生活保護で一人暮らしの生活62at OKIRAKU
生活保護で一人暮らしの生活62 - 暇つぶし2ch696:今日のところは名無しで
15/07/24 16:37:19.77 .net
「q8.タベ7の、こ0ュ.ース鄞素(n
もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいん.だ~、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケ.ンのダ.ミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄.菓子屋兼.文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店.街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや.飴などを買い、駄.菓子.屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘..納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタ.ナベのジュー.スの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り.身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブル.ドッグソース、桃屋の江.戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワ.タナ.ベのジュースの.素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタ.ナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20~30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡.の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワ.タナベのジュースのには、ちゃんと、オレンジ、グレー、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消れていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタ.ナベのジュースの素の場合、
水に溶かしてむよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井村屋のソーダラップ、春日井シトロンという、炭酸系の粉ジュースもあり、この系統では、井村屋のソーダラップのメロン味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタ.ナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三.平師.匠が「おもちも入ってペタペタと、安くて、どうもスイマセ」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあられのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスイマセン」というべきではないだろうかと思っのを覚えています。
 ということで、ワタナ.ベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小学校を卒業して
中学校に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファン.タやコカコー(が入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、;冒頭でも触れた、世の中の「チク.ロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケソと三9師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195&59」(リクル.ート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘.味料、
合成着色料などに対する消者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボ府フーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡.辺製菓は、文字通り、68年代の終永と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念@な結末を迎えたわけです。

697:今日のところは名無しで
15/07/24 16:46:06.29 .net
糖質0麺売ってたから取り敢えず2つだけ買った

698:今日のところは名無しで
15/07/24 16:46:54.86 .net
「ひ3タベ7の、こ0ュ.ース鄞素(n
もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいん.だ~、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケ.ンのダ.ミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄.菓子屋兼.文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店.街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや.飴などを買い、駄.菓子.屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘..納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタ.ナベのジュー.スの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り.身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブル.ドッグソース、桃屋の江.戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワ.タナ.ベのジュースの.素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタ.ナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20~30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡.の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワ.タナベのジュースのには、ちゃんと、オレンジ、グレー、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消れていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタ.ナベのジュースの素の場合、
水に溶かしてむよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井紫屋のソー状ラップ、春日大こトロンという、炭時系のジ9ースもあり、この系統では、井あ屋のソ76ラップのメロこ味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタ.ナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三.平師.匠が「おもちも入ってペタペぉと、安くて、どうもスイマセ」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあドットのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスセン」というべきではないだろうかと思っのを覚えています。
 ということで、ワタナ.ベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小、学校を卒業して
中。学に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファン.タやコカコー(が入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、;冒頭でも触れた、世の中の「チク.ロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケソと三9師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195&59」(リクル.ート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘.味料、
合成着色料などに対する消者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボ府フーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡.辺製菓は、文字通り、68年代の終永と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念@な結末を迎えたわけです。

699:今日のところは名無しで
15/07/24 16:47:41.09 .net
「剛9タベ7の、こ0ュ.ース鄞素(n
もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいん.だ~、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケ.ンのダ.ミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄.菓子屋兼.文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店.街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや.飴などを買い、駄.菓子.屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘..納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタ.ナベのジュー.スの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り.身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブル.ドッグソース、桃屋の江.戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワ.タナ.ベのジュースの.素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタ.ナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20~30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡.の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワ.タナベのジュースのには、ちゃんと、オレンジ、グレー、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消れていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタ.ナベのジュースの素の場合、
水に溶かしてむよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井紫屋のソー状ラップ、春日大こトロンという、炭時系のジ9ースもあり、この系統では、井あ屋のソ76ラップのメロこ味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタ.ナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三.平師.匠が「おもちも入ってペタペぉと、安くて、どうもスイマセ」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあドットのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスセン」というべきではないだろうかと思っのを覚えています。
 ということで、ワタナ.ベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小、学校を卒業して
中。学に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファン.タやコカコー(が入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、;冒頭でも触れた、世の中の「チク.ロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケソと三9師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195&59」(リクル.ート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘.味料、
合成着色料などに対する消者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボ府フーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡.辺製菓は、文字通り、68年代の終永と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念@な結末を迎えたわけです。

