キリスト教@質問箱272at PSY
キリスト教@質問箱272 - 暇つぶし2ch787:神も仏も名無しさん
14/02/10 11:24:46.89 uAGyN33W.net
ここからは新約聖書(はしょってほんの一部のみ)

アブラハムの子イサク(弟)の子孫であるダヴィッド家から生まれたイエスが来られたことによって神が救い主を送る計画は成就した
(新約聖書マタイの福音書の冒頭家系参照  ルカの福音書イエスキリスト誕生参照  ☆キリストとは救い主という意味)  
そしてイエス・キリストは全人類を救うためのカトリック教会を永続させる為に最初の司祭として選んだ12弟子と古い契約に替わって
「新らしい救いの契約」を世の終わりまで結ばれた(西暦33年ごろ新約聖書マタイ26・26、マルコ14・22 ルカ22・19参照)
しかしながら、イスラエルの民は王が神との契約(旧約)を守らなかったために国が滅ぼされ当時ローマ帝国に支配されいた為
民衆は人類の救いではなく自分達を解放してくれる者として扱いイエスを処刑した
ところが旧約聖書にて預言されたとおりイエスは復活して12使徒全員の前に現れるとカトリック教会内に聖霊を約束して昇天した
そして12使徒が宣教活動を始めると新しい契約どおりにカトリック教会内に聖霊が働き人類の救いが実現されるようになったのである
(カトリック教会の始まりと初期の頃の発展の記録⇒使徒言録参照 その結果全ヨーロッパの国教は4世紀以降カトリック教会となる)

つまり神は全人類を救うために壮大な計画をたてられまず第一段階として初めに旧約聖書に書かれているように
特定の民を選択されて救い主を送る準備をされた そして第二段階として新約聖書において12使徒たちが証言したように
神が人となったイエス・キリストによって全人類を救うためのカトリック教会がたてられたのだ

新約聖書に書かれている事柄はカトリック教会の12弟子たちが同時に見たり体験してきた事実を記したものだから
その新約聖書の言葉どおりそのまま内容が受け継がれてきたのがカトリック信仰共同体、つまりカトリック教会だ
要するにカトリック教会について解説したものが新約聖書であることが理解できた人々は、カトリック教会で洗礼を受け
カトリック教会という信仰共同体に加わって確実な神からの恩寵の中で生涯を生きていくのである
だから旧約聖書も新約聖書も信仰の書として大事なのだ

788:神も仏も名無しさん
14/02/10 16:49:22.12 rCWkJXiX.net
>>772-773
新訳も含めて。なんでそんなもの信じてるの?

789:神も仏も名無しさん
14/02/12 17:18:21.25 YMWSosKI.net
神の愛を知れば知るほどその愛の中にいたいからだろうね
神の愛は永遠だから

カトリック教会に行って神はどのような方か聖書を勉強すると少しずつ見えてくるよ

790:神も仏も名無しさん
14/03/02 21:44:55.81 rHi1vONn.net
フリーメイソンは創価学会と共に、
キリスト教(カトリック・プロテスタント問わず)の破壊と乗っ取りを陰謀しています。

フリーメイソンと創価学会は、キリスト教でなくとも、神道や仏教などの破壊や乗っ取りも陰謀しています。

ガスライティングや暗殺(事故や病死偽装工作殺人)に警戒してください。

791:神も仏も名無しさん
14/03/03 00:00:45.77 N4Bop7n5.net
統一も要警戒。
荒らしに創価と統一の臭いを感じる。

792:神も仏も名無しさん
14/03/04 09:12:48.47 oDSu7wYu.net
1999年に起きたグランドクロス~第1の天のしるし。

2014年の4月から始まるユダヤの祭日に月食と日食が重なる現象~第2の天のしるし。
URLリンク(www2.biglobe.ne.jp)

天のしるしは2回起きる。
しかし、それが意味するものは異なる。

793:神も仏も名無しさん
14/03/04 09:59:54.31 oDSu7wYu.net
救世主、キリストというと普通はイエスを指す。

しかし、イエスはこの世の終わりに再臨する時までに、「自分の正規の後継者を2人遣わす」
と預言した。

そのうちの一人はあの有名な予言者。
だが、人々、特に日本人は彼の真価を知らないまま、
「外れた、外れた」と大喜びした。
そう、あの時、今から十数年前に、第1回目の天のしるしが現れた時に。

彼を「外した予言者」と嘲笑し、罵倒して葬り去った。
今でも揶揄し続けている。

せっかく与えられた福音、救済をドブに捨ててしまった、とも解らないで。

結局、何も理解できないまま滅ぼされていくのだろうか。

だが、救済が全く無くなった訳ではない。
それを見つけられた人だけは救済される可能性はまだある。

794:神も仏も名無しさん
14/03/06 15:58:53.06 ougiHWDM.net
しかし、イエスはこの世の終わりに再臨する時までに、「自分の正規の後継者を2人遣わす」と預言した。
そのような発言はカルト宗教の手口だから、騙されないように近づかないのが身の為

すでに騙された人々が大勢いる宗教は 
1、統一教会
2、ものみの塔冊子協会(エホバの証人)

795:神も仏も名無しさん
14/03/06 15:59:57.50 ougiHWDM.net
>しかし、イエスはこの世の終わりに再臨する時までに、「自分の正規の後継者を2人遣わす」と預言した。
そのような発言はカルト宗教の手口だから、騙されないように近づかないのが身の為

すでに騙された人々が大勢いる宗教は 
1、統一教会
2、ものみの塔冊子協会(エホバの証人)

796:神も仏も名無しさん
14/03/06 17:49:37.88 5AUM5Ury.net
どうして千葉県のセックス教団の信者は白人が多いんですか?

797:神も仏も名無しさん
14/03/08 09:18:28.93 GuWEPLJO.net
>>しかし、イエスはこの世の終わりに再臨する時までに、「自分の正規の後継者を2人遣わす」と預言した。

11:3そしてわたしは、わたしのふたりの証人に、荒布を着て、千二百六十日のあいだ預言することを許そう」。
11:4彼らは、全地の主のみまえに立っている二本のオリブの木、また、二つの燭台である。
(ヨハネの黙示録)

ってイエスは預言したべ。

798:神も仏も名無しさん
14/03/10 17:35:11.71 Oaey40wA.net
★ヨハネの黙示録は、ヨハネがドミツィアヌス皇帝や異邦人に迫害されていた7つのカトリック教会の信徒を励ます為に送った手紙だよ
だからその内容は、キリストが設立したカトリック教会は今は迫害されているが 艱難をぬけだした未来は幸せな時代をむかえると示唆しているのさ
つまり、カトリック教会は勝利するとね

11:3の「ふたりの証人」は、使徒ペトロとパウロ  

世界に通用する聖フランシスコ研究所訳の聖書で確認しよう

799:神も仏も名無しさん
14/03/10 18:02:12.10 Oaey40wA.net
新約聖書に対する基本的知識があると騙されないよ

コピペ

102 :神も仏も名無しさん:2014/02/19(水) 12:41:52.82 ID:eRzxnXPw
>>101

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

新約聖書は初めから終わりまで一貫してカトリック教会を解説した書物です
ですからイエス・キリストの誕生によりカトリック教会が設立されるまでの経緯とそのキリストの教えや ←4福音書
キリストの約束によってエルサレムからローマまで広く発展していった初期のカトリック教会の様子 ←使徒言録、
それにともなって宣教した各地のカトリック教会の信徒たちに対してカトリックの信仰を保つよう諌め励ます目的で
カトリック教会とその信徒たちに送られた手紙などが綴られています ←○○人への手紙、
そして当時迫害されていた7つのカトリック教会を励まために送られた手紙が最後に収められています ←ヨハネの黙示録

新約聖書の著者はカトリック教会を世の終わりまで永続させる為に、イエス・キリストによってカトリック教会の祭司として
最初に選ばれた12使徒とその弟子ですが、新約聖書が書かれた目的はキリストを知っている人がだんだん少なくなっていくため
当時のカトリック教会に属している子供たちと将来カトリック教会に加わる人々の為(=すべての人が招かれている)に書かれたものです

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

800:神も仏も名無しさん
14/03/18 17:00:26.01 0k35+XsV.net
神父と司祭の違いはなんですか?

801:神も仏も名無しさん
14/03/18 17:05:43.28 cMMxeUrT.net
同じだよ

802:神も仏も名無しさん
14/03/31 09:08:33.16 fGxoSO4M.net
創価学会の教えでは次の3人の仏教者で一番偉いのは誰ですか?二番目は?
池田大作
日蓮
釈迦

803:神も仏も名無しさん
14/03/31 09:10:47.86 fGxoSO4M.net
キリスト教では、キリストと聖母マリアはどちらが偉いのですか?

804:神も仏も名無しさん
14/04/02 17:46:56.95 lAbjCgI+.net
>>789

偉いとか偉くないとかはキリスト教の教義にはありません。
キリスト教は唯一の神を崇める宗教です。

805:神も仏も名無しさん
14/04/03 04:25:43.06 CzHUVPGO.net
>>741
URLリンク(bible.salterrae.net)
ここの「詩編」の「22」を選択すると、

「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。」

の続きが出てきます。
最後の方では、主に対する全面的な信頼に変わることがわかりますよ。
イエズス様は詩編22の冒頭だけを語られたのです。

806:神も仏も名無しさん
14/04/03 05:16:27.27 CzHUVPGO.net
>>791
 
×詩編 ○詩篇
 
失礼しました。

807:神も仏も名無しさん
14/04/03 06:07:36.52 CzHUVPGO.net
>>741
私寝起きだったので呆けて>>741さんの投稿を誤解してしまいました。
自問自答はおかしいではないか、という主旨ですね。
申し訳ありません、私はよくわからないです。三位一体なので、別々の
ように見える時もあれば同一のときもあるようです。

808:神も仏も名無しさん
14/04/03 07:15:58.44 ryplZBLK.net
日本のキリストの墓は本物ですか?

809:神も仏も名無しさん
14/04/03 07:29:52.79 TiI4m9JV.net
あれは行き倒れの山伏の墓だ。
キリストの墓と称


810:するものはインドにもある。



811:神も仏も名無しさん
14/04/03 17:13:49.06 eOdHebJB.net
>>789
聖母としてマリアを崇めるのはカトリック。
キリスト教の主である方はイエス・キリストです。

812:神も仏も名無しさん
14/04/03 17:17:20.50 eOdHebJB.net
>>790
マリアは、イエスの母として選ばれた人ですが、
神ではありません。
そして、イエスの後には
夫の子供を出産しているので、永遠の処女でもありません。

813:神も仏も名無しさん
14/04/03 18:58:11.48 rW2szzwP.net
ビッグバン、カンブリアの大爆発、恐竜の時代などキリスト教はどのように考えているのでしょうか?
恐竜の時代などは人間はいなかった訳ですが。
あと神はなぜイスラエル人が困ってしまった時など例えば出エジプト記でエジプトの王に蛙だかイナゴだか何回かにわたりエジプトの王に罰を与えますよね?
なぜ最初からエジプト人を滅ぼそうとはしないのですか?
イスラエル人がローマ人やペリシテ人などと争う時にもローマ人やペリシテ人を一瞬で滅ぼそさないのはなぜでしょうか?

814:神も仏も名無しさん
14/04/03 21:46:15.70 XNODzU0a.net
>>798
>ビッグバン、カンブリアの大爆発、恐竜の時代などキリスト教はどのように考えているのでしょうか?

恐竜の時代のことやビッグバンのことを、教会が教える必要があるんですか?

815:神も仏も名無しさん
14/04/03 21:47:37.75 XNODzU0a.net
>>789
>なぜ最初からエジプト人を滅ぼそうとはしないのですか?

中途半端にしか聖書を読んでいないからわからないのです。
ちゃんと出エジプト記に理由が書いてあるのだからきちんと読んでください。

816:ネオ・グノーシス派の導師 ◆/bVPRrlaFM
14/04/03 23:00:47.25 Gfe20pDP.net
>なぜ最初からエジプト人を滅ぼそうとはしないのですか?

そら物語としてつまらないからでしょうが。
ちなみに出エジプト記を読むと、ファラオは何度もイスラエルを追い出す機会があったのに、
その都度、神自身が「ファラオの心を頑なにして」翻意させ、無駄にだらだらと被害を拡大
させていることが分かりますw

817:神も仏も名無しさん
14/04/04 22:55:52.16 MH7AWBUm.net
質問良いですか?
自分はキリスト教のことはあんまり知らないんですけど自分の大雑把な解釈ですと
キリストはユダヤの教えに異を唱えてキリスト教を作ったと思います。
その教えの肝になる部分は「神は皆に対して平等に作用する」ということなのだと思います。
ここで思うのですが、それだったら神を信じる者にも信じない者にも平等に作用する。
つまり、信仰する必要はないという考え方も成立します。
この点においてキリスト教やその信者はどのようなスタンスや説明が成立するのでしょうか?

