14/04/07 15:10:55.33 mHoKQWd5.net
神様の愛は、人間に「自由意志」を与えるだけは終わりませんでした。
彼らが背負っている「原罪」を払拭し、霊魂を救う「救霊」という壮大な御計画を、神様は御立てになったのです。
その御計画の第一歩として、神様は「誰の霊魂も、これ以上、地獄には落ちてほしくない」という思いと、その愛情ゆえに、
「イエズス・キリスト(神の子)」をこの世に送り、全人類の「原罪を含むすべての罪」とともに、彼を十字架にお掛けになりました。
ここで、「全人類」というところに注目して下さい。
この中には、私たちの祖先はもちろんのこと、これから生まれて来る子孫や、質問者であるあなたのことが、しっかりと含まれています。
人間の視点で見ると、「あの人は恵まれている」、「あの人は恵まれていない」といったところに目が行きますが、
神様の視点から見た場合、そうではありません。
人間は、「人の外面や側面」を見ますが、神様が見るのはその内面、「その人の霊魂(心)」です。
この視点の違いが、あなたにはわかりますか?
神様の見る「霊魂」は、現世に生きる私たちのように、「変化するモノ」でしょうか?
「霊魂」は、私たちのように年を取って、その外観も変わって行くようなシロモノでしょうか?
否、違いますよね。
「霊魂」は肉眼では見えませんが、外観的な違いがなく、皆平等なモノで、神様が御覧になっているのは、
常に私たちの「それ」なのです。
(私たちが身にまとっている「肉の器」を、神様は御覧になっているわけではないのです。)
私たち人間は現世において、目に見える物に対して「優先順位」を付けますが、神様は人間とは違い、霊的な存在なので、
すべての霊魂に対して、「優先順位1位」を付けることがおできになります。
そこで付けられる優先順位とは、「神の愛を注ぐ順位」のことです。
つまり、神様の愛情は、「誰にでも(神様を信じている人、信じていない人問わず)」、「平等に」注がれているのです。
(続く)