700:今日のところは名無しで
15/07/24 17:57:44.63 .net
加賀マリア◆lTYfpAkkFY

高◯マリア◆lTYfpAkkFY

昔からハンネころころ変えるキチガイ

誰も相手すんなよ

701:こいろう ◆UCCvAhpw.M
15/07/24 18:00:59.89 .net
晩飯
URLリンク(i.imgur.com)

702:今日のところは名無しで
15/07/24 18:03:55.60 .net
「ひ3タベ7の、こ0ュ.ース鄞素(n
もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいん.だ~、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケ.ンのダ.ミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄.菓子屋兼.文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店.街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや.飴などを買い、駄.菓子.屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘..納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタ.ナベのジュー.スの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り.身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブル.ドッグソース、桃屋の江.戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワ.タナ.ベのジュースの.素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタ.ナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20~30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡.の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワ.タナベのジュースのには、ちゃんと、オレンジ、グレー、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消れていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタ.ナベのジュースの素の場合、
水に溶かしてむよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井紫屋のソー状ラップ、春日大こトロンという、炭時系のジ9ースもあり、この系統では、井あ屋のソ76ラップのメロこ味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタ.ナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三.平師.匠が「おもちも入ってペタペぉと、安くて、どうもスイマセ」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあドットのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスセン」というべきではないだろうかと思っのを覚えています。
 ということで、ワタナ.ベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小、学校を卒業して
中。学に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファン.タやコカコー(が入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、;冒頭でも触れた、世の中の「チク.ロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケソと三9師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195&59」(リクル.ート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘.味料、
合成着色料などに対する消者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボ府フーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡.辺製菓は、文字通り、68年代の終永と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念@な結末を迎えたわけです。

703:今日のところは名無しで
15/07/24 18:04:37.28 .net
「ワベタベ7の、こ0ュ.ース຃素(n
もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいん.だ~、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケ.ンのダ.ミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄.菓子屋兼.文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店.街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや.飴などを買い、駄.菓子.屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘..納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタ.ナベのジュー.スの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り.身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブル.ドッグソース、桃屋の江.戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワ.タナ.ベのジュースの.素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタ.ナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20~30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡.の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワ.タナベのジュースのには、ちゃんと、オレンジ、グレー、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消れていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタ.ナベのジュースの素の場合、
水に溶かしてむよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井紫屋のソー状ラップ、春日大こトロンという、炭時系のジ9ースもあり、この系統では、井あ屋のソ76ラップのメロこ味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタ.ナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三.平師.匠が「おもちも入ってペタペぉと、安くて、どうもスイマセ」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあドットのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスセン」というべきではないだろうかと思っのを覚えています。
 ということで、ワタナ.ベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小、学校を卒業して
中。学に入


704:る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファン.タやコカコー(が入っているという時代になりました。  それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、;冒頭でも触れた、世の中の「チク.ロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。   ちなみに、エノケソと三9師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195&59」(リクル.ート)には、こう記されています。  「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘.味料、 合成着色料などに対する消者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボ府フーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」  つまり、渡.辺製菓は、文字通り、68年代の終永と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念@な結末を迎えたわけです。