818:神も仏も名無しさん
14/04/05 10:24:51.94 188TppGH.net
>>802
聖書を何回読んだことある?
あなたが聞いてる事は、
聖書に書かれているよ。
何よりイエスが来たのは、信じる者を救いの道へ導くため。
教えに従うのが信仰。
地図が有っても、自分勝手に徘徊していたら道に迷うだけ。

819:神も仏も名無しさん
14/04/05 10:39:59.52 /dWZ2uLP.net
>>803
聖書は一度も読んだことはありません。
また、キリスト教にとって私の行動が自分勝手な徘徊であるという認識をしてるとしてもそれには興味はありません。
とりあえず、信じてない人にも(結果はどうであれ)神は平等に作用してるというのがキリスト教の考え方
ということで間違いありませんか?

820:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/05 16:04:07.47 /pkstn10.net
>>804
>とりあえず、信じてない人にも(結果はどうであれ)神は平等に作用してるというのがキリスト教の考え方
>ということで間違いありませんか?

(結果はどうであれ)とは、地獄へ行くか天国へ行くかは置いておいて、
という意味でしょうか?

821:神も仏も名無しさん
14/04/05 16:20:01.27 numa/+Ky.net
>>805
良かれ悪かれと言うことですね。
天国地獄もそういうものに含まれます。

822:神も仏も名無しさん
14/04/05 18:16:32.73 188TppGH.net
>>804
エデンで神に背いた時点で人は皆、罪人です。
罪の酬いは死です。
旧約では、動物を変わりに生け贄にしますが、
人々の汚れは完全にはとれません。
神は、一人子であるイエスを人の子としてマリアに
授けます。
イエスは様々な神の教えや業を行いますが、時が来ると私達の罪の購いの為の
罪の生け贄になり、十字架にかかります。

823:神も仏も名無しさん
14/04/05 18:29:29.08 188TppGH.net
十字架にかかって死んだ
イエスは、3日後に
蘇ります。
クリスチャンは、
イエスを主として宣言し、私達の罪の為に十字架にかかった後、甦ったことを
信じる告白をすることにより罪より解放されるのです。
神の恵みである太陽の光や空気など、皆にありますよね。
ですが、聖書に書かれている恵みはイエスを主として、聖書の教えを守っているクリスチャンにあたえられています。
神は、人を差別しないけど、信仰には多少あるのかもしれないですね。

824:神も仏も名無しさん
14/04/05 20:27:50.53 vp+aWDvy.net
>>807
独特の表現が入り込んでて読みづらいですが、要約すると信じない者にはバチが当たるということで宜しいですか?
それでは平等に作用してませんね。別にそういうことでしたらそれはそれで構いませんが。

825:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/05 22:08:29.01 JBCy6Nrr.net
>>809
>要約すると信じない者にはバチが当たるということで宜しいですか?

それは、全く違いますよ。
むしろ、全ての人は罪人なので、全ての人は死に値するのです。

しかし、「イエス」が人の罪を身代わりに受けて死んだ、ということを信じるなら
その人は救われる、ということになります。
この「信じる」ということは、具体的には「イエスと自分は一体である」という状態のことです。

826:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/05 22:12:05.57 JBCy6Nrr.net
バチが当たるとか、当たらないとかいうレベルではなく、
ほとんど全ての人は罪人として永遠の死に値するのです。

のほほんと生きている人というのは、自分のことを罪人だなどとは夢にも
思っていないので、「救い」ということがわからないということになります。

827:神も仏も名無しさん
14/04/05 23:17:24.97 vp+aWDvy.net
>>810
ですから自分はイエスが身代わりになったとか思ってませんのでそれを信じてません。
ということは、救われないということになりますね?
つまり信じてないわけですから信じてる人とは扱いが変わるはずです。
自分はキリスト教で言うところの救われない人ということになります。
つまりは信じてる人と比べた場合に、神は自分に対しては平等に作用しないということになりますよね?
キリスト教としてはそういう解釈で良いんですね?と聞いてるんです。

828:アヤシスト
14/04/05 23:55:22.65 zV/fmdTe.net
その「作用」というのは何かを明確にしないと答えようがないですね。
「作用」の定義を書きましょう。

829:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/05 23:58:31.69 JBCy6Nrr.net
>>812
>つまりは信じてる人と比べた場合に、神は自分に対しては平等に作用しないということになりますよね?

誰にでも悔い改める機会は与えられているので、その意味では平等です。
実際に悔い改めるかどうかは、その人個人の自由意思に任せられています。
つまり救われるか、救われないかは、自分で選択することが出来ます。

830:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/06 00:01:41.46 zg+SH7j8.net
>>812
あなたが使っている「平等」という概念が間違っているように思います。

たとえば、将来年金をもらうために月々積立をしていた人だけが
将来年金をもらえる資格があります。これは当たり前のことです。

積立をしていなかった人が、自分が年金をもらえないのは不平等だ、
と言うことは間違っています。
おかしなことです。

831:アヤシスト
14/04/06 00:01:57.67 zV/fmdTe.net
812氏は、神が平等じゃないと言いたいのでしょうか?

832:アヤシスト
14/04/06 00:04:16.41 Jjmtlkdw.net
しかし、812氏の言い分も分かる

833:神も仏も名無しさん
14/04/06 01:21:02.99 VCm8Dyp6.net
>>812
信じる信じないは自由ですが、あなたの言う平等は、少しずれているように思います。
宿題をちゃんとやる子と
やらない子では成績が変わって来ます。
やるべき事をやらずに、
良い者を望み欲しがるのは虫が良すぎるのではないですか?

834:神も仏も名無しさん
14/04/06 01:23:41.03 VCm8Dyp6.net
>>812
信じていない人に、罪の購いはありません。
ので、救われません。
全ては自己責任です。

835:神も仏も名無しさん
14/04/06 01:27:51.75 VCm8Dyp6.net
>>818つけたし
また、やれと言われた事をやらずにいた人と、
真面目に言われた事をしてきた人が、同じ扱いを受けていたら、それこそ
平等ではないのでは?

836:神も仏も名無しさん
14/04/06 06:54:16.45 u7Z0x9qC.net
>>814
つまりは悔い改めない限りは同じようには作用しないということで良いですね?

>>815
自分は神の作用と年金を同列にはしてないのでおかしいとは思いません。
年金を積み立てても貰う前に死んでしまう人もいます。
貰うまで良きてられるか死んでしまうかの方に神が関係してるのではないでしょうか?
あなたの立場では年金を貰える歳まで生きていられた時に「神の思召しがあった」とか言うんじゃないですか?

>>818
自分はもとより神の思召しを当てにしてませんので虫が良いとかどうでも良いです。
あくまでも作用の問題です。勉強をしないことにより成績が上がらなかったのは自然の摂理としか思いません。
因みに自分は勉強はろくにしませんでしたが、テストの点数では学年でトップ一割に入ってました。
それで「解ってるのに課される宿題」に反発しあえて宿題をしなかったことにより先生に反感を買われ
評価を落としてましたが、それでも通信簿上の成績はおそらくトップ三割ぐらいのところを維持してたと
思いますよ。テストで点数取ってたから先生も文句は言えなかったようです。今考えると先生を困らせる生徒
だったと思いますが一部の先生には気に入ってもらってました。

>>819
責任問題はどうでも良いです。それこそ自分の問題です。あくまでも神の作用の問題です。


どうも、信じる人と信じない人では神の作用は違うというのがキリスト教の考え方のように思えるのですが
それで良いですか?自分が聞いてるのはこの一点だけです。

837:神も仏も名無しさん
14/04/06 22:40:11.04 SFU/iE2a.net
横レスさせて下さい。

神が「信じる者」だけを救うという事は、信じるという行為は褒められるべき事なんですよね?
でも信じられるかどうかは、信憑性のみによって判断すべき事であり、信憑性に乏しいものを盲信するのは
ただの妄想でしか無いでしょう。
ですので、神が人に何かを信じる事を推奨するのであれば、いつの時代にもすべての民衆に対して
何らかのアクションを起こして信憑性を提示すべきだと思うのですが。
二千年も前に誰かが書いた本の記述のみで信じろというのは、それこそ妄想を推奨しているだけですし、
当時、神のアクションを目の当たりにして十分な信憑性を得た人間と、それ以外の時代、場所の人間とでは
あなた方が言っている「機会」という意味でも、神によって大きく差別されていると思うんですが、
神はどうして現代人に対して信憑性を提示しないのでしょうか?

838:神も仏も名無しさん
14/04/06 22:43:20.34 SFU/iE2a.net
もう一つ、「イエスが人の罪を『身代わり』に受けて」というのがよく分からないのですが。
罰というのは、罪を犯した者の矯正、あるいは犯罪の予防のために他の人間に対する見せしめとして
行うものであるはずです。
誰かが犯罪者の身代わりになって罰を受ければ犯罪者が許される、などという法律は聞いた事がありませんし、
そんな行為に何の意味が有るんでしょうか?
仮にあなたが犯罪者被害者だとして、加害者の身代わりが罰を受けたら気が晴れますか?
結局のところ神は、罪を犯した本人じゃなくてもいい、誰でもいいからとにかく人をいたぶれたらそれでいい、
誰かが罪を犯したというのは神が人をいたぶるための口実に過ぎない、という事ですか?
それ以外に辻褄の合う解釈が思い浮かばないんですが。

839:神も仏も名無しさん
14/04/06 22:53:09.19 5pemmNll.net
神、もといキリストを信じないという事はなぜ悪いのか教えください

840:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/06 23:37:37.41 v8rLhkjg.net
>>823
親切なので教えてあげます。
まず、あなたは「罰」という言葉を頻繁に使用していますが、
罪の値は「死」なのであって、あなたが書いているような「罰」ではありません。
日本人的感覚から、どうしても「悪いことをしたら罰を受ける」と思って
しまうのはわかるのですが、それはキリスト教の考え方ではありません。

841:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/06 23:43:09.04 v8rLhkjg.net
>>823

>誰かが犯罪者の身代わりになって罰を受ければ犯罪者が許される、などという法律は聞いた事がありません

罪ということが、わかっておられないので考え違いをしています。
罪というのは、犯罪のことではありません。
神の意に沿わないことをすることが「罪」です。
日本語では「罪」という言葉になっていますが、ヘブライ語では「勘違い」という意味の言葉です。

「罪」とは、人間が勝手に勘違いして、神の意に沿わないことをすることです。

842:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/06 23:48:23.72 v8rLhkjg.net
>>823
>誰かが犯罪者の身代わりになって罰を受ければ犯罪者が許される、などという法律は聞いた事がありませんし
>そんな行為に何の意味が有るんでしょうか?

人は「罪」を犯すことによって、そのペナルティを取られることになります。
どんどん「罪」を重ねると、どんどんペナルティも増えることになります。
これは、人から金を借りて返さないでいると借金が増えていくのと同じです。

イエスは、ご自身の命という高価な代償を支払って、罪人の命を買い取ったということです。

843:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/06 23:56:05.98 v8rLhkjg.net
>>824
>神、もといキリストを信じないという事はなぜ悪いのか教えください

誰かにそんな変なことを言われたのですか?
キリストを信じないことは悪いこととは聖書には書いてありませんよ。
信じたくないなら好きにしたら良いでしょう。

もしあなたに罪人であるという自覚がないのであれば、
イエスを信じることは、そもそも出来ないはずです。

★ルカによる福音書 5:30~31
イエスは答えて言われた、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。
わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」。

844:神も仏も名無しさん
14/04/07 00:16:33.03 mHoKQWd5.net
まず、初めに‥‥「原罪」について、説明することから始めたほうがよろしいかと思います。

「原罪」というのは、神様が最初に作った人間、アダムが犯してしまった「罪」のことです。
このことからわかるように、「罪」とは人間の世界でいう「犯罪」のことを指すのではありません。

蛇にそそのかされて、禁じられていたリンゴの実を食べ、神様のようになろう、神様より自分の存在を上にしよう、とした「傲慢さ」が、
その時、アダムの心の中にはありました。
このように、「罪」というのは、「神様に背くこと」であり、「人間の良心からかけ離れた言動」のすべてを指します。

そして、アダムが犯した罪は「原罪」と呼ばれ‥‥「原罪」には「連帯性」がありました。
その「連帯性」により、今の私たち、人類にも「原罪」が存在するのです。

「原罪」が「連帯性」であるという証拠は、私たちの内において証明できます。
例えば、「人を見下した」ことはありませんか?
「人に対して、ちょっとでも殺意を感じた」ことはありませんか?
「万引きをしたり、実際に行わなくても、万引きしたいと思った」ことはありませんか?
「自分に良くしてくれない、意地悪なあの人が酷い目に遭えばいいのにと思った」ことはありませんか?

