノカミ、外来の神)・
空(アマツカミ、宇宙人(アヌンナキ))
父と子と精霊の三位一体説。
この世界は三元以上で成り立つと考えられる。
輪廻と言うが、過去世から現世に帰ってきたというような人間は殆どいない。
輪廻はあるのか甚だ疑問。
とここまでは考えついたけど、この先は私にはまだわからない。
悟ったという方はどうお考えでしょうか?
814:神も仏も名無しさん
14/09/14 08:07:50.97 ofse/p1/.net
悟りの知識は表裏一体なのじゃ。
教えを知らなければ悟りに到達できないのじゃ。
逆に教えが邪魔にもなるのじゃ。
知識を持っても柔軟に行かんとのう。
固定概念は悟りの最大の敵じゃ。
815:780
14/09/14 23:59:18.91 5jmlvKsf.net
>>783
あちらがありこちらがある。あちらがなければこちらもない。
あちらがあってこちらがあるとすると、あちらがないのにこちらがあるというのは
縁起の相互依存にはならない。
縁起の相互依存により独立した実体を持たないという空の説は、誰かが死んだ
時自分も死んでることになるとか、あなたが空腹の時私が食事をすればあなた
の空腹がなくなるというおかしなことになる。
在るのか無いのか判らないようなのが空という話を見るが、佛陀の縁起説より
龍樹が空を
816:唱えた経緯を見落としがち。縁起説の前提があって空とするので 相互依存で独立した実体がないとするのが空の説と考えます。 在るのか無いのかよく判らない幻想のような世界と捉えていても、無とは違う ので有の世界に変わりはない。 般若心経は始めの方で空と言っておいて後に無であるから恐怖も心配もない と説いてるように思います。空と無の混同です。 苫米地英人氏が仏教と釈迦の悟った内容と、般若心経の間違いを語ってます それまでの仏教の固定概念が変わると思います。 https://www.youtube.com/watch?v=4mum0Jwz4Z4 01:51:05 長いので端折ってますが大体の分数の位置を書き出しました。 ご興味があれば全部を見ることをおすすめします。 01:16:00ぐらいから般若心経のサンスクリット版が昭和になってから訳された。 01:21:00ぐらいから般若心経が中国で道教の無の影響を受けた。 01:23:00ぐらいから色即是空 空即是色の間違いのことを述べてる。 01:24:00有と無と空の話。 01:23:00ぐらいから色即是無 無即是色 空包摂色 空包摂無のはなし。 01:27:00ぐらいから空の概念と神の関係について。 01:29:00矛盾の説明 上は空で閉じて下は矛盾で閉じてる空間がこの宇宙。
817:神も仏も名無しさん
14/09/15 00:02:41.26 5jmlvKsf.net
>>784の続き
この動画で説明がありますが、般若心経が中国経由で日本に入ってきた時に
道教の無の思想の影響を受けたとあります。
ここで、空の説から無との混同が起きたのですね。この他にも間違いとの指摘があります。
苫米地氏は空包摂色 空包摂無と言ってますが、無と空は違うので空が無を包摂するとは思えない。空で色は包摂できるとは思う。
一つの神だけとするというのは、いわゆる唯一絶対神・全知全能の神という説です。
聖書は神の記したものとされてますが、コペルニクス、ガリレオによりそれまで
地球を中心と考えて天が動いてるとする天動説から、太陽を中心として地球が
動いている地動説に変わったことからも、全知であるはずの神のしるしが覆された大きな事件でした。
一元論への否定はその他にも前述のレス>>781で書きました。
>無限になるにはそれ一つだけがある状態でないと無理。
>この宇宙は無限とならず有限の世界。
無限の宇宙にはなってないので、一つの神だけ(無限ならば成り立つが)とする一元論も成り立たない。
三元以上としたのは、陸・海・空の神と三つあるから三位一体説を並べてみた
のだけど、まだこれが正解と思ってる訳じゃないので、三元以上と書いたのです。
アマノイワフネからニニギノミコトがその他の神々と天降る話なんかは宇宙人
ぽくってアヌンナキの話も持ち出しました。アマツカミにはアマテラスオオミカミも
含まれます。
海の神に外来の神も並べたのは、オオクニヌシと一緒に国づくりをした
スクナヒコナノカミ、オオモノヌシノカミは海から渡って来たのではと思われるからです。
金比羅で知られる神はインドのクンビーラー(ワニまたは竜)が日本に伝来したものだそうです。
818:神も仏も名無しさん
14/09/15 00:04:41.15 5jmlvKsf.net