705:今日のところは名無しで
15/07/24 18:06:15.59 .net
サワベタベ7の、こ0ュ.ース຃素(n
もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいん.だ~、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケ.ンのダ.ミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄.菓子屋兼.文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店.街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや.飴などを買い、駄.菓子.屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘..納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタ.ナベのジュー.スの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り.身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブル.ドッグソース、桃屋の江.戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワ.タナ.ベのジュースの.素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタ.ナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20~30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡.の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワ.タナベのジュースのには、ちゃんと、オレンジ、グレー、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消れていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタ.ナベのジュースの素の場合、
水に溶かしてむよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井紫屋のソー状ラップ、春日大こトロンという、炭時系のジ9ースもあり、この系統では、井あ屋のソ76ラップのメロこ味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタ.ナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三.平師.匠が「おもちも入ってペタペぉと、安くて、どうもスイマセ」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあドットのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスセン」というべきではないだろうかと思っのを覚えています。
 ということで、ワタナ.ベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小、学校を卒業して
中。学に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファン.タやコカコー(が入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、;冒頭でも触れた、世の中の「チク.ロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケソと三9師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195&59」(リクル.ート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘.味料、
合成着色料などに対する消者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボ府フーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡.辺製菓は、文字通り、68年代の終永と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念@な結末を迎えたわけです。

706:今日のところは名無しで
15/07/24 18:14:23.91 .net
こいろうはマジで精神科を受診した方がええよ。 10年も2ちゃんねるに依存して、おまけにナマポ板に常駐、これって間違いなく.脳に障害が有るで!

707:今日のところは名無しで
15/07/24 18:16:14.47 .net
>>684
そんなので足りるのか?

708:こいろう ◆UCCvAhpw.M
15/07/24 18:23:53.71 .net
>>688
でお前頭みてもうたんか?

709:今日のところは名無しで
15/07/24 18:25:00.04 .net
「ワベタベ7の、こ0ュ.ース຃素(n
もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいん.だ~、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケ.ンのダ.ミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄.菓子屋兼.文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店.街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや.飴などを買い、駄.菓子.屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘..納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタ.ナベのジュー.スの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り.身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブル.ドッグソース、桃屋の江.戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワ.タナ.ベのジュースの.素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタ.ナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20~30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡.の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワ.タナベのジュースのには、ちゃんと、オレンジ、グレー、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消れていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタ.ナベのジュースの素の場合、
水に溶かしてむよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井紫屋のソー状ラップ、春日大こトロンという、炭時系のジ9ースもあり、この系統では、井あ屋のソ76ラップのメロこ味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタ.ナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三.平師.匠が「おもちも入ってペタペぉと、安くて、どうもスイマセ」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあドットのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスセン」というべきではないだろうかと思っのを覚えています。
 ということで、ワタナ.ベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小、学校を卒業して
中。学に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファン.タやコカコー(が入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、;冒頭でも触れた、世の中の「チク.ロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケソと三9師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195&59」(リクル.ート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘.味料、
合成着色料などに対する消者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボ府フーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡.辺製菓は、文字通り、68年代の終永と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念@な結末を迎えたわけです。

710:今日のところは名無しで
15/07/24 18:26:46.14 .net
「ひ3タベ7の、こ0ュ.ース–素(n
もと)です、もう一杯。憎いくらいにうまいん.だ~、不思議な(素敵な、だったかな…)くらいにうまいんだッ」というエノケ.ンのダ.ミ声CMソングが今も耳にはっきりと残っています。
この歌の後に、確か「10杯飲んでも50円、一袋たったの5円」とか何とかいうキャッチコピーが続いていたような気がします。
 子供の頃、私の家の町内には、家の1軒置いて隣にお菓子屋さん、10数軒置いた反対側の隣に駄.菓子屋兼.文房具屋さんのようなお店があり、さらに、橋を渡った隣の町が商店.街になっていて、いわゆる
「食料品店」も5、6軒ありまして、お菓子屋さんでは、主に秤で計って100gいくらという形で買う計り売りのあられやせんべいや.飴などを買い、駄.菓子.屋さんは、
もっぱらスカばかりの甘..納豆のクジなんかを引く場所になっていましたので、当時は、どちらかというと、正統の食料品にラインナップされていたワタ.ナベのジュー.スの素というのは、
ちゃんと食料品店で購入していた記憶があります。食料品店では、店先のガラスケースの中に、切り.身の魚やメザシ、魚肉ソーセージや魚肉ハム、乾物類などが並べられ、
壁際の棚に、ヤマサ醤油やブル.ドッグソース、桃屋の江.戸むらさき、鯨の大和煮の缶詰やみかんの缶詰なんかと一緒に、ワ.タナ.ベのジュースの.素が置かれていたものでありました。
 私の記憶には、この写真のような30袋も箱に入っていたワタ.ナベのジュースの素というのは残ってなく、今に思えば、いわゆる
徳用という奴だったのであろう20~30杯分くらいは粉末が入っていたと思われる大きな袋と、バラ売りの一袋5円の小さな袋しか覚えていません。で、大きな袋の奴は、家の台所に置いてあって、
粉末をスプーンですくい、コップに水道の水を注いで、スプーンでかき混ぜ、ジュースとして飲むというものでありました。
で、春先とか、晩秋とかは、長岡.の水道の水は、結構、冷たくて、解けきれなかった粉末がコップの底に残り、少ない水をコップの中で上手に渦巻きにして、粉末が水中に浮いたまま飲み込むというような飲み方をしていました。
冬場にお湯で飲んだこともありますが、特に、ストローで飲むと、やたらにすっぱかったことを覚えています。
 