数え挙げればキリがありませんが‥‥、こういった「良くない思い」は、すべて「原罪」から来ていることなのです。

本当に原罪のない人間は、心の中で悪いことを思いません、善いことだけを思います。

とりあえず、これで「原罪」に関する説明を終わります。

845:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/07 00:30:34.62 BUV8ORst.net
>>824
>神、もといキリストを信じないという事はなぜ悪いのか教えください

キリストを信じようが、信じないが、そもそも人は悪いのです。
このことを勘違いしないようにね。

846:神も仏も名無しさん
14/04/07 00:56:17.37 2LuFVFWY.net
この世において、どちらかの主に従うことになります。イエスを主として義に生きるか、
悪魔を主として罪に生きるか、どちらかです。
間はありません。

847:インギ改
14/04/07 01:03:16.46 vY7zFIUU.net
選択権があればの話ですね

848:神も仏も名無しさん
14/04/07 01:08:09.28 2LuFVFWY.net
この世を支配しているのは悪魔です。
元々は人に与えられていたのだけれど、アダムが
騙された時に悪魔の物と
なりました。
つまり、この世の神と言われているものは悪魔です。だから、この世は平等ではないでしょ?
聖書ではイエスが悪魔の
誘惑をうける時に、
この世の栄華を見せて、
自分を崇めるなら
これらのものを全て与えると言います。
イエスは、第二のアダムとして、この世を悪魔から取り戻し、悪魔の常識から
人々を神の教えに導くためこの世に人として産まれてきました。

849:神も仏も名無しさん
14/04/07 01:11:08.73 2LuFVFWY.net
>>832
選択権は与えられています。神は無理強いはしません。イエスを主とするか
しないかは、あなた次第です。

850:1/3
14/04/07 15:07:27.63 mHoKQWd5.net
Q.神様を信じる人と信じない人では、神様の作用は違うのかどうか、その1点が知りたい。

どこまでご理解頂けるかはわかりませんが、書いているうちに長くなってしまったので、いくつかに分割して投稿します。

>>829で、私たちの持つ「原罪」について説明をしましたので、まずはそちらを御読み下さい。
その上で、お答え致しますと、まず「神様が作用する」というのは、的確な表現ではないと思いますし、他者に回答を求めながらも、
自らが回答を得にくい質問にしてしまっている、ということに気づいていらっしゃるでしょうか?

「神様を信じる人と信じない人では、神様の愛(←アガペーと言います)は与えられたり、与えられなかったり、
といった違いが生じるのか?」
という感じの質問のほうが、かえって説明(回答)してもらいやすいと思いますよ。


実は、私たちと神様の関係というのは、「一方通行」では成り立たない関係なのです。
アダムが「原罪」を犯した時、神様は人間に対する愛情を持ちながらも、人間とのつながりを絶ちました。
人間が一度失った信頼を取り戻せないように、神様との関係も、本来なら二度と取り戻せるものではありませんでした。

ですが、神様は人間を愛していましたから、人間をお見捨てにはならなかったのです。

神様は全能なる御方なので、人間を御自身の意のままに操ることもおできになりましたが、
そうしなかったのは、「操られた状態の人間から愛されても空しい」ということと、「強制は愛ではない」ということを、
神様がよく御存知だったからです。

そして、御自身が人間を愛している証しとして、私たちに「自由意志」をお与えになりました。
「自由意志」は、全能なる神様といえど、自由にはできない意志のことで、
神様は各々が「自由意志」を用いて、神様御自身を愛してくれることを、(ささやかではありますが)お望みになったのです。

(続き)

851:2/3
14/04/07 15:10:55.33 mHoKQWd5.net
神様の愛は、人間に「自由意志」を与えるだけは終わりませんでした。
彼らが背負っている「原罪」を払拭し、霊魂を救う「救霊」という壮大な御計画を、神様は御立てになったのです。

その御計画の第一歩として、神様は「誰の霊魂も、これ以上、地獄には落ちてほしくない」という思いと、その愛情ゆえに、
「イエズス・キリスト(神の子)」をこの世に送り、全人類の「原罪を含むすべての罪」とともに、彼を十字架にお掛けになりました。

ここで、「全人類」というところに注目して下さい。
この中には、私たちの祖先はもちろんのこと、これから生まれて来る子孫や、質問者であるあなたのことが、しっかりと含まれています。

人間の視点で見ると、「あの人は恵まれている」、「あの人は恵まれていない」といったところに目が行きますが、
神様の視点から見た場合、そうではありません。
人間は、「人の外面や側面」を見ますが、神様が見るのはその内面、「その人の霊魂(心)」です。
この視点の違いが、あなたにはわかりますか?

神様の見る「霊魂」は、現世に生きる私たちのように、「変


852:化するモノ」でしょうか? 「霊魂」は、私たちのように年を取って、その外観も変わって行くようなシロモノでしょうか? 否、違いますよね。 「霊魂」は肉眼では見えませんが、外観的な違いがなく、皆平等なモノで、神様が御覧になっているのは、 常に私たちの「それ」なのです。 (私たちが身にまとっている「肉の器」を、神様は御覧になっているわけではないのです。) 私たち人間は現世において、目に見える物に対して「優先順位」を付けますが、神様は人間とは違い、霊的な存在なので、 すべての霊魂に対して、「優先順位1位」を付けることがおできになります。 そこで付けられる優先順位とは、「神の愛を注ぐ順位」のことです。 つまり、神様の愛情は、「誰にでも(神様を信じている人、信じていない人問わず)」、「平等に」注がれているのです。 (続く)



853:3/3
14/04/07 15:14:31.78 mHoKQWd5.net
神様を信じている人の大半は、神様からの一方通行の愛情に気がついて、自身の自由意志で、
「自分も神様を愛して、感謝の気持ちを示そう」と決めた人たちです。

神様を信じていない人の大半は、神様からの一方通行の愛情に気づくことが困難で、自身の自由意志によって、
神様に対する感謝の気持ちを示すことができない人たちです。

神様は、私たち(全人類)に対して「天国に来てほしい」と望まれています。
そのためには、まず人間側が「神様からの一方通行の愛情」に気づき、神様と「両思い」になることがその第一歩である、
ということを悟って下さい。

神様の愛情は、全人類に対し、惜しみなく、平等に、且つ、あふれんばかりに注がれています。
けれど、それに気づく人間と気づかない人間がいます。
それが、先に書きました通り、「神様を信じる人」と「神様を信じない人」の違い‥‥「差(見えない壁)」になっています。

その「差(見えない壁)」を作っているのは、神様ではなく、むしろ人間側なのですよ。
(神様の目には、そのようなものは映りませんし、存在もしません。)

だから、人間は自分と他人と比べ、その違いを見つけると、勝手に優劣を付けて、「平等ではない」と捉えます。
霊魂は目には見えませんが、その霊魂が持つ心やカラーは、神様の目から見れば、多少の違いはあれど、
どの霊魂も「愛すべき、掛け替えのない霊魂」。
ですから、「同じ霊魂」が存在しないように、わずかながら「違い」も生じるのです。

その「違い」は、私たち人間の目から見た時、「長所であり、短所でもある」と捉えられることがあります。
ですが、神様の目から見た時、それらは優劣の付けられない、「愛すべき長所」になります。
つまり、神様から見た人間は、全ての者が「愛すべき存在」なのです。

(続く)

854:3/3+1
14/04/07 15:33:52.01 mHoKQWd5.net
「神様の愛情(アガペー)」は無償の愛情で、人間だけでなく、すべての動植物に注がれています。
御覧下さい、植物が日や水を受けて、育つ様子を。人間が特別に手を掛けなくても、野の草花が育つ、その様を。
彼らは神様から愛情を受けることに関して、一切何の疑問も持たず、その愛情を一身に受けています。
人間だけです、「この違いは何?」という、取るに足らない疑問を持ち、「神様の愛情(アガペー)」の存在を疑うのは。

大切なことは、「違いを感じること」ではありません。 それは人間が思うほど、重要なことではありません。
大切なものは、「目には見えないもの」の中にあります。 それは、「愛」や「思いやり」、「勇気」や「希望」などのことです。
それらを見つけることのほうが、「違いを感じること」より、人間にとって最も重要なことであるということを、忘れないで下さいね。

(終)

855:神も仏も名無しさん
14/04/07 20:57:54.85 /WgszyN2.net
┃・)ノ

856:822-823
14/04/07 22:44:54.65 zKr/pBd3.net
>>825-827
レスありがとうございます。

>>825
罪の値が「死」であって「罰」ではないというのがよく分からないのですが。
「罰」と「死」は二者択一ではなく、「罰」として「死」を与えられたんだと思います。
そうでなければ「罰」以外の何のために「死」を与えられたんでしょうか?

>>826
「罪」というものを「人間の国や自治体の法律に違反する事」という意味で言っているわけではありません。
もっと包括的な意味での罪悪の事であり、もちろんあなた方の言うような意味も含んでいます。
法律の話を出したのは、「少なくとも我々人類の正義においては」他の誰かが身代わりになれば罪人が許される
というのは筋が通らない、という意味で言ったまでです。

なので、筋が通っているというのであれば、それが人類以外の何者かの正義観によるものでも構いませんので、
どのように筋が通っているのか説明していただければ幸いです。

ただし、あなたを含め、その何者かの正義観に同調して信仰しているキリスト教徒が全員人類である以上、
その何者かの正義観は、人類の思考を超越したものではないでしょう。
人類の一般的な正義観とたいして相違無いもののはずです。
であれば、我々非キリスト教徒でも納得できるものでしょうし、法律の観念とも大きく異なるものではないと思います。

857:822-823
14/04/07 22:47:39.93 zKr/pBd3.net
>>827
借金であれば誰かが代わりに返せば済むでしょう。
ですが、借金云々の話はあなたが罪を借金に置き換えているだけですよね?
そしてこの問題の本質である「誰かが肩代わりすればいいのか」という問いの答えは、あなたの言う「ペナルティ」と
借金とではまるで異なってきますよね?
ですのでこの場合、借金に置き換えるのは例え話として成り立たないと思われます。
そして、あなたのそのレスの最後の一文に対する質問が>>823なのです。

また、命が価値が有るのは生きていればこそであり、死ぬ事で何らかの価値が発生するとは思えないんですが、
神はイエスが死ぬ事で何か得をするんでしょうか?
得をするとして、それによって神がイエスとは別人である罪人を許すのはあまりにおかしいと思います。
罪人が許されるのは、その罪人自身が罪を償った場合のみであるべきでしょう。
罪を裁くべき者が、第三者から何かをもらったから罪人を許すというのではただの賄賂ですよね?

あと一点、今後我々が「神の意に沿わないことをする」という罪を犯しても神はまた誰かを使わして、
その人の命で我々を許して救ってくれるんでしょうか?
救ってくれないなら、神はイエスの命で許された人間と我々を差別していますよね?

858:822-823
14/04/07 22:49:36.45 zKr/pBd3.net
>>833
それってグノーシス主義ですか?

それにしても、世界とそこに住む生物を作ったものの敵に作り変えられ乗っ取られていまだに取り返せない……。
ずいぶん情けない話に聞こえますし、それではとても全知全能とは言えませんよね?

それに人々を神の教えに導くなら現代にも、それも神が直接現れた方が効果的ではないでしょうか。
現状では、二千年も前に神の化身が現れたらしい、というだけなので、一笑に付す人間も多いですから。

859:822-823
14/04/07 22:50:54.84 zKr/pBd3.net
>>829>>835-838
興味深く読ませていただきました。

>>829
アダムが、蛇に刃物を突きつけられたわけでもなく、そそのかされただけで禁を破って罪を犯したのなら、
元々そういう願望が有ったという事ですよね。
そしてそれは、神がそのように作ったという事ですよね。
だったら神は人間ではなく自分を責めるべきではないでしょうか?
また、そんな失敗作を作った上に修正もできないのなら、とても全知全能とは言えないと思うのですが。

>>835-838
つまり、神はすべての人間を平等に愛しているが、その愛に応えた人間しか天国に行かせてくれないと。
他の方達が言われているように「自分の行いによって待遇が違ってくるのは当然」といった機会の平等であって、
結果の平等ではないという事ですね。
そして神の愛に応える事は、天国行きというとてつもなく大きな見返りが与えられるほど尊い行為であり、
神もそれを望んでいると。

では何故神はその事を人間に広く教えないのですか?
人間の前に姿を現して「私は実在する。そしてあなた達を愛している」と表明すべきではないですか?
その上で、それに応えるか否かで、天国へ行ける人間を選別するのならまだ分かります。
しかし、本当に存在するかどうかの判断材料もろくに無いような神の、その愛に応えるか否か、で測れるのは
その人の良識などではなく、理想と現実を混同する妄想力でしかないと思うのです。
そんなもので行き先を決められてはたまりませんし、それで本当に神は人間を愛していると言えるのでしょうか?
すべての人間を愛していて、すべての人間に天国に行って欲しいと思うなら、神を信じない、神の愛に応えない人間も
その全知全能の力をもって天国に行かせるべきではないでしょうか?