>>785の続き
柔軟にとありますが、仏教の初期は哲学的な思考によるものと見受けられます。
哲学は曖昧な要素を極力無くしていこうとする営みで柔軟とは思えません。
私は真言宗の家系ですが、マントラや呪詛、真言はどちらかというとヒンドゥー教
の影響を強く受けてるのではと見ています。
佛陀は呪詛のようなものを否定したと聞き及んでいます。
もうすぐお彼岸ですね。
つい最近、高野山に東京裁判で戦犯とされた方たちの追悼碑があることを知りました。
高野山真言宗の奥の院(和歌山県)にある「昭和殉難者法務死追悼碑」の法要。
碑は連合国による戦犯処罰を「歴史上世界に例を見ない過酷で報復的裁判」
とし、戦犯の名誉回復と追悼を目的に20年前に建立された。
名前を刻まれている人の中には、東条英機元首相らA級戦犯14人が含まれている。
大東亜戦争で戦犯として裁かれた日本人は
その後戦勝国(連合国)から全員に恩赦が与えられてる。
だから日本に戦犯はいないし靖国神社にも戦犯はいない。
当時の欧米列強からアジア人全体が劣る人種と見られていて、その人種差別への
偏見の撤廃と日本を守るためにも戦ってくれた方たちに感謝の気持は忘れないようにしたいと思います。
自分が今いるのもご先祖様からのつながりがあってこそでもあるので、感謝の気持ちを持っていたいとも思います。
そういう意味で、お経や供養が効果はあるのかわかりませんが、法要をする
気持ちは大切だなと感じてはいます。
819:神も仏も名無しさん
14/09/15 00:34:41.40 wEy5LRoA.net
>>784間違ってました
X あちらがあってこちらがあるとすると、あちらがないのにこちらがあるというのは
○あちらがあってこちらがあるとすると、あちらがあるのにこちらがないというのは
820:素人A
14/09/15 05:12:40.36 QeQi52HH.net
何時までも生きたい人間のは昔は仙道で陽神を修行で育てて頭の上からだして永久に生きる事ができるけど?修行は大変だし
死ぬまえに陽神を育てる事は出来ない。今は山中教授のTP細胞やすったもんだのSTAP細胞で体を直し直ししてもそれは大変だ
と思う。優秀な脳力を持つロボットをつくれば.後は今でも入る物に憑依できる幽霊の原理を使えば科学で人間の体より丈夫
で長持ちする代わりの体を原理的には出きるかも?今IP細胞の手術が始まったけど.憑依霊はまず落ち武者の例に協力して
もらつて経験をつんでもらう。人間の脳と人工知能の移行は少しずつ少しずつ移り変われば出きるはず。でも恐れ拒否など
心理的な感情があるとなかなか上手くいかないから.次は悟った人はどんな状況になってもまあ善いかと社会のために永遠の
ロボット身体を手に入れられるばず。でもそんなくだらない事に悟ったひとは協力するのか?やっぱり幽霊の例根から試す
しかないのか?人工知能と人間の脳の仕組みは変わらないから出きる。むかしから仏作って魂入れずと言うから仏像は昔から
魂が宿っているのか?奈良の大仏は奈良時代からサボらずに坐禅しているトイレにも行かないで凄い坐禅三昧だ。
821:神も仏も名無しさん
14/09/15 11:28:38.72 eWY1zcCx.net
人間は神?の個体への執着の産物で、ロボットは人間の執着の産物でしょうか。
しかしロボットの材料も結局神?から調達しなければ何も作れない。
結局人間は神まで自分で創りだしてしまいましたが、全ては想定内の出来事なのでしょうか…。
822:素人A
14/09/16 06:15:57.75 4+T8KVYM.net
NHK死んだらどうなるは外国の脳科学者の研究ばかりで.何で日本でも研究していると思うが.立花さんばかりしか
目立たないのか?丹波さんは向うに行過ぎて科学研究にはならず。まあ解った事は臨死体験者の半分は光かがやく幸福感に
満たされた体験をするという事で.脳科学者は心臓が停止してもかすかな脳波が働いて夢のような体験が見えるとか言って
いた。結局科学者は体験者ではなく.脳が便りだから脳が停止した先の状態は解らない。まあ現在から先の未来は見えない
のとおなじで死んだら先は永遠のなぞという結論鴨。でも我々は生まれる前から此処に着たのかこれも解らないし.だい
たい肝心な事は科学でも何一つ解らないなぞという事でしか納得できない。チベットの死者の書では光の体験は凡人は
すぐ落ち着きなくなり色々な煩悩を探し出すという死.静かで何も無いに我慢はできなくて業業郷広見で落ち着き無く