このワ.タナベのジュースのには、ちゃんと、オレンジ、グレー、パイン(だったかな…)の3種類くらいの味があったと思いますが、
やはり、最も消れていたのは、オレンジだったような記憶があります。
特に、小さい袋のワタ.ナベのジュースの素の場合、
水に溶かしてむよりも、直接、袋に人差し指を突っ込んで舐めるというのが主流の飲み方(食べ方か)で、唾液で溶かしながら味わうには、オレンジが一番おいしかったように思います。
 
こうした粉末ジュースの類としては、他に、井紫屋のソー状ラップ、春日大こトロンという、炭時系のジ9ースもあり、この系統では、井あ屋のソ76ラップのメロこ味が最も飲まれていたようにも記憶しています。

さらに、ワタ.ナベには、お汁粉の素というのもあって、こちらも、かの林家三.平師.匠が「おもちも入ってペタペぉと、安くて、どうもスイマセ」というCMで強烈に印象に残っていますが、
おもちといってもほとんどあドットのような奴で、あんこもあまりおいしくなく、子供心にも、「おもちも入ってカリカリと、まずくて、どうもスセン」というべきではないだろうかと思っのを覚えています。
 ということで、ワタナ.ベのジュースの素は、指先と舌をオレンジ色に染めた記憶と共に鮮明に覚えているわけですが、こうした粉末ジュースの類も、僕が小、学校を卒業して
中。学に入る前後辺りから次第に姿を消し、中学校のいつ頃からだったか、はっきり記憶にありませんが、いつのまにか、冷蔵庫を開けると、ファン.タやコカコー(が入っているという時代になりました。
 それは、我が家の家計だけでなく、世の中全体が、少し余裕が出てきた証でもあったでしょうし、;冒頭でも触れた、世の中の「チク.ロ騒ぎ」で粉末ジュースが真っ先に槍玉にあげられた結末でもあったようです。 
 ちなみに、エノケソと三9師匠のCMで私たちの記憶に刻み込まれた渡辺製菓について、「ぼくらのヒット・パレードVol.1/195&59」(リクル.ート)には、こう記されています。
 「(コーラなどの浸透に)追い討ちをかけたのが『ジュースの素』に多量に使われていた人工甘.味料、
合成着色料などに対する消者の拒否反応の高まり。こうした逆風の中で経営難に陥った渡製菓は、昭和46年ついに経営を断念。現在のカネボ府フーズに吸収合併され、その歴史を閉じた」
 つまり、渡.辺製菓は、文字通り、68年代の終永と共に、その歴史に幕を閉じてしまったという残念@な結末を迎えたわけです。

711:今日のところは名無しで
15/07/24 18:30:08.82 .net
>>690
痛いところ突かれて、よほどドたまに来たんやな。 俺は精神科への受診を勧めてるだけやんけ。 行くのか行かないのか、精神異常者としての自覚は有んのかだけ教えてくれや。