860:822-823
14/04/07 22:58:55.72 zKr/pBd3.net
>>829>>835-838
それに人間は神が作ったんですよね?
だったら神の愛に応えない人間がいても、それは神の製作能力と、人間をそそのかした蛇によるものなので、
人間を非難するのは筋違いではないでしょうか?

同様に、アダムが原罪を犯さず、すべての人間が自発的に神を愛していたとしても、それは神が人間を
そのように作ったから、いわば神を愛するようにプログラムしたからですよね。
それは操るのと何ら変わりないと思うのですが、それは神にとって虚しい事ではないのでしょうか?

それから、神は人間の霊魂を愛し、「肉の器」の事は考えないようですが、あなたは自分の「肉の器」が
どうなっても平気なんでしょうか?
私は自分の「肉の器」も救って欲しいと思いますし、ほとんどの人がそうだと思うのですが、全知全能であるはずの神は、
何故人間の「肉の器」を見捨てるのでしょうか?

もう一点、イエスが人間の原罪を背負って死んだ割りには、あなたが言うようにいまだに人類には原罪が存在します。
という事は、イエスの任務は失敗に終わったという事ですか?

また、>>822-823にも答えていただければ幸いです。

861:神も仏も名無しさん
14/04/07 23:26:07.64 2LuFVFWY.net
聖書に秘められた真実は、聖霊に満たされなければ
読み取る事が出来ません。ましてや、聖書を読むこともしないで、人の知恵でコネクリ回しても分かる訳がないんです。
本当に知りたければ、
聖書に目を通して最低限の流れを入れてから質問するべきではないですか?

862:神も仏も名無しさん
14/04/07 23:28:37.45 2LuFVFWY.net
聖書の中でもイエスは、
心理をそのまま語らずに
例えを持って話します。
それは、何ででしょうかね。

863:神も仏も名無しさん
14/04/08 00:21:39.53 wSkNcUOk.net
耳では聞いていても聞いておらず、悟ろうとしても悟ることのできない人間が、
この世にはいるからです。

イエズス様が「例え話」を用いて話をするのは、その話を聞いて、悟ることのできる人間にのみ、
神様の奥義(真理)がどのようなものであるかを、知ってもらうためです。

万が一、「耳があっても聞かない人たち」にその話を聞かれたとしても、
それが「例え話」なら、彼らはどのようにでも受け取りますから、
「その話の真髄」を悟られ、悪用されることを予防することができる、
というのが、「例え話を用いて話をする」ことの利点です。

864:神も仏も名無しさん
14/04/08 01:26:32.93 wSkNcUOk.net
私たちは、「キリストのように考え、キリストのように行い、キリストのように愛する」者です。
聖書に目を通していない彼に対し、「聖書を読んでから質問しろ!」と言うのは、彼を門前払いにすることと同じことです。
仮に、彼が教会の門を叩きに来た求道者でも、同じような理由で門前払いにして良いものでしょうか?
そこに、彼は「神様の愛」を見ないでしょう。

聖書を読んでいない人にも理解できるように、「神様の愛」やその他のことについて説明できるようにしておくことは、
私たちにとって、とても大切なことです。

「聖書を読んでいない人には理解できないことですから、現時点では説明することもできません。
だから、聖書を読んでから、再度質問しに来て下さい」

神様なら、このようなことを彼に対して言うでしょうか?

聖書に書いてあることを思い出して下さい、「最も小さき者に対してしたことは、私に対してしたことなのである」と、
聖書には書いてあります。(「最も小さき者」には、質問している彼のことが含まれています。)

彼が聖書を読んでいないからと言って、なぜ面倒臭がるのですか。

イエズス様が神様の右の座に引き上げられた後、聖霊を受けた使徒が福音を述べ伝えていたことを思い出して下さい。
彼らの時代には、まだ聖書は存在しておらず、読むことすらできませんでした。
そのことで、「説明しにくい」と言って、彼らが説明することを面倒臭がったことがあったでしょうか。

聖書を読んでいないことを理由に、相手に対する説明を避けるのは、「信徒の怠慢」だと私は思います。
それは、神様の御旨に適うことではありません。

彼が聖書を読んでいないなら、私たちが心に蓄えたその御言葉を、彼に示せば良いだけです。

「神は愛です。」 (新共同訳聖書 ヨハネの手紙 一 4章16節)

865:神も仏も名無しさん
14/04/08 10:17:12.13 PT9H5WNT.net
>>848
面倒臭くて書いた訳ではないですよ。
おおまかな説明ならば
それでも良いと思います。私もいくつか書いていますし。
ですが、細かい説明をするときは、お互いが聖書で
確認するべきではないですか?
あなたの蓄えた知識は、
確実に聖書に忠実で、
全てを理解しているのですか?
相手の方は聖書の知識は、失礼ですが、余りないようです。

866:神も仏も名無しさん
14/04/08 10:25:09.67 PT9H5WNT.net
>>848
ならば、この世の常識でしか考える事を知らないでしょう。
なら、どの様な例えや、
説明をしても聖書に書いてある人々のように理解をする事は、難しいでしょう。
だから、聖書を読んでからと言ったのです。
聖書のストーリーも大切ですが、伝えなくてはいけないのは種である御言葉ではないですか?

867:神も仏も名無しさん
14/04/08 14:44:44.35 TKv3g9zG.net
まあ、>>850さんの言うとおりでしょうな。

868:神も仏も名無しさん
14/04/08 14:54:04.19 TKv3g9zG.net
お、14:44:44になった!

これってどないやねん。

869:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/08 15:21:32.92 TKv3g9zG.net
というわけで、

「聖書を根底から学ぶスレ」もよろしくお願いします。(^^)v

870:神も仏も名無しさん
14/04/08 18:41:14.00 PT9H5WNT.net
>>853
ちゃっかり宣伝
(σ≧▽≦)σ

お後が宜しいようで…
(o^o^o)

871:神も仏も名無しさん
14/04/08 22:47:41.96 p5nmyHFz.net
質問です。
スレ値だったらごめんなさい

・韓国
・キリスト教
・「祝福」を受けた人は同じく「祝福」を
受けた人同士でないと結婚出来ない
・信者間での合同の結婚式(お見合い?)がある

上記に当てはまる宗教ってやっぱり統一教会かな・・・

872:822-823
14/04/09 01:49:14.65 lUWCDNo7.net
ここが討論会等の場であれば、ある程度の知識を持った上で参加すべきでしょう。
しかし、ここは何の制限もなされていない、つまりすべての人に対して開かれた質問スレです。
ましてや「聖書を読んでから質問しろ」などというルールは>>1には書いてありません。
だから聖書もろくに読んでいない私は、キリスト教について質問するにあたって、ここを選んだ次第です。
ですので、あなた方もご自分に合った場所を選ぶべきではないでしょうか。
「キリスト教についての質問は聖書を読んでからすべき」と思う方は、こんなところには来ずに、
聖書を読んでから質問する人とともに、討論スレにでも移動すればいいだけではないでしょうか。

また、キリスト教では聖書を一通り読んでいる人に対してのみ布教活動を行うのでしょうか?
聖書を一通り読まなければ、キリスト教に入信するどころか、教えに触れる事もできないというのでは、
順序が逆だと思われるのですが。
キリスト教の教えをよく知らないのに、長ったらしい聖書を一通り読む人というのは相当限られてくるでしょうから、
キリスト教とはずいぶん敷居が高い宗教だという事になります。
ちなみに皆さんも、キリスト教の教えをよく知らない内から聖書を一通り読んでキリスト教徒になったのでしょうか?
これまでに何千億と存在したであろう信者、特に識字率の低かった時代の信者もそうだったのでしょうか?

873:822-823
14/04/09 01:50:23.71 lUWCDNo7.net
しかしそれだと、キリスト教の神は「キリスト教の教えをよく知らないのに聖書を一通り読む人」といった
極めて限られた、かつ変わった人しか救わないという事になり、平等とは程遠い話になりますよね。

そしてキリスト教とはそんな少数の変わった人達だけで集まり、自分達と同様の人間を除いた大多数の新参者を受け入れず、
聖霊に満たされていない普通の人間には読めないという、聖書の真実とやらについて語り合うという宗教なのでしょうか?
何だかローマ帝国に伝わった当初の、オウム同様の扱いを受けていた頃のキリスト教の様な印象を受けますが。

それに私は聖書の内容ではなく、既にこのスレに書かれたキリスト教徒の方の主張に対して質問しているのです。
主張に対して質問されたら「聖書を読め」、主張は書きっぱなし、というのでは無責任ではありませんか?
私が聖書をあまり読んでいない事も、私の最初の質問の時点で分かるでしょう。
その上で答えて下さっていたのではないのですか?
それがここに来て「聖書を読め」と言い出されては、訝しい印象を受けてしまいます。

874:神も仏も名無しさん
14/04/09 06:33:25.85 Ff4KFkJK.net
855さんの質問にある宗教は統一教会か、もしくは韓流のキリスト教風新興宗教で間違いない。
韓国では統一教会の日本での大成功をみて、自分も第二の文鮮明になって大金持ちになろうと
新興宗教を開業する山師教祖があとをたたない。

875:神も仏も名無しさん
14/04/09 16:00:55.88 r27gwfyS.net
>>858

なるほど。
ありがとうございます。
どちらにせよ少なくともカルトの一面はありそうですね。

876:神も仏も名無しさん
14/04/09 21:35:34.19 WRYBBr2z.net
>>857
あなたは、イエス・キリストに何を求めているのですか?

877:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/09 22:08:41.12 1TdqN/3O.net
>>857
>極めて限られた、かつ変わった人しか救わないという事になり、平等とは程遠い話になりますよね。

そもそも救いに関して「平等」などという言葉は
聖書のどこを探しても書いてありませんよ。
勝手なあなたの先入観を土台にして質問されても答えようがないじゃないですか。

何を勘違いしているのか、あなたが「平等ではないじゃないか」と
あたり前のことをしつこく書いてくるので、みんなが迷惑しているのです。

まずあなた自身の先入観や思い込みを、冷静に自覚したうえで質問すべきです。
そのために、少しは聖書を読んでから質問しろと言っているんです。

878:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/09 22:14:17.24 1TdqN/3O.net
聖書には、人間が平等だなどとは一言も書いてありません。

人間が平等だ、というのは近世になって出てきた啓蒙思想なのであって、
キリスト教の教えじゃありませんよ。

もう一度、世界史から勉強し直したら良いでしょう。

879:神も仏も名無しさん
14/04/09 22:18:01.60 WRYBBr2z.net
>>861
聖書は、クリスチャンでも読めない人がいます。

だから、伝道者や牧師に関わってくるのでは。
あとは相手が求めているか、の問題だと思います。

880:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/09 22:18:14.63 1TdqN/3O.net
親切なので教えてあげます。
聖書には、以下のように書いてあります。

★ローマの信徒への手紙 9:21
焼き物師は同じ粘土から、一つを貴いことに用いる器に、
一つを貴くないことに用いる器に造る権限があるのではないか。

881:おとなり
14/04/09 22:53:22.36 dn90ziNW.net
まあ、まあ。
私も、質問者が何を求めて質問しているのかが知りたいですね。
冷やかしなのか、
ただの興味なのか、
救われたいけど迷っているのかでも話は変わってくると思います。
聖書を読んでから…と言った事で揉めさせてしまってすいませんでした。

882:おとなり
14/04/09 23:03:13.40 dn90ziNW.net
>>861
皆、名無しだから誰のレスか分からなくなりますね
(--;)
もしかしたら、平等にこだわっていた方と、>>857の方は違う人なのでは?

883:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/09 23:31:50.53 1TdqN/3O.net
>>866 さん
>>857の人は「横レス」さんなので、
確かに平等に拘ってた人ではないですね。

でも、もともと質問していた人よりも
「二千年も前に誰かが書いた本の記述のみで信じろというのは、それこそ妄想を推奨しているだけですし」
だとか、
「誰かが犯罪者の身代わりになって罰を受ければ犯罪者が許される、などという法律は聞いた事がありません」
とか書いていた人です。

884:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/09 23:37:43.96 1TdqN/3O.net
>極めて限られた、かつ変わった人しか救わないという事になり、平等とは程遠い話になりますよね。

この発言の奥には、「キリスト教というのは、平等と言いながら平等じゃない」
という気持ちがあると思います。
「横レス」さん以外にも、そのような考え違いをしている日本人は多いと思います。

なぜなら僕も、聖書を読んでみて初めて考え違いに気がついたからです。

「横レス」さんの文章は、人から反論されて素直に納得するような人とは思えなかったので
僕は、自分自身で聖書を読んで確認されるのが一番良いと思いました。
そう思わない方は、どうぞ彼に親切に教えてあげてみてください。

885:おとなり
14/04/09 23:41:35.74 dn90ziNW.net
>>867
横レスさんの意見は、
聖書の冒涜と取れるし、
気分の良いレスでは無いと思いますが、でも、
一般のノンクリの方々では常識(悲しいけれど)だろうと思います。
私は、平等さんと同じ方と勘違いをしてしまいました。
いきなり聖書を読んでからと突っ返されたのでは、
横レスさんも気分悪かった事でしょう。

886:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/09 23:41:41.08 1TdqN/3O.net
>>863
>聖書は、クリスチャンでも読めない人がいます。
>だから、伝道者や牧師に関わってくるのでは。
>あとは相手が求めているか、の問題だと思います。

この文章ですが、さっぱり意味がわかりません。
求めているのなら、自分から聖書を読むはずです。

887:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/09 23:44:44.09 1TdqN/3O.net
>>869
>いきなり聖書を読んでからと突っ返されたのでは、
>横レスさんも気分悪かった事でしょう。

それなら、あなたが横レスさんが納得するまで
親切に教えてあげたら良いのではないでしょうか。

期待しています。

888:おとなり
14/04/09 23:46:59.50 dn90ziNW.net
>>868
私も、聖書を読んでいない事を責めるつもりで書いた訳ではなく、
本当に知りたいのなら、
読んで分かることもあるし、説明も理解しやすいと思ったからです。
平等さんと同じ方と思ってましたしね( ̄▽ ̄;)

889:おとなり
14/04/09 23:56:41.93 dn90ziNW.net
>>868
私は>>850を書いた者です。 名無しだとややこしいのでコテを着けました。
私が言いたかったのは、
私が言った事で、
横レスさんが気分を害して、こんな言い回しのレスをしたのではないかと言うことです。
ダニエルさんまで怒らないで下さい。

890:848
14/04/09 23:57:43.88 apUTRly5.net
snipped (too many anchors)

891:神も仏も名無しさん
14/04/10 00:08:52.07 yC0944In.net
>>870
イエス・キリストを求めていても、聖書が読めないから、クリスチャンに聞きにくるのではないですか。

だから良い知らせを伝える人はなんと美しいことか、とローマ10:15に書いてあります。

良い知らせを上手く伝えたいものですね。

892:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/10 00:26:52.71 lW43NH/+.net
>だから良い知らせを伝える人はなんと美しいことか、とローマ10:15に書いてあります。

それを言うなら、
「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」です。
マタイによる福音書 7:6には、次のようにあります。

「神聖なものを犬に与えてはならず、また、真珠を豚に投げてはならない。
それを足で踏みにじり、向き直ってあなたがたにかみついてくるだろう。」

893:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/10 00:33:28.05 lW43NH/+.net
>>875
>イエス・キリストを求めていても、聖書が読めないから、クリスチャンに聞きにくるのではないですか。

インターネットをやっている人なら、ネットで聖書が読めるはずです。

894:神も仏も名無しさん
14/04/10 00:42:37.15 yC0944In.net
ダニエルさんは、リンゴさんに似ていますね。

895:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/10 00:50:28.76 lW43NH/+.net
>ダニエルさんは、リンゴさんに似ていますね。

リンゴさんは知りません。
イエス・キリストを求めていながら聖書を読まない人がいるとは
どういうことを言っておられるのか意味がわからないので教えてください。

896:神も仏も名無しさん
14/04/10 01:01:56.85 yC0944In.net
>>879
読まないのではなく読めないのです。
聖書は神の立場から書かれたので、人間の立場からは理解しにくいです。
だから、伝道が必要です。

897:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/10 01:10:18.00 lW43NH/+.net
>>880
>読まないのではなく読めないのです。
>聖書は神の立場から書かれたので、人間の立場からは理解しにくいです。
>だから、伝道が必要です。

理論が破綻しています。
聖書が神の立場から書かれたので、人間の立場からは理解しにくいのはそのとおりです。
しかし「だから、伝道が必要です。」となるのは意味が通じません。

898:848 1/2
14/04/10 01:12:53.23 QA8B6Q2m.net
>>843

聖書の記述を見てみると、神様から造られた当時、アダムの心の中には「神と同等の存在になりたい」という「悪い考え」は、
一切なかったように思います。

二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものとした。
(新共同約聖書 創世記 3章7節)

上記は、蛇にそそのかされたイヴから「善悪の知識の実」をもらい、その実をアダムが食べた後に何が起きたか、ということを示す、
重要な箇所です。

神様は、アダムとイヴに「自由意志」を与えていました。
それは、神様の二人に対する「信頼の証し」でした。
ですから、当然、二人は「自由意志」によって、蛇の誘いを断ることもできました。
でも、蛇の誘惑に乗ってしまい、二人は「善悪の知識の実」を食べてしまいます。
ここには、私たち「人間の弱さ」がどういうものかが、巧みに表現されています。
ここを見て、私たちは改めて「自身の弱さ」を自覚しなければならないと思います。

先に別のレスで書きましたが、「自由意志」とは、全能の神様といえど、自由にはできない意志で、
アダムとイヴは自らの「自由意志」によって、神様から「食べてはいけない」と忠告されていた実を食べました。
二人のこの行為は、「神様の信頼」を裏切る行為であり、「神様のせい」ではありませんので、
彼らのしたことは、神様の責めに帰すべきことではないのです。

>>843さんは、アダムやイヴのことを「失敗作」とおっしゃっていますが、それをおっしゃったら、あなたも当然、
「自身は失敗作」だということを、御自身で認めなければならなくなりますよ。

神様は、誰のことも「失敗作」だとは思っていません。
なぜなら、アダムやイヴのことも、一度は祝福されて、「極めて良し」と判断なさったからです。

(続く)

899:848 2/2
14/04/10 01:13:41.66 QA8B6Q2m.net
神様のほうから人間を裏切ったことは、一度もありませんよ。
「自由意志」も、神様が人間を愛するがゆえに与えたモノですが、それを用いて神様を裏切ったのは、実は人間側なのです。

また、仮に神様が「修正」を行ったとしたら‥‥、>>843さんの霊魂のみならず、私たちの存在はこの世から消えてしまうでしょう。
神様の行う「修正」とは、鉛筆で書いたものを消しゴムで消すレベルではなく、「霊魂の存在、そのものが消えてしまう」レベルでの
修正を示します。


あと、上記の聖書の言葉(新共同約聖書 創世記 3章7節)について、少々解説しますね。

「二人の目は開け」というのは、「善いことと悪いこととを知るようになった」という意味で、二人の目がもともと見えなかった、
ということを指しているわけではありません。

聖書が「霊的な書物」と言われるのは、この部分のように、「この世の常識が当てはまらない読み方」をする箇所が
多々あるためなのです。

「自分たちが裸であることを知り、(中略)腰を覆うものとした。」というのは、「ここで、二人に原罪が生じた」ということがわかる一文です。
二人に原罪がなかった時、二人はお互いに裸ではありましたが、「裸でいることは恥ずかしいことだ」ということを知りませんでした。
現世では、服を着ないで裸のままでいる人は、「おまわりさん!このイモです!!」と警察を呼ばれ、逮捕されてしまうのが常識ですが、
アダムとイヴのいた時代では、神様の御前では裸のままでいること、それがごく普通のことでした。

つまり、二人に芽生えた「羞恥心(恥ずかしさ)」も、もともとは「原罪」がなければ生じることはなかったのです。

(終)

900:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/10 01:15:42.22 lW43NH/+.net
まず聖書を自分で読まないことには何も始まりません。
これは、指導者はいらない、という意味ではありませんよ。

伝道されなければ聖書と出会えなかった大昔とは違い、
現代の日本では、誰でもその気になれば自分で聖書を読むことは可能です。

あなたの通っておられる教会の牧師が何と言っているのかまでは知りませんが
おかしな教会の伝道によって、人生を狂わされる人がとても多いのです。

901:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/10 01:17:46.64 lW43NH/+.net
>>880

誤:『聖書は神の立場から書かれたので、人間の立場からは理解しにくいです。
だから、伝道が必要です。』


正:『聖書は神の立場から書かれたので、人間の立場からは理解しにくいです。
ですから聖書を読む場合には、無垢な態度と祈りが必要です。』

902:神も仏も名無しさん
14/04/10 01:31:39.68 yC0944In.net
>>885
信仰は神のことばを聞くことから始まります。

903:848 1/2
14/04/10 02:15:41.66 QA8B6Q2m.net
>>843

Q.神様の愛に応えた人間しか天国に行かせてくれないの?

私がこれから語ることは、あなたが霊魂だけの存在(←私はこれを、「意識体」という造語で呼んでいます)になった時に知ることです。
また、本来、肉体を持っている状態の人間が知ることを赦されていない、現世には持ち込み禁止の霊的な知識です。
回答をするためには、避けては通れないことなので書きますが、それを信じるか信じないかは、あなたの霊魂にお任せします。

私たちは昔、悪いことをする度、親や周りの大人から「神様に地獄に落とされるよ」と言われて育ちました。
ですが‥‥実は、神様が地獄に落とすのではありません。
霊魂の存在となった時、私たち自身が「地獄を選ぶ」のです。

天国は‥‥現世の太陽よりも、明るく、まぶしい世界です。
その明るさは、少しでも穢れた霊魂には恐れ多くて、近づき難い明るさなのです。
なぜ近づき難いかというと、その光の源が神様だからです。
(意識体になると、以前からそのことを知っていたかのように、ごく自然に、そのことを知っていることに気づかされることでしょう。)

あなたは亡くなって、意識体となった時、現世で得た善悪の知識に加えて、更に多くの善悪の知識を得ます。
そのことによって、あなたの霊魂は更にきめ細やかな善悪の判断をすることができるようになります。
その時、あなたは現世での自身の行いをもう一度、振り返ります。
あなたは現世での行いに応じて、自身の霊魂の善悪を吟味することができます。
そして、自身の霊魂が天国に行けるかどうかを、自身で推し量ることになります。

天国に行くには、本当にきれいな霊魂でなければならないのです。
(神様を愛する霊魂しか、天国には入れないのです。)

(続く)

904:848 2/2
14/04/10 02:18:08.73 QA8B6Q2m.net
もし、あなたが今のまま、神様の愛を知らず、その愛に応えず、現世で霊魂を磨くこともないまま、亡くなってしまったとしたら�


905:d‥。 あなたは意識体になった時、自身の霊魂の黒さを垣間見るでしょう。 天国から漏れるまぶしい光と、自身の霊魂の黒さを見比べるあなた‥‥。 その時のあなたには、自身が天国に入れる霊魂かどうか、すでに答えは出てしまっています。 「この霊魂の黒さじゃ、天国には入れない‥‥。」 「現世では何度も、神様の愛を知る機会があったのに‥‥何で、素直になれなかったんだ‥‥!!」 そうして、後悔の念とともに、あなたの霊魂は地獄に行くしかないことを悟り、「地獄へ行くことを選ぶ」のです。 そうです、神様が天国に行かせないわけではありません、自身が天国に行くにふさわしくない霊魂であることを悟るのです。 ですが、神様が私にこれを語らせたということは、まだ神様はあきらめてはいらっしゃらないようですよ。 あなたの霊魂が、望んで天国に来てくれることを‥‥。 神様の御旨は、あなたが「天国に行きたい」と強く望み、「地獄には行かない!!」と決心してくれることなのですよ。 また、天国に入りたい人は、自身の霊魂を「神様を愛する霊魂」としなければなりません。 そうしないと、天国の光には到底耐えられないからです。 (終)



906:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/10 13:56:20.81 lW43NH/+.net
>>886
>信仰は神のことばを聞くことから始まります。