動き出すというし.珠に光輝いてもすぐ元の木網多にかえる。或る科学者は意識とはいろんな感覚や色々が脳細胞みたいに
集まったものが意識とか?それは網拿産のぱくり思想。逆に言えば無が網想や創造が世界や人間が生まれたとしたら現実は
夢のような独りの人の幻実かも.返ってこれからのロボットの研究のほうが真実に迫れる野かも。瞑想のシステムは網想の
正解鴨
823:神も仏も名無しさん
14/09/16 07:47:19.00 KcONTZPE.net
昨日はNHKを見逃した代わりにテレ朝のトリハダマル秘スクープを見ました。
殺された被害者が超能力者に訴えてきて犯人についての正確な情報を提供していました。
人が死ねば脳の活動も完全に停止してしまうのに、いったい死者の本体は、いや人間の本体は何者なのでしょうか。
恨みや無念さや執着は肉体が朽ちても目に見えない本体によって来世に引き継がれるのでしょうか。
科学者は脳科学から一歩も先に進めない?何故ならそれは消滅するものだから?
きっと彼らこそ丹波さんが云うみたいに、死んだら驚いた!!を経験するのでしょうか。
それとも信じた通りに永遠の暗闇を経験するのか?それならいっそ信じた通りに消滅を選ぶのでしょうか…?
824:神も仏も名無しさん
14/09/16 10:50:22.97 KcONTZPE.net
個我とは、執着を持ち運ぶ入れ物のことなのでしょうか。
825:神も仏も名無しさん
14/09/16 21:49:47.00 O6IiZjcx.net
>>792
私は悟りを開いてないのでレスするのはどうかと思いますが・・・
佛陀の縁起説の前提があって空とするので、相互依存で独立した実体がない
とするのが空の説と考えます。
>個我とは、執着を持ち運ぶ入れ物のことなのでしょうか。
空の説の独立した実体がなければ、個我の執着も生まれないと考えられます
が、執着があるのは独立した実体を持つ個我があるからで、空の説は
この世の仕組みにそぐわないと考えられます。
空の説のように、あなたの体の実体はないと考えられますか?
これなんかどうでしょう?
Tha Blue Herb - 智慧の輪 Chie no Wa
URLリンク(www.youtube.com)
”何も欲しがらない自分を欲しがるのではなく、欲しいものがない境地に
自由はある 分かってはいるが執着は笑う、煩わされ修羅の道を渡る”
826:神も仏も名無しさん
14/09/16 22:28:59.38 O6IiZjcx.net
>>791
こんなのもあるから追記します。
人はなぜ、なんのために生きるのか 「生命誕生の真実」 川田薫
P.246 井筒俊彦 「全ての存在物には境界があって、その境界で他の存在物
との区別をしています。しかし、この境界を取ってしまうと、存在物の認識が
できなくなります。認識はできないですが、存在はしています。この認識できない
存在を空というのです。」
この境界を取るというのが無我の境地で、自然や宇宙と一体になって存在する
という状態なのかな?
でも境界を取って区別がなくなると、古事記の序文にあるような、天地開闢の
前の混沌になるでしょうね。存在はするのだから無ではない。
何がなんやら判らないけれど、在るというだけで不安は募るのではないかな?
それとも恐怖や心配事も気にならなくなるのかな?
827:神も仏も名無しさん
14/09/16 23:10:33.00 O6IiZjcx.net
>>790 >>791
福島大学元教授で経営学者の飯田史彦の著書に「生きがいの創造」があります。
他の著書も読んでどれだったか忘れたのですが(検索してもちょっと判らなかった)
自殺した人の霊が見えて、その家族にどうしても伝えて欲しいと頼まれたそうです。
その家族は息子が自殺したことで大変ショックを受けており、理由も判らず悲しみ
に暮れていたのかな。それで飯田史彦氏が全く知らない他人の家族の所へ
息子さんのことを伝えたという話。この著書だったと思う。
他にも海外の例をたくさん取り上げた著書があったかな。それは、飯田史彦自身が
霊に出会ったのではなくて、家族の霊に出会って事故を防げ無事だったこととか
があった。
霊能者?の美鈴の「あの世のひみつ」という著書に、子供時分から霊を見ることが
あり、見えた霊に教えてもらって大雨の日に出来た小川で蟹を取ったとか、自殺した
友人の霊に出会ったとかがあったかな。
死んで全知の神のような元へ帰るなら、最初からそこにいればいいのにと思った。
エロヒム、ヤハウェ、アラー、ゼウス、ジュピター、ホルス、ブラフマン、天御中主神、
天照大神。どうしてこんなにもの呼び名の神々があるのか?
