11/11/25 02:52:24.39 KjQE3pik.net
禁断の果実を食す前、野生のままの姿が善だと言うならば、仏教の教える性善説は正しいと思います。
例えば、自然界での出来事はあるがまま、神の意志だと賞賛され、野生のライオンがシマウマの子供を殺して食べる事は美化さえされることもあります。
群れて社会的集団(定義は曖昧のようです)となった場合には性悪説が正当性を持っているように思えてくる。
例えば、人間社会のルールを躾けられなかった子供は悪事をなす傾向にあるという統計的事実があるようです。
思慮に欠ける人達は、「仏教は性善説で、キリスト教は性悪説だ」と、まるで白と黒、陰と陽、性質の真逆のものであるように引用する事があるようですが、
どちらの宗教も、元を正せば群れの掟、人間社会で生きるためのルールと方法論をまとめた虎の巻であり、秩序有る世の中を作ろうと血のにじむ様な努力した結果生まれたのです。
無宗教の人々であっても、日頃の生活の中に様々な宗教の経典・聖書の道徳が今も生きていることが分かるはずです。
ブッダ、キリスト、アッラーフ、またはそれ以前の名も無き宗教者哲学者達とその弟子たちが生涯をかけて人々に正しい生き方を示そうと努力してこなければ、今日の平和はなかったでしょう。
未だ宗教や民族の違いが原因の戦乱は絶えませんが、それは、人間社会が未だ未成熟で、成長過程にあるからなのです。
そういった対立は政治的なエゴが原因で起こるものですが、無益極まる愚行で有る事を世界中の人々が気づいた時に真の世界平和が訪れるでしょう。その未来は私達の手で少しづつ作っていくしかありません。