もし反論を書きたいのであれば、上記のような言い切りではなく、
きちんと意味が伝わるように書いてください。

聖書を自分で読んで、それにより信仰に目覚めたという人を僕は知っていますよ。

そもそも誰から神の言葉が聞けるのですか? 聖書からではないですか。

907:神も仏も名無しさん
14/04/10 14:32:12.92 MaUi8e6z.net
脳内に降りていらっしゃるんだよw

908:神も仏も名無しさん
14/04/10 14:57:53.79 MaUi8e6z.net
完全な神は敢えて人間を完全には作らず、なおかつそこに不安定な自由意志を与え、
こっそりと蛇を野放しにされた。
無論、それがどんな結果を導くか、完全な神は最初からすべてご存知だった。

909:神も仏も名無しさん
14/04/10 15:08:50.81 MaUi8e6z.net
>耳では聞いていても聞いておらず、悟ろうとしても悟ることのできない人間が、
>この世にはいるからです。

何故でしょうか?
神がそうなるように人間をお作りになったからです。
完全にして万能なる神がミスを犯すことはありません。
神がそうなるように仕組まれたのです。

910:神も仏も名無しさん
14/04/10 18:55:05.52 yC0944In.net
>>889
†実に、信仰は聞くことにより、しかも、キリストの言葉を聞くことによって始まるのです。ローマ10:17

†神は、定められた時に、宣教を通して御言葉を明らかにされました。
私たちの救い主である神の命令によって、わたしはその宣教をゆだねられたのです。テトス1:3

イエス・キリストからいただいた愛で、神の言葉を伝えるほうが良いと思います。

たっぷりとイエス様の愛が伝わるはずです。

911:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/10 20:50:50.86 SLGblaZX.net
>>893
>イエス・キリストからいただいた愛で、神の言葉を伝えるほうが良いと思います。
>たっぷりとイエス様の愛が伝わるはずです。

ふ~ん。なるほど。

あなたはたっぷりとイエス様の愛を伝えて
実際、何人救ったんでしょうか。

912:インギ改
14/04/10 20:52:20.14 gpDBsZE4.net
ダニエル氏。
896氏がなにか間違ったことを言いましたか?

913:神も仏も名無しさん
14/04/10 21:11:22.35 yC0944In.net
>>894
数え切れないぐらいの人を救いました。
何度も何度も御言葉を分かりやすく伝えたり、自分の頭の中で整理したりしながら、伝えてきました。
これは、伝える人と聞く人に益になっています。

†御言葉を宣べ伝えなさい。
折りが良くても悪くても励みなさい。
第二テモテ4:2

914:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/10 21:25:23.58 SLGblaZX.net
>>896
>数え切れないぐらいの人を救いました。

ふ~ん。それなら説得力がありますね。

915:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/10 21:27:38.07 SLGblaZX.net
じゃあ、これからも聖書を読むことを勧めるのではなく
あなたの伝道で数えきれないほどの人を救ってあげてください。

916:神も仏も名無しさん
14/04/10 21:50:32.48 yC0944In.net
>>898
私たちは御言葉で救われるのですから、御言葉に住むようになります。

†そして、御言葉を行う人になりなさい、とヤコブ1:22のように、

御言葉は聖書を読まなければ、行うことができません。
クリスチャンになれば、たくさん聖書をよむようになるでしょう。

917:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/10 21:56:26.27 s259mJ7g.net
>>899
たくさん聖書を読んでおられる>>899さんに質問します。

>私たちは御言葉で救われるのです

それは聖書のどこに書いてある言葉ですか?

918:神も仏も名無しさん
14/04/10 21:56:40.63 mXeTGC+h.net
>御言葉に住むようになります。

精神異常者だw

919:神も仏も名無しさん
14/04/10 23:12:08.19 yC0944In.net
>>900
「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。」
これは、私たちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。
口でイエスは主であると公に言い表し、
心で神がイエスをは死者の中から復活させられたと信じるなら、
あなたは救われるからです。
実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。
ローマ10:8-10

920:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/10 23:15:20.31 s259mJ7g.net
>>802

あれ?
『御言葉で救われる』 とは聖書のどこに書いてあるのですか?
と聞いたのですが。

まさかごまかそうとしてないですよね?

921:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/10 23:18:16.70 s259mJ7g.net
まあ、いいです。
もうわかりましたから。

922:神も仏も名無しさん
14/04/10 23:21:26.77 QA8B6Q2m.net
>>901

あなたがキリスト者か否かは存知上げませんが、他人の言葉のあやを責めるのは、
たとえ、それが冗談であったとても、端から見ていて、気分の良いものではありませんね。

神様は、あなたがどういうおつもりでレスをなさったのかを、
すべて御存知でいらっしゃいますよ。

あなたは人間として、恥ずかしいことをしておいでですよ。
恥を知ることと、誠意ある猛省を、あなたに期待します。

923:神も仏も名無しさん
14/04/11 00:00:45.45 QA8B6Q2m.net
>>899さんが「御言葉に住むようになります」とおっしゃっていることで、

「何だよ、その御言葉は? 一体、聖書のどこに載ってンの? お前、本当に聖書読んだことあんのかよ?」

と、「私はあなたより、聖書の御言葉を知っています」と言わんばかりの、傲慢で、上から目線のレスがいくつか入り‥‥、
私は大変、気分が悪うございますので、援護射撃というわけではありませんが、
何も存ぜぬ殿方に一言、物申したいと思います。

「御言葉の内に住むようになります」

>>899さんは、本当はこのように申し上げたかったのだと思いますよ。

この言葉は、真のキリスト者なら普通に聞いたり、口にする言い回しだと思いますが、
傲慢で、上から目線の殿方が御存知ないのであれば、その殿方は当然「モグリ」だとしか思えません。
この言葉を知らないとは、本当にキリスト者ですか、あなた方は?!

「御言葉の内に住むようになります」

という言葉は、「御言葉=神様」ということですから、言い換えれば、「神様の内に住むようになる」という意味です。
その言葉の、どこがおかしいのでしょうか?
私も普通に、「御言葉の内に住むようになる」という言葉を用いますよ?
これをおかしいとおっしゃるなら、「霊的な読み方」ではなく「肉的な読み方」をしていらっしゃるとしか思えません。

他人のことを小馬鹿にする前に、己の無知と傲慢さを恥じて、謙虚になってみてはいかがかしら?

924:神も仏も名無しさん
14/04/11 00:30:30.20 yiWSOykB.net
補足ですが‥‥

「主の御言葉が内に住むようになった」

という言葉なら、皆さんは御存知であったかもしれませんね。

925:神も仏も名無しさん
14/04/11 04:29:10.86 i3+xzenZ.net
>>900
御ことばはイエス・キリストですから、御ことばで救われる、と書きました。

御ことばに住むというのは、イエスのまことのぶどうの木につながっていれば、豊かな実を結ぶと同じ意味です。
私の愛にとどまりなさいということで、
ヨハネ15章に書いてあることを伝えました。

926:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/11 16:02:18.95 pVOh5hq8.net
>>906さん  >>908さん
捏造という言葉を知っていますよね?
聖書に書かれていない言葉を自分で作り、それをもっともらしく
語るのは、よろしくないことです。

このような聖書に敬意を払わない人たちが、自分の言葉で語り、
聖書の言葉を勝手に水増しして膨らましていることが、
大変よろしくないことです。

927:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/11 16:06:28.91 pVOh5hq8.net
自分の言葉を語る本人は、それを少しも悪いと思っていないようですが、
このようにして誤謬が蔓延し、ついに聖書の言葉を無力化します。

従って、このように無責任な人の発する言葉には、十分な警戒が必要です。

彼らは聖書に根拠のないことを、勝手に自分で考えて語り、
そのうえ、それを恥じることがないのです。

928:神も仏も名無しさん
14/04/11 19:30:32.09 i3+xzenZ.net
>>910
あなたには理解できないようですね。
私はいつも御言葉に従っていますので、イエス様は私と共にいてくださいます。
では、ごきげんよう。

929:「822-823」改め「横レス」
14/04/11 21:11:11.34 Zy+8+Euu.net
レスが遅くなって申し訳ありません。

私のレスが紛らわしくて混乱を招いたようなので、皆さんの呼び方に合わせて改名しておきます。

おっしゃる通り、私は「平等さん」とは別人です。
ここまでで私のレスは、>>822-823>>840-844>>856-857だけです。
ですので、>>874さんも誤解無きようお願いします。

皆さんは私がどんな意図をもって質問しているのか、イエスに何を求めているのかを気にされているようなので、
以下に私のスタンスを書いておきます。

まず、私は現状ではイエスに何も求めていません。
私はいまだ、イエスが何者なのか測りかねていますから。
あなた方キリスト教徒はイエスには救いを求めているでしょうが、それ以外の誰にでも救いを求めたりしませんよね?
なぜならあなた方にとって、イエスは救い主であり、それ以外の人間は救い主ではないからです。
それと同様に、私にとってイエスとは救い主ではなく、二千年前にユダヤ教の改革を試みた、ただの人間でしかないので、
そんな人に何かを求めたりはしません。

ただし、それは現時点での私の解釈です。
私は聖書こそろくに読んでいませんが、キリスト教について宗教学的観点からは、独学ながら少しは勉強しています。
そして現在のところ、「イエスはただの人」という解釈に至っていますが、それは稚拙な独学によるものですし、
最終結論ではなく、あくまで途中経過に過ぎません。
ですので、キリスト教徒の皆さんの解釈を伺うと同時に、私の考えをぶつけてみたいと思った次第です。

930:「822-823」改め「横レス」
14/04/11 21:12:53.21 Zy+8+Euu.net
皆さんにしても、同じ考えを持った人間同士で肯定し合うだけでは、その考えを真に正しいと信じる事はできないでしょう。
異なる考えを持った人間と意見をぶつけ合い、批判に耐え抜いた説こそが、真に正しい説であると言えますし、
それを避けて、自分の考えを否定されるのを恐れ耳を塞ぐのではカルトでしかありませんから。
ですので、反論されたら素直に納得しろ、教義を否定するのは冒涜だ、といった考え方は、この際控えていただけると幸いです。

もちろんその質疑応答の過程で皆さんの考えが私の批判に耐え抜き、正しいと論証されれば、私はイエスを救い主と信じますし
勧められずとも、自らイエスに救いを求めるでしょう。
それは私にとって悔しい結果ではなく、喜ばしい事です。
神が実在し、その愛に応える事で自分が救われる事を知るのですから。
そしてそれは皆さんのような宗教者にとっても有意義な布教活動なのではないでしょうか。

ただし、喜ばしい事だからといって頭からそれこそが真理だと思い込む、理想を切望するあまりに現実と混同する、
といったカルトのような事は絶対にする気はありません。

とはいえ、前述の通り稚拙な独学の途中経過が絶対に正しいなどとは思っていません。
現状としては、キリスト教に否定的な解釈に至っていますし、キリスト教の是非について信者の皆さんと質疑応答するにあたり
反対側の席に着く立場なので否定的なスタンスをとっているという事です。

931:「822-823」改め「横レス」
14/04/11 21:15:34.50 Zy+8+Euu.net
ダニエルさんのおっしゃる通り、私はキリスト教の神が「機会の平等」ではなく「結果の平等」、すなわち
完全な平等だと思っていました。
しかしその点については、>>822で初めてレスする前に、皆さんの「平等さん」に対する回答を読んだ時点で認識を改めています。
そしてその上で疑問を持ったので、さらに質問させていただいている次第です。

例えばダニエルさんは「機会の平等」を、年金に例えておられます。
これは「その見返りにふさわしい行いをした者だけが見返りを得られる」という当然の理屈ですよね。

しかしダニエルさん含め、皆さんのお話を読むと、神の教えを理解して救いを得るより以前に、
その初歩を知るためにさえも聖書を一通り読まなければならないとの事です。
そこで、キリスト教の神は「キリスト教の教えをよく知らないのに聖書を一通り読む、極めて限られた変わった人」
だけを救う、という結論に至った次第です。

この結論について注意していただきたい事が二点あります。
一点目は、それが皆さんのお話を取りまとめた結果であり、それについて私に苦情を言われても
私としてはどうしようもないという事です。

二点目は、それが「結果の平等」だけではなく、「機会の平等」からもかけ離れているのではないかという事です。
>>868を見ると、ダニエルさんはどちらの意味での「平等」なのかを明確にせず、私が「結果の平等」にこだわっていると
暗に主張されているように思われますが、それは曲解です。

932:ここ壊れてます
14/04/11 21:22:58.74 8BAEsJMB.net
新約聖書の編者は、イエスとは別人のメシアが現れる事を預言している。
ナザレ村のアンチャンをメシアなどと言ってる馬鹿は
キリスト教徒位の物で、聖書のメシアも当たり前に
違っていただろうと思っていました。