神はいるのかいないのか?どこの神が正解なのか?
わざわざこの世に生まれてきて輪廻はあるのか?神はいるのか?
宇宙はどうなってるのか?とか考えるのが馬鹿馬鹿しいじゃありませんか。
これらの問いに答えられないのに、人間には解らないことがあるから
それを超越した存在の神を持ちだしてみても、以上の問いに答えられないのは
という事を考えると神は人間に冷たいのでは?
また、神という考えは迷信かなとも思えてきます。
828:780
14/09/16 23:26:24.58 O6IiZjcx.net
>>795 続き
>>780
>また、この世界は無ではないので人間は死んでも無にはならないだろう。
こう考える私は、人間には霊魂があると思っています。
人間の死後の霊はどうなるのか?
>>781
>輪廻と言うが、過去世から現世に帰ってきたというような人間は殆どいない。
>輪廻はあるのか甚だ疑問。
身近に”あん時のあそこからこの世に帰ってきたよ”という人物が
たくさんいれば、輪廻も信じることができるけど、これじゃあね。
パラマハンサ・ヨガナンダ著「あるヨギの自叙伝」
P.428 スリ・ユクテスワの復活
死んだら別の星へ移動するという話が興味深かった。
829:神も仏も名無しさん
14/09/17 00:30:29.67 soaVJv/h.net
>>796 追記
「あるヨギの自叙伝」はインドの宗教観はキリスト教の三位一体説と一致する
との趣旨を目的に書かれたものです。
P.151 注釈(3)父と子と精霊(ヒンズーの聖典では、サットとタットとオーム)として
の神の三位一体性について述べている。父なる神(サット)とは、波動によって
つくられた一切の創造物を超越して実在する不顕現の絶対者である。
こなる神(タット)とは、波動による一切の創造物に内在する聖意識(キリスト意識、
ブラフマ、クタスタ・チャイタニヤ等ともいわれる)のことで、”つくられずして太初より
実在せる無限者”(父なる神)の唯一の反映であるところから「神のひとり子」とも
呼ばれる。普遍的聖意識(キリスト意識)の外的顕現または”証人”(ヨハネの
黙示録3章14節)が、オーム、言葉、聖霊などと呼ばれるもので、見えざる神の力
であり、唯一の行為者であり、現象界の万物を波動によって創造しかつ維持
している最も本源的な力である。この至福に満ちた助け主オームは、瞑想中に
聞くことができ、これを聞くものに究極の心理を明かしてくれる(”全てのことを
思い出させてくれる”)のである。
この事はよくわからないけれど、スリ・ユクテスワの復活の話は、ヨガナンダの師匠が
亡くなって、その霊がヨガナンダに話をします。
マーヤ(幻術)があると言っておいてカルマがあるとか、幻なのにカルマってどうなの?
という疑問もありますが、インドの話で、火に包まれても火傷しない映像とか、ヒマラヤ
聖者の水の上や火の中を歩いたとか、瞬間移動したとか、不思議な話がある国と思ってます。
830:神も仏も名無しさん
14/09/17 00:40:32.32 soaVJv/h.net
>>797
X こなる神(タット)とは
○ 子なる神(タット)とは
831:素人A
14/09/17 07:14:19.28 ONyfkHEi.net
ショーペンハウアー自身の決定的な貢献は次の認識にあります。私たちの外的な目は時空の場の中のみかけの現象しか見かけ
ませんが、しかしこれらの現象全ての内的経験は、意欲する主体としての彼、彼女、ないしそれ自身の経験なのです。この内
的経験はー私たちには隠されていますがー実際は、アートマン=ブラフマンすなわち普遍的自己のエネルギーの経験なのです。
ただそれは幻影である個人自身の死の恐怖および幻影としての生存への欲望によつてサンサーラ(時間的な幻影の影)に繋がれ
ているのです。つまり(生の意志)の衝動は自分自身としてのアートマンの経験ですが、それはーショーペンハウアーの認識で
はー「同情」(慈悲)の洞察という形でのみ生起します。それは菩薩の性質に他なりません。彼は有名な論文「道徳の基礎につ
いて」の中で次の問いをだしています。(続く) まあ我々はこの様にぼさあつとして或る苦のもまあ善い働き鴨続きも或る鴨
?ぽつ師匠はリンクはったユー中部皆見ているのだろうか?損な時間は無いはずだが?貼りきっている志でもご苦労さん
832:神も仏も名無しさん
14/09/17 07:16:02.24 sfyusvG+.net
>>784-786
勉強になるのう。
精進して修行するわい。
833:神も仏も名無しさん
14/09/17 14:55:20.10 soaVJv/h.net
>>799
>実際は、アートマン=ブラフマンすなわち普遍的自己のエネルギーの経験
私達の体を通して幻影を見せてる本体がこれというのですよね。
なぜ幻影を見せるのかな?
