14/04/17 21:21:03.87 QMpM3UNG.net
>>924
霊魂を自ら磨くのが最善だとして、磨けなかった霊魂を、神はどうすべきでしょうか?
神が「強制」的に磨いて天国に行かせるのと、地獄に落ちるのを見過ごすのとでは、どちらが本当の愛でしょうか?
そもそも、まず天国に行くという至上の目的が有り、自ら霊魂を磨くのは、その目的のための手段でしかないはずです。
それなのに、その手段では目的を達成できなかった場合、他に目的を達成する方法が有るのに、それを捨ててまで
単なる一手段に執着するのは本末転倒でしょう。
神が人間の前に姿を現さない事についても同じ事が言えます。
また、人間を操って愛されるのは虚しいとの事でしたが、もしも自分が虚しい思いをするだけで、自分の愛する人を地獄から救えるとしたら、
あなたならどうしますか?
私なら、虚しい思いぐらい安いものだと喜んで応じますし、ほとんどの人もそうするでしょう。
それに対し、自分が虚しい思いをするのが嫌だというだけで、無数の人間が地獄に落ちるのを黙って見過ごす神は、
人間と比べてもあまりにも心が狭く、残虐なのではないでしょうか?