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明治10年殉職の祝井巡査、無縁仏に ひ孫が調査続ける/神奈川
県警察で事件中の初の殉職者となり、県警や事件の被害者の子孫らによって手厚い慰霊が続けられている祝井盛武巡査
(1849~77年)。ところが、祝井巡査は無縁仏とされ、子孫が墓碑や慰霊の詳細を知ったのは2005年のことだったという。
ひ孫の医師祝井文治さん(65)=東京都=は県警や関係者に感謝しながら、130年の空白を埋めようと悲劇の解明を続けている。
祝井巡査は元薩摩藩士。妻と長男を鹿児島に残し伊勢原分署に勤務していた。
明治10(1877)年、伊勢原の旅館「紙屋」で起きた立てこもり事件で殉職。
警察は鹿児島の遺族に連絡を取ろうとしたができず無縁仏になったという。
同郷ということで教善寺(平塚市)の住職が遺体を引き取り墓碑を建立。
紙屋の鵜川家も事件から約40年後に慰霊碑を建てた。
県警察学校(横浜市栄区)にある招魂碑と合わせ3カ所で慰霊が続いている。
一方の祝井家は、残された長男の代に鹿児島を離れ、台湾、青森、東京と転居した。
青森生まれの文治さんは「曽祖父は神奈川の警察官で殉職したという話は父から聞いていました」。
不思議なことに文治さんは1979年に約4カ月、東海大病院(伊勢原市)に勤務。
81年から約1年間は平塚市民病院に勤務し、教善寺近くに住んだ。
だが、教善寺の墓碑も鵜川家の慰霊碑も知らないままだったという。
カナロコ 2013年4月11日
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