幻影を見せるのが菩薩の慈悲の性質ですか?
こんなまやかしの幻影を見せるからには本体のアートマン=ブラフマンの都合が悪いからかな?
なんか私が読み間違えてますか?
834:素人A
14/09/18 06:34:39.45 nvdwDVEW.net
(続き)「ところで、私のものでもなく、私と関わりない苦悩が、それ以外の場合には私自身の苦悩だけがそうである
ように直接に私動機となり、私を行為へと動かすという事は、どの様にして可能なのだろうか。[・・・]この過程は神秘的で
ある。それは理性が直接に報告しえないものであり、それらの根拠を経験によつて見出すことの出来ないものである。にもか
かわらず、それは日常的なことである無常このうえない人、我欲きわめて強い人にとつてさえ、無縁な事ではない。この現象
は日々われわれれの目前に、個々のことにあらわれる。熟慮を重ねる事も無く直接的衝動によつてある人が他人を助ける、
救援に駆けつける、それどころか見知らずの他人のために、その他者の大きな困惑と危険とを眼前にしているということ意外
には何も考えることなく、自分の生命をきわめて明白な危険にさらすことさえある。[・・・]と」(つづく)
835:素人A
14/09/19 06:15:49.69 mvR1+7tx.net
つづき)この問いに対してショーペンハウアーはこう答えます。この瞬間の反応と行動には、ある形而上学的認識が
顔を覗かせているのだ、とーすなわち(彼はこれをサンスクリットで表現しますが)「汝はそれなり」という認識が。さらに彼
はこう言います「だがこのことは、私が他人とあるていど同一化し、したがって、自我と非自我とのあいだの垣根がその瞬間
には解消してしまつていることを、前提している。そのときだけは、他者の要件が、その必要、その困惑、その苦悩が、直接
自分のものとなる。そのとき、私はもはや他人を経験的直感があたえるままに私にとつて無縁なもの、どうでもよいもの、私
とはまつたく異なったものとは見ないで、私の神経が皮膚に包まれているのではないにも関わらず、その他者においてもとも
に苦悩するのである」(つづく)
836:素人A
14/09/20 05:07:11.97 i3BkSMqM.net
玄沙和尚はあるとき旅にでようとしてすぐ足の指を石にぶつけイテテ。この痛みは何処空着たのかと突然想い旅はやめて寺に
引き返したとか?雪峰和尚が何故お前は旅に出ないのかと聞いた。そうしたら、玄沙は「達磨は中国に行きませんでした、慧
可もインドに行きませんでした」と答えた。??テレビを見ている人が旅の番組で色々な所に旅する気分になるけど、冷静に
見ればテレビの光が色々に変化しているだけ、見ている人はテレビの前に居る。あたり前だ私は今パソコンの前で2ちやんの
朝の出鱈目を書いている。色即是黒写っても写らなくてテレビはテレビパソコンはぱそこん光の乱舞だけど真っ黒なパソコン
の前で見続けるのは辛い、けど坐前つまり坐前禅なら盲見続けられる視でも空たまには空でも色々な光も見ないと?色即是空
空即是色。テレビやコンピューターの機会がないと見ることも無い暇でもつまらないお年よりもいるし、まあそれもよいか。
盤面を見ないでも脳内に将棋盤が見れると眼暗将棋が出来るとプロの人は当然皆出来ると、網夢中に修業三昧すれば私でも
見られるはず?修業の時間が無いと言うけど散漫な煩悩散舞にナッッテ居るだけ
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