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慶應 福沢諭吉は凄まじい差別主義者だった・・・・
東大に行っていいのは金持ちだけ、貧乏人は下等な教育でいい…明治初期の福沢諭吉がそう説いていたワケ
5/24(金) 16:17配信
news.yahoo.co.jp/articles/99f12befea3030b39fafecd019038c879777f2a7
■慶應大学をつくった福沢諭吉の東大批判
教育とは、そもそも「公共の資金」を支出する対象ではない。なにも教育しないのは「社会全体の安寧」に問題を生じるので、読み書きと多少の算術までは政府が負担する。
それ以上は親が負担すべきで、政府が「高尚専門の教育」に費用を出すのは「余分の世話」で必然的に帝国大学をはじめとする官学は廃止または民営化されるのが望ましい、という結論になる。
■私学のレベルが低いのは政府のせい
■むしろ官学は経済的に不合理
高い学費を払えない者は進学を諦めるので、「学問の衰微」を招くのではないか。これに対して福澤は、社会全体で教育熱が高まっており、景気が悪くなっても生徒数は増加の一途なので心配はまったくない、と反論する。
■貧乏人を教育から締め出す
授業料が払えない貧乏人を教育から排除することは許されない、という批判が想定される。福澤は、貧乏人を教育から締め出すことを明確に肯定した。
金持ちはよい服を着て美食するが、貧乏人は粗末な衣食で満足するしかない。これが世の常態である。
■「公共経済」の観点から
■「社会の安寧」を乱す
学問を修め精神を発達させると、どうしても社会の不完全さが目につき、不満を抱くようになる。最大の不満は、もちろん我が身の不遇である。そういう人間はなんとかのし上がろうとして「結社集会」「新聞演説」といった手段に走る、と福澤はいう。
■「反・学問のすゝめ」
「公共助成の教育」は、読み書き算盤の初歩といった犯罪防止に寄与する「最下等」のものに限定し、それすらも現時においては義務教育として行うべきではない(「公共の教育」)。