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2009年(主日C年) 12月20日 待降節第4主日
ルカ 1:39~45
「わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。 あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」(vv.43-45)
救い主をその胎に宿した母マリアが、エリサベトを訪ねて来てくださいました。
そしてその挨拶の声を聞くと、エリサベトの胎内で洗礼者ヨハネが喜んでおどりました。
神の母マリアが教会の象型であると言われるように(教会憲章63)、その訪問を受けたエリサベトも、エリサベトの胎内の子も、神の国の到来を待ち望んでいる教会の象徴であると言うことが出来ます。
「マリアは、自分について説教され崇敬されるとき、自分の子と子のいけにえへ、さらに父の愛へと信ずる者を呼び寄せる。 そして教会は、 ・・・・・ その卓越した象型にいっそう似たものとなり、 ・・・・・ 」(教会憲章65)と、述べられています。
神の母マリアが "なんと幸い"(v.45) "祝福された方"(v.42) "恵まれた方"(1:28)と呼ばれているのは、神が彼女を通して、私たちの罪を償ういけにえとして、御子キリストをお遣わしになったからです。
ですからマリアが教会で崇敬されることは、「唯一の仲介者であるキリストの尊厳と効力から何ものをも取り去らず、また何ものをも付加しない」(教会憲章62)のです。
・・・・・ 以下、本文参照。
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