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2003年(主日C年) 12月28日 聖家族
ルカ 2:41~52
「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。」(v.52)
ルカ福音書におけるイエスの幼年期の描写は、神から特別な恵みと祝福を受けた人についての典型的な表現を用いて語られています。
洗礼者ヨハネについて : 「幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。」(ルカ1:80)
サムエルについて : 「少年サムエルはすくすくと育ち、主にも人々にも喜ばれる者となった。」(サム上2:26)
モーセについて : 「モーセはエジプト人のあらゆる教育を受け、すばらしい話や行いをする者になりました。」(使7:22)
このように少年イエスの描写は、言が肉となって私たちの間に宿られた(ヨハ1:14 )という観点から物語られているのです。
しかしその物語りの中に、他とは決定的に異なる一つの言葉があって、聖家族と他のすべての家族とを区別しています。
「すると、イエスは言われた。 "どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。"」(v.49)
イエスは神なのです。 そして両親は人でありました。
・・・・・ 以下、本文参照。
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