14/04/07 22:50:54.84 zKr/pBd3.net
>>829>>835-838
興味深く読ませていただきました。
>>829
アダムが、蛇に刃物を突きつけられたわけでもなく、そそのかされただけで禁を破って罪を犯したのなら、
元々そういう願望が有ったという事ですよね。
そしてそれは、神がそのように作ったという事ですよね。
だったら神は人間ではなく自分を責めるべきではないでしょうか?
また、そんな失敗作を作った上に修正もできないのなら、とても全知全能とは言えないと思うのですが。
>>835-838
つまり、神はすべての人間を平等に愛しているが、その愛に応えた人間しか天国に行かせてくれないと。
他の方達が言われているように「自分の行いによって待遇が違ってくるのは当然」といった機会の平等であって、
結果の平等ではないという事ですね。
そして神の愛に応える事は、天国行きというとてつもなく大きな見返りが与えられるほど尊い行為であり、
神もそれを望んでいると。
では何故神はその事を人間に広く教えないのですか?
人間の前に姿を現して「私は実在する。そしてあなた達を愛している」と表明すべきではないですか?
その上で、それに応えるか否かで、天国へ行ける人間を選別するのならまだ分かります。
しかし、本当に存在するかどうかの判断材料もろくに無いような神の、その愛に応えるか否か、で測れるのは
その人の良識などではなく、理想と現実を混同する妄想力でしかないと思うのです。
そんなもので行き先を決められてはたまりませんし、それで本当に神は人間を愛していると言えるのでしょうか?
すべての人間を愛していて、すべての人間に天国に行って欲しいと思うなら、神を信じない、神の愛に応えない人間も
その全知全能の力をもって天国に行かせるべきではないでしょうか?