【国際】プーチン勝利に追い風、欧米で高まる「ウクライナ支援過多」への不満 ★5 [樽悶★]at NEWSPLUS
【国際】プーチン勝利に追い風、欧米で高まる「ウクライナ支援過多」への不満 ★5 [樽悶★] - 暇つぶし2ch693:社説+で新規スレ立て人募集中
23/08/05 17:17:30.19 BeOQeQWQ0.net
>>666
ウサマビン・ゼレンスキー誕生であった
ビンラディンもアメリカから支援を受けてソ連と戦っていたが
湾岸戦争を機に反米になったからな

ウサーマ・ビン・ラーディン
アフガニスタン紛争への参加(1979?1989年)
ソビエト連邦がアフガニスタンに進攻した1979年、ビン・ラーディンはサウジアラビアを離れてパキスタンやアフガニスタンを初めて訪れ、
ソ連軍に抵抗するムジャーヒディーンを支援するための活動を始めた
1979年から1989年にかけ、アメリカとサウジアラビアはパキスタンの軍統合情報局 (ISI)を通じ、
アフガニスタンで戦うムジャーヒディーンへ400億ドル相当の援助を行った(サイクロン作戦)
湾岸戦争と米軍駐留・サウジアラビアからの追放(1990?2000年)
1989年2月にソ連軍のアフガニスタンからの撤退が完了した後、ビン・ラーディンはサウジアラビアに帰国した
1990年8月2日、サッダーム・フセインのイラク軍がクウェートに侵攻し、サウジアラビアとの国境に到達した。サウジアラビアがイラクからの脅威に直面する中、
ビン=ラーディンはファハド国王およびスルターン国防相と会談を行い、国内に異教徒のアメリカ軍を駐留させる代わりに、
自らのムジャーヒディーン軍団によってサウジアラビアを防衛する計画を提案した。
しかし、サウジアラビア王家はビン・ラーディンによる提案を拒絶し、最終的にはアメリカ軍のサウジアラビア駐留を認めた
湾岸戦争が引き金となったアメリカ軍のサウジアラビア駐留は、ビン・ラーディンを急速に反米活動に傾倒させていった。
1991年、サウジアラビア王家はアメリカ軍との同盟関係への批判を繰り返すビン・ラーディンを国外追放に処した


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
レスジャンプ
類似スレ一覧
スレッドの検索
話題のニュース
おまかせリスト
オプション
しおりを挟む
スレッドに書込
スレッドの一覧
暇つぶし2ch