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「アマンドがある風景」
ピンクの派手な店構えで、待ち合わせスポットとして知られた「アマンド」が、18日で創業80年になる。(略)東京の街の文化に詳しいコラムニストの泉麻人さんが、アマンドの思い出とともに六本木の街の変化をたどる。
―泉さんが「アマンド六本木店」を知ったのはいつぐらいですか。
夜遊びで六本木に行き出したのは高校時代だから1970年代前半。ディスコがぽつぽつと目立ち始めていた頃で、ロアビル(閉鎖中/六本木のランドマーク的な存在)もできたばかりだった。アマンドはすでに有名になっていたけど、(略)
六本木舞台の小説、映画作品が出てきた(略)
新しい東京〟の時代
当時、はやりの情報は「平凡パンチ」(マガジンハウス、64年創刊)あたりにも載っていましたが、それよりも口コミで知ることが多かったです。遊び人の先輩とかから「今あそこのディスコ面白い」みたいな感じで回ってくる情報。そういうのを聞いて、じゃあ行ってみよう、というのが主流でしたね。(笑)
―その後、バブル期はディスコブームとなり、「マハラジャ」など有名な店舗が何軒もできました。夜は人であふれ返り、いわゆる六本木のイメージが全国的に定着しました。私の年代(50代半ば)だと、学生の頃(80年代後半~90年代前半)はバブルの残り香があったような時で、アマンド前にもまだまだ人が多くいました。(略)そこには打ち合わせとか、時間つぶしみたいな感じでよく入っていました。六本木、西麻布、赤坂といった〝新しい東京〟がすごくにぎわった時代ですよね。当時のアマンドはその時代の象徴みたいな店でしたね。
―しかし、バブル崩壊とともに急速にディスコも減って、人も少なくなっていきました。
六本木の〝顔〟が、ディスコの街、夜の街だったのはやはりバブル期までですよね。その後の人たちがそこまで夜遊びをしなくなったというのもあるように思いますが、「六本木ヒルズ」ができて以降は、夜の街としての六本木は廃れていき、街の中心も変わっていきました。言ってみれば街自体がもう「森ビル」の街になったから(笑)。森ビルとしては〝夜の街〟としてではなく、住む場所としていい環境にしていきたいでしょうからね。
港区女子とバブル期に遊んでいた人は違う
(略)―「IT貴族」「港区女子」なんて言葉もできました。一部かもしれませんが、富裕層はその後も夜の高額な飲食店で派手にお金を落としているようにも見えます。人が減ったとはいえ、一般には見えない場所ではいまだに夜の「バブル感」があります。(以下有料版で,残り513文字)
朝日新聞 2026年8月16日 10時00分
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