■君も納得・マリヤ崇敬の間違い■at PSY■君も納得・マリヤ崇敬の間違い■ - 暇つぶし2ch■コピペモード□スレを通常表示□オプションモード□このスレッドのURL■項目テキスト550:キリスト教正統信仰 プロテスタント福音派 15/12/28 20:13:34.77 OyS3Ua1a.net マリアは神の母ではありません! 聖書をよく読みなさい! イエスがまだ群衆に話しておられるとき、その母と兄弟たちとが、イエスに話そうと思って外に立っていた。 それで、ある人がイエスに言った、 「ごらんなさい。あなたの母上と兄弟がたが、あなたに話そうと思って、外に立っておられます」。 イエスは知らせてくれた者に答えて言われた、 「わたしの母とは、だれのことですか。わたしの兄弟とは、だれのことですか」。 そして� 551:A弟子たちの方に手をさし伸べて言われた、 「ごらんなさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいます。 天にいますわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのです」。 552:老クリスチャン 15/12/29 14:36:11.84 J2bD/SWQ.net 2007年(主日C年) 1月1日 神の母聖マリア 民 6:22~27 ガラ 4:4~7 ルカ 2:16~21 「そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。」(ルカ 2:16) イエスの誕生において、神から与えられたしるしを "確かに見た" ということが、ルカ2章の主題であります。 「マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子」 は、"しるし" でありました(2:12)。 神が復活させて 「主とし、またメシアとなさった」(使2:36)イエスが、確かに誕生された "しるし" を、福音書は証言しているのです(2:11)。 羊飼いたちは帰って行き、ルカ2章の中で 「思いめぐらし」(v.19)、「驚き」(v.33)、「心配し」(v.48)ているマリアは、その後 ルカ8:19-21 に姿を現すだけで、使1:14 に再び登場するまで舞台から消えてしまいます。 神の祝福は、祭司を通して、神の名によって、与えられます。 「彼らがわたしの名をイスラエルの人々の上に置くとき、わたしは彼らを祝福するであろう」(民 6:27)とは、そういう意味です。 私たちが聖書から聞く福音は、喜びの福音であって、次のように説明されています。 「わたしたちには、御自身の血によってただ一度聖所に入って永遠の贖いを成し遂げられた大祭司が与えられていて、天にお られる大いなる方の玉座の右の座に着き、人間ではなく主がお建てになった聖所また真の幕屋で、仕えておられるということです。」(ヘブ8:1-2、9:12) 神は、この御子イエスを律法の下に生まれさせるために、マリアをその母としてお用いになりました。 私たちはマリアにこの最高の役割と尊厳を授けられた神を賛美し、現代の教会への豊かな神の祝福を、大祭司キリストに願い求めて歩んで行こうではありませんか。 ・・・・・ 以下、本文参照。 http://www.kuwaei2000.com ●Archives● より 次ページ最新レス表示レスジャンプ類似スレ一覧スレッドの検索話題のニュースおまかせリストオプションしおりを挟むスレッドに書込スレッドの一覧暇つぶし2ch