私は下記のヨハネ福音書の16章を読んで判りました。
私が去った後に人を遣わすと言ってるんですよ。
それでその人は
「罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを
明らかにする。」と預言されている。すなわちこの人はメシア
ですよ。
これって、ユダヤ教のメシアと同じじゃないですか。

16:5 今わたしは、わたしをお遣わしになった方のもとに行こうとしているが、あなたがたはだれも、『どこへ行くのか』と尋ねない。
16:6 むしろ、わたしがこれらのことを話したので、あなたがたの心は悲しみで満たされている。
16:7 しかし、実を言うと、わたしが去って行くのは、あなたがたのためになる。わたしが去って行かなければ、弁護者はあなたがたのところに来ないからである。わたしが行けば、弁護者をあなたがたのところに送る。
16:8 その方が来れば、罪について、義について、また、裁きについて、世の誤りを明らかにする。
16:9 罪についてとは、彼らがわたしを信じないこと、
16:10 義についてとは、わたしが父のもとに行き、あなたがたがもはやわたしを見なくなること、
16:11 また、裁きについてとは、この世の支配者が断罪されることである。
16:12 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。
16:13 しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
16:14 その方はわたしに栄光を与える。わたしのものを受けて、あなたがたに告げるからである。

933:「822-823」改め「横レス」
14/04/11 21:27:32.97 Zy+8+Euu.net
すみません、まとめて連投するつもりが連投規制食らってました。
>>914の続きです。

さらに付け加えると、皆さん、特にダニエルさんのお話では「聖書に出会えない時代、地域の人は救われない」いう事になります。
つまりキリスト教の神は「『二千年前から数百年前のローマ帝国領の住人並びに、それ以降の文明社会に暮らす人間』のうち、
『キリスト教の教えをよく知らないのに聖書を一通り読む、極めて限られた変わった人』」以外には
救われる機会さえ与えないという事になります。
それらの限定条件は、年金の例えのように、天国行きというとてつもなく大きな見返りを得るにふさわしい立派な行いなのでしょうか?
私にはもはや神が何をしたいのかさっぱり分からないのですが。

934:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/11 21:28:31.50 hRagc0+9.net
>>914
>しかしダニエルさん含め、皆さんのお話を読むと、神の教えを理解して救いを得るより以前に、
>その初歩を知るためにさえも聖書を一通り読まなければならないとの事です。

聖書を読まれればわかることなのですが、
救われるためには洗礼を受けることが必要です。

あなたに聖書を読むように勧める理由は、こうしたことを
理解していただくためです。

あなたのように理詰めで考える方は、人から説得されるよりも
ご自身で確認された方が良いように思いました。

935:「822-823」改め「横レス」
14/04/11 21:28:42.89 Zy+8+Euu.net
>>882-883>>887-888
ご回答ありがとうございます。感謝致します。

>>882
まず、「自由意志」についてですが、人間の心が、蛇にそそのかされただけで悪に転じるようなものであれば、
それは神があらかじめ人間の中に善と悪の心のいわば原型を作り、そのどちらを選ぶかを「自由意志」に任せたという事になりますね。
そして、蛇にそそのかされただけで悪に転じるような「自由意志」も神が作ったものです。
また、人間をそそのかすような蛇も、神が作ったものですよね。
すなわち「悪の心」、「自由意志」、「蛇」、人間に原罪を与えるに至ったすべての要因は神が作ったものです。
つまり、神が本当に全知全能なら、原罪とは神が意図的に仕向けた事、神の自作自演、という事になるのではないでしょうか。

>>883
神が本当に全知全能で、人間を愛しているのなら、存在そのものを消さずに悪い所だけを修正するのではないですか?

それと「二人の目は開け」というのは、日本語でも「○○に開眼する」というように単なるメタファーでしょう。
メタファーをもって「霊的な書物」というのであれば、そこら中に「霊的な書物」が転がっている事になりますよ。

>>887-888
重大な秘密を教えて下さってありがとうございます。

一つ気になったのですが、神が自らの光を弱めればすべて解決するのではないでしょうか。
神が全知全能なら、何の弊害も無く光を弱めるぐらいたやすい事でしょうし、黒い霊魂にも天国に来て欲しいと思っているなら
そうするはずだと思うのですが。

ちなみにあなたはその重大な秘密をいかにして知り、確信するに至ったのか教えていただけないでしょうか?

936:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/11 21:35:39.99 hRagc0+9.net
>批判に耐え抜いた説こそが、真に正しい説であると言えますし、
>それを避けて、自分の考えを否定されるのを恐れ耳を塞ぐのではカルトでしかありませんから。

ここであなたが書いているやり方は「科学における事実の検証」において有効だと思います。
しかし、そのような考え方でイエスを受け入れることはかなり難しいと思います。

少なくとも人生について真剣に悩むことがなければ、イエスを信じるに至らないのではないかと思うのです。
聖書を読み、そこでイエスの言葉に触れて、それが真実であるとご自身で思わない限り、このような議論は
あまり意味を持たないと思います。

937:ダニエル ◆o31oshrvYE
14/04/11 21:40:33.44 hRagc0+9.net
>>914
>キリスト教の神は「キリスト教の教えをよく知らないのに聖書を一通り読む、極めて限られた変わった人」
>だけを救う、という結論に至った次第です

それは残念ながら、日本においてのことに過ぎないのです。
カトリック教国であれば、多くの人は幼児洗礼ですので、聖書を読まなくとも
物心つく前から洗礼を受けているのです。
そういう意味では、日本人は不幸です。

938:848
14/04/11 22:56:57.62 yiWSOykB.net
>>843

Q.なぜ神様は、「神様の愛に応える事は、天国行きというとてつもなく大きな見返りが与えられるほど尊い行為であり、
  神様もそれを望んでいる」ということを、人間に広く教えないのですか?

神様自身が直接、そのことを人間に述べ伝えられないのは、霊的な存在であり、物質的な肉体を持たないからです。
ですが、現在、神様の教えに触れた人たちが神様に代わって、いろいろな地域を巡り、いろいろな人たちにそのこと(福音)を
述べ伝えています。

福音を広く述べ伝えても、信じる人と信じない人が存在するのは、神様が人間に「自由意志」を与えられた時から、
「信じる自由」と「信じない自由」の選択を、人間自身に許し、委ねておられるからです。

神様があなたを選ばれ、神様からの救いの手(愛)は、すでにあなたに対して伸ばされています。
ですから、その手を握り返すか否かは、すべて「あなた次第」なのです。
つまり、天国に行けるかどうかも、あなた自身がカギを握っている、と言えます。

939:848
14/04/11 22:57:43.32 yiWSOykB.net
>>843

Q.人間の前に姿を現して、「私は実在する。そしてあなた達を愛している」と表明すべきではないですか?

まず、私たちの肉眼は、あなたの霊魂のように、形のない物を確認(ロック・オン)できるようには造られていないのです。
この世の物質的な物は見えますが、神様が仮に姿を現して下さったとしても、肉眼では確認できないでしょう。
また、神様の御霊は太陽以上にまぶしい意識体なので、仮に私たちの肉眼でその御姿を捉えることができたとしても、
十中八九、失明しますが、それでもあなたは肉眼で、神様の御姿を御覧になりたいですか?

神様が無暗に人間の前に姿を現さないのは、神様が霊的な存在で、私たちの肉眼では見えない、ということの他にも
「重要な意味」があるからです。

イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」
(新共同訳 ヨハネによる福音書 20章29節)

この御言葉は、「物質的な見方」よりも「霊的な見方」のほうが、より優れた見方であることを物語っています。

私たちはこの御言葉のように、神様の御姿を肉眼で見ることがなくても、神様がすぐ近くに居られること(臨在)を
信じ、感じられるようにならなければいけないのです。

例えば、あなたがある場所に立っていたとしましょう。 あなたは、「自分の存在を誰でもいいから信じて欲しい」と願っています。
そこへ、あなたの姿が見えたから、あなたの存在を信じた人と、あなたの姿が見えなくても、あなたの存在を信じた人が
現われたとしたら、あなたはどちらを「祝福したい」と思いますか?
私なら、間違いなく後者ですね。
「物質的」に私の姿を捉えた人よりも、「霊的」に私の姿を捉えた人のほうが、私から見た場合、「より信頼するに値する」からです。
つまり、あの御言葉は「そういうこと」を言っているのです。

あと、聖書によると、神様の御声は「雷のよう」だそうですので‥‥霊魂にならない限り、その御声をはっきりと聞き取るのは
難しいでしょうね。

940:神も仏も名無しさん
14/04/11 23:04:23.34 i3+xzenZ.net
>>921
同意です。

941:848 1/2
14/04/11 23:40:45.94 yiWSOykB.net
>>843

Q.すべての人間を愛していて、すべての人間に天国に行って欲しいと思うなら、神を信じない、神の愛に応えない人間も
  その全知全能の力をもって天国に行かせるべきではないでしょうか?

「他力本願」および「責任転嫁」は、「原罪」から来る「人間の罪」の一つです。
神様が人間に「自由意志」をお与えになられた時、同時に「選択の自由」もお与えになりました。

神様がその御力で、私たちを天国に行かせないのには、それなりの理由があります。

まず、天国に存在できる霊魂には、「神様と両思いの、よく磨かれた霊魂のみ」という条件が存在します。
つまり、穢れた状態の霊魂では、天国には入れません。
仮に、天国に入れたとしても、天国の光があまりに強いため、穢れた霊魂では耐え切れずに、
溶けるように消えてしまいます。

そのことを御存知なので、神様は御自身の一存で穢れたままの霊魂を天国に引き上げるようなことをなさらないのです。

それをすれば、「強要」もしくは「強制」と捉えられ、神様の愛からはかけ離れた行為である、ということを神様は
よく御存知ですし、そのようなことをされても、人間にとっては結局のところ、嬉しい結果にはならないからです。

私は神様ではありませんが、天国が「よく磨かれていない霊魂が来ると、消えてしまう場所」だと知っていたら、
私でも、天国には絶対に連れて行かないと思いますよ、霊魂が穢れた状態のままでは‥‥。
連れて行くなら、霊魂をよく磨いてもらって‥‥天国に入れる状態になってもらってから、連れて行くでしょうね、私なら。

神様はあくまでも、「人間の意志を尊重するスタンス」を取っておられますので、敢えて御自身が介入しないよう、
配慮なさっているのです。
神様が介入してしまうと、人間が自身の霊魂を磨く、せっかくの機会を奪ってしまいますからね。

(続く)

942:848 2/2
14/04/11 23:42:31.30 yiWSOykB.net
「子供が転んだら、すぐに駆け寄って行って、急いで助け起こしてやりたいけど、子供の成長のために、
敢えて手出しをせずに、子供が自力で起き上がることを信じて待ちつつ、じっと陰から忍耐強く見守る父親」
‥‥を想像して頂くと、神様のスタンスがどういうものか、感覚的につかめると思いますよ。

それと、天国に行くためには「天国に行きたいと強く望む霊魂」でなければ、受け容れてはもらえませんよ。
「天国を強く望む」ということは、「神様に会いたいと熱望する気持ち」が必要不可欠です。
それは言い換えるなら、「神様を愛する気持ち」のことです。
これがなければ、「天国の門」は開きません。

「天国の門」は内側から開く仕組みではありません、門の外側から叩いて、開く仕組みなのです。
ですから、神様の一存だけでは、「天国の門」は開かないのです。
私たちの霊魂の持つ力次第で、「天国の門」は開くのです。
もちろん、「よく磨かれた霊魂」だと認められれば、「天国の門」は開きます。

「よく磨かれた霊魂」というのは、神様から発せられている光を鏡のように反射できるくらいに、磨かれた霊魂のことです。
日の光を反射する、鏡やダイヤモンドくらいに磨かれて、ピカピカ光り輝く霊魂が、天国にはたくさんいらっしゃいます。
それらの霊魂も、神様と同じくらい、まばゆい光を放っていますよ。
天国が昼間より明るいのは、そのためです。

神様は「皆に天国に来て欲しい」と思っていますが、神様の一存だけではどうにもできない理由があるのです。
その理由が、人間の脳内で処理できる理屈だけで説明ができれば、どんなに良いことでしょうね。

それから、現世は、「霊魂を磨くための場所」です。
天国にいる霊魂は、面倒臭がらずに、現世で霊魂を磨いた霊魂ばかりです。
それらの霊魂は、自身に降りかかる試練をすべて「神様からの試練」だと捉えて、「必ず乗り越えられる」と信じて、
立派にその壁を乗り越えました。
こういった心構えは、私たちも見習いたいものですね。

