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五木博之人間の覚悟。文学における「神の視点」・・ドフトエススキーとトルストイとは陰と陽の関係ですが、トルストイ
も最後までキリスト教思想の中の小説を書き続けました。しかし彼も日本ではあまり宗教文学として読まれているわけでは
ありません。直木賞の選考会などで「この小説は神の視点で書かれている」という論議がなされる事があります。それは
小説技法、視点の事を指しています。すなわち本来は、「彼はこんな表情をした」とは書けても「彼はこう思った」とは
書けないはずなのに、あらゆる登場人物の過去の経歴、状況と心理までをくまなく知っている万能の神のように描くスタイ
ルです。それは人間には不可能な事をする事になります。いわば神の領域に立ち入る事をするわけです。だから欧米の作家
が「神の視点」を採用するときには。ひとに許されざる意識をもつて書かなければなりません。あらゆる登場人物の心理を
余すところ無く描くという、ディケンズ以来の総合的な長編小説手法は、本来は神の領域を侵す危険な仕事と考えられて
いたのです。・・・