712:今日のところは名無しで
15/07/24 18:30:11.86 .net
>>688
豚は精神病院に通院してるよ
年に何回か親と一緒に仕事と書いてるだろ?
行き先は決まって和歌山県
和歌山県の精神病院で受診してる
近所じゃ世間の目があるからな

713:今日のところは名無しで
15/07/24 18:32:04.32 .net
【発達障害の特徴】

発達障害のある人は、他人との関係づくりやコミュニケーションなどがとても苦手です。
また、その行動や態度は「自分勝手」とか「変わった人」、「困った人」と誤解され、敬遠されることも少なくありません。
しかしそれは、親のしつけや教育の問題ではなく、脳機能の発達が関係する生まれつきの障害だと考えられています。

 対人関係が不器用なのは、発達障害者に共通する傾向です。ADHDの人はアスペルガー症候群はどではありませんが、基本的に社会性が未熟です。
その傾向としては、
1.人の気持ちを読んで、場面や状況に応じた対応ができない
2.自己中心的で他者との協調性に乏しい
3.人との約束事やルールが守れない
4.頭の中で考えていることをうまく表現できない
5.感謝、反省、共感などの気持ちをうまく表現できない
6.人に助けを求めたり、要求を断ることができない
 一般の人は、人と話をするとき、相手の話だけ聞いているわけではありません。相手の表情や口調、声のトーン、間のおき方、
また周囲の状況なども含めて、相手の気持ちを汲み取ろうとします。発達障害の人にはそれがうまくできません。
また誰かに助けられても「ありがとう」の一言が言えず、反感をかうこともしばしばあります。
誤ったり、賛同したり、人に好かれるように振舞ったりするのも不得手です。
 このようなことから、友人や恋人とも長続きせず、いじめや仲間はずれになりやすいことです。
しかしADHDの人は、人と親しくしたり、仲間を作りたいという願望はもっています。これは、そうした欲求があまりないアスペルガー症候群とは大きく異なります。

ADHDやアスペルガー症候群のような軽度の発達障害者は、基本的に飽きっぽく、退屈に耐えられず、
少しでも退屈を感じると、すぐに何か新しいものを探して頭の中のチャンネルを切り替えます。
また古くからある決められたやり方を嫌い、常に新しいものや熱中できるものを探して、好奇心の赴くままに刺激を求めます。

 片付けられず、忘れ物が多いというのは、大人のADHDの人に必ずといっていいほど現われる症状です。
これは一つのことをしながら別のことも一緒にするためのワーキングメモリという機能という脳の機能に問題があると考えられています。
 ワーキングメモリ機能とは、いまやっていることとは別に何かをやらなければならないとき、それに必要な情報を必要な期間だけ頭の中に保つ機能です。
このワーキングメモリに問題があると、複数のことを同時にこなしたり、いまある課題をどう順序だてて実行すればいいかを考えたり、いくつもある条件の中から最適な答えを見つけたりするのが困難になります。

自分の興味や関心のあることに強いこだわりを持ち、極端にのめり込んで、マニアックに1つのことをやり続ける。これは発達障害に見られる傾向の典型的なパターンです。
特にアスペルガー症候群に顕著に見られる傾向です。圧倒的に男性に多く、90%以上を占めています。これは女性に比べて男性の方が、空想やファンタジーの世界に遊ぶ傾向が強いためと考えられます。
 彼らは、自分の全エネルギー、精力、集中力、時間、お金などをつぎ込んで、他のことには目もくれず、飽きることなく、いつまでもこだわりを続けることができます。



完全に豚と一致wwwwwwwwwwwww

714:今日のところは名無しで
15/08/04 16:49:03.23 L5CGDCZZ+
毎日つまんね

715:>>687
15/08/05 10:14:41.26 lgE8/E2Bv
>>687 スレ長すぎると皆 面倒くさいから読んでないぞ。

716:過去ログ ★
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