(終)

943:848
14/04/12 00:59:08.86 1+JPqLdf.net
>>844

少なくとも神様は、「神様の愛に応えないから」と言って、人間を非難したことはありませんよ。
人間のことを、とてもよく愛しておられますからね。

ただ‥‥人間が「神様から非難されている」と感じたり、ネガティヴ・シンキングに陥ることは、よくあります。

神様は、「神様のことだけを愛せば、それだけで良い」と考えているわけではありません。
御自身のこともそうですが、あなたの周りにいる人間のことにも気を配り、同じように愛してほしい、
というのが、神様の御望みです。
これは、神様にとって、人間を操ることでもなく、虚しいことでもありません。
なぜなら、神様が人間に与えたのは、「愛」と、人間が自らの意志で考え、行動するための「自由意志」だからです。

神様は、私たちの肉の器のこともお忘れではありませんよ。
聖書には、すべての終わりが来た後のことが記述されていて、その中には「肉体の復活」について記述されています。
神様が私たちの肉の器のことをお見捨てになるおつもりなら、聖書には「肉体の復活」に関する記述は、
初めからなかったはずです。
(余談になりますが、私は土葬が良いのですが、神様が肉体を復活させてくれるなら、火葬でも良いかな、と思っています。)

イエズス様がこの世にいらしたのは、現世でいう「ミッション」ではありません。
ですが‥‥十字架に掛けられ、亡くなられたイエズス様が生き返り、「罪の結果」となる「死」に打ち勝ちました。
この出来事は、「神様の勝利」を確かなものとし、その裏づけとなる決定的な出来事でした。
また、「神様を信じることは、真理である」ということの証しにもなりました。

イエズス様が肉体を持って現世に来られたのは、肉体を持つ私たちが天国に行くためにはどうするべきか、
という「ひな型」を御自身によって示し、倣ってもらうためだったのではないか、と私は考えています。

944:桜 ◆Pq7Hgpn13TKA
14/04/12 14:27:54.08 XO15+um9.net
†しかし、私たちの救い主である神の慈しみと、人間に対する愛が現れたときに、

神は、私たちが行った義の業によってではなく、ご自分の憐れみによって、私たちを救ってくださいました。

この救いは聖霊によって新しく生まれさせ、新たに造りかえる洗いを通して実現したのです。

神は、私たちの救い主イエス・キリストを通して、この聖霊を私たちに豊かに注いでくださいました。

こうして私たちは、キリストの恵みによって義とされ、希望どおり永遠の命を受け継ぐ者とされたのです。
テトス3:4

945:インギ改
14/04/20 06:42:55.48 Lh4feLfyV
ヤコブ書で
御言葉はあなた方の魂を救うことができます。
みたいなことがかいてありましたよね。

946:インギ改
14/04/20 06:57:04.24 Lh4feLfyV
レス中に神は「全知全能とはいえないのでは?」という疑問が提示されて
いますが、全知全能の意味を取り違えててはないでしょうか?
全知全能といっても、神にも出来ないことはたくさんあるでしょう。

・神はいったん発言された御言葉を撤回できない。
・神は自分の存在を消滅させることはできない。

とか他にもたくさんあるでしょう。

947:インギ改
14/04/20 06:58:41.56 Lh4feLfyV
>>927

桜口さん。これ何訳?

948:インギ改
14/04/20 07:14:49.18 Lh4feLfyV
確かに創世記は、
今生きる私たちの存在根拠や
今の世界の罪の状態の根拠を説明するには
十分ですよね。

ただ、誰かがおっしゃっているように
神の存在の根拠を創世記に求めるのはちょっと無理だと思います。
だから「何で神はこんな世界を作ったんだ?」という理屈が生じますよね。

最初から「神は存在して」という前提から聖書は始まってますから。
だから回答するのだとしたら、クリスチャンは何でこの前提に立てるのか
ということですね。クリスチャンはそこを答えなければならないと思います。
いや、しかしながら答える必要などはないのですけどね。
本質的には、答えるのは私達人間ではなく、神の側(聖霊)だといえます。
それを信じているのがクリスチャンですから。

949:インギ改
14/04/20 07:27:13.55 Lh4feLfyV
信仰抜きで聖書から回答できることは「人の存在根拠」についてでしょうね。

しかし、神の存在根拠をはじめとして、父・子・聖霊、キリスト論、
救済論などにおいて、それを納得するためには文字による説明では
不可能でしょう。それこそ神が本当にいて神が私たちに信じるように
働きかけなければ、納得できないものではないかと思います。
そうでなければ、クリスチャンの信仰とは「単なる思い込み」にすぎない
でしょうね。これはものすごい賭けですね。しかし、単なる賭けならば
あとで後悔することになるでしょうね。兄弟姉妹、あなたたちは主を
信じて後悔していますか? まさかそんなことはないでしょう。

950:インギ改
14/04/20 07:42:53.50 Lh4feLfyV
信仰がなかったとしても聖書を読めば多少は自分の存在根拠を
知ることができるし、でもそれを納得するかしないかは、
またそれは信仰のことがらになってくると思いますが…。
自分は存在する意味があるのか。何のために�


951:カきているのか。そういうことですよね。それは仏教の教えでも共通するんだとは思いますが、しかしながらキリスト信仰にしかない特有のものがあって。仏教は「教え・哲学」だが、キリスト教は「神との関係」だということですね。教えは未信者にたいしても知的に説明可能だが、神の存在を知的に説明することはできない。それこそ「神との関係」に実際に入った本人でなければ分からないということになります。



952:インギ改
14/04/20 07:54:35.87 Lh4feLfyV
だから、不信者さんが「何で神はこんな世界を作ったの?なんで人間を
こうつくったの?」という質問にたいしては、
クリスチャンは「ぼく、わかんない」と答えるのが一番まっとうな
答えではないかと思います。片意地張っていろいろ説明しだすと
逆に泥沼に入りますよね。

それよりも、不信者さんがなぜそういう質問をするのかということですよね。
不信者さんの側としても、知的に納得いく様な説明を
最初から求めてはいないでしょう。不信者さんのその何らかの欲求
を満たせるようなものがクリスチャンに与えられればいいですね。

953:横レス
14/04/17 21:04:00.33 QMpM3UNG.net
ダニエルさん、848さん、遅くなって申し訳ありません。
答えていただく立場なのに、申し訳なく思っています。
ただ、元々多忙な上に先週末から特に忙しくなっていまして。
さらに、複数の方相手のやりとりである事や、濃厚な回答をいただいている事、それに対して私の方もしっかりとお返事したい事等を
ご考慮いただけると助かります。

954:横レス
14/04/17 21:06:31.45 QMpM3UNG.net
>>917
私は救いを求めたのではなく、キリスト教の初歩的な教えを知りたかっただけなのです。
それともやはり、理詰めで考える人間は初歩的な教えを知るにも聖書を一通り読む必要が有るという事でしょうか?

しかしそれでは、少なくとも理詰めで考える人間に関しては「キリスト教の教えをよく知らないのに聖書を一通り読む
極めて限られた変わった人」しか救われないという事になりますし、やはり「機会の平等」にも程遠い事になります。
それともキリスト教においては、一般的な物事を、あるいはその人にとって海の物とも山の物とも分からない一宗教の教えを、
理詰めで考える事は罪悪なのでしょうか?

そもそも聖書を読むにしても結局は文字を読むわけですが、それは人による説得とどう異なるのでしょうか?
いずれも言葉を読解する作業であり、正しく理解するためにも、矛盾が無いか確認するためにも理詰めで考える事が必要になりますよ。

例えば漫画の設定に矛盾が無いかというのはよく取り沙汰される事ですが、読者が非日常的な作り話に対しても矛盾を嫌うのは、
リアリティが無いと話に入り込めないからです。
ましてやリアリティを感じるどころか、事実だと認めるか否かという問題になると、教義の「設定」に矛盾があるのは致命的でしょう。

教義を理詰めで考えるなというのは、そういった矛盾が見付かっても目をそらし、無批判に受け入れろという事に他なりません。
宗教に入信するにあたって、教えが本物かどうか冷静に判断せずに入信しろというのは、危険なカルトへの入信をも推奨する事になります。
そして、人生について真剣に悩む人間というのは、救いを求めるあまりに、救いと称するものを提示されるとその真偽を確かめず、
あるいはあえて矛盾から目をそらして、それが真の救いだと思い込もうとするのは本当によくある事ですし、
そこに付け込むのはカルトの常套手段です。
イエスとは、そんなカルト的手法でしか信じる事ができない存在だとおっしゃるのでしょうか?

955:横レス
14/04/17 21:07:36.84 QMpM3UNG.net
>>920
非カトリック教国という事であれば、日本に限らず世界のほとんどの国が該当するでしょう。
であれば、その私の一文に「世界のほとんどの国の」という前提条件を加えて下さい。
そうする事で論旨に影響が出る事は無いと思いますので、論旨に対してご回答をお願いします。

ちなみに幼児洗礼などといった行為が本当に許されるとお思いでしょうか?
成長して客観的な判断力を身に付けた時に他の宗教を選ぶかもしれない子供が、まだ的確な判断力を持たない内に
「キリスト教の教えは正しい」という考えを刷り込み、客観的に判断する機会を奪うのは、洗脳とどこが違うのでしょうか?
他の宗教、特にカルトの信者が同じ事をやった場合、あなたはどう思われますか?
「キリスト教こそが正しいからいいんだ」とおっしゃるのでしょうか?
カルト信者も同じ事を言うと思いますし、第三者から見たら両者は何の違いも無いのですが。

956:横レス
14/04/17 21:18:14.71 QMpM3UNG.net
>>921
神を「信じる自由」「信じない自由」とおっしゃいますが、補足するとそれは「ろくな信憑性を提示されずに
信じる自由と信じない自由」です。
人に聞いたり教典を読むだけでは、その教訓が素晴らしいとは思えても、その教えの主とされる神が実在するか否かは判断できません。
教訓が素晴らしい事と神が実在する事はまったくの別問題であり、それらを混同するのは希望的観測、ひいてはカルト的発想です。
キリスト教の神が、救われる人間と救われない人間とを選別するにあたり、「ろくな信憑性を提示されずに神を信じるか信じないか」
を基準


957:としているのなら、神の考え方は恐ろしくずれていると言わざるを得ませんし、そんなの事で天国行きか地獄行きかを決められたのでは たまったものではありません。 神は人間の希望的観測を試し、カルト的な発想をする人間のみを救うために、あえて人間の前に姿を現さないのでしょうか? >>922 全知全能なら人間の目にやさしい光量で、人間の目に見えるように実体化するぐらいたやすいのではないでしょうか? また、「信じる自由」、「信じない自由」と同様で、「霊的な見方」という優れた見方を人間に身に付けさせるためには、 その前段階として神が自らの存在を明確に示し、自らの存在を信じさせる事で、「霊的な見方」が重要である事を教えるべきでしょう。 なのに、神の存在を信じるか否かという入り口の段階で、まず「霊的な見方を要求するのでは、本末転倒と言わざるを得ません。 それができる人間は、「ろくな信憑性を提示されずに神を信じる」希望的観測、カルト的発想の人間です。 さらに、神は自分の存在を信じてくれる人間のみを祝福したいとあなたはおっしゃるのでしょうか? それはすなわち、神は自分の利益を基準に、救う人間と救わない人間を選別しているという事になりますが。



958:横レス
14/04/17 21:21:03.87 QMpM3UNG.net
>>924
霊魂を自ら磨くのが最善だとして、磨けなかった霊魂を、神はどうすべきでしょうか?
神が「強制」的に磨いて天国に行かせるのと、地獄に落ちるのを見過ごすのとでは、どちらが本当の愛でしょうか?
そもそも、まず天国に行くという至上の目的が有り、自ら霊魂を磨くのは、その目的のための手段でしかないはずです。
それなのに、その手段では目的を達成できなかった場合、他に目的を達成する方法が有るのに、それを捨ててまで
単なる一手段に執着するのは本末転倒でしょう。
神が人間の前に姿を現さない事についても同じ事が言えます。

また、人間を操って愛されるのは虚しいとの事でしたが、もしも自分が虚しい思いをするだけで、自分の愛する人を地獄から救えるとしたら、
あなたならどうしますか?
私なら、虚しい思いぐらい安いものだと喜んで応じますし、ほとんどの人もそうするでしょう。
それに対し、自分が虚しい思いをするのが嫌だというだけで、無数の人間が地獄に落ちるのを黙って見過ごす神は、
人間と比べてもあまりにも心が狭く、残虐なのではないでしょうか?


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