26/05/18 14:08:45.13 IxVCFPb09.net
Yahoo!オリジナル記事
5/18(月) 7:01
URLリンク(news.yahoo.co.jp)
本来「老害」は、企業や政治の中心で権力をかざす老齢の人たちを腐す言葉だった。しかし、40歳以上の大人が人口の過半数を占める「超中年社会」の今、令和を生きる中高年は「老害意見だけど」と前置きをしたり、「老害にならないように」と部下や社会に過剰に気を使っている。
NHKの朝の情報番組でもこの「老害」が取り上げられ、大きな反響を呼んだ。私も番組に専門家として出演したが、社会全体に広がるこの2文字の重さと、切実さに圧倒された。
なぜここまで、「老害」の解釈が肥大化したのか、思考を巡らせてみよう。
件の知見が示すのは、若者の「特権化」と中高年の「立場の弱さ」だ。終身雇用と年功序列が主流だった時代は年齢がそのまま権威だった。SNSもないので年長者が持つ情報や生きた経験が貴重だった。しかし、権威と情報のあり方が根本的に変わり、威圧的な態度はハラスメントと見なされる。会社からはコストの高さから50歳になった途端捨てられ、部下からは「働かないおじさん」と腐され、SNSでは「パーカーおじさん」と揶揄されている。
一方、Z世代に代表される若者は「デジタルとグローバル」と少子化を武器に、存在感を強め、若手争奪戦の過熱ぶりは「初任給バブル」をもたらしている。
松本清張の小説『迷走地図』で若手政治家が「老害」を批判するシーンが描かれた時代、老害の一番の問題は「自己認識のなさ」だったが、今は50歳を過ぎたら全員老害である。誰だって年を取るのに、「若=善、老=悪」と極端な二元論が闊歩し、「老害」という言葉が「老いるのは害」と変貌してしまったようだ。
そんな時代だからこそ、幾つになっても学び続け、若者の言動に感心する人は慕われる。足元の、ごく身近な人間関係を大切にする。愛をケチらない自分になれば、景色が変わるかもしれない。