24/04/28 09:26:04.83 H5AcPdgQ0.net
>>734
今調べたよ。
廃棄物資源循環学会誌,Vol. 28, No. 1, pp. 86 -90, 2017 第 12 回:大阪市におけるごみ処理対策の歴史 (後編)
― ごみ埋立の歴史の概説と海面埋立処分場建設のための諸実験 ―
URLリンク(www.jstage.jst.go.jp)
>大阪市のごみ焼却処理に関しては成書や報告があるが,埋立処分に関する記述は市の資料しか残っていない。
>1900 (明治 33) 年の汚物掃除法が成立した当時の大阪市のごみ量は 71 千 ton であった。
>ごみの処理状況は,30 % を堆肥に提供し,残り 70 % は尻無川下流の塵芥滓場での海中投棄であった
>。1905 (明治 38) 年の大阪市会の記録に,安治川河口の築港工事延期の稟議の件の中に工事費の内訳が示されているが,
>浚渫及運搬費の摘要に「土質,細砂,塵芥,梁杭等ヲ混ス」とあり,河口部にごみが沈積していたことがうかがえる
安治川というのを調べると此花区に繋がっている川の様だ。その河口にゴミが沈積とあるから、確かに734は嘘は言ってはいないが、語弊がある。
1つは、埋立地として此花区が古い点と、ゴミも交じって沈積しているのは事実だろうが、土質,細砂とあるから、普通に自然に河川で流れ着いた土砂類とゴミが混ざっている状態であり完全にゴミ埋立地とは性質が違いすぎる。
どちらかというと、少しゴミが混ざった程度だろう。それに河口と記載あるので、完全な海の埋立地という訳でもない。もう、半分以上が埋まってるような状況に土砂にゴミが混ざって沈積したのだから土台としての強度が明らかに違う
どうせ分からんだろうからと思って、誘導しすぎなんじゃない?